そして鬼はいなくなった
 【肆、嘘つき!】


前回と同様に角屋の座敷にて男が現れるのを待った。真ん中には私と、空いた座布団が向かい合う位置に置かれており、脇に千姫が座っている。 約束の時間まで半刻を切っている……と言っても時間なんて曖昧なもので、相手が来ればいつだって会合は始められる状態であった。

……この会合の結果が、貴女たちの里にとって最良のものになることを望むわ」
「私も努力しよう」

千姫の言葉も心強い。里の未来が掛かっているといっても過言ではないのだから。暫くして、建物を漂う空気が変わったのを肌で感じた。鬼の気配。と言うことは西の鬼の頭領、風間千景のもので間違いないだろう。それが段々と近づいてくる。襖が開いたと同時に視線が男を捉えた。頭領は変わらず美しく貴く……若かった。しかし扉は閉めないらしい。何事かと思えば、襖の奥にもう一つの鬼の気配を感じた。そこに別の鬼がいる。

「良い。天霧……同席を認める」

風間が奥に向かって声をかける。天霧……と言う名は覚えがある。菊月の旦那となる鬼。不知火が言っていた通り、風間のお付きの鬼ならば共に行動していてもおかしくはない。主人の声に男鬼が姿を現した。風間殿よりも年上であろう貫禄のある姿。体つきも逞しい。赤毛に青目の鬼は入室と同時に一礼した。

「私は風間の里の鬼、天霧九寿と申します」
「北の里のと申す。此度は菊月とのご婚姻真に御目出度きこと。私からもお祝い申し上げよう」

見ただけで感じる……この男も鬼として成熟し立派なものだ。菊月の家も安泰だろう。私の言葉に男は一礼し、風間の斜め後ろの少し遠い位置に鎮座した。彼も風間側の鬼ではあるがこれは頭領同士の会合。直接口を出す気はなく、ただ部屋にいるだけのようだ。

「このご多忙な時期に時間を割いて頂き、お礼申し上げる」

挨拶から、粛々と会合は始まった。


「早速だが北の鬼の処遇について伝える。北の鬼の流入は我らとしても歓迎しよう。女鬼を中心に里の自治を行っていた点は評価に値する。だが、先にも言ったが我らの里の均衡を崩すことにもなりかねん。幾つか案を考えた…後は自ら選ぶが良い」


風間の里は風間家を中心とした最も大きな村と、それ以外の家あるいは里で構成された中小規模の村から成るらしい。 北の里が一つの村として自治を認められるかどうかが重要だ。
案の一つ目は、里を解体し家単位で周辺の村へと住まわせると言うもの。勿論、北の里の鬼は受け入れられた各々の里の制約の上で生活しなければならない。二つ目は、里の解体はしないが家の統治(自治)を認めず、風間家による直接統治を受けると言うもの。
どちらも厳しい条件だ。北の鬼が、がこれまでの在り方を失うことを意味している。一つ目の案ならば、北の里の鬼は受け入れられた各々の里の制約の上で生活しなければならない。 そして二つ目ならば、家は今持つ頭領としての権力を失うと言っても過言ではない。そのどちらでも北の鬼に待ち受けるのは、理不尽な要求、里長の権力を使われ、女鬼は望まぬ婚姻を結ばされることになることは目に見えていた。受け入れられるかと言われれば、否。この交渉は長くなるだろう。と、刻々と告げられる間に多くの事が思考の中を流れる。与えられた選択肢の中に、我らが一つの里として認められるものはない。

「我々の……北の里が自治を得る道は?」
「北の里の自治を認める代わりに家の女鬼、お前の妹鬼を全て、風間家が預かる」

淡々と男は言い放った。その言葉が耳に届いた時……心が、酷く動揺した気がする。


「妹を全て風間に差し出せと申すのか」
「勘違いするな。の……頭領であるお前の能力を高く買っているのだ。自治を任せても問題は無いだろう。だが未だ信用したわけではない。良からぬ企てをされても面倒だからな。安心しろ。お前の妹鬼には悪いようにはせん。が……欲しがる家は少なく無いことを覚えておけ」


男の目が細められるのを苦渋の表情で受け返した。
これは駆け引きだ。里という単位あるいは家を失い、里の女鬼を奪われるか。妹を人質として差し出し、里の女鬼を守るか。どちらにせよ失うものが多すぎる。家の存亡など如何でもよい。里の鬼も妹達も守りたい。
どうすれば皆を守ることができる?

