夢前心中

日ごとに月が欠け、頭上には薄暗い夜が広がっている。私はする事も特に無いままぼんやりとその様を眺めていた。今生との別れが、もうすぐ訪れようとしているのに心は穏やかに…頭でさえももひどく静まり返っているのだ。


日ノ本の表舞台から鬼という存在が消えたのはひと昔前だった。人里離れた土地で平穏に暮らしていた我らも、血の問題からは離れることが出来なかったのだ。離れ離れになった一族は、時に血を途切らせ滅亡し、時として人間と血を交えて生き長らえてきたという。鬼の特徴として産まれる子に女児は少なく、次世代の純血を産むことができる純血の女鬼は特に限られている。少し前に東の鬼が人に滅ぼされた事件があったが、その出来事により、女鬼に限らず鬼の存在自体が滅亡へと向かっていた。鬼たちは自らの存在を誇り、尊さを持っていたが故に“それ”を、鬼の血が途絶えることを恐れた。そしていつからか、心に巣喰った闇が我らを、考えられないような恐ろしい行為へと導いた。

“生贄”

人は古来より禍を払い神への供物として同胞たちの命を捧げたという。五穀豊穣やら無病息災やら。人間の願いはいろいろ。まさか我らが同じ道を辿ろうとは。お婆(ばあ)が聞いたら薙刀振り回して主謀者一族を打ち首にしていそうなものだ。人の間では幼い村の生娘を捧げるという仕来りらしい。それに倣って、村の若い娘鬼たちが数多犠牲になった。鬼の願いは“子孫繁栄”。…皮肉なものだ。繁栄を願いながら、次世代を産める若い鬼を犠牲にするなんて。私は吐き捨てるように苦しく笑った。

そして此度、呪いにも似た願いを背負い神(でも私はその存在は信じていない)に命を捧げる存在になったのが、この私だ。名は…言っておくがもう幼くはない。歳はそこそこ。村の娘たちはこの年齢ならば結婚し子供の一人や二人いるだろうが、私は夫すら迎えていなかった。近郊の鬼里の中で邪教と囁かれる生贄信仰。それらを信ずる里長から私の里に遣いが来たのは数日前だった。遣いから渡された書状に目を通した時、手が震えたのを覚えている。それを悟られない様に…平然を装った。断る理由はない。断れば他の娘に役目が渡るだけだ。私が命を捧げてもきっと、変わらずに愚行を重ねるのだろうが。私の両親は既にいない。妹達には何も言わず、側近の鬼に全てを告げ…全てを託して里を出た。連れてこられたのは山を幾つも越えた場所だった。駕籠で運ばれたからか正確な位置はわからない。ただ、馴染みの里よりも空気は生暖かった。森に囲まれたそこからは、新月前の薄明りを反射する湖面が覗く。綺麗な場所だろう。少なくとも生贄にされる為に連れてこられたのでなければ。儀式は明日の夜らしい。直ぐに身を清め白装束を着させられた。死ぬにしては何とも質素な衣装だろう。せめて絢爛な織物にしてくれればよいものを。言葉には出さずに心の中で呟いた。生贄となる私には必要な情報は殆ど与えられていない。私が知るのはこの地で生贄として神に命を捧げられるということだけ。村に残してきた鬼達の事を考えるとここで抵抗するつもりもなかった。全てを受け入れるだけ。せめて…生贄という悍ましい行為の果て、日ノ本の鬼達が滅亡から救われるようにと願うだけ。

陽が昇りそして暮れるのはあっという間だった。誰とも接触せずに小屋に閉じ込められていた私に外から呼び声が投げかけられる。閉じていた目蓋を開き前を見据えた。外に出た私を迎えたのは同じ白装束に“狐の面”を被った鬼。何でわざわざ“狐”の面などかぶる必要があるのだろうか。純血とも言えぬ“鬼の血”の薄さを身に感じながら、囲まれた鬼の気配を探る。
小屋から少し歩いてたどり着いたのは湖の畔だった。新月を迎えた今宵は辺り一面薄暗く、祭壇の周りに焚かれた篝火が轟々と辺りを照らす緋色の灯りを放っている。待ち構えていたのはまた別の鬼が複数。おまけにこっちは“鬼の面”を被っているではないか。

