そして鬼はいなくなった
 【陸、女の勘です】


私と千が指切りをした翌日。相変わらず部屋に籠りっきりで机に向かっていた。障子を開けていたからか、陽の傾き具合から何となく時の流れを感じることが出来た。部屋を訪ねてくる者も特別いるわけではない。顔を合わした者は食事を運んでもらう角屋の使用人と、夕方に散歩の土産の菓子を頂いた千姫だけだったりする。
先の件、懸念事項は多い。里の長は、直ぐ下の妹あるいは弟に任せることにしようと思う。だが彼らが一人前かと言われればそうではない。私自身学ばなければならないことが多い半人前だ。今まで好き放題してきた、里の政に関わってこなかった彼らに全てを任せるには些か難がある。摂関……とまでは言えないが、を補佐に置くことになるだろう。彼女は私が里にいない間も上手く女社会を纏めてくれているのだ。信頼している。私がいなくなっても…変わらず平和な暮らしができるであろう。後は家の振り分けだとか、自治のための細かい決まり事を定めなければならない。実際に里を移ってから発生する問題もあるだろう。余所の里の鬼とも上手く付き合っていかなければならないのもまた事実。しかし北の鬼は独自の体制を維持してきたためか、気の強い女が多い。お侠とでも言うべきか……喧嘩っ早いのが玉に瑕。もちろんそれが長所で、物事が早く進むこともあるのだが。どうしたものかと、三度頭を抱える。そうして一日を潰した。


翌日もそう大して変わらない。朝起きて支度を済ませれば机に向かう。気付けば昼になっていると言う引きこもり生活だ。気分転換は物見場からぼうっと外を眺めること。そう高い位置にあるわけでもないが、上から見る景色は幾分か気持ちが良い。緩く纏った着物を直すこともせずに空を仰ぐ。独り言が空に消えた。

「あれから三日経ったか」

会合より三日。されども遠い昔のような気さえしている。あるいは他人事のような。自らの身の置き方を決めた日。私が私をなくした日。ああ馬鹿みたいだ。と、思考を奥底に押し込めながら時間を過ごしていると、建屋の空気が変わったのを肌が伝えてくる。この感覚には覚えがある。全身で探れば確かに近づいてくるのが読み取れた。迷わずに真っ直ぐに。この部屋へ。


…我が妻よ。久しく訪ねていなかったが変わりはないか」


断りもなく開いた襖の向こうから、男が大それた言葉を投げかけて来る。なるほど。これは他の鬼から評判が悪いわけだ。里の女鬼なら癪を起こして鉛玉でもくれているだろう。無視、したいがそうもいかない。物見場の隅に腰かけたまま視線だけを男に向けて興味無さ気に応える。ここは京で彼の里ではない。この身はまだ私のもの。

「これは“婿殿”。わざわざご足労頂いたな。案ずるな……三日では何も変わらん」
「……」

わざと“婿殿”を強調した。今回の婚姻は私が風間に嫁入りするのであって彼が婿入りするわけではない。婿殿では語弊があるが、あえてそのまま使ってみた。要は喧嘩を売っているのである。風間は何も言わない。気配からして怒っているわけでもなさそうだった。会話は一応それで終わり。
空飛ぶ鳥を眺めていると風間が近付いてくる。見てはいない……全て気配で感じている。


「暫し待たれよ」


右手で男を制止する。私の瞳は空を映したままだ。空いた左手を伸ばせば、先ほどまで羽ばたき飛び回っていた鳥の一羽が手に止まった。引き寄せるが鳥は逃げはしない。そのまま頭を撫でてやる。丸く可愛い眼を時おり閉じて、何て愛おしいのだろう。鳥は鈴の音のような鳴き声を上げ、尾を動かしている。目に入れても痛くはない…それほどまでに見惚れていた。
男が風のように動いたのはそのすぐ後だ。伸びてきた手が私の手首を掴み引き寄せる。鳥は疾うに大空に逃げていた。ぼうっとしていたからか、体に力が入らずに男にされるがまま。気付けば立ち上がった私は風間に抱き寄せられ、顎に手を添えられ力を込めて視線を固定されている。私の瞳には血の様な赤が映っていた。


