そして鬼はいなくなった
 【拾壱、勝手にしろ】


「頂きます」

は心の有耶無耶を無理矢理飲み込んで手を合わせた。 あの夜の宴以降、一人で取っていた彼女の夕餉を共にする鬼がいた。 婿殿改め風間千景である。と言っても毎晩というわけではなく来ない日もある。の食事が始まるか始まった頃にふらりと現れるので慌てて店の者に食事を用意してもらうのだ。最初は姫との決め事の通りに適当に座敷を借りていたのだが、日によっては満室の時も増えてきた。もっと早く来てくれれば何とかなろうに。そんな時は姫には内緒でこっそり自室に通して貰うことにした。今日だってそう。まだ目の前の男からの贈り物を整理できずに山積みにしたままの部屋。姫に漏れないよう店の者にも手を回している。何かあったら自己責任。助けてもらうことは期待できない。が、ここ数日の夕食は想像していたよりも随分穏やかなものだ。男が静かに酒を飲み食事を進める。 時おり酌をしながらもも食べ進める、特別踏み込んだ会話はないがそれで満足してもらえるなら願ったり叶ったりである。
そして、先の宴で最後に告げられた私たちの間柄を繋ぐ重要な爆弾発言から、状況は僅かであるが良い方向に進んでいた。 宴の翌日に急いで里に文を出した。先に何人かの鬼を派遣し移住の基礎を整えてもらう旨と、その候補者。 有能で信頼できる鬼。は里で最も信頼しているが、先遣隊は彼女ではない。 彼女はの代行者として里に残っていてもらう必要がある。の次に有能でかつ信頼している鬼達を挙げておいた。 そして里から帰ってきた返事は、候補者の了承を得たというもの。 里を出て見知らぬ土地で生活の基盤を築いてもらうのは一筋縄では行かないほど困難を極めるものだろう。 問題があってもは力を貸せない。候補地は最果ての土地。 無事にたどり着けると言う保証もない。次に返ってきた手紙にはいつでも里を発つ準備が出来ていることを伝えられた。 まったく仕事が速い。今はいつその時が来るのか、落ち着かない日々を送っていた。

「それで婿殿。こちらの里の準備は整った。先遣の鬼はすぐにでも出発できる」

頂きますの合図から料理に手を付けていなかったは、閉じていた瞳を力強く開き思い切って尋ねていた。 夕餉の時がこの話の進行状況を知ることが出来る唯一の機会なのだ。 思わず身を取り出す。

「先ずは食事だ」
「しかし…」
「良いから食え」

先走り過ぎたか。視線を下げれば脚付きの台に乗った夕餉の料理。 ふと頭上から煤の様な者が少量零れ落ちた。部屋の掃除は行き届いているはずなのに。 婿殿の手前掃除を疎かにしているとは思われたくない。 髪を整えるふりをしながら頭を払い着物を払う。 ここの料理は店の者が季節や旬の食材を考慮し献立が考えられているのだが、今日はまた初めて見るものが皿に乗っているではないか。 主菜は魚の焼き物だろう。その上に何やら黒く細長いものが乗っている。 彩も余り良くないし形も歪で見ただけでは何か判断できない。 付け合せには到底見えないがまあいいだろう。伝統的な食材かも知れないとは考えることを止めた。 米を一口、汁を一口。焼き魚に箸を伸ばす。それの繰り返し。時に煮物、時に漬物。 次に焼き物の上に乗っている例の黒いモノに箸を伸ばした。

「(やたらと大きいな。一口では難しいかも)」

箸で半分にしておけばよかったと思いながらも、は一口にそれを含んだ。


「ん゛っ!?」


思ったより硬く乾燥していたそれは口に入れ噛み砕いた途端に、えも言われぬほどの苦味とザラつきをもたらした。 一言、簡潔に言えば苦いのである。 必死に、並々あった茶と汁を飲み干すとようやく口の中にあったザラつきと苦味が弱まった。 吐き捨てそうであったのを我慢し飲み干せた自分を崇め讃えよう。 ただ少し喉に残っているのか不快さを感じる。

