猫ライフのすすめ

我が家に猫が来てからちょうど三日目になる。

は氷帝学園大学で看護学を学んでいた。 両親が医療関係の仕事をしていたこともあり、私自身が看護師そうと思ったのはまだ幼稚園の時のこと。 今思えば懐かしい。幼稚園の卒業前にクレヨンで書いた“将来の私の絵”には、何よりも目立つ大きなナースキャップを描いたことで良くも悪くも有名に(?)なったとか。 幼稚園そして小・中・高と有名な女学院に通っていたが、大学は国立ではなく氷帝学園に決めた。 理由は色々あるが、目の前の男の影響が一番だろう。

「それで明後日公開の映画があるやんか…って、。自分聞いとるんか?」
「っえ?ごめん…何?」

普段から凛としたオーラを持つが少し間の抜けた声で返事をする。彼女に話しかけた彼は忍足侑士。 将来医者になるために氷帝で医学を学んでいる。医者と看護師という夢を語り合ううちに、二人は惹かれあい恋人となった。 ちなみに出会いは中学時代。何だかんだ色々あったのは言うまでもない。 大学生でありながら二人は都内の某高級賃貸マンションに同棲している。

「さっきの俺の話聞いとらんかったやろ?まったく…。 自分が観たい言うてた映画やで」

ごめんと謝りながらもどこか上の空。駄目だ。 侑士の言葉が頭に入っていないし箸も進んでいない。 お昼の時間もだいぶ進んだがお弁当がなかなか減っていなかった。 今日も、そして昨日もそうだった。時々何かを考えるように無表情になるのである。 原因として考えられるのは三日前の出来事しかない。我が家にやってきた猫。 忍足はそこで溜息を漏らした。

「はぁ~、あいつらのこと考えてるんやろ? わからんくもないけどなぁ。

の名を呼んで忍足は彼女を見つめる。 忍足の想いにも相変わらず上の空だったがポツリと呟く。 まだまだ彼女の心に忍足(+映画)のことは響かないらしい。


「あの子たち…、大人しくお留守番してるかな?」


一週間前に、忍足の恩師である榊先生から連絡が入ったことは記憶に新しい。 それは何気ない電話だった。


─プルルルル…

「はい、もしもし。ですけど…」
「私は榊と申します。こちらは忍足侑士くんのお宅ではないでしょうか?」
「あ…!」


声に出てしまったことと、もちろん相手にも聞こえたであろう事にうっすらとは赤面した。同棲もかれこれ長いが、二人の決めた電話の応対は曖昧であった。 電話は携帯中心の生活なのに、この家には固定電話がある。 かかってきたら出た方がそれぞれ名字を名乗っていた。 大体は同棲を知る友人であったり家族であったりするので、特に問題はなかったのだが。 リビングのソファーに座っていた忍足が「何や?」と言わんばかりに、の方に視線を向ける。

「あ、忍足ですね!今代わります。少々お待ち下さい。」
「何ならこれからずっと忍足でええで。で、誰なん?」
「っ! 榊さんという方よ。」

そう言って忍足はの頭にぽんと手を乗せた。 拗ねた表情のが愛らしい。忍足は受話器を取ると、丁寧な言葉で話を進める。 向こうの声はもうわからない。受話器の向こう側と話す忍足の姿を横目に、はソファーに座った。 時折、聞こえてくる言葉を耳に拾いながらテーブルの雑誌に手を伸ばす。

「そうなんですか?でもうちはマンションでして…」
「―」
「いや、お話はありがたいんですが…」
「―」
「え、なんです?それ?」
「―」
「はい。ああ、さっきのは… 」
「―」

最後の言葉に引っかかりつつも、は平然を装った。しばらくしてようやく受話器が下ろされる音がした。

…。少しの間、猫預かることになったわ」
「はぁ?何で!?っていうか、ここマンションなんだけど!」







「初めましてこんにちは。榊さんから猫を預かる約束をしていたと申します。こちらは忍足です」
、こんな時ぐらい忍足って言ってくれてもええやん」

それから四日後。今日から三日前のことである。訪れた榊邸の部屋は絢爛豪華であった。 と言うか…広い!忍足の話によると榊さんは教師をしているらしい。 何より侑士の恩師という…。目の前には、教師に見えない風貌の榊太郎氏。 いや、ごめんなさい。