「少し……考える時間を頂きたい」
「俺も余り気が長い方ではないが三日後に答えを聞こう。それまでに北の鬼の運命を選べ」

言葉は出ない。無言で畳に手を付き、深々と礼をした。このままでは……何も守れない。の頭の中は混乱に満ちていた。里の鬼か妹鬼か……どちらを守る。どちらを失う?  このまま男は退席するのだろうと思っていた。しかしいくら待っても立ち上がる様子はない。不信に思って顔を上げれば、姿勢を変えぬまま風間が座っている。まだ何かあると言うのだろうか。



「そこの八瀬の姫は古き鬼の末裔。……お前は知っているか?」



突然何を言い出すのだろうか。私たちの視線を受け止めた千姫でさえ何が起こるのかと瞬きを繰り返している。男の発言に一瞬面を食らったが、どうにか心を保たせ冷静を装い答える。

「鈴鹿山の天女と呼ばれた鈴鹿御前とその後裔である千姫を知らぬわけが無かろう」

私の答えを聞いて男が愉快そうに鼻で笑う。何がしたいのだろうか。やはり心が落ち着かない。

「千年も昔、古の鬼の多くは人と交わり次第にその血と家は薄れた。今に残る名家と呼ばれる鬼ですらその起源は確かではない。我が風間家でさえも例外とは言えん。それでも我らは代々鬼の血を守ってきた」
「何が……言いたい」

嫌な予感がする。背筋をヒヤリと何かが通り抜ける様な感覚が襲った。


「かの有名な鬼、酒呑童子が京で討ち取られた際、奴の子を孕んだ女鬼が北へ逃げその国の鬼に匿われたと言う。この話は古き書物の中でたった一文だけ残されていた。北の地で同胞から隠れ住む鬼の一族家の起りは、酒呑童子と茨木童子の子。お前には古く強い鬼の血が流れている……違いないか?」


風間の言葉に息を飲んだ。全てを見透かしたような表情で男は余裕気に笑っている。 ……知られている。一族の全て、隠れ住んできた理由も、血の起りも何もかもが。このまま墓まで持っていくはずだった事実。はぐらかせ……と私の頭は導き出した。この男にはきっと知られてはいけない。

「風間。西の鬼と北の鬼の話し合いは終わった。もう良いでしょ」

この話は無駄だとでも示す様に、千姫が話の腰を折った。姫は男の詮索に助け舟を出してくれたのだ。私もこれ以上の会話は危険だと悟る。

「面白い冗談だ。残念だが、私がその鬼の末裔だと言う証拠は何処にもない」

早くこの部屋を出るべきだ。恐らく風間は殆どの事実を知っている。そして真偽を確かめる為に私に尋ねてきたのだ。しかし遠くで座っている天霧はきっと事実を知らない。今まで静かに座っているだけだったが、風間の発言に此方をジッと見つめたまま。私はゆっくりと立ち上がった。


「隠し通せると思うな。お前が持っているのだろう。……かの先祖から伝わる翆玉と水晶の勾玉を」


男の問い詰めに言葉を失う。一体どこまで調べたのか。私ですら忘れたことまで調べ尽くしてそうだ。隠しても無駄だろう。は……これ以上に立場が悪化することを恐れ観念し、立ち上がった状態から再び男の向かいに腰を下ろした。

