そして鬼は居なくなった
 【漆、自身の信じる幸せな道を歩んでください】


置屋に戻ると人の気が慌ただしい様な。何かあったのだろうか。雛を自室に案内し、ここで暫し待つように伝える。千姫は何処にいるであろうか。この時間なら外に出ていても戻ってきているだろう。階段を降りようと廊下から一歩足を差し出した時、ようやく“それ”に気が付いた。そして普段感じ得ないような殺気も。

「(これは……)」

は急いで踵を返し自室へと戻った。何だか嫌な予感がする。襖を開くと鬼がいた。先ほど此処へ送り待たせていた少女。そして、恐ろしいほどの殺気を放つ男。風間は刀を抜き、その切先はへたり込んだ少女の首元へと向けられていた。その光景を目にした途端に体が二人の間を割る様に動いていた。私は雛を庇う様に抱き、仁王立ちしている男を睨みつけた。

「何をしている!」
「妻よ……姿が見えんから探したぞ。この小娘は何だ」

低い声で牽制するように告げた。が、答えは無い。風間の切先はまだ少女に向いていた。雛は怖い思いをしたのであろう。丸い瞳に涙を溜めたままじっと男を見ていた。

「その小娘がなぜここに居る? お前とはどのような関係だ」
「里からの客だ。彼女は雛と言う。私の婚姻を知って里中が浮足立っていてな」

里の皆が相手の鬼を一目でも見たい、或いは知りたいとなったそうだが、彼女たちは年頃の娘。勝手もわからぬ彼女たちを無暗に里の外へ出すわけにはいかないと、私の訪いも兼ねて末のこの娘が訪ねてきた……と言うことにしておいた。こういう時にはわざわざ末の娘など出さない。よくもまあこんな嘘っぱちを饒舌に語れたものだ。それほど必死になっていたのであろう。風間は微かに笑うと刀を鞘に戻した。

「我が妻の客ならば仕方があるまい」

その場に座り込み私達を愉快気に見つめたまま。何が仕方があるまいだ。男の態度に苛立ちを覚える。

「風間家の頭領、風間千景だ。はいずれ我が妻となる。我ら夫婦の仲睦まじい様、良く覚えておけ。里にも伝えおくがいい」
「(仲睦まじい様?)」

今まででそのような展開など一切起こり得なかったのだが。雛は表情を変えずに男を凝視していると言っても過言ではない。私達が取り残されているのか、或いは男がぶっ飛んでいるのか……恐らく後者だろう。風間が手を伸ばし私の腕を掴んだ。一気に引かれる。雛を抱えていた私は、彼女を巻き込まないと手を緩めたのだが、気付けば男の腕に抱え込まれている。戸惑いながら男を振りほどこうとしたがそうはさせてくれない。確かな力で私は囚われていた。

様……」
「雛。……構わぬ」

少女の戸惑いに満ちた呟きに、この状態を受け入れるという意味を込めて私は言葉を発する。しかし心は空っぽだ。風間は私を抱き寄せたまま力を緩めない。

「婿殿。末娘の前で何と恥ずかしい。続きは後でよかろう」
「お前がそう望むなら致し方ない」

何だか風間の扱い方がわかったような気がする。良き妻、従順な女、形だけの婚約者、いずれ子を産む女鬼。望むべきまま、男に合わせていれば問題ない。全てを演じえる中で失うものは何もなかった。彼にとって私はそれだけの価値しか持たないのであろう。心を鬼にして…? 違う。心を砕いて、ばら撒いて、失って、ようやく私は私を保てるのだ。

「この子は今朝、京に辿り着いた。客人は丁重にもてなさねばならん。今日は引いてもらえぬか」
「夫より小娘を取るのか?」
「取る取らんの問題ではない。それに彼女は客人だと言っているだろう」

今は彼の相手をするよりも雛の手紙の件を進めたい。と、幾度目かもわからない強引な口付けで男はやっと身を引いた。抵抗してはいけないと素直にそれを受け入れる。本当は雛の前だったからあのような行為に走ってもらいたくは無かった。始めからそれを狙っていたのか。思惑も色々あるだろう。去り際に今宵もう一度顔を出す、と迷惑極まりない言葉を残し、風間は部屋から出て行った。

「……はぁ」

ため息が漏れる。天霧殿の苦労……お察ししよう。隣の少女がもう一度、弱々しく私を呼んだ。


「あの……様は、これでよろしいのですか!?」
「良い」


それが私の意思ならば。自分でありながらどこか他人事のように考えながら肯定を口にする。全てを受け入れさえすればいい。

「して、雛よ。千の部屋を訪ねてくるからもう少しここで待っていてもらえるか。 大丈夫だ。あの男はもういない」
「私は大丈夫です」

しかし私は直ぐに部屋に戻ることになる。姫は外出中で戻る時間は不明とのこと。 彼女が帰ってきたら教えてもらえるように頼んだ。



昼八つ頃。雛とお手玉をしながら遊んでいると、足音が近づいてくるのを感じた。 この気配には覚えがある。待ち望んだ彼女のもの。

。今戻ったわ。いいかしら」

襖の向こうから掛けられた声に、入室を促す。まさか彼女から会いに来てくれるとは思わなかった。店の者には戻ったことを教えてくれるように頼んだはずだが。顔を見せた千姫が一瞬で驚きの表情を見せる。彼女の視線の先には、居るはずの無い少女の姿が映っているのだから。


