ここはどこだろう?
いつものように景吾と公園にいたのに。
と景吾はいつものように、行きつけの公園で遊んでいた。今日は珍しく景吾が本を読まなかったので、の提案が通り二人でかくれんぼをしていた。と言っても、景吾は私を見つけるのがとても上手だからすぐに見つかってしまう。どこかもっと見つからない場所はないのかしら?
「、次は60秒だ。俺様に見つからないように精々頑張るんだな」
「わかっているわ!もうずっと見つかりっぱなしだもの。次は負けないんだから!」
1、2、3、…、と景吾の声が響く。どこかいい場所はないのかしら。…と、きょろきょろと辺りを見渡しながら、隠れる場所を探す。しかし周囲には隠れれる場所特に何もない。立ち並ぶ木々に腰丈ほどの植物、木製のベンチにゴミ箱。意外とある様に思えるが景吾には直ぐに見つかってしまうだろう。
突然、ガサガサと後ろで大きな音がした。ビクリと全身の毛が逆立つ。は恐る恐る後ろを振り向いたが、何も見えなかった。
「誰?誰かいるの?」
─ニャア と、声がした。ふと足元を見ると一匹の猫がいた。スラッとした体型で綺麗な毛並みをした白っぽいようなベージュ色の猫だった。耳もピンと張っている。本物の猫の登場にはしゃがみ込むと、目線を同じ高さにした
「こんにちは猫さん。私は。あなたのお友達よ」
帽子をずらして自分の猫の耳を見せる。途端に猫の目線が耳に注ぐ。どうやらわかってもらえたらしい。猫もをじっと見つめ合っていたがやがてクンクンと鼻を近付ける。尻尾を立てながらお互いに挨拶をした。
「猫さん。私、今かくれんぼしているの。どこかいい場所ないかしら?」
そう言うと、目の前の猫はトコトコと軽快に歩き出した。数歩進んだところで止まり、付いてこいと言わんばかりに少し振り向くと可愛い声でニャアと鳴いた。尻尾が立っている。
「わかったわ。こっちね!」
やっぱり“こっちだ”と言っているようだ。はもう一度景吾の方を振り返る。…次は絶対見つけられないわ。ふふ。待っていてね、景吾。
は猫の後ろを付いて行った。公園の道から逸れてガサガサと草むらに入っていく。猫は軽快に走る。続いても駆けた。
「…、59、60」
景吾は閉じていた目を開いた。さて、はどこに隠れているのだろうか。その時はどうせすぐに見つかるだろうと思っていた。今まで何処でかくれんぼをしていても、彼女の隠れる場所は大体が検討がついたからだ。もしくは体の一部なり服なりが見えてしまっていた。頭隠して尻隠さずとはよく言ったものだ。広い公園の中を、景吾は歩き出した。
猫は公園を風のようにどんどん駆けていく。ある時は柵の間を抜けて次は花壇の間を縫って。も負けじと走った。柵の上を飛び越えて、花壇に沿いながら。彼女は人間と猫の両方の特性を併せ持っていた。まだまだ小さいながら身体能力は同じ年齢の人間と比べても抜群だった。その分…猫にはない欠点も持っているのは忘れてはいけないが。
どこまで走っただろうか?目の前には公園の出口が見えた。この公園はとても広いのに出口が見えるなんて…。猫はお構いなしに公園を走り抜ける。ちょうど公園を出た道路の反対側で止まり、こちらを見たのだ。
「待って頂戴」
の足は公園の出口で止まった。ここから一歩出た先はもう公園ではないのだ。出てもいいのかと、僅かな不安と恐怖心が彼女を止めた。もう一度公園の方を振り返る。景吾…。猫は何かを待っているように向こう側で尻尾を左右に振っている。まるで“早くおいでよ”と言っているみたいに。好奇心が不安を塗りつぶしていく。大丈夫。左右を見て道路に車が走っていないことを確認すると一歩ずつ外に歩み出た。少しだけならいいよね?景吾…すぐ戻るから。貴方ならすぐに私に追いついて、見つけてくれるでしょう? 猫の元までたどり着くと足元でニャアと声が聞こえる。やっぱりこの子は付いて来いと言っていた。二度ほど、頭と背中をの足にこすり付けると離れていく。猫は道沿いにゆっくりと歩いていく。
