いつか自由な蝶になる
【肆、大江の酒呑と鈴鹿の天女】
京には、陽が暮れれば艶やかな世界広がる一角がある。
江戸の吉原、京の島原、大坂の新町…つまりは花街である。しかし昼ともなればみなひっそりとその扉を閉ざしていた。島原にある揚屋の一つ「角屋」の裏門の潜り戸にたどり着いた女が一人。声を掛けなくても扉は開く。芸妓に舞妓は今頃、置屋で稽古に励んでいる。つまり揚屋には余計な人は居なくなる。 背を曲げ門を潜れば禿の少女が迎えてくれた。女の出で立ちは頭巾で頭と顔を隠し、手には風呂敷で包んだ大き目の荷物を一つ。
少女の後を追うと小さな座敷に通された。香の立ち込める部屋はまるで極楽浄土…いやまだ死んではいない。
は部屋の下手に座りながら “彼女” が来るのを待った。
苦労して(に叩き起こされて)朝に起きる練習を数日続け、どうにか昼前には起きれるようになった。と言っても活動できる時間は僅か。気を抜けば眠気が襲ってくるのはここだけの話。 着物は地味目で品のある薄い水の色にした。頭巾を取って現れた髪型は玉結び。ちなみにこれが一番気に入っている。
広い屋敷を繋ぐ廊下を動く鬼の気配が一つ。いや二つ。襖の向こうにまで近付いたのを確認して畳に手を付き頭を垂れた。襖が開く音がする。
「久しいわね。貴女が京に来てからもうどれほど経ったかしら」
「姫。この度は…」
「、らしくないことしないで」
なんて彼女に言われてしまったら仕方がない。 クスリと笑うと恭しく頭を上げた。彼女の瞳は芯が通っていて強く輝き、身なりものものより格上だと一目でわかる。 歳はの妹ほど幼いが彼女は、名を“千”と言いこの京の都を統べる鬼の姫。かの鈴鹿御前の直系の末裔である。
「畏れながら拝謁賜り…、いや姫君に会えて嬉しゅう存じます」
「だから!今日は堅苦しいことは無しよ。それに、私に気兼ねなく接してくれるのも貴女くらいのものでしょ?」
大抵の鬼は彼女を“姫”として接する。それはもちろん正しいことで何も間違いはない。だがは千を姫でありながら、一人の“娘”として接した。ただそれだけのことだ。特別でありながら特別扱いはしない。勿論、失礼のないようには気を使っているつもりだ。
女は皆、蝶で花で姫であり、そして只の女でしかない。
里に女が増えてからどうも扱いに困った。疎み妬みに狂う姿は正に人の描いた鬼のそれ。下手に敵に回せば命はない。だが、彼女たちを上手く取り込んでしまえばそれは力になる。女は敵には恐ろしいほどにまで冷徹で時に強かだが、心を許した者への忠義は厚い。女同士の連携は自身も驚いたほどだ。ただ掌を返す時も、そうと決まれば速いもの。ただ里の秩序を乱すことはは許さない。それは里の長として当然の事。今まで何人も始末した。そんな私でも皆、慕ってくれた。ありがたいに尽きる。
一人の女として自分を扱ってくれるの存在は千の目を惹いた。他の鬼の目の届かないところであれやこれやと思うままに言葉を交わしているうちに、私たちは良き間柄になった。友と呼ぶには畏れ多いが。 初めて姫に拝謁賜った時の達観ぶりが今でも浮かぶ。
「突然、便りを貰って驚いたわ。は元気?あと雛ちゃんも」
「は変わらず。口を開けば“早く起きろ”に“早く帰って来い”に口煩くて敵わぬ。雛も外には出せてないが、やっと宿の娘子と遊ぶようになった」
「それは良かった」
傍に控えていた菊月が、蓋付きの湯呑みを姫と私の前に差し出す。そのまま部屋を退出しようとする彼女を引き留めた。 彼女、菊月はこの花街の芸妓。と言うのは表の姿。裏の顔…と言うと聞こえが悪いが、彼女も鬼だ。純血ではないが、代々“京の姫”に使える忍の一族。それが真の姿。白い化粧をしていない菊月は…大人っぽくも見えるがよりも幾つか年下である。
「姫にこれを、菊月にはこっちを…」