「ああ、忍足。この前は突然の連絡ですまなかった。 そして、こんにちはさん」
「初めまして」
「お久しぶりです。榊先生」

四日の間に猫の飼育法については学んだつもりだ。十分かどうかはわからない。 でも迎え入れる準備は整っていた。二人で都内のペットショップで必要な物も全部買いそろえた。 家がマンションであることが気がかりだが、榊曰く“大人しい猫”とのこと。 少しの間ならケージで我慢してもらおう。後は今日榊さんから猫を預かるだけだった。 今のマンションはペット禁止という約束もない。 ただ、毎朝出会う(猫嫌いで噂の)マンション管理人に見つかったらどうなることやら…。

「早速本題に入ろう。」

榊さんの声が一段と渋さを増した気がした。


「伝えた通り、猫を少しの間預かってもらいたい。 これから少し日本を離れることになったんだ」


どこまでも優雅な榊の話によると、

・預かる猫は二匹(雄と雌)
・期間はだいたい一か月ほど
・時々外に出してあげる
・ブラッシングは毎日してあげる
・必要な物は今使っている物を譲って下さること
・榊さんが甘やかした結果少々我がままになったらしい

最後の項目に引っかかりを感じつつもこれからの生活を思い描く。 爪とぎとトイレは教えてあげないといけない。 これから講義に加えて実習も増えてくる。家を空ける時間も多くなるだろう。 そもそも、もっと他に良い人がいたのではないだろうか。 医学部に通う大学生は実習に明け暮れ、家に居られる時間は限られている。 もっと普通の家庭とか、愛好家とか。

「まあ、実際に会ってみるといいだろう。こっちの部屋だ。」

思考を遮って榊の後を追った。案内された部屋は人が使ってるような広さだった。 壁には本がびっしりと並び、高そうな調度品が置かれている。 というかここ…本当に猫の部屋?どう見ても人の部屋だ。 むしろ、そこらの人間より贅沢な生活。セレブの猫は羨ましいとはよく言ったものだ。 明るい部屋の真ん中には大きなソファーが一組。 そしてそこに居た“猫”に二人は目を見開く。


「猫…じゃない…ですよね?」
「榊先生…何の冗談ですか?」


私は言葉を失った。普段は冷静な忍足も隣で瞬きを繰り返している。 そこに居たのは“人”だった。猫でも何でもない。人間だ。 いや、その言い方では“それ”を表せない。彼らは何だ?
姿形は立派なヒトだが頭上には猫の耳が、チラリと覗く尻尾は猫そのもの。

言葉に詰まる。何故人間が、猫耳と尻尾を付けられて“猫”扱いされているのだろうか。 まさか榊氏にこんな趣味があったとは。というか引く。ドン引きだ。 付き合わされているこの子たちが可哀想。ってか、まさか誘拐とか監禁とかのアレじゃないよね?  全てが想像を超えていた。ここは…、さらっと断って安全なお家に帰るべき?  それとも警察に通報?頭の中を選択肢がぐるぐる回る。 選択肢を間違えればきっと家には帰れない。そして巻き込まれる。犯罪に!やっぱり通報が正解?
部屋に入った時から、二人と二匹の視線は交わったままだ。無言。 互いに相手を見つめている。そして毛の長い女の子が立ちあがった。

「太郎ちゃん。この方が新しい家の人たちね!」
「ああそうだ。紹介しよう。忍足侑士くんとさんだ」

柔らかい声とともに小走りで近寄ってきた少女。 もの珍しそうに大きな目で二人を見比べると、楽しげにニコニコと微笑む。

「初めまして。猫のと申します」

そう言いながら自称“猫”の少女はお辞儀した。は何も反応できない。 きっと監禁されてからずっと“猫”扱いされ、一種の洗脳のようなものだろうか。 自らを人間ではなく猫だと思い込んでいるのだろう。紳士的な榊さん…、悪党にしては性質が悪い。 少女はそっとの手を握る。そして『わぁ…』と感嘆の声を漏らした。

!そう簡単に人間の手を握るんじゃねぇ!」

男の子は苛立ちを含んだ声でそう言い放つと立ち上がった。 そそくさとと呼んだ少女の隣までやってくると、対峙するかのように忍足を睨みつける。 ちなみに私ではなかった。

