そして鬼はいなくなった
【壱、里の者を安住の地に導くまでは】
京よりずっと北にある、小さな鬼の里。
人と、そして他の鬼とも適当な距離を保っていた我々であったがこの国がまた新しい時代を迎えたことで状況は変わった。時代が江戸から明治へと移ったことにより藩という制度は廃止され、新たに県というものになったらしい。我々の里では混血ではあるが幾人かの鬼を人の集落へと送り込み、外の情報を得ていた。だがそれももう難しい。人として生きるならば相当の覚悟を持ち、溶け込まなければならない。そして鬼として生きるならば人との関わりの一切を断たねばならない。どちらにしろ、決断の時はそこまで迫っていたのだ。
我々の里は元々数が少ないという“女鬼”が多くいた。殆どは混血の血が薄れた者だが、それでも女鬼は貴重な存在。十数年近く前になろうか、東の鬼が人間に滅ぼされた事があったが、その際に生き残った鬼は里を持たない流浪の鬼(はぐれ鬼)となって各地を彷徨っていた。望まないまま里を失ったのだ。出会ったはぐれ鬼の中で、自らの意思で里に入りたいものは皆迎え入れた。また里にいる鬼を(男女問わずに)政略的に動かしたこともあってか、弱小の家を取り込む形で
の家は大きくなっていった。
家の当主、
。数は特別少ないと言う純血の女鬼。そして多くの女鬼を産むという稀有なる能力を持つとされる存在。ちなみにまだ子はいないのでそれを証明はできていない。しかし実際、
には七人の妹と二人の弟がいる。母は生涯、多くの子を産んだのだ。
里の者と再三に亘る話し合いの末、我々は鬼として生きる道を選んだ。
一部の、人の集落にいた鬼はそのまま人として生きることを望んだ。もちろんその意思は尊重した。その者たちはそのまま人の里へと置き、我々とは別の道を歩むことを皆に告げる。皆、思うところ色々あるようだったが何も口には出さなかった。 鬼が人と隔絶するために必要なこと。それはきっと数えきれないだろう。 準備もまだまだ足りないくらいだ。重要なのは場所、周りの環境。 このままこの地に留まるという選択肢もある。しかしここはまだ人と近い。 もっと深く、もっと遠くへと行かなければならないが、考えても思いつく地はないのが現実だ。 幕府が倒れるまでも近くの藩は我々鬼の力を求めて藩内の各地を探し回っていたらしい。 得られた情報から拠点を幾つか持ち、人目を避けて移ったこともある。しかしそれももう終わった。
人と離れるのに頼ったのが、京に住まう鬼の姫君、千姫。京の鬼は東にも西にも属さない。便りを重ねるうちに、千姫もついに京を離れ、鬼として人と距離を取ることを伝えられた。その事実に時代はそこまで変わったのかと実感した。彼女は風間の里へといくらしい。風間家。もちろん名前は知っている。西の鬼の中で最も大きな家。昔、今は亡き母が言っていた。母が自らの身分を隠し、秘かに西国の各里の集まりに参加した時に、西国の筆頭、風間家の当主は想像よりもずっと若かったと。その時私はいくつだったろうか。覚えていないが、その事実だけは思い出した。鬼は元々、人と離れて生きることを望んできた。先の戦で西の鬼は倒幕までは力を貸したらしい。江戸が終わった今、人との隔絶を主導しているのはもちろん風間家であった。他の鬼とも距離を取ってきた手前、いきなり風間の里へと行くのも何とも無礼だろう。千姫が間を取り持って風間家の当主と話し合いの場を設けてくれるに至った。
鬼の気配が近づいて来るのがわかる。それも随分強い気だ。正しく純血の鬼。それが襖の向こうにまで迫ってきたと同時に
は頭を下げた。
「俺をこのような場所に呼び出すとは、相当の理由があるのだろうな」
部屋に入って早々に男は口を開く。やはり男の声は若かった。その口調は少し苛立っているようにも思える。だが私は頭を下げているから肝心の顔は見えないまま。
「あら、ちゃんと話は通しておいたはずよ」
「知らぬ」
「知らない訳がないわ。天霧に伝えたもの」
男が微かに舌打ちした。姫に対する態度とは思えない。……何者だろう。頭を上げない私を見かねてか、千から頭を上げるように言われた。