「雛ちゃん……。嘘でしょ!? どうして此処に?」
「町で偶然会ってな。手紙の事は全て聞いた。その件で姫ともう一度話し合いたかった」
「千姫様。雛に御座います。お会いでき嬉しく存じます」


両手をつく雛の前に座ると、千は彼女の手を優しく取り顔を上げさせた。

「今は堅苦しいことは無しよ。ともそういう約束だもの」
「内々ではな。雛も人前では出来るだけ避ける様に」
「はい」

先ずは手紙の件だ。再会の挨拶もそこそこに、話を繰り出した。から千姫宛てに手紙が送られたことは事実。最初は普通の内容だったらしいから、それについてはどうでもいい。千姫はに宛てて何を話したのか。答えられる範囲でいいから教えてもらえるように頼んだ。個人の手紙の内容を聞きだすなどなんて野暮なもの。しかし、が絡んで物事が収拾するとも思えない。千姫はありのままを伝えてくれた。

「取り乱して事実を伝えたわ。貴女が風間に嫁ぐって」

それだけかと問えば他には特に書いていないとのこと。動揺していたからか、些か乱れた文になってしまったらしいが。そこで雛が取り出したのはからの手紙。要は密書であり、先の千姫の手紙に対する返事である。私が広げて読むことは無い。そのまま千姫に手渡すと、彼女は徐に広げ目を通す。何が書いてあるのかは……正直気になる。一通り読み終わったのか溜息を一つ。 反応を見る限りあまり良いことは書いていなさそうだ。


「京に乗り込んでくるみたいよ」
「は!?」
「滞在の際の身元を引き受けてもらいたいみたいなんだけど……どうしましょうか?」
「全力でお断り頂きたい。私も手紙を書く」


私を問いただしに来るだけならまだしも、彼女の場合は風間にまで手を出してしまうだろう。そうなれば……私の首だけでは済まない。里が無くなる可能性もある。

「雛が責任を持って里へとお運び致します」
「頼めるか」
「勿論です。直ぐに発てるように準備を……」

立ち上がろうとした雛の手を取り制止した。


「着いたばかりだろう。一日体を休めなさい。出発は明日で良い。何より……への返事がまだだ」

あれこれ書いているうちに時間を食うのは目に見えていた。姫も届いた文への返答を直ぐに書いてくれるらしい。退室する姫に頭を下げて、静かな部屋で紙と墨の準備を整える。忙しなく筆を動かしていると、後ろの気配が動かないことに気付いた。


「悪いな。相手をしてやれんで」


後ろの少女は暇を持て余しているのだろうか。本当なら遊んでやりたいが、文はまだまだ書きかけだ。筆を休めることは無い。

「いえ……。様の御姿を眺めておりました」
「私の姿?」

どう言う意味だろうかと、聞き返したの言葉に雛は続ける。

「はい。昔から雛は、このように様の後ろ姿を眺めていたなぁと思い出しておりました。妹様方は部屋に入れてもらえないと拗ねておいででしたが、仕事としてお近くに居ることが出来て、とても嬉しくて……自慢だったなぁと」
「可笑しな子だ。私の後姿など何の面白味もないだろうに」
「そんな!いつか貴女様の様な立派な鬼になりたいと思っています」
「私はそう言われるほど良い者ではないぞ」

隣り合わせの善と悪。実際、私は何人もの里の鬼を始末してきたか。止むを得なかったと言われればただそれだけ。善が悪。悪が善。彼女はそれをまだ知らないのだろう。いや、知る必要もない。そこで筆を置いた。


「雛……髪を結い直してやろう」
「文はよろしいのですか」
「少し息抜きだ」

引きだしから櫛を取り出すと、急いで逃げようとした時にだろうか、少し乱れた髪を丁寧に解いて行く。真っ直ぐ伸びる一筋に櫛を入れて根元から通りを良くする。 形作る様に前の髪は後ろへと流す。ふと、妹たちが我先にと髪結いをせがんできたのを思い出した。彼女たちの髪を結い続けるうちに、作業も随分手慣れたものだ。

