アイスな帝王様


「ねえお母様。どうしてお外でアイスクリームを売っているの?」

涼しい車内から外を指差す。 私は皿の上に綺麗に盛られたアイスを、スプーンでしか食べたことがなかった。 見慣れない三角形のコーンに乗せられて路上で売られるアイスが不思議で仕方がなかった。 夏の暑い間、通りで売られるアイスクリーム。カラフルなパラソルが目印だ。
この時期になるといつも思い出す、小さい頃の記憶。


アイスな帝王様



今ほど自由に外に出れなかった。 そう言うと語弊があるかもしれないが、まさしくそうだった。 ピアノにバレエ、英会話…。挙げれば切りがない習い事の数々。 目まぐるしい予定に、幼少のの時間は奪われていった。 幼稚園や小学校の授業が終わると迎えの車で帰宅する。 ある夏の日に見つけた街角の大きなパラソルに、は心を奪われた。
中学生になった今は昔ほど習い事に拘束されなくなった。 何から何まで自由とはいかないが、それでもあの堅苦しい世界とは比べられない。 帰りにと二人で買い物によく行ったりもする。 そして何より氷帝学園の彼の元へ遊びに行くようになった。
広い氷帝学園の校内を歩きながら、夏の暑さを十分すぎるほど感じる。 視界の中でキラキラと輝く噴水の水飛沫さえ愛おしくなった。


「ちょっと。どうしたの?」


透き通った声がの耳に届くと、過去から意識が戻ってきたように感じる。 の視界には大きく手を降るの姿。 突然話しかけられたせいで、驚いて直ぐに反応できなかった。

「何でもないわ。ちょっとぼーっとしてただけよ」
「嘘。どうせ誰かさんの事考えてたんでしょ?」
「…誰かさんって、誰よ?」

の疑問に、小悪魔の様なの笑顔が待ち受けていた。 彼女の言う“誰かさん”が誰なのか、にはもちろんわかるだろう。 ただ彼女は本当に別の事を考えていただけだった。 の笑顔がある意味憎らしく思える。そして、愛おしくも感じる。 いつの間にか自然と洩れた笑いを隠しもせずに目の前の少女の横を通り過ぎた。 その際、彼女の額に向かって軽くデコピンをくらわせる。

「違うわ。勘違いよ」
「さあどうかしら」

私とはもう一度歩み始めた。向かうのはこの先にあるテニスコート。 この広い氷帝学園中等部の中で、ひと際人が多く賑やかな場所である。 練習を行っている男子テニス部員から応援の女子生徒、偵察の他校生まで。 特に女子生徒の数は飛びぬけていた。 二人の正面からは割れんばかりの黄色い声援が響いていた。 観戦席への入り口を進むと、その声がさらに大きいものとなる。


「凄い!さっすが氷帝の男子テニス部!人の数が半端ないね」
「本当、これじゃあ座れないわ」


いざ観戦席に入ってみると生徒の数は予想以上だった。 ざっと見渡してみても席は埋まっている。

「しょうがない。後ろしかないわね」

の手を取ると奥へと足を進める。 後ろは選手からは遠くなってしまうが、全体を見渡すには都合が良い。 フェンスにもたれながら私たちはテニスに魅入るのだ。 後ろ側は、地面から高さがあるので十分風が通る。


「景吾、調子良さそうね」


その声にの横顔を覗く。 跡部の方もの存在に気付いているのだろう。 チラチラとこちらに視線を向けているのがわかる。 の嬉しそうな表情を見るだけで、は安心した。 そう、自分も嬉しくなると言うべきだろうか。 つられてもそっと笑った。コートに視線を向けると、ちょうど忍足と目が合った。 跡部はこちらが気になっているが、それを全面に出さない。 一方の忍足はと目が合うと軽くウインクをした。 反応は対照的だがどちらもわかりやすいものだ。
普段はクールな忍足が観客席に向かって反応を見せた。 その事実だけで応援の女子学生、特に忍足のファンは狂喜する。 黄色い声援がひと際大きく響いたのだ。


