いつか自由な蝶になる


 【閑話、夜這い鬼】


宴が終わり、赤ら顔に鼻歌を奏でる里長たちが散っていく。
皆今日はこの須磨の地で一泊するようだった。この里あるいは近郊の里の家に頼んで部屋を貸してもらうことがほとんどでもまた例外ではない。紹介を頼りに、会合地の外れにある小さな家にお世話になる予定だった。屋敷から出ようとした私に声がかかり、振り向けば風間のお付きの鬼、天霧殿だ。


「これは天霧殿。どうなされた」
「風間より、貴女は今宵この家に泊らせるように仰せつかっております。既に部屋の準備は整っておりますので」
「それは…一体どういうことだ。里の鬼に部屋を借りる手配はしていたのだが」
「そちらの手は打ちました。ご安心を」


連れてこられたのは長い廊下の中ほどにある部屋。しかも結構広い。瞬きを繰り返していると、「ごゆっくり」という言葉を残して男が退室した。広い部屋の真ん中には、一人分にしては大き目な布団が一組敷かれている。そう多くない荷物を傍らに置く。命を救った褒美と言うことか。立派な布団で一夜を過ごせるのもありがたいものだ。 それ以上は深く考えないようにした。締めていた帯を解き、ゆったりした寝間着に着替えると、早々に布団に潜りこむ。荷物が増えるからと反対されたが無理矢理持ってきた愛用の括り枕に頭を乗せれば、視線が天井の木目をなぞる。今日はぐっすり眠れそうだ。

夜は子の正刻の頃だろうか。あるいはそれを過ぎた頃だろうか。心地よさに意識は微睡み、耳が音だけを運ぶが部屋は無音。眠りの世界に誘われようとしていたの耳が、殺していても確かに近づいてくる音を感じた。しかし、今は寝たい。木が擦れるような音が幾分か近くでした気がする。夜具が軽く引かれると同時に篭った温かさが一瞬消え、風の様な涼しい空気を感じた。

「?」

何が起こっているのかまったくわからない。は恐る恐る目を開いた。



「っ!?」



それは、心臓を掴まれたような衝撃。見覚えのある紅い瞳がほぼ同じ高さの目線で此方を見つめているではないか。薄暗い部屋にかの鬼の白い肌は浮きだっていた。閉じていた瞳をこれほどないまでに見開いていた。叫びたいが声が出ないほどに動揺している。心音が頭に直接響いているようだ。 「な、なっ何故其方が!?」ここに居る?と続けようとした。が、細められた瞳に、正に蛇に睨まれた蛙と言う状態。そのまま二人何を言うわけでもなく互いが互いをただ見ていた。

「この俺に岡惚れとは中々見込みがある」
「な、何を言うか!」

思わず口が滑ってしまった。同じ布団に入りながら向かい合う私達の間に、何とも言えない微妙な空気が流れた。そもそもこの男は何故ここに居るのだ。一応この部屋に宛がわれたのはこの私。彼にはもっと広く立派な客間が宛がわれていることは想像に易い。


「お前が、何故俺がここに居るのかと疑問を抱くのも致し方ない。の女鬼よ。聞け」


起き上がることも無しに風間千景はこの時間にここにいる理由を語り出した。
それは古い習わし。西の長鬼が集まり宴が終わると、皆が寝静まる頃に格上の鬼から宴で気に入った女鬼の元へと赴き一夜を共にする。基本的に女側に拒否権はない。それは間違いなく夜這いというものだろう。夜が深まるごとに鬼たちは目当ての女の所を秘かに尋ねるが、格上の鬼が先に床入りしている場合はその場を退かなければならないらしい。自らが夜這いした女鬼を気に入れば嫁取りすることもあるそうな。 しかし対象は宴で男鬼を接待していた里の娘達のはずだ。私は含まれていない。それに…もし宴に出ていた女鬼が対象だったとして、恐らく西の鬼でも最上格の風間千景がこの場にいると言うことは…つまり、その、彼のお眼鏡に適ったとでも言うことだろうか。畏れ多い少々。面倒極まりない殆ど。

