君在るが故に鬼在り、鬼在るが故に我在り

今日という日を憎む理由が私には解らなかった。
一族は皆、人が定めたその行事を忌み、この日だけは慎ましく生きていたのだ。 特に里の長老たちの“それ”に対する言動たるや…。 幼少のにとって“人間の行事”など如何でもよく、むしろ長老たちの口煩い様こそ忌み嫌うものだったのだ。



「千景!其方…今日が何の日か知っているか?」



彼が住まう京の仮屋敷に堂々と上がり込んだは、庭に面した床の間の縁側までやって来ると意気揚々と家の主人を呼び立てた。 そのような行為が出来るのは京に…いやこの国に何人いるのだろうか。 少なくとも人間ではいないだろう。 そもそも彼の事を名前で呼び捨てにする者は彼女以外にはいないのだが。
整えられた広く美しい庭を眺めながら火鉢に当たり、穏やかな季節の移り目を感じていた西国の鬼の筆頭風間千景は、呼びかける女の声に目蓋を開くもその質問の突飛さに猜疑の視線を寄越した。


「ん?如何したのだ」

千景の反応は思っていたものより随分と淡白だった。 私を見上げる…睨みつけている(?)瞳は変わらず紅い。 以前、風間と関わる時は畏敬の念を持ち、失礼の無いようにと散々に言われたことがあるのだが 、今のところ特別礼を欠いているわけではないだろう。 何でもの話によると、千景に睨みつけられれば普通なら戦々恐々、正に蛇に睨まれた蛙のようになるらしいのだ。 本当だろうか。そのような経験はない。 彼の反応が理解できず首を傾げていればいつもの説教染みた話が始まってしまった。 最初は“高潔な鬼とは何たるや”に続いて“純血の女鬼の存在”、そして“まったくお前という鬼は”で終わるお決まりの台詞だ。 余りに同じことを言われ続けるので息継ぎの位置まで覚えてしまったくらいだ。

「で?」
「…ん?」

「俺の話を聞いていたのか?…まったくお前という鬼は。今日の話をしに来たのではないのか」

ああ、忘れていた。千景の話が長いから…とは流石に言わなかったし、むしろ言えなかった。 口を滑らせてしまえばお説教の二巡目だろう。 姿勢を正し腰に手を当てれば長い袖が振れる。



「ふっふっふ。其方に教えてやろう…今日はな…人間が騒ぎ立てる“節分”の日だ」
「フン。下らん」



渾身の台詞を、たった一言、鼻で笑われてしまった。


「何が下らんのだ。世間では季節の節目に豆を撒きたてて、“隠”なるものを払う儀式ではないか。 帰ったら特製の太巻きをたらふく食うのだ」
「豆まきなど人間が考え出した戯れ事に過ぎん。 そもそも我ら“鬼”を打ち払おうなど言語道断。 人間の思考はこうも愚かなものだと憐れみすら感じるぞ」

「其方…里のオババみたいなことを言うのだな。まさか人間に抗おうと、今日ばかりは門戸を閉じ外にも出ずひっそりと過ごしてきたのではあるまいな」
「それが里の仕来りだった」

「私の里の…いや我が家の節分の仕来りを教えてやろう」


中振袖の中に隠し持っていた一斗枡を探りだせば、中身は案の定、全て袖の中に零れてしまっていた。 袖をひっくり返して中身を在るべき姿に戻せば、もう一度仕切り直しだ。



「祭りは楽しめ!今に京中の子供が豆をぶちまける音が聞こえるぞ。 負けてられるものか!!」



枡に零れんばかり入った炒り豆を豪快に掴み取ると、まるで絵のように佇む千景(含、彼がいる全体的な空間) に向かってちょっと手加減して打ち撒いた。 手から離れた豆たちは綺麗な孤を描かず、射抜く様に直線的に部屋中に散っっていった。 乾いた豆が壁や襖や机に当たるとカンッと良い音が鳴る。 部屋中に豆が散らばったということは勿論その空間に居た千景にも当たっているわけで。 俯いたままの千景は…少し震えているようにも見えた。


「貴様…この俺に豆を投げるなど…躾が足りないようだな…。 その宣戦布告確かに受け取った」
「えっ、ちょっ…加減はしたぞ。それに節分とは元来こういう遊びではないか」