包みを解いて取り出したのは各々への手土産。文を出して約束を取り付けた手前、手ぶらでは会えまい。姫には鏡を菊月には染めの反物を。どちらもの国の一級品だ。閉口する二人を余所に出された茶を一口含んだ。ある茶葉は低い温度で淹れるのが良いと聞くが、これがその茶だろう。出された湯温こその口に合うそれだった。に取り寄せてもらおうか。美味しい。気に入った。
「手に余るわ。こんな良い物」
「受け取って欲しい。勿論、遠慮はいらない。菊月も貰える物は貰っておかぬとな。仕立ててはおらぬが着物は必需品だろう?」
主人の顔を見ながら戸惑う菊月と呆れた顔を見せる千姫。そんな難しい顔をさせたかったわけではないのだが。素直に受け取って、喜んでほしいというのが本音だ。
「まあいいわ。ありがとう。大切に使わせてもらうわね」
「姫…やっと笑ったな」
「?」
待ち望んだ少女の笑顔に思わず頬が緩む。歌でもなく文でもなく、物を贈るのは直接的ではあるが我々は男女のそれではない。喜んでもらえるなら願ったり叶ったりである。主人の許しを得て、菊月も微笑みながら頭を下げた。「姫にはこれも贈ろう。私には花活けの才は無いが、飾られた花を見るのは好きだ」 行きがけに花売りから買った幾つかの花。
「貴女ってやっぱり変わってる」
「其方は可憐な花の様だ」
「変な口説きね」
「ああ。私は、粋な優男にはなれんな」
下手な茶番に、二人で笑った。
「で、今日は何の用件なの?」
一介の女鬼が、鬼の姫に会いに来た理由。姿勢を整えて彼女に向き合った。
「少し前、京の夜に女鬼を見かけた。身なりは男姿だがどう見ても女でしかない。歳は十五、六あたりの娘。鬼の気は強く…恐らく純血の女鬼だろう。姫はその者を知らぬかと思って訪ねて来た」
「如何して私が知っていると思うの?」
「京に足を踏み入れる鬼は皆、姫に挨拶するのが道理だろう。挨拶無しにその鬼の土地を踏みにじるなど無礼千万。鬼は礼儀正しいからな」
勿論、が京に来た時も千姫に挨拶に来た。今日と同じように予め文を寄せて、土産も持ってきた。その時はも雛も一緒だった。その男装の女鬼が何者なのかはわからない。何故、男装をしているのか。何故壬生の狼と謳われる新選組と一緒に居るのか。疑問は尽きない。
「残念だけど知らないわ。純血の女鬼なんて滅多にいないのは知っているでしょ」
「確かに」
鬼は人と交配が進み血は薄れている。鬼の血が混じった人間が、自らを“鬼”と知らずに生活していることは少なくはない。そんな混血の鬼(あるいは人)が京を行き来していても何ら不思議なことではないのだ。
だが純血の鬼となれば話は異なる。純血の鬼は純血の鬼からしか生まれないのは周知の事実。つまりは鬼の里、家との繋がりのある存在になる。千が知らないとなれば出身は京ではないだろうし、挨拶していないとなれば、その女鬼が何を目的に京に踏み入ったのかの理由も定かではない。無礼云々以前に、純粋に少女の存在が気になった。
「姫の耳に入れておいて損は無いと思うぞ」
「そうね。島原の中では入ってこない情報だわ」
淹れられた茶を飲み終わったところで、菊月が次の茶を取り換えようと下がっていく。 次はも止めなかった。
「…ありがとう。貴女からもう少し外の話も聞きたいわ。いつでもここに来ていいから。あ、次は置屋の方がいいかも知れない。今日はちょっと向こうが立て込んでてね」
「姫のお気遣いに感謝する」
千姫と二人、京の一角で肩を並べられるなど思ってもいなかった。 菊月がいない今この部屋さえも広く感じる。
「そういえばはどうして京に来たのだったかしら?うろ覚えでごめんなさい」
「ちょっと野暮用だ。知人の手助けがしたいのと外の世界を知ろうと思ってな。にしても、私が再びこの地を踏んでいるとは…例の先祖もまさか想像していなかっただろう。首が京にあるとは聞くが参りに行く気にはなれんな。これまで長かったが…京の姫君達には感謝しきれない」
「それは、あまり言わない方がいいわね」
少しだけ、千姫の顔が曇るのを感じた。