「風間殿。つまり其方がここにいると言うことは…」
「安心しろ。お前が考えていようなことは一切ない。話は最後まで聞け」

確認の為、口を開いたが一蹴されてしまった。次いで聞かされたのは思わず眉間に皺を寄せたくなるような内容だった。 以前より、夜這いの習慣を一際面倒に感じていた風間は、一夜の間何処かで時間を潰そうと考えた。彼が自らの床を空けなければ余所の鬼達への合図がかからない。彼の在室の有無も確認されるらしい。風間家の当主たる自分が適当な場所で暇を潰すのは気に食わないと言う。つまり、彼が面倒だと感じている夜這いが行われている間、適当な鬼の元へと転がり込む事にしたというわけだ。


「それでは…わざわざ女を選ぶ理由など無いだろう。適当な男と飲み明かせば良いではないか。天霧殿とか」
「ならぬ。天霧はこの俺が夜這いをかけ、女鬼を連れてくることを望んでいる。要は向こう側だ」
「内部事情は知らん。如何でも良い。ではなぜ私の元へと来た」


紅い眼差しを受け止めながら、静かに尋ねる。


「あの宴にいた女鬼の中でお前だけが俺への酌を断った。ただそれだけだ」
「はぁ?」
「この俺が見込みがあると踏んでやったのだ。ありがたく思え」


思わず荒立った声が出てしまった。瞬きが止まらない。事実を頭の中で整理してみる…が、どう考えても【私が酌を断った=見込みがある=夜這い】になるのかが理解に至らない。ぶっ飛んでいる。


「今宵、俺はお前に夜這いをかけるつもりは毛頭ない。一晩この部屋この布団に、この俺が共に居てやると言っているのだ。光栄に思え」
「つまり…面倒な夜這いが行われている間の逃げ場として私を使ってやると言うことか」
「フン。ようやく理解したか」

よくよく考えると、この男…ものすごく失礼な事を言っていないだろうか。
夜這いはしないが一緒に時間を潰せとは私は女として見られていないのだろうか。あの宴の中で愛嬌一つ見せず、酌も断り淡々と飲み食いし、遂には冷徹にも女鬼を始末したぐらいだから解らなくもない…が腑に落ちない。私の表情から何かを感じ取ったのか、男は最後に暴言を吐いた。



「襲って欲しいならば考えてやらんでもない。あの女鬼の中では一番見込みがあると踏んだ女だ。娶ることは考えていないが毒見の礼に、一夜ぐらいは楽しませてやっても良いぞ」
「ふ・ざ・け・る・な!」



言い切ると反対側へと大きく体を逸らした。盛大に男の分まで夜具を巻き込む。きっと男は布団の上に野ざらし状態。

「わざわざその為に私をここに呼ぶとは。付き合ってられん。私はもう寝る。大人しく部屋に戻りこの家の主人に笑われるか、天霧殿に頭を下げるか、適当な女の元へ転がり込むかするが良い。この部屋に居たいなら布団は貸さん。畳の上で寝ろ」
「この俺への無礼は許さんぞ。余所の鬼の夜這いから救ってやった礼も出来んのか」
「どういう意味だ」

余所の鬼の夜這い…とは、やはり私も夜這い対象の女鬼だったと言うことだろうか。顔だけを振り向けた私に出来た一瞬の隙をついて、男が巻き込んでいた夜具を引っ張った。途端に元通り、二人並んで夜具に包まれる。 風間が言うには、今日の様子だと私の所に夜這いをかける鬼が少なくとも五人はいたらしい。加えて私が宿に頼った先は村の外れの老夫婦の家。襲われれば一溜りもない。

「風間家当主たるこの俺が一緒ならば余所の鬼は手を出せん」
「そもそも私はあの家にはいないが。夜這いをかけた鬼達が空の部屋に驚く様も滑稽だな」
「お前がこの屋敷にいるという事実を知る鬼は少ない」

まあ、私自身この屋敷を出る時に知ったくらいだ。他の鬼は私が里外れの老夫婦の下で世話になっていると思い込んでいるのだろう。


「私は寝癖が悪いと評判だ。床を共にして其方の命が朝まで無事だという保証はない。手を出さんと約束するなら、私の横…貸してやっても良いぞ」
「フン。この俺と床を共にする権利を与えてやるのだ。ありがたく思え」