「里で自慢したいくらいです」
「面倒なのが屋敷にいるぞ。それでもか?」
「……内緒にします」

そうしてくれと告げながら櫛を元あった場所に戻す。再び机に向かうとようやく続きの文字を書き起こした。気分転換は成功だろう。文章が浮かんでくる。それからもやはり無言の少女に、里に変わりはないかを尋ねると、思い出したように色々と語ってくれた。私も文の中で、自身が自らの意思で嫁ぐことを決めた事、今後の里の体制、次期頭領と補佐など、所狭しと書ききった。文を折っている頃、姫からの夕餉の誘いが入る。どうやら彼女も手紙を書き終わったらしい。空いた座敷で私達と姫は食事を共にした。雛は明日早朝、日が昇らない内に京を発つ。布団を並べて、その日は早めに床に入った。

「(今宵来るとは言っていたが……)」

まだあの男は現れていない。と言うことは、これからやって来るのだろう。夜はまだ始まったばかりで、島原界隈の花街はそうやく活気付いてきた頃だ。時おり、宴会の賑やかさが届く。隣の少女の眠りを妨げないか心配であったが、少女は穏やかな寝顔のままだ。あの男がもしこの子の睡眠を妨げる行為をするならば……間違いなく許さない。布団から抜け出し、閉めきっていた障子に手をかける。少女に光が届かないようにゆっくり開くと月明かりがの顔と部屋を照らし出した。静かな夜は好きなのに。夏は過ぎたが、まだ暑さ抜けぬ京の夜風は心地よい。彼方に在り続ける月をも眺めながら、鬼の気配を探る。が、何時まで経っても感じられない。早々に飽きたので、もたれ掛っていた物見場から夜具の下へと体を滑り込ませると、 横たわったまま遠くに見える星を数えてみた。
目を覚ました時に、ようやく自分が眠ってしまっていたことに気付いた。あの後私は眠りこけてしまったのだろう。薄暗い夜を感じながら今はいつ頃だろうかと、障子を開き月を確認する。寝過ぎてはいないようだ。しかし二度寝は厳禁。手早く身のまわりを整えていると雛も目を覚ました。彼女の支度が終わった頃、店の者が普段より早く準備していてくれたらしい、包んだお結びが彼女に渡される。旅装束になった少女と人知れず潜り門を抜ける。京の民は皆夢の中。もちろん人っ子一人いないし、野犬の類すら見ることがない。鬼の足でも北の里までは時間がかかる。こんなに早朝に出るのもそのためだが、京で時間を食う必要もないと屋根の上を音を殺し走っていた。 島原はどちらかと言えば京中心からすれば南西に位置していて、北に抜ける為にはまず下賀茂神社の辺りまで行かなければならない。私が見送り出来るのもそこまでだ。風になって、町を抜ければあっという間にそこまでたどり着いた。川の畔で立ち止まった私達は今一度向かい合う。

「道中、気を付けるのだぞ」
「勿論です。手紙の件はお任せください。確かに様にお渡しします故」
が癇癪を起しそうになったら……その時は頼んだ。面倒を起こすなと伝えてくれ」
「それはいつもの事です」

幼い雛を之でもかと抱きしめた。私も彼女の傍に付き添って里へと帰り、直接に言い聞かせてやりたいものだ。残念ながらこれ以上北へと行くことを私は許されていない。ここが私たちの分岐点。北の里へは山をいくつも越えなければならない。この幼い少女が日中延々走り続けることになるのだろう。どうか何事も起きず、無事にたどり着くよう、ほとんど信じてもいないが神だとか仏だとかに祈った。

様。雛は貴女様に仕えられて幸せです。どうか様も自身の信じる幸せな道を歩んでください。そうすれば里の姉さま方も納得して下さいます」
「そうだな。この決め事は私の意思だとも伝えてくれ」

そう言うと、雛は難しい顔をして見上げてきた。この子は純粋でそれでいて正しいのだ。悪いのはきっと私。

「では」

その背中が見えなくなるまで、私は少女を見つめ続けた。明日の明けには着くだろう。と考えながら、元来た道を踏みしめる。帰りは少しゆっくりしたいと歩いて帰ることにした。夜明けの遠い空の下で暫しの自由と外の空気を存分に感じる。音も立てず角屋に宛がわれた部屋に戻ると、羽織に包まれた姫が待っていてくれた。


「無事に出たのね」
「ああ。後は無事にたどり着くことを祈るばかりだ」
「大丈夫よ」


と、姫は余裕の表情を見せた。「ももう一度寝なさい」と言い残し部屋を去る。如何しようかと考えたが、お言葉に甘えることにした。 自分の布団を引っ張り出してくると、横になる。先ほど、時を計ろうと開きっぱなしのまま出かけたらしい。開きっぱなしだった障子を閉めた。

「(……?)」

何かわからないが軽い違和感を覚える。何かおかしい。心に突っかかりがあるような。しかし考えてみても埒が明かないと、は夜具に潜り瞳を閉じた。


里の鬼娘編(?)の終わりです。
20150726*星宮はちこ   裏語