「みんな元気だわ」
「そりゃあ、いつもは関心を見せない侑士が観客席にウインクだもん」
「ウインクの相手は、貴女よ
「それはそれ。女って夢を持ってた方が輝けるのよ」
「夢ね…」


観覧席の女の子はみんなキャッキャと喜んでいた。 瞳を輝かせながら手を振る子も見受けられる。 “恋人”としての余裕だろうか、はただ忍足を見つめていた。



「あかんなあ。、反応してくれへん」



忍足の声がポツリと漏れる。 広いコートの中で向日だけがその呟きを拾った。 途端に、じーっと何かを言いたそうに忍足の方を横目で見ている。 何やら視線を感じた忍足はこちらを見つめる岳人に気付いた。

「侑士、に相手にされてないのは分かった。とりあえず何もするな」
「何やいきなり」
「一々観客に騒がれたら俺が跳びにくいんだよ」
「そんな理由かいな。女の子の声援は俺に任せて岳人は自由に跳んどき」

その言葉に、向日が一層頬を膨らまし忍足を睨んだ。 レンズ越しに彼の半ば拗ねた表情が見える。

「堪忍堪忍。まったく、岳人はからかい甲斐があるやっちゃな」
「うるせー」

忍足と向日がコート内で対峙している。 何を話しているのかは勿論彼女たちには聞こえない。

「二人とも仲が良さそうね」
「えー、そう?侑士が岳人くんにちょっかい出してるようにしか見えないけど?」

遠くから見つめるには、二人が仲良さそうにじゃれ合っているように見えるのだ。 昔、忍足は「岳人はからかい甲斐があるんや」と言っていた。 はその言葉を覚えていたのであろう。二人の関係を見破っている。
三面あるテニスコートの内、二面は正レギュラーが使用していた。 残りの一面を準レギュラーが使用し、その他の部員はコート外で球拾いや素振りを行う。 コート全体を見渡してみると、色々な発見がある。

必死に球拾いをしている下級生。基礎練習に励むレギュラー以外の部員。
準レギュラーの中でも特に日吉君の演武テニスは目を引く存在だ。
声援の中には、準レギュラーの彼の名前を呼ぶものも多い。
そんな声援に関心がないのか、肝心の日吉君は黙々とラケットを振っていた。
氷帝のダブルスの要とも言うべき宍戸君と鳳君のペア。
今日は、二人がシングルスで練習試合を行っている。
鳳君が放ったサーブを、コート脇の滝君が計測していた。
忍足君と向日君は同じコートに入っているが、試合相手は樺地君一人だった。
そして景吾は全体の管理…というより、堂々と足を組んで座っている。

チラチラと彼の視線を感じる。
は彼がこちらに視線を向けるのと同時に、視線を逸らす。 彼がコートに目を向けると、そっと視線を戻した。

、何きょろきょろしているのよ。言っとくけど分かってるんだからね」
「別に。それよりもジローちゃんがいないわ。またどこかで寝ているのかしら」

これ以上詮索されまいともたれていたフェンスの方を振り返った。 確かにジローこと、芥川慈郎の姿が見えない。 今日は暑いから、彼は外で眠っていないかもしれない。 静かな図書室?涼しいサロン?それとも風の通る木陰? 見える範囲で探してみた。だが彼の影も形も見当たらない。
再びコートの方に視線を戻そうとした一瞬の時、すっと校門が視界に入る。 瞬きの間に過ぎてしまいそうな風景だ。 しかし、は色鮮やかな何かを見逃さなかった。



「さあて、それじゃあ私は寝ぼすけジローちゃんでも探そうかな」



彼はきっと居眠りしているだろう。 練習に出ないと景吾の機嫌が悪くなるのは目に見えている。 そして最後に部員(特にレギュラー陣)のメニューが追加されるといった展開だろうか。

「ちょっと行ってくるわ。後はよろしく」

瞬きを繰り返すの前を通って、は階段へと足を進める。 後ろから「ちょっと!」と制止の声が聞こえたが、彼女は止まらなかった。 の姿が完全に見えなくなってしまった。 仕方がない。彼女は気分屋なところがあるのだ。 付き合いの長いは、彼女の性格を知っていた。 自分以外、誰もいなくなってしまった最後列。は大人しくテニスコートの方を向いた。 まだまだ部活はこれからだ。