、退席なさい。これ以上の会話は無意味なもの。貴女の立場を悪くするだけよ」
「姫……この男は全て知っている。隠してもきっと無駄だろう」

私の瞳を見て、姫が何とも言えない表情を見せた。そんな表情の彼女を見たいわけではなかった。 先ほどは私と風間の間に割って入ってまでこの話を終わらせようとしてくれたのだ。感謝すべきだろう。これから私が姫の行為を無碍にし、自身を危険に晒す。 風間の前で改めて衿を正す。と、衿の間に手を忍ばせゆっくりと首飾りを取り出した。男が言い当てた通りの翆玉と水晶が連なった、古い飾りだ。男の前に翳して見せてから畳の上に置いた。

「御望みならば刀も見せよう。その先祖から伝わる刀……調べ上げて疾うに存在は知っているだろう」
「その飾りだけで十分だ」

伏せた視線を上げる。



「我が家は古くも忌まわしき鬼、酒呑童子と茨城童子の末裔。 今まで隠してきたこと、お詫び申し上げる」



謝罪の意味で再び礼をした。もう後ろめたいことは何もない。これが我々の立場をどう変えるのか。憤りを通り越して……もうどうでもよくなった。つまりは諦めた。

「フフフ……」

男の嘲笑に私は僅かに戸惑った。 彼が何を考えているのか計り知れない。 わざわざ話を引き留めてまで私の秘密を暴いたのだ。

「雪村の生き残りの存在を失ってから、風間家に釣り合う家も女鬼も少なかった」

雪村千鶴。顔はわからないが彼女の事を言っているのだろう。京での出会いは最低のものであったと千姫から聞いている。後の接触も自分本位で、相手にはその気がなかったらしい。風間に釣り合う家の女鬼だから……彼女に近づいた。聞けば聞くほど残念な男鬼だ。


「予定を変更する。北の里の自治を認め、妹鬼という人質も不要な道を示そう。代わりに家当主のお前の血を差し出せ」
「……私が、風間家に嫁げと?」
「風間! 貴方馬鹿じゃないの!? 雪村千鶴という前例があったでしょ? 意もせぬ相手と婚姻を結ばされるなんてにとって許せるはずがないわ」


千姫の激昂が座敷に響く。片膝を立て感情を露わにする。こんな彼女の姿を見たのは……初めてかもしれない。それほど真剣に私の身を案じてくれているのだろう。


「……口を慎め。八瀬の姫とは言え、風間家を侮辱するならば許さんぞ。血や家の為、意もせぬ婚姻を結ばされることは良くある話。今更どうこう言われる筋合いはない。……風間の血を欲するが良い。そうすれば北の里鬼も、妹鬼も救えるかもしれぬ」


この男の狙いが分かった。何で今更気付いたのだろう。いや今まで気付けなかったのだろう。風間千景は古き鬼の血が欲しかったのだ。受け入れがたき条件を出し揺さ振りをかける。 最後に、最も利点が多く損失の少ない道を指し示し、それを受けさせる。 策士としては十分な戦略だ。 里の鬼も妹鬼も救える道。他の誰でもなく私自身の血を差し出させる。 男の望み通りだろう。

! 黙ってないで貴女もそんな要求は拒否よ拒否。突っぱねるなり引っ叩くなりしてあげてよ!」
「風間殿。一つ、鬼同士の契りを交わして貰えぬか」
「言ってみろ」

他の何も耳に入らない。男の紅い瞳を見つめた。

「里の鬼も、私の妹、弟鬼にもこのような婚姻を強いることが無いようにしてもらいたい」
「風間の力なら不可能ではない。その血と引き換えならば契ってやろう」

横で少女が私の名を呼ぶ。消え入りそうな僅かに震えた声が届いた。私が向ける男への視線は逸らせない。


「ならば……構わない。は風間の元へ嫁ぐ。風間千景殿、不束者ながら宜しくお願い申し上げる」


三つ指を付き深々と頭を下げた。瞳を閉じることも忘れて、目の前に広がる畳の青い藺草を眺めていた。ゆっくり頭を上げるとニヤリと男は笑った。風間千景。私の夫となる鬼。 風間は私が顔を挙げたと同時に後ろの振り向いた。