事実。とある先祖の粗相のせいで私たちの一族は、長く京の都への立ち入りが禁止されていた。その出来事は以降の、“鬼”という存在の認識を変えた。“妖怪”や“物の怪”と肩を並べる事になったのだ。今となっては鬼の、いわゆる黒歴史である。 人と、時に他の鬼と距離を置き、里に籠り慎ましく暮らす日々。元は小さき家だったこともあり、千年近く時が経つうちに、と先祖との繋がりは鬼の記憶から薄れていった。もちろん事実は変わらない。ただ、ことの顛末を正しく理解する鬼がどれだけいようか。今やその出来事には尾ひれに足まで付き、最早何が“嘘”で何が“真”かすら分からなくなってきている。
謹慎という名の隠居生活を重ねるうちに、一族は「千」の字を名乗ることもやめたと聞く。鬼の直系の家に生まれた者だけが使うことを許されたその字と名を…捨てた。いや、捨ててはいない。私が生まれ“”という名を授かったが、それと同時にもう一つの名を受け継いだ。直系の鬼を意味する「千」字の名を。私には紛うことなく古く貴い鬼の血が巡っている。これが家を歴史の影に追いやった…でも決して消えることのない事実であり、隠し通してきた秘密。
千姫はもちろん知っているだろう。祖母が家再興の為に動き出すには、先ずは「京に住まう古き鬼」に赦免を請うたと聞いている。それが千姫の曾祖父母にあたる鬼。長きに亘る謹慎に加えて、家の鬼の律儀さに、ようやく京の地へと足を踏み入れることを許されたらしい。
「腹が減っても酒を飲んでも暴れぬように努めよう。もしそうなったら迷わず斬ってもらって構わん」
「何を言うの」
「しかし私は強い鬼を産むまでは死ねぬから安心してもらいたい」
「もう…冗談は止めて」
遠くから鬼の気配が戻ってくる。菊月には到底聞かせられない。忌まわしい血も…少しは薄れたことを願おう。“その鬼”の最後の子を身ごもった女鬼は、京に出ていたの先祖にあたる鬼だった。ただ、それだけだ。気付けば何処か遠い彼方を見つめていた。言葉は無い。 千姫は何も言わなかった。
「しかしこの茶は美味いな」
「これは京の宇治の茶にございます。お口に合って何よりです」
「其方の淹れ方が上手いのかもしれんな。どれ、も通わせて作法を学ばせようか。床には出さんが踊りに唄に茶の淹れ方も上手くなれば一石二鳥…いや三鳥だな」
気晴らしくらいにはなろうか。本腰を入れて身に付いたら、里に帰った時に娘たちに教えてもいいかもしれない。師範…悪くはない。
「止めておいたら?なら直ぐに身請けされちゃうわ」
「それは敵わんな。誰も起こしてくれぬのは困るし。の茶も中々気に入っている」
「自分で起きたらいいのよ。お茶だって自分で淹れるの」
「それならば、様が通われたら如何でしょう」
「いいわね!鍛え甲斐があるわ」
姿勢正しく千姫が言い放つ。隣の菊月もニコりと笑顔を崩さない。二対一だ。分が悪い。
「姫も菊月も…小言がに似てきたな」
「褒めてくれてうれしいわ」
「姫様に同じく」
「…」
それ以上は何も言えない。口を開けば、稽古の約束まで取り付けられそうだったからだ。思わず、ため息が漏れてしまったではないか。
世間話を一つ二つしたところで、今日のところはお暇することになった。千姫からは、その女鬼について、あるいは他に何か新しい情報があればすぐに伝えに来るように仰せつかった。に雛への土産だと、匂いからして上等で美味しそうな菓子の包みを頂戴する。もちろん私の分もあるらしい。楽しみだ。
「姫。薄々気づいているかもしれぬが、この国が変わろうとしている。人が動けば鬼も無関係ではいられまい。どうかお気を付けあれ」
「私も、つくづく感じているわ。こちらも何か教えてあげれる事があるかもしれない」
「それはありがたい」
今一度、礼をすると元来た廊下を進む。戸口まで菊月が送ってくれた。
戸を潜れば、変わらず京の街並みが広がっている。まともな格好をしている今はわざわざ屋根の上を歩く必要もない。下から見れば何か新しい発見があるかもしれない。土産の包みを抱えながらは下道を進んだ。
鬼姫様との関係は良好です。
20150321*星宮はちこ 裏語