観戦席に(と)の姿が見えた。一番後ろだったからか、すぐに発見出来た。 部活中なのでじっと見つめるわけにもいかず、隙を見つけては視線で追っていた。 と喋っているのは見えたが、どうもおかしい。 跡部自身は彼女の視線を感じてはいたが、実際に視線が交わることが無いのだ。 め。全く、女は愛おしくもあり、そして恐ろしい。 ふと彼女が動いたのが見えた。そのまま一人、の元を去っていく。 何があったのだろうか?
またすぐに戻ってくるであろうと思い、跡部は思考を目の前のコートに集中させた。 この練習にジローは顔を出していない。 奴の場合、間違いなく昼寝しているだろう。 中庭、裏庭、図書館から部室まで、跡部は思いつく限りの場所を巡らせた。 この対戦が終わったらジローは樺地に探させよう。
ふと、跡部は首筋を流れる汗に気付いた。この夏の暑さを感じる。 部員の水分補給を怠らせては、脱水症状になってしまう。 コート全体を見渡して、跡部は十分注意を払った。


テニスコートから少し離れた校舎の裏をは歩いていた。
直射日光が当たらない分、居心地はいい場所だ。時々風も通る。

「ジローちゃん?…ここにもいないのね」

流石に校舎内に無断で入るわけにはいかないので、外を探していたのだ。 ところが探せど探せど彼は見当たらない。 いつもならとっくに見つけている頃なのに。 そろそろ景吾のご機嫌も下りに差しかかっているだろうか。

「ジローちゃん、練習に参加しないと知らないわよ?景吾に怒られちゃうわ。
良いものあげるから出てきて頂戴」

人の気配のない校舎裏で、誰かに囁くような声が響く。 物で釣ってみても駄目か。 前は鞄に入っていたポッキーで、見事彼を見つけることに成功したのだが。 本当に、ここにはいないのかもしれない。仕方なくはこの場所を諦めた。

「ふう…。これで一番被害を被るのは…」

脳内で、眼鏡の少年がウインクした。間違いなく彼だろう。 早くジローを練習に参加させたかったが、どうやらそれも叶わなそうだ。 仕方がない。はジロー捜索を諦めた。 校舎裏を離れ、さらに歩み出す。向かうのは校舎とは反対の方向だ。 彼女の目には氷帝学園の校門と、その向こうに立つパラソルが映っている。 懐かしさと先ほどの記憶がゆっくりと蘇る。 そう、記憶の中であれはアイスの目印だった。 近づいてみると、その下に人影が一つ。 何かに引き寄せられるような感覚だ。一歩一歩と近づいていく。

「いらっしゃい、お嬢ちゃん」

パラソルの下には、ニコニコと笑顔を絶やさない老人がいた。 手に持った団扇でパタパタと宙を扇ぎ、首にかけた手ぬぐいで額の汗を拭う。 随分風が通るが、下はコンクリートなのでやはりここも暑かった。


「おや?見かけない制服だねえ。氷帝の子じゃあないのかね」
「はい、他校の生徒です。男子テニス部を観に来ました」
「そうかそうか。氷帝のテニス部は有名ですなあ。こんなに暑い中も練習してらっしゃる。 よくお嬢ちゃんみたいな子が帰りに寄ってくれるよ」
「いつもここでアイスを売りになっているのですか?」


と老人の話が広がっていく。 色々と知りたかった。 懐かしさだけでない、一種の憧れのようなものを抱いていたからだ。 老人は陽気な人だった。笑顔のままの質問に答えていく。

最近、この氷帝学園の校門の近くに来るようになったこと。
実は数十年この仕事を続けているベテランだということ。
ここのアイスの味はずっと変わらず美味しいこと。
噂のテニス部レギュラーのとある少年もここの常連になったこと。

最後のテニス部のレギュラーについて、は尋ねてみると「前髪が特徴的な小柄な男の子だよ」と教えてくれた。 その子に連れられて、長身の眼鏡の子も来るようになったらしい。 特徴から見ても間違いなく向日くんと忍足くんだろう。 二人のかけ合いが頭に浮かぶ。