顔を上げスッと立ち上がった風間の眼は…今まで見たことも無いほど怒りを含んでいた。 その紅を見て本能的にヤバいと悟ったのは刹那的な出来事だった。 咄嗟に反応できないほどの速さで顔の横を“何かが”通り抜ける。 それが髪を揺らして肌が風を感じた。

「?」

疑問に思っていれば二発目が飛んでくるのが見えた。 抜群の動体視力で捉えギリギリ受け止めてみると…豆。さっき投げた豆だ。 いつの間にか手の届く範囲の適当な豆を拾っていたらしい千景が、右手に乗せた豆を弄んでいるのが見える。ああ…そう。 軽く握った形の彼の手、その人差し指の第二間接に乗った豆を親指で弾き飛ばせば、“誰か”が持っている銃のような早さの豆が飛んで来た。 勿論避けたけど。


「遅いぞ。そんなものでこの俺の攻撃を防げると思うな」
「まあ。圧倒的に豆の数はこちらの方が多いけどな。それに…」


─ヒュンヒュン と、勢いよく足元に飛んできた豆弾を後方への宙返りで避け、 間合いを取る為に縁側から庭に置かれた岩を足場にした。 距離感は大切だと思う。後は部屋よりもちょっと視点が高いというのも重要だ。 全身で感じた“誰か”の気配が真横までやって来た。 離れた樹木の幹には、先生こと不知火が同じように枡に入った豆を持って臨戦態勢。 呼んどいて良かった。


「こっちは二人だ。二対一では分が悪いな」


どうだ?と意気揚々と千景を見れば、気味の悪い笑いを溢していた。


「落とす蠅が一匹増えた所で何も変わりはせん」

「先生…其方、蠅扱いされてるぞ」
「言っとくがお前ェもだろ?」


二人で顔を見合わせていると千景が居る部屋の奥側の襖が開く。 開いた先には天霧が見えた。彼が手にした茶器+菓子からして、どうやら客であるのために持ってきたようだ。ああ…天霧はいつも律儀でイイ男だ。 大切に控えさせている村の娘たちを(以下略)。 そして彼の手にした盆に乗っているのは、京の老舗高級菓子店の“きんつば”と見受ける。 限定品で、得意先でないと中々手に入らない逸品だ。 あ、食べたいと呑気に思っていると千景は、私の“きんつば”…大切だからもう一度言う。 “ 私の ” きんつばをひょっこり掴むと一口で食べた。食べた? え。 私のきんつばが食べられた。私のきんつばを横取りした鬼畜、千景はニヤリと笑った。


「躾の足りない貴様には餌はやらん。そうだ天霧。 直ぐに有りっ丈の豆を持って来い。ついでにお前も加担しろ」
「…この部屋の有り様は君ですね。貴方達は一体どうすれば大人しく…」

「天霧、早くしろ」


ヤバい。マズイ。
天霧の言葉を聞いて、その二言がぐるぐると脳内を巡っている。 私の戦略は、このまま二対一で豆の差が圧倒的なまま千景を打ち負かす…というものだった。 短期決戦ともいうべきだろう。しかし、天霧が豆を持ってきて剰え加担されれば間違いなく負ける。 いや天霧さえ説得出来れば五分五分に持ち込めるだろうか。


「先生!天霧が戻ってくる前に千景を沈めるぞ」
「どーなっても知らねえぞ?お前の責任だからな」

「この俺を狙ったこと後悔させてやろう」


庭から飛び立つと豆を千景に投げつける。 何度も言うがある程度手加減はしている。乾いた豆の音。 不知火は本気…とは言わずとも結構勢いがあった。 なのに千景は部屋にはいなかった。別の岩に降りた途端に殺気を感じて、飛び上がれば鬼が真横に居た。 男から放たれた豆が岩に当たり粉々に砕けていく。 間一髪という言葉が正しいだろう。 廊下に着地し庭を見ると千景と不知火が殺り合っていた。勿論豆の投げ合いで。 命懸けの戦だ。
鈍い音に辺りを見渡せば、障子がぼろっぼろに破けて豆の破片も散乱している。 千景だ。隙を見せた私側に豆を寄越したらしい。 しかし男が持っていた豆は一握り程度ではなかっただろうか。


「不知火ー!!!其方、千景に弾薬を補給させるなー!!!」


不知火を襲っていた千景が隙を見て彼の持っている枡から豆を奪っているではないか。 まったく油断も隙もない。補給源から遠ざける為に二人の鬼に向け、豆を鷲掴むと手加減無しで投げた。 放射状に放たれた豆が降り注ぐ。