そのまま平行線。軽く鼻であしらうと「もう寝る」とだけ告げ、括り枕に縋る様に顔を沈めた。


「…」


意識しているわけではない。もちろん隣で寝る男の事だ。あれからどれほど経ったであろうかわからない。寝返りを繰り返しながら睡眠とは程遠く頭は冴えるばかり。今日は寝つきが悪い。最悪だ。 今は男に背を向けて横向きになっているからが、向こう側がどうなっているのかわからない。部屋は無音で息遣いさえ聞こえない。男が気になるわけではないと言い聞かせ、寝返りに見せかけて体を仰向きに起こした。視線の先には天井。横には男鬼の感覚を肌で感じる。ふと顔だけを男へと向ければ、白い肌と絹糸にも似た黄金の輝きの髪。あれほど存在感を示していた紅い瞳は目蓋に閉じられていた。男鬼であるが美しいと表現すべきだろうか。心臓が掴まれた様にドクンと高鳴ったような気がした。

「(鬼は一度した約束は必ず守る。この男が私を襲うことは無い)」

もう一度天井に視線を寄越し、木目をなぞっていく。寝よう。次に瞳を開く時はきっと暁の頃。明るくなれば男は部屋に戻っているだろう。は目蓋を閉じた。 隣の気配が動いたのを感じたのはその直ぐ後だ。頭が微睡みかけているのだろうか。意識ははっきりしないが、音は確実に耳に打ち込まれてくる。ごそごそという物が動く音。身体に重み、そして温もり。


「(重いし…温かい?)」


は思い切って瞳を開いた。本日二度目。そして今度は叫びそうになった。 視界には自らに重なる様に上に乗った風間千景の姿。紅い瞳は私を見下ろしている。襲われる、と頭は瞬時に判断した。声を上げようと体全体が強張る。が、風間が私の目覚めに気付いた方が一瞬早かったようで、手で口元を抑えられた。男の顔が近づき…肩口に顔を埋める。耳元にある彼の唇が小さな声で私に囁いた。


「声を出すな。ここの主人は覗きが趣味らしい。あるいは…お前に夜這いをかけようとしたか。このまま覗かれていても面倒だ。手を貸せ」
「…」


遅れて頭が処理を始める。彼が言うには今、この屋敷の主人がこの部屋を覗いているらしい。何と悪趣味だ。私達の行為を覗いているのか、私に夜這いをかけようとしたのかは定かではない。気配を探れば確かに廊下に鬼がいる。どうして大人しく朝を迎えることは出来ないのだろうかと、心の中でため息一つ。

「…私は如何すれば良い?」

彼に聞こえる様に尋ねた。二人だけの会話。 一度起き上がった風間は反対側の肩口に顔を埋める。


「満足するまでは廊下から離れんだろうな。お前に手は出さんと誓った。振りで構わんだろう。声を出せ」
「声って…やはり悲鳴か?」


頭に浮かんだのは、キャーとか助けてと言った叫びだ。それ以外に思いつかない。怪訝そうに細められた紅い瞳は、それを肯定とはしていないようだ。ならば何だ。次はが男を見つめた。


「無知…か」
「失礼な!貞操を守っているに過ぎぬ。本来は祝言を挙げるまでは交わらんのが仕来りだ。無知ではない。知っていることは知っている!無碍に交わることを望みはしない。多くの子を成してしまうから…。故に、私は強い鬼としか結ばれぬのだ」
「…」


感情的に声が荒いだ。正直、襖の向こうなど気にもしていなかった。 深紅の瞳が私を見下ろしたまま、男も何も言わない。急に恥ずかしさが込み上がってくる。途端に視線を逸らし薄明りに浮かぶ障子に向けた。

「!?」

しかし、風間千景はそれを許してはくれないようだ。 少々強引に前を、今は仰向けに寝ているから上を、私に跨る彼の方へと向かされた。二人の視線が交わり合う。緊張からか鼓動が煩い。


「良いだろう。振りでも無理矢理声を上げさせてやる。精々食いしばれ」
「えっ、ちょ……うっ…はぁ」


そう言い捨てると男が耳元へ唇を寄せた。初めての感覚。体全体で感じる男の体温。荒々しい雄の香り。の全てが風間千景という男鬼を感じていた。耳元へ散々唇で触れながら、それに飽きたのか唇は耳の裏から下、首筋を通って鎖骨へと移っていく。 くすぐったさの奥に、確かに何かを感じる。ぞくぞくするような感覚だ。これをどう表現すべきだろう。頭で必死に考えていても長くは続かない。男の唇が触れる度に声にならない声が口から零れ落ちた。