「氷帝生も他校の子もみんな良い子だよ。元気があってよろしいじゃないか。 お嬢ちゃんもどうだい?夏に美味しい冷え冷えのアイス!」

三角のコーンとアイスを掬うヘラを手にした老人が、とびきりの笑顔で勧める。 夏の暑さも飛んでいきそうな清々しさだ。 外は随分暑いのだ。ここでアイスも悪くないだろう。 目の前の誘惑に傾きそうになった意識の中に、黒髪の少女が浮かんできた。 そうだ。彼女のことを忘れてはならない。


「あっ!…っと、ごめんなさい。友人を待たせているので、連れてきます」
「その必要はないわ!!」
「!」


突然の大声に肩がビクリと動いた。 慌てて振り返ると右手の人差し指を立て、左手を腰に添えるがいた。 正しく完璧なポーズだと言えよう。アイス売りの老人は特に驚いた様子もなく淡々と話す。

「さっきからお嬢ちゃんの後ろに居たんだけどねえ。てっきり気付いているもんだと」
「ふっふっふ。が後ろを取られるなんて!まだまだね」
「偶然よ。それより!居たなら話しかけてくれてもいいじゃないの」
「ま、それはそれ。ったら、ジローくん探しに行ったのに帰ってこないし。 ミイラ取りがミイラになるってやつ?何してるのかと思って探してみたらこれだし」
「はぁ…、弁明の余地なしだわ」

二人のやり取りを静かに眺めていたアイス売りの老人は、見計らって口を開く。 手にはコーンとアイスをすくうサーバーが握られていた。

「まあまあ、こんなにも暑いのですから。冷たいもので休憩でもされませんか? どれ、お譲さんたちには特別に花でもお作りしましょう」

と、二人の少女の視線を浴びながら、老人は手際よくアイスをすくい取る。 少ない量であったが、一枚一枚と花弁のように盛り付けた。 回数を重ねるごとに花が出来上がっていく。 そして最後に緑のアイスを、これまたちょこんと外側に盛るとできあがり。 アイスは紫のような赤色だった。見るからにこの花は薔薇だ。 に丁寧にそれを渡す。


「本当に花だわ。それも、これは薔薇の花ね」
「へー凄いじゃん。いつもの丸いやつと全然違う」

「はっはっは!珍しいかい?今日は赤色のアイスだから薔薇ですぞ。 日によって色も味も変えるから、違う花も楽しめますよ」


老人の話を聞きながら、手に持つアイスを口に入れようとした時だった。 「もーらい!」という声と同時に、アイスはの手に渡っていた。 してやったりという彼女の微笑は今日何度目であろうか。 老人はまた手際よくコーンに花を咲かせ、に手渡した。


「あぁー!!!やっぱちゃんじゃん!」


二人並んでアイスを食べようとしたちょうどその時、後ろから聞きなれた声がした。 振り向いてみると、きらきらと目を輝かせたジローが視界一面に広がる。 あれほど探したというのに、今までどこに居たのであろうか? そんな疑問がちらちらと脳内を横切る。

ちゃんの声がしたと思って起きてみてもいないし。 俺、今までずっとちゃんのこと探してたんだからね!」
「探してたって、ジローちゃん一体どこにいたの?」

拗ねた表情を見せていたジローが、笑顔で「秘密」とだけ答えた。 照り差す太陽のような眩しい笑顔だった。 よくよく話を聞いてみると、屋内ではないらしい。 確かな場所は教えてくれなかったが、最近見つけたお気に入りの昼寝スポットとのこと。
どうして教えてくれないのかと尋ねてみると、景吾に知られると困るらしい。 彼が知ったら間違いなくピンポイントで樺地くんを派遣するであろう。 景吾には言わないからと、最後に念を押して聞いてみた。 どこか勿体ぶった様子であったが、今度一緒に昼寝してくれるならと耳打ちしてくれた。

「絶対秘密にしといてね!ちゃん、二人の約束だから!」
「ええ。内緒ね。それより、練習に出なくて良いの?景吾、きっとまた怒ってるわよ」
「へへ、昼寝してたらつい気持ちよくって…」