公園がある通りを抜けると、また世界が変わった。道路は車道と歩道で分けられ、生垣や柵で区切られている。道路を横断するには信号の指示に従い横断歩道を渡らなければならなさそうだ。と言っても人通りは疎らですれ違う人もほとんどいなかった。道沿いには何処かの会社のビルが並び、ガラス戸から覗けば受付らしい人が忙しなく働いているのが見えた。もう少し進むと、建物が小さなお店に変わっていた。道沿いのショーウィンドウには流行の服や雑貨が飾られている。その全てがにとって新鮮だった。キョロキョロと落ち着かない様子で辺りを見渡す。物がいっぱい並んでいて、色鮮やかで…何て綺麗なんだろう。ある店の前で足が止まった。目を奪われたのはキラキラと輝く宝石だ。その輝きは今までに見たことのない美しさで、憧れの象徴であった。こんな綺麗なものがあるなんて…。足元に何かが当たる。猫だ。早く行こうとでも言いたげに身体を摺り寄せている。
「今行くわ」
名残惜しそうに視線を寄越すも、数歩進めばもう関心はそこにはない。はもう一度猫の後を追い歩き出した。この子はどこまで行くのだろうか。まだまだこの道はずっと続いているのだ。どれくらいその道を進んだであろうか。まっすぐ伸びた道をふと猫が曲がった。見失わないようにも続く…が、そこは道ではなかった。建物と建物の間の、人が一人通れるくらいの空間だ。ここで大丈夫なのだろうか?先導者は構わずに進む。色に溢れた世界と違ってそこは灰色の空間だった。高い建物に囲われた場所。真上の隙間から水色の空と雲が顔を覗かせている。目の前の塀に飛び乗る猫。どうやらここはもう行き止まりのようだ。置いてあったごみ箱を台にしても塀によじ登った。両手を広げバランスをとりながら進む。
長い塀が終わると先ほどとは違う道に出た。少し歩くと、は先ほどの道よりもずっと人通りが多いことに気付いた。携帯を片手に歩く人。話に夢中になって歩く女の人たち。黒いスーツを着た男の人は手元の時計を気にしながら走っている。
色とりどりの花が軒先に並ぶお店。
美味しそうな匂いが漂うお店。
天井まで本で埋め尽くされたお店。
街路樹の下には黄色い花が咲いていた。
鳥が電線に群れている。
目の前の猫は、それらに目もくれずに進んでいく。
外にはずっと多くの人や色々なもので溢れているんだとは知った。本や写真で見たことはあっても、実際に見たのはこれが初めてだった。周囲に意識を向けながらもはぐれない様に猫を追う。ただまっすぐに猫は歩き続けた。通りを一つ越え二つ越えると、大きな建物はいつの間にか見えなくなっていた。辺りにはマンションや住宅しかない。…陽が傾き、夕焼け色が空いっぱいに広がっている。周囲には自転車に乗った人が行き交う。皆白い大きな袋いっぱいに物を詰め込んでいた。
「ねえ、どこまで行くの?」
そう尋ねても何も答えずにただ歩き続けている。もそれ以上は何も言えずに猫の後を続くしかなかった。坂道を駆けあがり平坦な道を歩いていると右手に長い階段が見えた。長い階段だなぁと思っていると、猫が尻尾を動かしながらそちらに向かって行くではないか。もしかしてここを上るの?と思っていると、期待を裏切らずに進んでいくのだ。手すりの助けを借りて、一段一段踏みしめながら私も上る。上がりきった先は見覚えのある風景だった。もっとも、“その場所”を知っているわけではなかったが。榊の家で見たことがあったのだ。
「ここ、テニスコート?」
階段を上がった先にテニスコートがあるなんて。確か太郎ちゃんの家には三面くらいあった気がする。猫はテニスコートの奥の観戦席まで進むと、ようやく腰を下ろした。優雅に毛づくろいを始める。階段を上りきったはそこで後ろを振り返った。ここは住宅街より少し高い位置にあるので見晴らしが良いのだ。遠くにビル街が見える。そして緑にあふれた公園も。
ここはどこだろう? いつものように景吾と公園にいたのに。
そう考え始めると途端には不安に駆られた。どの道を辿ればいいのかわからなくなってしまった。今自分のいる場所がわからない。 私はどこにいるのだろう?景吾はどこにいるのだろう? 彼と一緒じゃないと家に戻れないような気さえしてくる。
「猫さん!」
呼び立てると一目散に猫の元に走った。今の手がかりはこの猫さんしかいない。きっと公園までの帰り道を知っているはずだ。
「公園に帰りたいの!道教えて欲しいの」
猫は毛づくろいを止め静かに私を見上げるが、何も言わなかった。二人で見つめ合ったまま時間だけが過ぎていくのだ。猫が顔を下げて…少し目を伏せた。何かに伝えたそうであったが、彼女にはそれを汲み取ることができなかった。