絵巻物語から出てきたような、綺麗な鬼。
それが第一印象。薄い金色の髪、紅い瞳。今は鬼の姿ではないが、真の姿になってもその美しさは変わらないのだろう。強さも貴さも、儚ささえも持ち合わせているような気がした。紅い瞳が私を捉え、離さない。怯むことなしに男の瞳を見つめた。
「その女がここより北の里の長か」
「
の里を率いる
に御座います。其方が西国の筆頭風間家の当主、風間千景殿」
「して、用件は何だ」
不機嫌さの消えない態度と声は変わらない。
「だーかーら! 天霧の話を何にも聞いてないのね。私が貴方の里で世話になるついでに、
の里も何とかしてあげて。東の鬼ももういないわ。京より東…北の鬼はもう彼女達で最後よ」
「北の鬼だと? 知らんな。女、里の現状を話せ」
いきなり女とは、少し失礼だ。私には
と言う名前があるのに。家では見ないということか、あるいはどうでもよくての女扱いなのか。まあいい。ムッとした表情を抑え自らの里についてありのまま風間に伝えた。男鬼は顔色も変えず、やはりどこか気怠そうに私の言葉を聞いていた。一通り話終わったところで男が口を開く。
「人間だけに留まらず同胞からさえも隠れ住んできた理由は何だ」
随分と的確だ。その理由こそが
家が抱えてきた消えることなき問題。しかし話すべきか迷うのも事実。とりあえず今の所は濁すことにした。もう一つの理由(しかも後付けだったりする)を述べておくことにしよう。
「我が一族は、
家は代々直系の女鬼に“多産の胎”を持つとされております。特に孕むは“女児”とも。事実、我が血族には女が多く残っております。なのに年々、世の鬼の数は減少の一途。特に女鬼の少なさは頭を抱える問題。元々争いを好まない鬼が、
の存在によって争いを生むのは本末転倒。それを嫌ってのことと伺っております」
後付けながらなかなか立派な大義名分だ。我々は鬼の勢力を覆しかねない。
の存在が鬼の争いを生むのもきっと事実だろう。あるいはそれを疎んで命を狙われるか。
「望むままに多く子を孕めると?」
「流石に女一人では何とも生りません。今の所は婿を取る気もない。里の者を安住の地に導くまでは」
こんな時に祝言だ何だと現を抜かすほど、身の程知らずではない。それに私は元々“家”と“鬼の血”に挟まれ、女鬼が物のように理不尽に扱われること良しとは感じていなかった。 勿論、望むままに生きれるとは思っていない。血の為家の為だと嫁がされることも無いとは言えない。 でもその状況を少しでも変えることが出来れば、少しでも納得の行くものになればいい。自分自身の身にも少し、置き換えて。そう考えていた。しかし私は祖母と母の所望するまま“子を多く孕める純血の女鬼”と成ってしまったのだ。
「まあ良い。住む場所は違えど同胞であることに変わりは無い。手を取り合うのも当然の事だ。里の者の受け入れは認めよう。が、処遇は考えることになろう」
「処遇……とは?」
少し低めの緊張した声。真剣な眼差しを向けた。
「我が風間の里は独自の自治を行ってきた。人間と手を切るにあたり、余所の鬼が入ってくるのも一人や二人ではない。それこそ里か家単位。今までのような生活は出来んことは承知してもらおう。決められた制約の中で、己の役割を以って里に所属することになろう」
「確かに。我が里は女鬼が多く扱いに困る。何もかも今まで通りとはいかぬことは重々承知。しかし、出された処遇について、其方と話し合う機会は設けてもらいたい」
「良いだろう」
どのような条件が風間家から出されるのかはわからない。我々にとって有利なことも不利なこともあるだろう。立場上そのまま受け入れるべきなのはわかっているが、話し合いと言う名の駆け引きを以ってこちらに有利な妥協点を探ることも必要になるかもしれない。
「風間殿のご厚情……痛み入ります」
両手を付き
は深々と頭を下げた。
男が去った部屋で、私は千姫と向かい合って座っていた。私と男が向かい合っていた時に姫は脇に座っていたが何も口出しはしなかった。長同士のやり取りを見ていたのだろう。今は男が居た位置に姫が座っている。
「実際に会ってみてどうだった?」