秘密基地を共有し合った私とジローくん。半ば照れた様子で頭を掻いている。 隣のはアイスを舐めながら視線だけをこちらに向けていた。 照りつける太陽と時々吹く涼しい風の中、三人はパラソルの下で座っていた。


「おーい!ジロー!見つけたぞー!!」


ジローの時より遠い場所、グラウンドの方であろうか、校舎側から声が聞こえる。 その声はだんだんと近づいてくる様だ。声からして向日であろう。 校門の外から覗いてみると、ワインレッドの整った前髪と長身の眼鏡が見える。 向日はジローの姿を確認すると、一直線にこちら側へ走って来た。

「ジローここに居やがったか!ったく、俺らはクソ暑いのに日陰で涼みやがって。 侑士、やっとジロー発見したぜ!」
「ほんまや。ってらもおったんかいな」

横に居るの姿を確認すると、忍足は軽くため息をついた。 その言葉にいち早く反応したのは隣のだった。



「“らも”って失礼ね。私ももずっといるわよ。一体どうしたの?」
「はあ、堪忍。それがあまりにも無茶苦茶やねん。まあいつもと言えばいつもの横暴やねんけどな。 休憩や思うたら、レギュラーだけ酷い扱いやで」

「ふーん」
「景吾ったら、だろうと思ったわ。」


忍足の話によると、ジローが居ないことを薄々気付いていた跡部が、探せと命令したらしい。 テニス部員200人全員でも準レギュラー以下の部員でもなく対象はレギュラーのみ。 最初は樺地が探しに出ていたが、彼でも見つけることが出来なかったようだ。 眉間に皺を寄せる跡部の顔が浮かぶ。
レギュラー陣にとっては、寝耳に水のような命令だった。横暴ではあるが、これも部長の命令。 どこにいるかもわからないジローを探すために、校内に散っていった彼らの姿も容易に想像できた。 校庭側を探していた忍足と向日のペアが、運良く校門の外にいる彼を見つけたらしい。
余っている丸椅子に向日が腰かけ、ジローの肩に肘をついて大きく息を吐いた。 ふと向日の視線の先に、色鮮やかなアイスが映る。


「ってか、。うまそーなもの持ってるな!」
、一口でええからくれ。頼むわ」

「やだ」


二人の興味は、一番端っこに座っていたの手元へと移る。 アイスを大切に隠し持つように、彼女は手を引っ込めた。 どうにかアイスを一口貰おうと両手を合わして懇願する。 そんな二人にはお構いなしに、はもくもくとアイスを頬張るのであった。 一方で、キラキラとした眼差しを向けるジローにも微笑んだ。 何かをねだる子供の様であり、ほっとけないとも思わせることができた。 汚れのない瞳も、柔らかな笑顔も可愛らしい。 いつか子供ができるなら、彼のような子供もいいかもしれない。 はその可愛さに負けてしまった。



、アイス頂戴」
「いいよ。はい、あーん」



差し出したアイスがあと10センチほどで彼の口に届くところだった。 このまままっすぐ手を伸ばそうと思ったのだが、何かが彼女の行く手を阻む。 彼女の手に重なるように温かい手が重なっていた。一筋縄ではいかない強い力だ。 相変わらずジローだけはアイスを待ち受けて口を大きく開いていた。 が視線を上に向けたのと同時に、彼女のアイスも攫われてしまった。



「ジロー!練習出ずに何してやがる!」



その空間が氷漬けにされたように、一瞬全員の動きが止まった。

両手を合わせたままの忍足
半ば強引に奪おうとしていた体勢の向日
そんな二人には目もくれずに涼しい顔の
危険を察知したのか顔を濁したジロー
驚いた様子の

全員の視線が彼に注がれる。 そこには仁王立ちをしている跡部の姿があった。 どこか自信に充ち溢れた…、いつもの彼だ。

「樺地に探しに行かせてもどこにもいない。 どこに行ったかと思えば優雅に涼みやがって。 それに、貴様らもだぜ。アーン?」
「跡部!それ今から俺が食べようとしていたアイスー!」
「やらねーよ。仕方がない、この俺様が直々に味見してやる」