「解せん。お前は我が妻……我が物だ」
「何れ血は其方に捧げると言った。しかしまだ私は私のものだ」


風間の手が顎から後頭部に移る。腰を抱いた手は変わらないまま。

「んっ、んん!」

声にならない高い音が漏れた。強引な口付け。目蓋を閉じるが呼吸はままならない。男の舌が私の唇をなぞる。唇を吸われながら脳内の思考と理性が滲む。ようやく解放された頃には、声も上げられず大きく肩で息を整える醜態。風間が耳元で囁いた。甘くて低い声。

「お前をこのまま連れ帰りたい。あるいは……今ここで手籠めにするという手もあるが」
「気高き鬼が聞いて呆れる。祝言を挙げるまで手を出さないと言うのが“仕来り”だ。私を失望させるな」

それでも風間は手を緩めなかった。緩んだ襟元に顔を埋める。彼の絹糸のように柔らかい髪が素肌を撫でる。くすぐったさに体を捩ろうとするが許されない。駄目だと全身が伝えてくる。このままなら間違いなく男の思うがまま事が運んでしまうだろう。……風間千景は周囲から聞いた限り、誇りを重んじる気高き鬼だったはずだ。そんな鬼がこのような軽率な行動に出るだろうか? 地に堕ちたと言えばそれまでだが。しかし納得がいかない。大きな足音を立てて彼女の気配が近づいてくるのが分かったのはその時だった。


「失礼するわ。風間! いるんでしょ!?」


咄嗟に両腕に力を込めて彼の肩を退ける。風間は本気で事を起こそうとはしていなかったようだ。そう力を込めていなかったのだろう。案の定、直ぐに二人分くらいの距離が開いた。

「断りもなくこの屋敷に踏み入ったそうね」
「それがどうした。妻の様子を夫が窺いに来るのに、他人の承諾を得る必要などない」
「一々突っ込んであげないとわからないかしら」
「大体、妻の身を預かると大見得を切った割に、このような狭い部屋に閉じ込めるとはどういう料簡だ」

目の前で対峙し合う鬼。この二人の馬が合わないのはいつもの事だろう。このまま言い争いが続き、互いの関係性がこれ以上悪化すれば今後の里での生活にも影響を及ぼしかねない。もちろん千姫の身を案じての事だ。風間千景の事は……今の所どうでも良い。

「婿殿。其方の京の鬼に対する無礼は一鬼としても、妻としても見過ごせぬ。それに私はこの部屋を気に入っておる」
「……フン。良いだろう。今日のところは我が妻に免じて許してやる」

何を。と、考えたところで千姫と目が合ってしまった。互いに肩を竦ませながら首を傾げた。私たちの息はピッタリのようだ。一騒動あったものの、それから風間はすんなり帰ってしまった。本当に姿を見に来ただけだったのだろうか。再度の奇襲を警戒して、誰かしら店の者(勿論、鬼の血を引いている)が部屋を見に来てくれるようになった。まあ、男の気配は店に一歩でも踏み入れれば気付くことが出来ようが。
夕方には千姫も顔を出してくれる。彼女が何かしら手土産(大体は甘味)を持参してくれるのだが、その時は例の町娘姿で外出したときなのだと最近勘付いた。風間の来訪もなく二日三日はあっという間に過ぎる。目立った騒動のない角屋の一日は平和で、それでいて長かった。



出かけようと思ったのは必然で確かに理由があったからだ。少なくなった消耗品を幾つか買い足そうと、店の者に声を掛けた。ぶらりと町を散策しつつも目当ての店は早々に見つかる。これではつまらないと遠回りもしてみたが、土地勘もなく、迷子になっては面倒だとそう遠くへは行けなかった。見慣れた通りを歩き下っていると肌が何かを捉える。これは……。疑心は核心に変わった。

