そして鬼はいなくなった
【壱拾、婿殿】
話が弾み、気付いた時には陽が暮れていた。 誰かが言い出したのかはわからないが、今日の夕餉は三人で共にしようということになった。 賑やかな宴会が始まろうとしている角屋の一角。 離れとも言える広く格式高い座敷に移る。食事が運ばれてくるまでの間も談笑は続いた。
「おいおいおい!やめろ、千!」
「匡。何度も言ったはずよ。いい加減に学びなさい」
こうなった経緯を話しておこう。
といっても単純かつ、もはやお決まりとなってしまった流れで、不知火が姫のことを「お前」だの「コイツ」だとかと口走ってしまった。 何度も気を付ける様に諭していた姫だが、今日は一歩進んでお説教まで始まったというわけだ。
「本当に仲睦まじいな」
零れた呟きに視線が集まる。喧嘩するほど仲が良いとはよく言ったものだ。 視界の中で、二人の鬼が固まったまま動かない。どうしたものか。 三人が固まったままの所で、外から声がかかり食事が運びこまれてくる。
「まあ、今日のところは
に免じて許してあげるわ。でも次は無いからね」
「私に免じて…と、何もしてないぞ」
「そこは突っ込まないで」と右の鬼が口を開けば、左から即座に横やりが入る。 夫婦漫才、今日も絶好調である。膳が並び燗も幾つか用意された。 姫が不知火に、私が姫に、姫が私に、それぞれ酌をして杯を満たす。 姫の労いの一声で皆酒を口にした。宴が静かに始まる。
「鬼と人との隔絶が決まってからもう幾年経つだろう。 時代は下り、幕府も無くなったのに我々はまだこの様だ。 先は長いのか…あるいはもう直ぐなのか。我が里にもそろそろ一報入れたいところだ」
「準備はもう整っているはずよ。先遣の鬼は既に発っている」
「まっ、風間に聞くのが一番だろうよ」
婿殿。改め風間千景。経験上会えば必ず迫ってくるだろう。 真面に話をしたことは未だほとんど無い。 里で待たせている鬼達を思えば、そろそろ進捗状況の報告に加え、行動の一つ二つ起こしたいものだ。 今どこまで準備が整っているのか情報は入ってこない。 愉しく時間を過ごしながらも心の奥底に広がる靄は消えなかった。
「邪魔をする」
「おっ風間じゃねーか」
「どうして此処に」
酔いが回ったのか気配に気づいたのは姿を見てからだ。随分鈍った。 肝心の風間は座敷を見渡すと私の姿を捉え、微かに笑った…ような気がする。 二人きりならば随分接近されるが他に人がいれば大人しいのだろう。 千姫は案内してきた鬼に料理と酒を持ってくるように頼んでいた。 男は私の隣に腰を下ろす。風間と私に千姫と不知火が向かい合った形になる。
「オイオイ。今日はどうしたんだ」
「不知火。貴様には関係ない。何故我が妻と貴様が食事を共にしているのだ」
「言ってくれるじゃねーか。俺も千も、
とは懇意にしているからな。その縁だ」
紅い瞳が鋭く向けられているが、肝心の不知火は慣れたもので気にもしていない。 面倒事になっては困ると男に酒を勧めた。差し出される杯に酒を注いでやれば静かに口を付ける。 これ以上は詮索しないようだ。
「
。変わりはないか」
突然、話を振られ動揺した。咄嗟に反応できなくて「ああ…」と短く答えることだけに留まる。 風間は横目で私の様子を観察しているようで少しばかり居心地の悪さを感じてしまった。 そして火に油とまではいかないが、不知火殿は盛大に私の心を乱してくれた。
「おっそうだ。
。お前、風間に聞きたいことあるんだよな」
「!?」
心が収まらないまま話を振られ、目を見開いた。 動揺を悟られない等に努めるがいつもと反応が異なることはバレバレだろうか。 小さなため息と、深呼吸を二回ほど繰り返した後、婿殿と視線を合わして尋ねる。