「あらやだ。景吾ったら…。」
「もうちょっと上品にご挨拶しないか。二人に失礼だろう」
「…景吾だ」

に景吾。二人の名前だろう。動物に付ける名前よりも人間らしい名だ。 男の子は相変わらずの様子であったが、榊に促されると観念したように名乗った。 二人の頭から生える耳が動く。って、動いた!? 最新のコスプレ用猫耳はそんな機能まで付いているらしい。 そんなのを付けさせるなんて、やっぱり榊さんは…、その…危ない人なんじゃないだろうか。 まだまだこの状況にはついていけない。 そんなを余所に忍足は切り出した。

「榊先生。彼らはただの人間や。見たところ猫ちゃう」
「彼らは人間ではない。猫だ…いや、猫でもない。説明が遅れて申し訳ない。 彼らは…」

この二人はヒトの遺伝子に猫の遺伝子を組み合わせてできた猫人間。 ベースはヒトの遺伝子なので、身体的には耳と尻尾、爪の伸び方や犬歯以外に猫の特徴はない。 見た目はほとんど人間と同じらしい。だが、能力的には猫としての特徴を多く含んでいるという。 まだ詳しくはわかっていない事も多いので、伝えられることはこれくらいしかないと榊は言った。 最後にこのことは隠密にしておいてもらいたいとも伝えられた。こんなこと…信じられない。

「…」
「そう…ですか、なんて言えるわけないでしょう!」

の中で何かが弾けた。


「彼らどう見ても人間でしょ!勝手に猫耳なんかつけさせられて猫扱いされて! 一体貴方は何がしたいの!?何が目的なの!?」


猫を預かる約束をして、いきなりこんな少年少女に会されて“猫”ですだって。 しかも彼らは猫耳を付けられて自分たちは猫だと思い込んでいる。馬鹿馬鹿しい。 こんな子たちを洗脳して何が楽しいのだろうか。これは犯罪行為だ。 声を荒げたをみんなが見ていた。視線を集めるのはいい気分ではない。 でも犯罪行為は見逃せない。少女を庇う様に立った少年が睨みつけてくる。 この子たちには何も罪は無い。私も間違ったことはしていない。 後ろの少女が動いた。の前にやって来ると綺麗な瞳で見上げた。

「私たちは猫であり人間。そして、そのどちらでもない生き物。ほら!」

少女がの手を取ると自らの耳に誘導した。初めて触れた猫耳…温かい。 ファーか何かの素材だと思っていた。でもそれは確かに血が通っている。 そして少女の一部であることを存分に示していた。

「(嘘。頭から生えてる!?)」

耳全体に加えて付け根まで撫でまわす。くすぐったいのか、時おりピクピクとそれは動いた。

「人でもない。猫でもない。私たちは何者?」
「…」
「でもちゃんとここに生きている。生きている以上必ず意味がある。 私たちがここにいる理由や意義は…今はまだわからない。 でもそれはこれから見いだして行けばいいもの。そう考えています」

は景吾に寄り添いながらはっきり言った。 尻尾がふわりと揺れてそっと二つの尾が触れ合う。 この子たちは自分が人間でも猫でもないことをわかっている。 そして揺れ動いている。受け入れきれていない部分もあるかもしれない。 だってまだこんなにも幼いのだから。 どうしてヒトとネコの遺伝子を合わせてしまったのだろう。 榊はまだ何故猫人間が生み出されたのか語っていない。

「生きていくのは恐いけど…大丈夫です。景吾と二人でなら」
「そこの二人、知りたいことはそれだけかよ?あーん?」

ずいぶんと落ち着いた子たちだ。猫人間というものへの恐怖はだいぶ薄れてきた。 未知なるものへの畏怖はあるものの…この子たちは凶暴ではない。ほぼ人間。 そう、猫耳の付いた子供だと割り切ればいいのかもしれない。 は腹を据えた。そして深呼吸する。ちらりと隣の忍足を見た後に言った。

「これから二人と一緒に住むです。よろしくね」
「俺は忍足侑士や。自分らみたいにと一緒に暮らしとる。榊先生とは中学の時に世話になってたんや」

そして互いに握手した。

「紹介が終わったところで悪いが、二人は部屋に荷物を取りに行きなさい」
「はーい」



「あの子たちは不完全な存在かもしれない。“ヒト”としてもまだまだ未熟だ。さんが声を上げた時には焦ったよ。でも君たちなら安心して彼らを任せることができる。 色々と学ばせてあげて欲しい」