鬼の気配。

だが見知る鬼のモノではない。彼らの気配は皆濃く清純さを兼ね備えている。だが今感じるのはそう強くはないと言ってもいいだろう。が、確かに鬼だ。さり気なく辺りを窺っても町人ばかりで該当するような存在は無い。気付かれない様に歩きながら、全身全霊、気配の位置を感じ取ることに意識を集中させた。

「(近い……)」

大体の位置はわかった。 長屋が連なる裏通りへの細道へと足を進めたは動く気配を辿って行く。やがて小路へと抜けた……時だった。


―ドンッ
「あっ! その……申し訳ございません」


小路を足早に進んでいただろう誰かにぶつかった。謝罪の言葉と同時に頭を下げたのは小柄な娘だった。顔は見れないがその娘から感じるのは紛うことなき鬼の気。そして聞き覚えのある声。

「雛?」

自然と、里に置いてきた女鬼の名が出てきた。声も身長も似ている。私の声を聴き、娘は下げた頭を勢いよく上げた。視線が合った途端に目を見開きながらも、正に「やってしまった」という焦りの表情を一瞬浮かべた。だがしかし顔を見れば瞭然、彼女は里の娘鬼、雛だ。刹那。脱兎の如く走り去ろうとする彼女の手を掴んだ。鬼同士、女同士。されど力を込めている分、彼女に私の手は振り払えない。

「其方、何故ここに居る?里にいるのではなかったのか」
「あの……そのっ」

歯切れの悪い返事。何かを隠している証拠だ。 里に置いてきた娘が、統制を任せた鬼の目を盗んで京までやって来ることなど不可能。 一介の娘が理由なく里を出ることも無いだろう。 彼女は何か理由があってここに居る。そして里に協力者がいる。 雛はばつが悪そうな表情のまま下を向き黙りきっていた。 彼女がここに居る理由を聞かねばならない。 私が彼女の名を呼べば怒られると思ったのか、肩を大きく震わしていた。

「一度しか言わん。其方がどうして此処に居るのだ。誰がここに来ることを許し、誰の助けで里を出た」
「それは……申し上げれません」

少女は固く口を閉ざしたまま。しかし相当の理由があるのだろう。北の里は今、を代行者として里を任せていた。彼女の下にも多くの鬼が統制に関わっている。里を許可なく抜け出ることは認めていない。里の鬼も理由なく外に出たいとは思っていない。は私が言うのも何だが“勘が鋭い”方だ。 だからもし里の規律を破り、里を抜け出そうとすれば必ず見つける。 あるいは直ぐに適当な鬼を連れて連れ戻しに来るだろう。 その彼女の目を盗み里を抜け出し、京までやって来るなどあり得ないことなのだ。の下から里を出るのは……。


「(そうか……)」

わかった。

だな」
「!」

彼女なら全てを手配できるのだ。里から出すことも、京まで向かわせることも。黙りこくった少女の、隠しきれない表情の変化が肯定を示している。何故、彼女は女鬼を里から出し京へ来させたのか。

「理由は後で聞く」

滲んだ涙を手巾で拭ってやる。そのまま少女を優しく抱きしめた。


「道中、無事で何よりだ。外の世界は慣れぬであろう。勝手がわからぬであろう。よくぞ京まで来た」
様……雛は、雛は貴女様の事が心配でした。様も同じ思いです」


改めて理由を尋ねようとしたが、裏小路に丁度人が近付いてくる。下手に印象に残っても良くないし絡まれると更に面倒だ。少女の手を引き、表通りへと続く細道へと足を進めた。

「で、は其方に何を?」

千姫に教えてもらった団子屋の軒先で町人に紛れて私達は座っていた。人通りは少なくはないが、自然に溶け込むことが出来よう。雛はに何か頼みごとをしたのであろう。そして他言無用とも念押しされた。彼女が私に出会うとはまさか思ってもいないはずだ。此処にはいない。雛が私と会っていることなど知る由もないから、理由を話してもらいたいと告げた。少女はようやく口を開く。