「流石、風間家の当主。思っていたよりも若いが有能な鬼だ。信頼に足るだろう」
「若いって……まあ、若いけど貴女の方がずっと若いじゃない」
「それこそ姫の方が、我が妹と同じく若いではないか」
襖が開き、菊月が茶を運んでくれた。京の花街、島原で芸妓に化けて情報収集をしていた菊月も足を洗うらしい。表向きは西の商家の倅に身請けされて……とのことらしいが。実際彼女も鬼の元へ嫁入りするらしい。
京の町は好きだ。似せた街並みが
の国にあった。人に化けて人里まで降りた時に見たことがある。京を歩きながらこれを似せたのかと感心したものだ。そして茶も菓子も料理も美味しいし、人間も多く活気付いていた。全てが新鮮で、気に入った。残念ながらここを離れる日もそう遠くは無いだろうが。
「風間から条件を聞くまでは京に滞在するんでしょ? 上の部屋使ってね。広くは無いけど風が通って気持ちいいわよ」
「姫には感謝しきれぬな。ありがたい」
「まあ、このお礼は風間の里に行ってから……
ちゃんと雛ちゃん誘って美味しいお茶でもご馳走になろうかしら」
「私は京の茶が一番美味しいと思うぞ」
「そこは女同士で集まってお喋りすることが大切なの!」
それもそうかもしれない。実際、
も雛も千姫に会いたがっていた。風間の里に行けば、彼女たちが会って話せる機会も増えるだろう。そのためにも彼との交渉を早く進める必要がある。
姫は用事があるらしく、菊月を連れてこれから角屋を離れるらしい。案内された部屋で荷を解き、持ってきた硯と筆を取り出すと文机に並べた。里で待つ
たちへの手紙には、「交渉は無事に進んでいる」旨を書きとめた。後は京の町の様子や、千姫の事も書き連ねる。妹たちへは、
の言うことを聞き守るようにと、自分は元気であることを書いておいた。
障子を開くと青い空が彼方まで広がっていた。きっと此処よりも北にある里にも続いているのだろう。ここは花街の中で京の町は見渡せないが、機会があれば外を歩いてみるのも悪くない。人に化けれるように準備はしてきた。里への土産はきっと膨大。馬でも借りなければいけないだろうか。ここを離れたならもう踏み入れることはないだろう。だから今のうちに、多くを知って感じておきたかった。
******
ふらり、と人の流れから抜けた男が連なる宿の一軒に消えた。二階のとある部屋に入れば、座っている鬼の青い瞳がゆっくりと向けられる。
「風間、北の鬼は如何でしたか」
「女が治める里とは初めてだ。しかも、この俺より若い女鬼とは」
「北の里は東の鬼とも距離を置き、独自の里を築き上げていた。その存在は表立ってはいないが、東で名家と呼ばれた古い幾つかの家だけはその存在を黙認していたとも言われております」
「真偽は定かではないが、“子を多く生せる”と謳ってきた」
「正に夢のような存在であると? その言葉を信じるつもりですか」
言葉だけなら馬鹿げているだろう。
「
。この姓に覚えはあるか」
天霧の青い瞳が僅かに細められる。それは女が名乗ったもの。人の世も鬼の世も主に家格や血脈が重んじられてきた。特に、鬼の血が薄れた今では、血脈の良い鬼は少ない。 東には名家が多く存在したが、先の鬼狩りで全て滅んだ。 風間につり合う家の数はそう多くは無い。天霧が勝手に京の姫に縁談を持ちかけたことがあったが、 見合いの席で両者共に声高らかに破棄したのは、ここだけの話。事実すら揉み消された。
という姓。核心は無いが風間には覚えがあった。
「北の鬼は全て受け入れる。噂では貴重な女鬼が多く住むと聞くが、そのまま受け入れるのはこちらとしても、向こうとしても最善ではない」
「一理ありますが、目に余る行為は控えてください」
女鬼は貴重だ。風間の里としても受け入れ自体に問題はない。が、あの女鬼が言っていた通り、新たな女鬼の存在は争いの元になり得るのだ。里内の治安の悪化、秩序の乱れは望まない。向こうもそれを望んではいない。如何するべきか。それに気になったことがもう一つ。
「あの女……」
男の呟きが部屋に消えた。
ノーマルエンド後の話です。新選組メンバー&雪村千鶴は名前のみで、登場しません。
20150509*星宮はちこ 裏語