「人との隔絶の件、進捗は如何か」
私を探る瞳が閉じられた。再び開いた赤色は確実に私を捉えて離さない。
「問題ない。人里離れた奥地へ先遣した同胞は我らが移り住む礎を整えている。 余所の里にも同じ過程を踏ませる。随時声をかけるつもりだ。勿論北の里も例外ではない」
「安心した。ならばそう里にも伝えておかねば」
「お前を連れ帰る時が近いことは俺にとっても喜ばしいことだ」
鬼が人と隔絶を迎える時、北の里鬼も安住の地へと一族を移す。 それは
自身が風間の元へと嫁ぐことを意味していた。 待ち望んだことなのに心が重い。なんて二律背反。 しかしそれは自らが受け入れたこと。今更どうこう言っていられない。 押し込めた思いに蓋をしてきつく紐で縛り上げておこう。
「あらやだ風間。
の心はまだ手に入れられてないようね」
「戯言を。俺は全てを手に入れる」
無言の私を気遣ってか、姫が助け船を出してくれた。 不知火殿もさり気なく話をはぐらかしてくれる。本当に息が合っている。 なんて羨ましいのだろうか。二人の持ちつ持たれつな関係に憧れる。 私と風間ではちぐはぐなまま、こんな状態で寄り添うことが出来るのだろうか。 計り知れない不安が心に重くのしかかる。
「そうだ風間。天霧の旦那はどうした?」
「今日は暇をやった。好きにさせている」
「たまには旦那も入れて飲み明かそうぜ」
鼻で笑っているが、これは肯定と見ていいのだろうか。 風間千景が見せる反応を読み取るのは難しい。私はただ男の表情を眺めていた。
男鬼は酒に滅法強い。風間も不知火も。 本来は想定していなかった風間の登場に用意していた酒が無くなってしまったようだ。 空になった銚子が並ぶ。姫がいち早くそれに気づいたようで人を呼ぶが反応がない。 ここは離れの座敷。本館が混み合っているのだろうか。 人を呼びに行こうと立ち上がる姫を制止し、
は自ら立ち上がった。
「少し離れるがお気遣いなく」
「なぜ我が妻を立たせる。貴様、配慮と言うものも知らぬか」
「まっ
がそう言ってんだから良いんじゃねぇの」
「下らん」
「婿殿」
名を呼び軽く目配せすればどうにか大人しくしていてくれるようだ。 男鬼の喧嘩ほど恐ろしく面倒なことはない。それがあの風間だとすれば尚更。 店の者に追加の酒を頼まなくてはと、先ずは人を探しに離れから続く渡り廊下を歩いた。
「それで、貴様らが我が妻を部屋から出させてまで俺に何を聞きたい」
部屋に残った二人の思惑は風間には届いていたようで、三人の会話が静かに始まった。
「人里を離れる準備は大方もう整っているんでしょ。後は各地の鬼が移るだけ。 北の鬼も含めて。…そして、貴方は
の意志が固まるのを待っているってハッキリさせたらいいじゃない」
「それを聞きたいだけか。下らん」
「まっ風間が自分からそんなこという訳ないだろーけどよ」
「不知火。貴様」
「心」
「?」
千の一声にようやく風間が視線を上げる。
「聞いて驚いたわ。でも…もしそれを彼女から得ることが出来たなら…。 私も応援しちゃおうかしら」
「下らん。何が言いたい」
「約束したから。私は
の幸せを願っている」
「フン」
それきり口を開かなくなった風間に対し千は柔らかい笑顔を向け、何が起こっているかもわからない不知火は二人の表情を探る様に見つめていた。
店の者を呼ぶために部屋を出た