「私がここに来た理由は……」

千姫への密書を届けに来たと言う。内容はもちろん知らないとのこと。急ぎで姫の手に渡る必要があったらしく、人間の飛脚では信頼に足らないと、鬼の足を使って京まで届けに来た。その方が随分早く確実に届く。他の里鬼に知られたくないことと、皆なにかしら役割を持って動いているので、身近にいる彼女を頼ったと言う。

「にしても密書とは何事だ。私を通さずに何か謀か」
「内容については存じておりません。しかし……」
「?」

様が里の為人質となり、ご婚姻の契りをされたというのは真なのでしょうか!? 里にも帰れず京に軟禁状態だと伺っております」

強ち間違ってはいない。里の為身を売った私は、今まで唱えてきた思想に反する愚かな女だ。が、そんなことは一切文には記していない。どうしてそこに辿り着いたのか。 勘が鋭いにしても程がある。そして、雛は彼女がこの事実を知った経緯に付いて語り出す。

「先日、私が様のお部屋までお茶をお持ちしました。部屋で鈍い音と悲鳴が聞こえたので慌てて入室すると……」


そこには手紙を二つ抱え、酷く困惑した表情のがいた。

「(二つの手紙?)」

一つは私が送ったものだろう。もう一つの送り主は千姫だったらしい。何故彼女が……と浮かんだが、最初にが姫に宛てた文の存在を思い出した。あの返事と考えれば筋が通る。二人は仲が良いので特別気にも留めないでいた。

「最初の様から千姫様へのお手紙は、特別変わりのないモノだったと伺っております。しかし返ってきた手紙、私がその場にいた時に広げられていたものには“様が風間家の頭領の元に人質として嫁ぐ”と言う、酷く乱れた文章」

そして、私の手紙には付け足しのようにその事実が一文だけ簡潔に書かれている。は驚き二つの手紙を抱えたまま悲鳴のような声を上げた……これが真相。たまたまその場に居合わせることになった雛には「他言無用」を言い渡し、自身は急いで千姫への返事を書き起こすと、京の千姫の元までそれを確実に届ける様に頼んだと言う。会合があった日……千姫は確かに取り乱していた。あれは姫としての姿ではなく一人の娘としての姿。あの後……、もしかしたらその文を書いたのかもしれない。

「もうその文は届けたか?」
「いえ……。京に入ってから迷子になってしまい彷徨い歩いていたところ、様に見つかりました」
「そうか。ならば千姫の元まで案内しよう」

「しかし……」と戸惑う雛の手を取る。私には一応内密にしておくように言われているらしい。しかしそんなこと知ったことではない。が絡んでくるとことが大きく、そして面倒になりかねない。一度、千も交えて話をしなければ。


「千姫とは話をつけた。今回の風間家との婚姻を決めたのは私の意思。そして我儘だ。彼女は私の身勝手な我儘を許し、口を出さない事誓ってくれた。私が他人にどうこう言われずに“思い”だけで結ばれることを理想としていたこと……其方も知っていよう。それに風間殿は西の鬼を統べる鬼。性格は曲があるが優秀だ」

雛がその純粋な瞳で真っ直ぐにこちらを見つめてくる。



様は、風間と言う鬼の事を心から想っておいでですか?」



中々鋭い質問だ。風間千景は私の夫となる鬼。残念なことにそれ以上の感情は今の所まだ生まれていない。真の思いは口に出来ない。私の為、里の為。そして私はそれを望む。だから問題ない。
「ああ……勿論」と、零れ出た様に少女が小さく「嘘つき」と呟いた。いつかの誰かとまるで同じ。どうしてそう思うのか、と尋ねれば一言。



「女の勘です」


私より十五も幼い少女は確かにそう口にした。


雛は名前変換不可なキャラです。本編(いつか自由な)にも登場してましたが、もしちろんこっちにも。
20150628*星宮はちこ   裏語