「って危ねぇだろ!!今俺まで狙ったな!!」
「不可抗力だ。許せ」


正直、不知火にまで構っている余裕が無かった。



─ビチィ


「痛っ!」
「オイオイ当たったか?」


額に千景の弾が当たったようだ。痛い。パラパラと砕けた豆が胸元に落ちてくる。 傷痕は残りはしないが痛みは感じるのだ。 涙目で男を睨みつければさも愉快気に笑っていた。おのれ千景め。 豆を掴んで投げる動作だとどうも時間的損失が生じてしまう。 その点千景のまるで銃弾の様な投げ方のようが効率は良いのだ。操作性も増す。 銃弾の様な…。確か何処かにあったような気がした。 辺りを見渡せば隣にいる男の腹に目が留まった。

「先生…其方イイ物持っているではないか。千景に一発くれてやる。 その銃を貸せ」
「いやこれ鉛だそ」

「じゃあ銃口に豆詰めるのはどうだ」
「どう考えても無理だろ」

一粒豆を持ってみる。大きさ的には入らなくもなさそうであるが。 どうしても銃で当ててやりたいと言えば、不知火には「そもそもお前銃の扱い下手だろ」と切り捨てられた。 酷い男だ。銃の扱いは認めるしかないが。 殺気が動いたのを感じ取れば、も動く。止まっていればただの的でしかない。降り注ぐ豆の雨。 硬い物に当たれば豆が砕け、軟い物に当たればそれ自体が壊れる。 どちらにしろ部屋も庭も、残骸で散らかっている状況だ。



「皆、いい加減にしなさい。何ですかこの様は…さっきよりも散らかり過ぎでしょう。目も当てられません」



天霧だ。天霧が帰ってきてしまった。彼の手に盛られた豆の数が絶望的だった。 天霧から豆の入った枡を受け取った千景の顔は忘れもしない。不敵な笑みだ。 鬼に金棒ってやつだろうか。鬼に豆?

「どうした…この俺が決着をつけてやると言っているのだぞ。天霧、お前は不知火を潰せ」
「良い加減にして下さい。庭も部屋も滅茶苦茶ではありませんか。私は日和見です」

「片付けは奴らにさせれば問題ない」

新たに豆を補給した千景はやはり強かった。しかも如何してか私ばっかり狙ってきているような気がする。 助太刀とばかりに豆を投げて寄越す不知火には容赦なく豆が投げられていく。 太い木の幹を盾に姿を隠せば後ろから声がした。


「もう終わりか。威勢が良いのは最初だけのようだな」


動けば間違いなく狙われるだろう。緊張感が手を汗ばませる。 狂いがあってはならないと着物で拭っておいた。 チラリと盗み見るとゆっくり歩み寄る男は伸びた枝の下に進んだ頃だった。

「隙あり!!!」

は渾身の力を込めて豆を握り潰し。男の少し上に向かって投げた。 粉々になった豆はまるで煙幕のように男の視界を遮る。その一瞬。 本当に刹那の隙を付いて、木の影から千景に向かって投げる。 一掴み分、間違いなく当たった。

「貴様…」
「はっはっは!忍法煙隠しの術だ。ハッタリは上手く使わねばな。 昔はこうして怒り狂うオババに当てたもんだ」

何て愉快。
こんな楽しい日を忌み嫌う意味がわからない。


「…天霧、お前が加担するなら今度の薩摩との下らぬ会合…行ってやらんでもない」
「散々気が乗らないと仰っていたのにですか」
「気が変わった」

「それでは仕方がありませんね」


どこから取り出したのかはわからないが彼の手には山盛りの豆。 用意していたのか。と言うか、確実に用意していたな。 天霧は元々手刀や拳を用いる戦い方をする。つまり腕っぷしは強いのだ。 筋肉の整った腕周りがそれを物語っている。そんな彼が豆を投げればどうなるか。
─ドン と当たった傍から豆の方が砕けていく。化け物。


君、投降なさい。今ならまだ間に合います」


結局二対二になってしまった。不知火には盾になってもらうしかあるまい。 あとは実弾で応戦するとか。先生は離れた位置に隠れている。 戦略の練り直しが必要だろう。顔を出して合図を送ろうとした時だった。 千景が静かに「不知火」と呼んだ。怒りも何も感じない声。 それが何を意味しているのか…。には解らなかった。