「天霧、この女を娶る。知られてはいないが家は古い鬼の一族……血も家も問題は無かろう。お前の無意味な小言は金輪際聞くことはない。祝言は鬼の里へ戻ってから執り行う。の京の住まいはどこだ? 直ぐにでも迎えに行こう」
「彼女の身は私が預かっている。京にいる限り……は連れて行かせない。それに、彼女と少し話がしたいわ」

睨みつけるように千姫が風間をけん制した。


「ここに居ると言うことだな。良かろう。しかし北の里に帰ること……京から出ることは認めない。俺もここに通う事になるだろう。夫が妻の様子を案じて様子を見に来ることは当然の事。八瀬の鬼にも縛りを受ける義理は無い。……お前を迎えに行く日を楽しみにしている」


そう言うと風間は立ち上がり襖の前まで歩み寄った。主人の退席に、自らも続こうと天霧が腰を上げる。


「天霧。今日は一日暇をやる。好きにしろ」

彼の返事を聞く前に後ろ手に襖をピタリと閉めてしまった。正に襖が閉まるという一瞬、風間が出口とは反対側の廊下に視線を向けた……ような気がした。男鬼の気配が遠のくのを感じながら、先ほど起った出来事があまりに突飛すぎて……私はまだ状況を整理できていなかった。


「嘘よね。嘘って言ってよ。あれだけ私達を祝ってくれたじゃない」


姫の乾いた呟きが部屋に消えていく。下を向いたままで彼女の表情は読み取れない。震えた声。私はただ千と向き合い座っていることしかできなかった。

「婚姻が政治に使われるの……一番嫌っていたの、じゃない」

彼女の言葉が鋭く胸に突き刺さった。表面的な傷は直ぐに癒える。でもこの傷は消えない。まるで毒が滲むようにじわりと心を締め付ける。心が痛い。でもきっと彼女も同じくらい……心を痛めているのだろう。



「嘘つき! 自分の存在を蔑ろにして! 物みたいに扱って! 馬鹿じゃないの!」



咄嗟に姫が手を振り上げた。私は逃げるもせず、頬に来るであろう衝撃を受け止めようと瞳を閉じる。周りの状況はわからない。襖が開く音、鈍い足音、荒い息遣い。しかし衝撃は来なかった。恐る恐る目蓋を上げれば、長髪の良く知る男鬼の逞しい背中が視界一面に映る。彼の手は振り上げられた姫の手を抑えていた。

「ったく、千……落ち着け。叩いたって何にも変わらねぇ。……お前も避けろ」

振り向きながらお叱りを受けた。なるほど。 先ほど風間が部屋を出た時に廊下の反対側に視線を寄越したのは、恐らく彼が居たからなのだろう。 部屋での出来事に心乱されていた為か、彼の気配までは察知できなかった。 いつから部屋の外にいたのかはわからないが、腕組みでもして壁に寄り掛かる不知火の姿が浮かぶ。

「とりあえず。話し合いは終わったんだろ? 俺は千の頭冷やすの手伝うから、ちょっと抜けるぞ」

唇を噛みしめながら、必死に涙をこらえる姫の姿が私の心を更に締め付ける。肩を抱かれて立ち上がった二人は確かな足取りで部屋を横切り、そして消えた。


「千……私の愚かさを笑え」


彼女は何も言わないまま、不知火に連れられ部屋を出て行ってしまった。 謝罪なんて出来ない。許されない。私が決めた……ことだから。

「……叱ってくれて感謝する」

気配の消えた襖に向かい、ただ深く頭を下げた。

物語は動き出す。裏語で暴走。
20150531*星宮はちこ   裏語