「景吾…ごめんなさい。私、迷子になっちゃった」
彼女の呟きを聞く人は誰も居らず、そのまま夕焼けの空に溶けていった。このままどうすれば良いのかわからなかったので、大人しくコート脇の観戦席に座る。猫は大人しくに寄り添っていた。手を差し出して猫の頭や背中を撫でてあげると、目を閉じ気持ちよさそうにそれを受け入れていた。景吾ならきっと、見つけてくれるよね。その思いが唯一の心の支えだ。
「外に出る時の決まり。見知らぬ人に付いていかない。知らない場所には行かない。一人にならない」
侑士ととの約束を全部破ってしまった。相手は見知らぬ猫だけど。二人の言葉がぐるぐると脳裏を巡れば罪悪感に苛まれた。もしかしたら、景吾ともう二度と会えないかもしれない。そんなの嫌だ。嫌なのに…。どこからか此方に向かってくる足音が聞こえた。誰か来たのであろうかとは顔を上げた。
“ワンワンワン!” 鳴き声で身体が強張った。ジッと視線を寄越すと、遠くから犬が駆けてくるではないか。大型犬ではないものの、勢いよく走ってくる犬に気が動転する。その場に立ち上がったまま動けなくなってしまった。
「っ!」
犬はの周りを吠えながら駆けまわる。まるで今にも飛び掛かりそうな勢いだった。頭を抱えながら必死に抵抗してみるが、肝心の足が動かなかった。怖い。怖い…。景吾…怖いよ!恐怖のあまり目頭に涙が滲む。その間も犬は吠え続けていた。
「おい!待て、何やってんだ!?」
鳴き声の合間に人間の声が聞こえた。残念ながらこれは景吾の声じゃない。待ち望んでいたのとは別の声だ。その声と同時に犬は吠えるのをやめた。こちらを名残惜しそうに振り向きつつ、声の元へと走っていく。犬が離れた途端には足に力が入らなくなってしまった。すとんとその場に座り込む。目を開くと、犬は嬉しそうに尻尾を振りながら男の人に撫でられていた。どうやらこの人が飼い主らしい。犬は主人に心を開いている。
「悪かったな。大丈夫か?」
その人は申し訳なさそうに頭を抱えながら近付いてきた。帽子を被った男の人。少し鋭い目つきの人。私はその人を見ながらもまだまだ動けなかった。
「こいつは俺の犬でよ、ちょっとした隙を付いて行っちまうんだから。ほら、立てるか?」
手綱に引かれて随分大人しくなった犬もやってきた。私の目の前にその人の手が差し出される。座ったままの私はどうしていいのかわからなかったが、下を向きながら自分の手を重ねた。途端に力が込められ、手が握られる。は固まった足をどうにか動かし立ち上がった。犬は尻尾を振りながら私の足元の匂いを嗅いでいた。
「俺は宍戸亮。よろしく頼むぜ」
「私はよ」
とても怖かったけれど。もう大丈夫。足元のこの子ももう怖くないわ。もう一度足元に重みを感じて、下を向いてみると身体を摺り寄せているのは先ほどの猫だった。犬は猫に対しては吠えずに、興味深そうにクンクンと匂いを嗅いでいた。
「あれ?この猫…?」
「この子、私のお友達よ。さっき会ったの」
「の猫か?」
「いいえ。違うわ」
どうにも、亮はこの猫が気になるみたい。何かを考えているから、「どうしたの」と聞いてみる。話によると、知り合いの飼っている猫に似ているらしい。ごそごそとポケットから何かを取り出すと、一人で話し始めた。足元の犬と猫の頭を撫でていると、名前を呼ばれた。
「!その猫なんだが、俺の知り合いの猫で間違いないらしいんだ。ここ昨日から姿が見えなくなって探し回ってたって」
私は猫を抱え上げる。目と目が合った。
「あなたの方が先に迷子だったのね。それで私に助けてほしかったのね」
抵抗することなしに猫は大人しく私に抱かれていた。私の言葉を聞いて、猫は私の目を見つめたままニャアと鳴いた。戻るべき場所に帰れてよかったねと、優しく包み込むように抱きしめる。猫は目を閉じたまま温もりを感じているように見えた。しばらくして、猫の飼い主が現れた。亮より長身で大きな男の人。銀色の髪の優しそうな人だった。猫はその人が現れると、一目散に走り胸元に飛び込む。男の人も大事そうに猫を抱きしめ頭を撫でている。私はその様子をただ見つめていた。