反論出来ない忍足と向日と比べて、ジローはどこまでも我が道を進んでいた。 アイスを奪い合う様子はまるで子供のようであった。 どこかそれが可笑しすぎて、クスリと笑みが漏れてしまう。 必死で取り戻そうとするジローに対して、余裕でアイスを口にする跡部。 二人の対比はいつ見ても飽きない。 ほどほどにアイスが無くなったところで、が気付いた。



「景吾。それ私のアイスよ!」



跡部とジローのやり取りは、もはや恒例というくらい見慣れていた。 その合間にの声が響く。これでもかと言わんばかりに、ビシッと指を差しながら。 呆気にとられたのは争う二人の内のジローだけだ。

は俺のものだと言えば、のモノもこの俺様のものだ」
「…」

髪を掻き上げながら今日一番の俺様っぷりを発揮する。 誰のモノは俺のもの、俺のモノは俺のもの、どこかのガキ大将と同じ理屈であった。 どこか馬鹿らしい感じもするが、それは跡部景吾という存在を、そして魅力を存分に表していた。 どこか諦めた笑いをもらしながら、は小さく「わかったわ」と告げた。

「ジローくん、アイス食べたい?」

二人で一つをシェアしましょうと。
名残惜しそうなジローの視線に負けて、提案する。 彼女が持っていたアイスは今跡部に渡ってしまった。 拗ねたジローも何とか納得したのか、と半分こするという事実に意気揚々としていた。 そしてアイス売りの老人に注文を出そうと向き合った時だった。 次は頭に重みを感じる。温かい。きっと彼の手だろう。

「わかってねーな、アン?これだからお姫様は…いや、女王様か」
「え?」
「ジロー、今日は特別にこの俺様がアイスをご馳走してやる。この俺様の優しさに感謝するんだな。 だが、と分け合う事は認めねえ。わかったな?」

「ちぇっ、跡部のケチー。ちゃんと間接させたくないからって…」

呟きの最後はボソボソと濁ってしまい、には聞き取れなかった。 念願のアイスをゲット出来るがどこか楽しくない様子のジローとは対照的に も忍足も向日も苦笑いを続けていた。 だが当の本人であるだけは、どこ吹く風であった。 漂う空気が生ぬるくなったその時、動いたのはダブルスペアの二人。

「じーさん、俺にもアイス一つ」
「こら岳人。あ、俺にも一つ頼むわ。勘定はあそこの跡部で」
「お前ら…」

跡部の制止も聞かずに、アイスの注文は続いた。その数現在2つである。 アイス売りの老人の前でジローは両手を広げて数え始めた。

「じゃあ俺も1つで!!後で宍戸と鳳も来るだろ。樺地と滝も入れて…。 とりあえず5つ追加で!」
「ほっほっほ。合計7つですな。いやありがたい」

「こらジロー。勝手に注文しやがって…」

それから間もなく、校舎側を探していた宍戸と鳳、そして樺地と滝が合流した。 注文したアイスは老人によって流れるように作られ、テニス部の手に渡る。 一口舐めてみると、さっぱり甘くて柑橘類の酸味が口いっぱいに広がった。 暑い体に溶け込むような、それでいて心地いい感覚だ。 それぞれが一口か二口アイスを食べた頃だった。



「跡部部長、ここにいましたか。水分補給も終わったので準レギュラーは試合形式の…」



テニスコートの方から現れたのは、現在正レギュラー最有力候補の日吉若だった。 跡部を探していた様であるが、奥に他のメンバーが並んでいることに気付いたらしい。 先ほどまでコートで声援を浴びていた日吉が足を止める。 ふっと目が合うと、は彼に対して軽く手を振ってみた。 特別何か反応を期待したわけでもなかった。 日吉は社交辞令か、軽く会釈するに留まった。