「(わざわざ面など被らずともいいのに)」

祭壇の前で跪かされた。周囲を覆う紙垂の中、背筋がビリビリと嫌な“気配”あるいは“予感”を訴えている。何故だろう。

“汝、北の里に隠れ住むとされる鬼の一族…その末裔“”で違いないか”
「ああ」

面越しにくぐもった声が届く。若くはないが男鬼だ。


“今宵の贄はまた格別な。神もお喜びのことだろう。我ら貴き鬼の未来ため…その命捧げてもらおう”
「…」


それには何も答えなかった。ただジッと前を見据えて来たるべき時を待つしかない。今生との別れが、もうすぐ訪れようとしているのに心は穏やかに…頭でさえももひどく静まり返っている。獣たちも寝静まっているのであろう静寂が広がっている。その中でパチパチと篝火の燃える音が耳に届く。背中に近づく気配が一つ。生贄を捧げる儀式が如何なるものか、知りはしない。生贄に捧げられた鬼達が帰ってきたという噂も聞かない。このまま湖に身を投じるのか、あるいは頭を跳ねられるのか。揺らぐ自らの影に重なる影。

「(願わくば、鬼の未来が平和であらんことを)」

どうかもう生贄などという悍ましき儀式など行われませんように。そう祈るしかない。私は目蓋を閉じた。



*****



突然背中で感じていた鬼の気配が消えた。違う。肉が裂け骨が断たれる音とゴトリという何かが落ちる衝撃、それに次ぐ殺気を背全体で感じたのだ。皮膚が粟立つ。咄嗟に目蓋を開く。私の前に並んだ鬼面の男たちの殺気が私の後ろに注がれ“何者だ!!!”と叫んでいる。しかし私の後ろに広がる殺気と比べたら視界に入る全員のものと比べてもまだ足りぬだろう。つまり私の背後にある殺気の方がホンモノということだ。
後ろを振り返るまでもなく、その一瞬、刹那の間。叫びやら断末魔やらが飛び交った。そして私が後ろを見た時には、何もなかった。あれほどいた装束を纏い面を被った鬼が誰一人立っていなかった。

「!?」

篝火の灯りが揺れる。いや、誰一人立っていないというのは語弊がある。ただ一人立っていた。彼らの装束を纏わず面すらも被らぬ鬼が一人。広がる血海と転がる死体の中に佇む男。




「邪教を崇拝するに足らず、生贄などと称し同胞を殺すなど愚かな。西の鬼の恥め」




薄暗い世界で輝く銀の髪と四つの角、金の瞳。紛うことなき血の強さならず気高さ。その男の姿を映した途端に、心の臓の奥深くを抉られたような衝撃を受けた。体が動かない。そして足が震えているようだ。

「フン。噂では贄とは生娘を差すと言うが違ったか」

今ものすごく失礼なことを言われているのだろうが、目の前で起こった出来事に口が動かなかった。ただ男の顔をジッと眺めるしかできない。心臓が張り裂けんばかりに鼓動を繰り返している。

「貴様、名は」


縺れる舌を動かして口から出たのは小さな声だけだ。私の名は届いたのかそうでないのかは分からないけれどそれ以上追及される様子もない。この男は邪教集団の仲間ではないのだろう。だが素性はわからない。



「噂では邪教は生贄と称して村の娘に凌辱の限りを尽くし最後には殺すと言う」



それは初めて聞いた。私の瞳の奥に広がる動揺を悟ってか「聞き流せ」と追って告げられる。このまま湖に投げ入れられることも、首を刎ねられることもなく…弄ばれていたかもしれないなんて。その可能性を想像してみると肩まで震えてきた。視界に一筋の光が伸びたかと思うと、男の抜身の刀が縛られた私の縄を解いた。


「死にたいなら俺は止めぬ。だがこの世に一片の思いが残るのなら、生きろ」


それだけを口にし男は背を向けた。目的を果たしたのできっとどこかへ行ってしまうのだろう。だが男の姿も声も、既に私から離れなくなっていた。

「其方の名は」

相変わらずの小さな声しか出てこない。もしかすれば聞こえていないのかも知れないけれど、これ以上の声量は今の所、出ないだろう。動揺が収まらない今は。「風間千景」とこちらを振り向かず、背を見せたまま男の声で告げられた。そのままゆっくりを歩みを始める背中に、私はその場に立ち上がる。

「待って!」

そう叫ぶと遠ざかる背を追い駆けだした。

いずれ死ぬ。ならばその前に共に生きよう。それこそ我が死。
20161112*星宮はちこ 裏語