「猫を見つけていただいてありがとうございます。俺は宍戸さんの後輩で鳳長太郎と言います」
「長太郎ね。私はよ」
とても丁寧な人だと感じた。亮も長太郎も、悪い人ではないみたい。本能的に感じる。猫は安心感に満ちた表情をしていた。帰るべき場所か…
は頬を何かが伝うのを感じた。いやそれが何か自分でもわかっていた。涙だ。途端に止まることのない涙が溢れた。大声は出さなかったがどんなに堪えようとしても小さな嗚咽として漏れ出る。下を向いたままのを覗き込んだ宍戸は、少女が泣いていると知り慌てふためいていた。こんな時、彼は少女にどう接したらいいのかわからなかったからだ。には「おい、大丈夫か!?」という声だけが聞こえる。涙で前が見えない。ただ顔を左右に振っていた。誰かに泣いている姿を見られたくなかったのかもしれない。宍戸も鳳も、涙を流す少女を前にしてどうすればいいのかわからなかった。何が起こったのかわからなかった。彼女の名前と心配の声をかけ続ける。
本当は、嬉しかったの。猫が無事に帰れて嬉しいはずなのに。今度は私が迷子になってしまった。帰りたいの。お家に。景吾の元に…。早く見つけてよ…かくれんぼ。私はここにいるから。
「─!!」
遠くで声が聞こえたような気がした。耳は良い方だから聞き間違いじゃないのかもしれない。こちらに近付く足音も聞こえた気がする。それでもなお咽び泣く私には周りの状況がわからなかった。もう一度声が聞こえたような気がした。今度はもっとはっきりした声。足音もしたわ。
「!」
先ほど上ってきた階段の方。そこには景吾がいた。きっとずっと走っていたのだろう。肩を震わせながら息をしている。彼の姿を見ると私は駆け出していた。一目散に彼の元へ。
「景吾!!」
涙で世界は歪んでいたけど。景吾までの一本道は揺らがない。たどり着いたと同時に彼の胸に飛び込んだ。待ち望んだ温もり。大好きな景吾。景吾は私の背中に腕を回すと、もう離さないというくらい強く抱きしめた。言葉を出さずに私たちはお互いを感じ合っていた。
「馬鹿!どこに居やがったんだ!こんな所で何やってんだよ」
それから景吾は今までにないくらい強い声で私を叱った。帽子の下の耳がピクピクと反応する。景吾は私がいなくなってとても心配してくれていたから、怒っている。それを知っている。だから怒られても仕方がない。
「ごめんなさい景吾。いなくなってごめんなさい。一人で迷子になってごめんなさい」
思い浮かぶ限りの謝罪の言葉。彼は涙ぐむ私とその向こう側の存在に気付いたらしく、誰にも聞こえないように耳元で尋ねる。「あいつらに何かされたのか?」と。違う。私は静かに顔を左右に振った。彼の耳元で何もされていないと伝える。彼らは良い人よ、悪い人じゃないわとも伝える。私の言葉を聞いて抱き合っていた腕を緩めた。景吾は亮と長太郎の方に身体を向けると、「景吾だ」とだけ名乗った。
「景吾、どうして私がここにいることがわかったの?」
「アン?俺様はの居場所なんかお見通しだぜ」
景吾はポケットから何かを取り出した。手のひらサイズの小さな…携帯電話だった。それを見たはようやく携帯電話の存在を思い出した。この携帯電話にはGPSという機能がついているらしい。詳しいことはよくわからないけど位置がわかるすごい機能とのこと。景吾は公園中を探しても見つからない私を心配して、その機能を使って追ってきたようだ。何でも、操作しすぎて景吾の携帯はもう電源が切れてしまったのだが、最後に表示された場所がここだったらしい。だから景吾はずっと必死になって走ってきたんだって。これ以上移動したら場所がわからなくなるから。
「ったく心配かけやがって!お前に何かあったら俺様が許さねえ」
「景吾、ごめんなさい。私を見つけてくれて、ありがとう」
やっぱり景吾は私を見つけてくれた。嬉しい。嬉しくて仕方がない。
「も携帯持ってるだろ?あいつらに電話して早く家に帰るぞ」
「ええ、そうね!電話!」
ポシェットの中から携帯電話を取り出した。使い方がわかんなくてまだ全然触ったことがないけど。
ボタンを押してみる。これは家への電話専用のボタン。これを押すだけで家に繋がるなんて、信じられないけどね。しかし携帯はウンともスンとも反応しなかった。あれ、おかしいな?