二人がいなくなると榊はやっと重い口を開いた。

「言い忘れていたが…彼らが生み出された理由がまだだったな。 遅くなってすまない」

榊さんはついに真相を語った。あの子たちは新しい“ペット”の一種として生み出されたらしい。 ヒト型をした動物。まったく異種の遺伝子を組み合わせ新しい種を生み出す。 幾度の実験と失敗を重ね、生まれてきたのが景吾との二人。後は皆、形を成す前に壊れていった。 成功例として生き残った彼らに待ち受けているのは人間の愚かな欲だけ。 それを望まなかった榊は、秘密裏に二人を連れ出し屋敷に匿うことにした。 記録は全て書き換え、実験体としての二人は死亡したことになっているらしい。 存在しないはずの生物。生きていないはずの存在。それが彼ら。

「人の生死に携わる学問を学んでいる君たちに、この話をするのは申し訳ない気持ちでいっぱいだ。 しかし、私としてもどうすることもできなかった。 科学の進歩というのは素晴らしいものだが、結果としてそれが全て良い方向に向かうとは限らない。 だが彼らはなにも悪くない。事実、あの子たちは自らの存在すら曖昧なまま生きている。 読み書きなどの最低限のものは教えたが、まだまだ学ぶことは多いだろう」

何より、『君たちはただ人間のエゴのために生きているんじゃない』ということを教えてほしいとも榊は言った。 愛情を教えるのには私にも限界がある、と付け加えて。 最後にと侑士の前で深く礼をした。 忍足とにとって彼らの存在は予想をはるかに超えていた。 榊の言うとおり、医療や生命の倫理を学ぶ二人にとってはそう簡単に受け入れられるものではない。 生み出されたと景吾に罪のないことも榊の言うとおりだ。

「あかん。俺、こうゆう泣ける話に弱いねん」
「頭をあげてください、榊さん。私たちにできることは少ないかもしれません。 できる限りお手伝いさせてください」
「あの子たちをお願いします」

静かに榊は顔を上げた。ある意味、父親のような存在なのかもしれない。 そして世界を教えてくれる唯一の存在。


「太郎ちゃーん!荷物持ってきたわ!景吾ったら、どれだけトランクあるの?」
「俺様は自分専用の物しか使わないんだよ。 大体こんな荷物何で俺様が持たなきゃいけねえんだ」


両腕にこれまた大きなトランクを抱えた景吾と、大きめの鞄を持ったが戻ってくる。

「ほら、さんだって大きな鞄持ってるじゃない」
「あっ!これは…」

の指摘には手元の荷物に気付く。これは猫用のケージだ。 榊から猫を預かる為に持ってきた。もちろん、預かる“猫”はこんなところには入らない。

「こらあかんわ
「うっ…」
さん、無駄な手配をさせてしまった。 本来ならもっと早くに伝えるべきだった」

居てもたってもいられなくなって下を向く。なんて恥ずかしい! 思い起こせば…そろえた猫用品をどうするべきか。あの子たちは猫用トイレなんて使わないだろう。 むしろそうだと信じたい。

「本日はほんまありがとうございます。、そしてお二人さん…帰るで」

素直に感謝の言葉を伝えた。車に乗った二人はいつまでも榊の方を見つめていた。 行きより人数の増えた車内は、会話に溢れていた。 実際に家族が増えるとこんなものかもしれない。 この三日間、は子供を教育する『母』であった。母は強しと言うが正しくその通りだ。 その光景に一種のたくましささえ感じる。

そして、話はお昼休みに戻る。相変わらず猫バカというか、親バカの。構ってもらえない忍足は少々気の毒である。 空いた席には猫用グッズ一式が置かれている。知り合いが猫を飼うらしいので、譲ることになったのだ。

「その子と何時待ち合わせなんや?」
「もうすぐなはず!」

時計は13時を回っていた。今日は午後の授業が二人とも休講なので、二人ともこの猫グッズ一式を譲ればすぐ帰宅できる。 忍足は時計が気になってしょうがないようだ。

「あー俺も相当、親バカやでほんま」

何だかんだいって侑士も“あの子”たちのことが気になるらしい。

我が家に猫がやってきました。 人間の体に耳と尻尾の生えた不思議な猫です。 とっても不思議だけど、その分可愛さが増します。 やってきたのは仲のいい雄と雌。名前は景吾と。見るからに二匹とも美しい猫です。 私、はこれからの生活が楽しみで仕方がなかった。

途中で重い(?)内容になりましたが、要は半獣化パラレルなのです。猫化です。
20100215*星宮はちこ 裏語