「もっ…やめッ。あっ!」

息も絶え絶えに。しかし自らの耳が捉えたのは、普段の自分からは想像もしないような甘い嬌声。羞恥を覚え頬に熱を帯びるが次に与えられる感覚が脳を支配する。男の唇は鎖骨より下には決して降りない。が、それが触れる度に生まれる熱が蓄積され思考を溶かす。それは薄まることも消えることも無い。 「少しは興が乗って来たか?ここの主人も一通り飽きた頃だろう」耳元で男がそう告げた。同時に、足が涼しさを感じた。


「なっ!!何を!?」


寝間着の褄下辺りを肌蹴られ、膝裏に手を差し入れられたまま片足を高く掲げられる。足は膝で折れたまま。しかし湯文字は付け根側に落ち、何も纏っていない腿を含めた素足が晒された。想像を脱した展開に頭が追いつかない。今まで誰にも見せたことのない場所だ。しかも付け根に近い位置までしっかりと晒された。
薄暗い部屋にの色白な肌は目を惹くだろう。


「いやっ!」


足を閉じたくても間に割り込んだ男の体が邪魔をする。の首元に顔を埋め、足を掲げたまま乗りかかる様に体を寄せられた。緊張と興奮から心を落ち着かせるためだろうか、いつの間にか私の呼吸は荒くなっていた。



─ガタンッ

それはの耳にも届くぐらいの大きな音。目の前の快楽に溶かされ、思考が働いていない状態では何が起こったのかも判断がつかない。蕩けそうな思考から自分を取り戻そうと荒い息遣いを繰り返すのに必死だった。だがこの状況でも風間だけは冷静。


「誰だ」



広い部屋に男の低い声が響いたがその問いに答える者はいない。 静かな部屋に緊張感だけが漂っている。

「漸く行ったか。覗きが趣味とは性質の悪い。おい。もう良いぞ」
「はぁ…はぁ…」

居た堪れなくなって片手で顔を覆う。荒い息遣いは正に行為のそれに見えなくもない。


「それほどまでに良かったか」
「違う!」


男の言葉に全力で否定をした。 良くなどない。体中が毒にでも侵されて痺れているようだ。その痺れは快楽。そんなものに負けてたまるかと理性が抵抗する。私はまだ堕ちてはいない。

「お前は甘い声で啼く」
「!?」

反射的に睨みつけた。しかし頬に耳まで熱い。きっと彼の瞳のように赤いのだろうか。 私の事なんで気にもせずに風間は続けた。


「俺を欲してるならその甘い声で求めるが良い」


欲してなどない。燭台に灯った明りを吹き消すように理性を叩き起こす。しかし炎は思ったよりもしぶとい。肉体を支配しつつある快楽は簡単には消えないようだ。忘れられぬ感覚と言うべきか。消し去れないのならば明りを覆ってしまえばいい。これ以上男の手の上で転がされるのが気に入らない。

「欲しているのは其方の方だ。違うか?」

男の頬に手を添えれれば、紅い瞳が僅かに見開かれた。 求めているのは私ではない。風間の方だ。そう言い聞かせる。



「何処までも可笑しい女だ。面白い」
「どう考えたらそうなる。其方…大丈夫か」
「今宵の事は他言無用。機会があればまた貴様を使ってやる。光栄に思え」
「次は無い。もう布団は貸さん。次回からは必ず別所で部屋を借りるから心配するな。それまでに飲み友達でも作れ。それか天霧殿に…「戯言を。もう寝ろ」



私の言葉を遮る様に風間の言葉が重なった。 視線が交わった最後に、顔が近づきもう何も言うなと言わんばかりに口付けを一つ。不意にされた。

「…」

途端に言葉を失ってしまった。人差し指が唇をなぞる。大人しくなった私に満足したのか、風間はニヤリと笑うと布団を被り瞳を閉じてしまった。


「(あんなに優しくされるなんて)」


恥ずかしさを隠す様にも布団を被り、男に背を向けた。夜が明ければ男も消える。夜の戯れはいわば夢幻のようなものだ。この口付けだってきっとそう。全て夢。そう言い聞かせ、瞳を閉じた。
障子から薄明りが差し込む頃に男に抱きかかえられる形で目が覚め、が声を上げるのはもう少し後の話。


続き。というわけで隠し話。全然隠れてませんが。主人公が千景をちょっと意識するまで。今後隠しページを止め、メニューに格上げするかもしれません。未定。

20150503*星宮はちこ   裏語