見かねた景吾が私から携帯を取り上げて操作をし始める。ところが反応は同じだ…いや反応を見せていない。携帯は暗い画面のまま変わる気配を見せないのだ。私たちの間に焦燥感が広がった。何これ?どうなっているの!?それまで彼らの様子を見ていた宍戸と鳳が、互いの顔を見合わせながら頷いた。
「何だお前ら迷子だったのか?家の番号わかるならかけてやるよ。っても、その様子じゃ覚えてないか」
「お家の場所、できれば住所わかるかな?」
宍戸は手元に自分の携帯を持っていた。鳳は少し屈みこみ、二人の目を見ながら尋ねる。知らない人とは話をしてはいけないって、は言い聞かせていた。景吾の方は二人を警戒していた。会って間もないのだから仕方のないことだろう。は気付いていた。彼らの目は嘘はついていない。見つめ合うとわかるから。
「電話番号も住所も知らないわ。ごめんなさい」
私の手を握り続けてくれた景吾。少しだけその手に力が入ったのがわかる。電話も住所も本当に知らなかった。わかるのはマンションに住んでいるということぐらいしかない。手がかりのない迷子に、宍戸も鳳も頭を抱えていた。ふと鳳がしゃがみ込むと、の目線になって優しく声をかける。
「それじゃあ、お父さんとお母さんの名前はわかるかな?」
お父さんとお母さん…? それは…誰のことなのだろうか?太郎ちゃん?侑士??あるいは誰でもない人?猫? 長太郎の問いに私はどう答えたらいいのかわからなかった。お父さんとお母さんは、誰なの? は少しだけ自分がわからなくなった。
「忍足侑士と。今はそこの家にいる」
隣にいる景吾が迷いなくそう答えた。緩みかけていた彼の手がもう一度私の手を握る。まるで心配するなと言っているように。
「忍足侑士に」
「…?」
目の前で宍戸と鳳の声が重なる。彼らは目を見開き驚いた表情をしていた。そして互いに顔を見合わせると宍戸は呆れた様に首を傾げ、鳳はニコリと笑う。私は彼らのそんな反応を予期していなかったので何事だろうと瞬きを繰り返していた。
「誰かと思ったら忍足かよ!忍足は俺の同級生だぜ。っても今は医学部に行ったんだ。ったくこんな子供をほったらかしにするなんて激ダサだな!」
「それにさんは有名ですよ。学校を超えた一大恋愛の噂は当時の注目の的でしたからね。今は同じ医学部…だったかな?」
宍戸はまた携帯を片手に話し始めた。時々と景吾の方に視線を向けながら。それでも二人の不安はまだ消えなかった。心配そうな表情を見せるに鳳は優しく声をかける。電話が終わると握りこぶしに親指を立てて二人に合図した。
「すぐ迎えに来るってよ。よかったな!にしても心配していたみたいだぜ?向こう側での声がしててよ…」
「怒られちゃうね」
「フン。仕方ないだろ」
通話が終わると四人で観戦席に座りながら二人が到着するのを待った。亮と長太郎はその間、侑士との話をしてくれた。侑士もも昔は“だいれんあい”ってものをしていたらしい。よく解んないけど、みんなが二人の話に興味を持っていたらしいの。侑士もも有名人だったんだって。すごい!電話が終わってから20分もしないうちにドタドタと階段を駆け上がる音がした。二人の顔が見えると私は名前を呼びながら走り出していた。最初、は私と景吾をこれでもかというくらい抱きしめていた。でもすぐに「心配したのよ!」と涙目になりながら話し始めた。侑士は私と景吾とを笑顔で見つめていた。横には亮と長太郎が並んでいる。何かを話しているみたいだったけど、何を話しているのかはわからなかった。
「さあて、いつの間にか陽が暮れてもうたで。遅いんやしみんなで帰るで」
侑士の一声で私たちは手をつなぎがら歩き出す。最後に後ろを振り返ると全員で、亮と長太郎に礼をした。彼らはただ手を振っていてくれた。また今度一緒に遊んでくれるらしい。楽しみだ。
見上げた夕焼け空は遠く一面に薄闇が広がっている。帰りの車の中で、は改めて携帯電話について教えてくれた。私は真剣に聞き頷いた。そしてお出かけの際の約束に新たに項目が追加された。
・携帯電話の充電を確認すること
・見知らぬ猫についていかないこと
街並みを見れてとっても楽しかったし、迷子の猫を助けることができた。お散歩は大好きだけど、迷子はもう御免だわ。楽しいことも危ないこともあるって改めて知ったの。何より、景吾に…侑士ににこれ以上心配をかけない。約束する。
外の世界。良いこともあれば悪いこともある。それを知ることも必要ですし勉強ですね。
20120815*星宮はちこ 裏語