「ったく、しゃーねぇな!!悪いな
「はっ!?不知火!其方裏切る気か!?」

両手を挙げてひょっこりと出てきた不知火。 これ以上やり合う気は無いということなのだろうか。 飄々と豆の入った枡を持ちながら不知火が風間の横に立つ。 これってしかしてヤバいやつではないだろうか。 いつの間にか三対一の構図の完成である。この展開は想定していなかったのだ 。冷や汗が額を伝う。


「恨むんじゃねーぜ。拗ねたお前の機嫌直すのと風間の機嫌直すの天秤にかけたらこうなった。 こう見えて俺様も良心の一つや二つ持ってんだ。 ダチの伝手使って、異国の菓子でも取り寄せてやるからよ」
「うっ…」


異国の菓子はえも言われる甘さと香ばしさ滑らかさと風味があるのだ。 この前食べたアレ、何と言ったか忘れたがアレは何とも美味であった。 つまりは大好きなのである。と、ここまで考えた所では自らを叱責した。甘味に釣られるとは子供も同然。 不知火はいつだって私を子ども扱いするのだ。許せん。

「子ども扱いするな!こうなったら全員まとめて成敗…」

と言いかけた所で、殺気がもれなく真横に迫っていた。 離れようと幹を蹴り上げるがもう一つの気配が迫っている。 天霧の投げる豆が降り注ぐ中、伸びてきた不知火の手に豆を渾身の力で当てつける。 天霧にも一投げ。最後は千景だ! しかし千景は視界の中にはいない。 気配は感じているのに。見えない位置…真後ろ!が思いっきり振り返ったのと、腹に力を感じたのはほぼ同時だった。



腹も背中も痛い。どうやら腹に一撃食らったようだ。豆ではなく蹴りの方。 部屋の中に背中から叩きつけられたようでジンジンと全身に痛みが広がる。 まったく容赦のない男だ。上手く力が入らないがゆっくり上半身だけを起こす。 しばらく体の自由は利かなそうだ。 千景はどこだろうかと見渡せば、急な浮遊感が襲う。

「ちょっ…何だ。千景!?」

千景に米俵を抱える様に持ち上げられていた。 私の頭は彼の背中側にあるので男の表情はわからない。 と言うより、豆まきはどうなったのだろうか。


「…この俺に手間をかけさせる女などお前だけだ。 不知火、こいつは戦利品だ貰って行く。存分に躾し直さねば気が済まん」
「頑張れよ
「私をモノ扱いするな!不知火は見捨てるな!」


手足を動かして抵抗を試みるもさっきの衝撃で思い通りには動かせなかった。 まさかこれを狙って叩きつけたのか。真相はわからない。 不安定な体勢のまま千景は歩き出した。何処へ行くのか。 そう言えば千景はさっき「躾し直す」と言っていた。折檻か。折檻なのだろうか。 豆を投げまくった挙句、オババに捕まえられればもれなく折檻が待っていたものだ。 懐かしい思い出。ふと、千景が止まった。


「不知火…お前は罰として屋敷と庭を片付けろ。豆は鳥の餌にでもするがいい。 天霧、この女の世話役に伝えろ。巻き寿司は一人で食え。 この女は俺に豆を当てた罪をその身を以って償わせる。朝まで返さんとな」


天霧は黙っていた。再び歩きだした千景が縁側へ抜けると、部屋から誰のものかもわからないため息が聞こえた。


「下ろせ」
「黙れ」


廊下を進む間、これの繰り返しだ。 今から何処へ連れて行かれて何をされるのやら。はまだわからなかった。

美しく整えられていた屋敷は疾うに見る影を無くし、崩れた庭と部屋に散らばる豆の残骸だけが残っている。 今日は節分。季節の移り変わる頃に隠なるモノを払う行事の日。 人々は豆を撒き立てる中、鬼はこの日を忌み嫌い静かに時を過ごす。 しかし案外、鬼達の方がこの日を楽しんでいるのかもしれない。

翌日、天霧から言伝を聞いたが、戦々恐々と手土産を持って主人の恩赦を乞いに来たが、 「あ、アレいつものことだろ」と不知火に受け流されたのはここだけの話である。

節分を存分に楽しむ鬼たち
20160203*星宮はちこ 裏語