「レギュラー陣もいましたか。それで今後の練習は…」

「日吉!お前もアイス食うだろ。跡部の奢りだぜ!ラッキーだったな」
「このアイスおいC-!日吉、他の子の分も注文するから後で呼んで来ようぜ」
「…」


口の周りをアイスだらけにした向日とジローに、日吉は一瞬固まってしまった。 テニス部員は軽く200人を超える大所帯だ。 それだけのアイスがあるのだろうかと、頭の中でつぶさに考える。 すかさずに忍足が目の前の二人に、口の周りのアイスを拭くように伝えた。

「はっはっは!丁度今日はアイスの予備が2ケースありますぞ。 皆さんどうぞご注文下さい」

笑顔の老人の声を聞いた跡部はフンと鼻で笑う。 そして片手にアイスを持ちながら、指をパチンと鳴らした。



「いいだろう。部員全員200人分のアイス、貰おうじゃねーか」


途端に涼しい風が通り抜ける。髪の毛が風に揺れた。 日吉だけは半ば呆れかけた表情であったが、その場にいた全員の声が揃った。



「「「跡部部長、ご馳走様でーす!!!」」」



その後、レギュラー以下全ての部員に跡部部長からアイスが振る舞われた。 膨大な数だったので、最後の部員がアイスを手渡された頃に最初の部員はとっくに食べ終わっていた。 後で聞いた話、レギュラー以外の部員はジロー探しの間は休憩を命じられていたらしい。
既に花の形を失った景吾の手元のアイス。ずっと奪われたままだった。 彼の手に自分の手を添えた。そのまま多少力を入れて強引に手ごとアイスを自分の元に引き寄せる。 舌を出して一口舐め取ると、変わらない甘酸っぱい味がした。



景吾に呼ばれる。 相変わらずアイスを食べながら視線だけを彼に向けた。


「強引だな。お姫様」
「ええ。私のモノが景吾のものなら、景吾のモノは私のものよ」


ククッと、どこか楽しそうに景吾は笑う。 アイスを頬張った時、そっと間合いを詰められた。 彼が耳元で囁く。あまりにも唐突であったのでは動けないでいた。
「ああそうかもな。女王様」


他の誰にも聞こえないような小さな声。 彼が耳元から離れるその瞬間に、驚いて動けないの唇に軽いキスをする。


「甘酸っぱいだろ」


その言葉を聞いた途端に、顔全体が熱くなるのを感じた。 今の自分は耳まで赤いだろう。誰も見ていなかったのであろうか? 周りの時間だけが進んでいくような、自分の時間だけが止まっているような錯覚に見舞われた。
そんな状況を作り出した本人である跡部は余裕の表情でを見つめている。 ただ、手のぬくもりに負けた残りのアイスだけは時間に逆らわずにどんどんと溶けている。
コーンから流れ出た一筋の溶けたアイスがの手を汚した。 固まったままのを不審に思ったのか、が彼女の顔を覗きこむ。


?やだ顔が赤いわ。熱中症じゃないの?大丈夫」
「手が汚れちまってるぞ。俺様が綺麗にしてやろうじゃねーの」


ふと我に返ったに追い打ちをかけたのは跡部の言葉だった。 彼女の呼びかけで、その場に居た人の視線はに向けられることになってしまったのだ。 そこへ跡部の一言である。彼女が赤面していることは事実である。 どうしようにもいたたまれなくなった様子で、彼女は平然を装った。

「け、結構よ!」

アイスを跡部に渡して洗い場の方へ足早に向かった。 途中で振り返ってみると、カラフルなパラソルが視界に入る。 少しだけ陽は傾いたみたいだ。照り差す暑さも少しはマシになったかもしれない。 ただ、顔だけはまだ熱かった。 昔どうしても食べてみたかったアイスも、とても身近なものになった。 子供の時はどうして、あのような特別な思いがあったのだろうか? 今となってはあまり思い出せない。
それでも景吾と食べたアイスの味は、忘れられないものだ。 甘くて、それでいて酸っぱい夏の思い出。

たっきーはレギュラー。ということは都大会前後?若も大好きなので登場させてみんなで美味しくアイスを食べてもらいました。跡部との恋愛話が弱くなりましたが、恋人同士前提のみんなでほのぼの日常をお楽しみください。
20110831*星宮はちこ 裏語