は渡り廊下を抜けて暫く歩きようやく目当ての者に出会うことが出来た。 ここは今日も繁盛しているようだ。 離れの座敷に酒を持ってきてもらうように頼むと、中で宴を催しているのが誰なのか察してくれたらしい。 店の者は「すぐにお持ちします」と頭を下げて厨房へと下がっていく。 離れまでの帰り道、連なる座敷では銘々宴会が行われているようで賑やかな笑い声が漏れてくるが、それらと打って変わって廊下は人気が無く静かであった。 まさにこのまま誰とも出会わず、厨房まで足を運ぶことになりそうであったからか一安心。 踵を返すと元来た廊下を進んだ。途中、誰かが歩いてくる気配がしたので、人の気配のない空いた座敷に身を隠してやり過ごし、やっと渡り廊下まで戻ってこれた。 婿殿には「遅い」と罵られるであろうか。静かに入室の断わりを入れ、離れの襖に手を掛ける。 開いた先には変わらぬ配置。特別盛り上がってはいないようだが、私を捉えた千姫が「
ったら。遅いわよ」なんて意外な一言を漏らした。少し驚いた。 しかし、もちろん怒っているわけではない。むしろ…
「姫。どうされた。上機嫌な様で、一体何かあったのか」
「そう?別に何でもないわ。それより、今から匡が面白い話をしてくれるそうなの」
「って俺に振るなよ!」
騒がしくなった座敷に入ると、さっきよりも幾分か不機嫌な男の隣に腰を下ろした。
夜が深まり、角屋に並ぶ座敷の明りが一つまた一つと消える頃、離れの宴もようやく静かになろうとしていた。 上機嫌のまま酒を飲み進めた姫は最早お決まりともいうべきか、瞳を閉じたまま人形のように美しく動かない。 それを見て溜息を洩らしながらも温かい眼差しで見つめる男鬼。これらはいつか見たことがある。 しかしその時と確実に違うのは、私の隣に別の男鬼がいると言うことだ。 風間千景改め婿殿。彼は相当な速さで酒を飲んでいたが、酔っている様子は見られない。 顔を赤らめるわけでもない。紅いのは瞳だけだ。この男が酒に強いのは既知のこと。 彼は騒ぐわけでもなく最後まで静かだった。このままお開きになってもこの男は大人しく引くだろうか。 千姫と不知火はここで退席するとして、残された私達にまた一騒動起こることは想像に易い。 そして面倒くさい。 半ば冷や冷やとしていた
の予想に反して風間は口を開いた。
「たまにはこのような夜も悪くはない。我が妻と食事を共にするのもな」
「そうか。それは良かった」
男の言葉に
の緊張が僅かに解ける。
「以前のお前のもてなし。悪くは無いぞ」
「安心しろ。今後一切しない」
彼が言う“もてなし”と言うのは偽太夫の接待のこと。あの事件から色々と学んだ。 この男に下手な冗談は効かないということ。男の要求を拒んでいくのも何とも愉快。 拗ねた表情を見ながら
は最後の酒を飲む。ふと、男が立ち上がった。 何事かと
の視線が追うが男は立ち止まりもせずに出口に向かって行く。 不知火が名を呼ぶが振り向きはしない。が、襖の前でようやく立ち止まった。
「我が妻よ…北の里の中で先遣の鬼を幾人か選んでおくがいい。 有能かつ信頼できる鬼がいいだろう。もうすぐ一報を入れる」
「…!?」
そう言ってピシャリと部屋から出て行ってしまった。 最後の最後でもっとも重要な話をされた。慌てて男の名を呼びながら部屋を出て、渡り廊下を進むが男の姿は無い。 こんな時に限って、思っていたより酔いが回っているらしい。 足は重く、縺れ、真っ直ぐ歩いているつもりでもいつの間にか隅の柱に寄っている。
「婿殿」
叫んでいるつもり。だが声も張れずに出てこない。 息を乱しながら、身体を支えようと柱に手を添え立ち尽くしていると視界に長髪と褐色の肌が映った。
「お前も相当来てるな。部屋まで運んでやるよ」
「いい。それより姫を」
「大丈夫だ。千は朝まで起きやしねぇよ。確か上の階だったな」
「って、おい!不知火!」
それから米俵でも抱える様にひょっこりと不知火に抱え上げられ、軽々と部屋まで運ばれた。
何だかんだ言って、婿殿は待っているのです。
20151012*星宮はちこ 裏語