「苦っ!!何だこれは!私を殺す気か!!」

苦味が去った途端に素直に言葉にしていた。 この店の料理人がこんな不味い付け合せを添えるとは思えない。 思いたくない。全身の毛が逆立っているような気さえする。

「ようやく食ったか。…どうだ?」
「へっ?」

風間はいつの間にかの横まで身体を寄せ、彼女の両肩に手を添え自分の方を強引に向かせた。

「(婿殿…どうした?)」

間抜けな声を出してしまったことはこの際どうでもいい。 男は真剣な眼差しで真っ直ぐこちらを見つめているではないか。 展開について行けない。逸らすことも憚られそのまま互いに見つめ合っていると、不意に男が顔を近づけてきた。 鼻先が触れ合うほどに近づけば、これから口付けをされると理解した。
が、今は食事中だ。こんな展開誰が着いていけようか。は風間の視界に入らないであろう、胸元の帯に隠しておいた扇(鉄扇ではない)をそっと取り出すと、男の額に軽く、手加減して打ちこんだ。

─バチンッ  良い音。 避けも出来なかったのであろう攻撃は見事に当たった。 額に手を添え男が僅かに蹲る。言っておくが手加減はした。 音の割にそんなに痛くは無いと思う。


…貴様…」
「婿殿よ。今日はどうした。酔っているのか?或いは悪いモノでも食したか?」


だって普通、食事の最中にそんな色っぽい展開には発展しないだろう。 酒が進んでいるなら理解できなくもないが、はまだ一口も酒を飲んでいない。食事は始まったばかりだ。 この酒に強い男鬼が泥酔している様など拝める日はこないだろうし。 お盛りならば精々時と場所、加えて雰囲気ぐらい選んでほしいものだ。 子供にでも言い聞かせるように、男の肩に手を添え、揺さ振る勢いで尋ねていた。


「古の秘薬も効かぬか」
「いにしえの…何だ?何が効かんのだ。まさか、さっきの黒いの…婿殿が?」


今、この男は何て言った?いにしえの何とか。おおよそ普通の食材ではないだろう。

「これは行商の薬売りから手に入れた古の秘薬“ヤモリの黒焼き”だ」
「ブッ!!!」

思わず口に残っていたザラつく残骸を吐き出す。残念ながら殆ど胃の中。最悪だ。 今思えばあの細長い黒い見た目はヤモリそのものではないか。 気付けなかった自分が恥ずかしい。

「粉にして降りかけるだけで良いと聞いたが念の為食わせておいたのだ」
「待て。そもそも振りかけるだけで良いモノを何故食わせた。 食傷に見舞われたら如何してくれる。大体何の効能がある薬だ。 ヤモリの黒焼きなど聞いたことも無い」
「アレを降りかければ、どんな強情な女も心を寄せるという」

要はあれだ、惚れ薬。しかもインチキなやつ。
は頭を抱えたくなるのを抑え、胸に溜まった言葉を吐き出した。


「今後一切、怪しい薬などに頼るな。その類のモノは薬とは名ばかりでまじない程度だ。食傷になったら医者代は其方持ちだからな」
「俺が直々に介抱してやろう」
「要らん!」


さっき頭から零れ落ちてきた煤はどうやら例の黒焼きの粉だったようだ。 突然現れた粉の正体も合点がいく。 この傲慢極まりない男鬼が、偽の惚れ薬を騙されたか意気揚々と購入したかはわからないが、手に入れた事実すら滑稽だろう。 後で思い出して笑っておこう。そうあれこれ考えている私の反応が無いことを良いことに、男は並々注いだ酒を勧めてきた。 仕方なく一口。

。お前が何を思っているのか当ててやる」

いきなり何だとは顔を僅かに固めた。 まさか通りすがりの薬売りから意気揚々とイモリの黒焼きを買っている姿を想像していたと言い当ててくるのだろうか。 しかしそれはの慢心だった。




「先遣の鬼は次の望月の頃、周防の国にて風間一門の鬼と合流。以西へ発つ」
「それは…」


先遣の鬼が北の里を発ち、安住の地へと行く手配が整ったと言うこと。 つまりは最重要事項。私が何を思っているかなんてわかりきっているだろう。 それは勿論里に残してきた鬼の事。男はそれを言い当てるわけでもなく一つか二つ先を述べてくれた。は待ち望んだ事実に歓喜した。

「早速里へと文を送ろう!望月に周防の地となれば、準備は早い方が良い」
「待て」

立ち上がろうとしていたがそのままの体勢で、如何したと男を見ても、表情一つ変えないままでは何が言いたいのかは汲み取れない。 無言のまま。しかし何かを確実に訴えている男をジッと見つめる。彼も目を逸らさない。 暫くそのまま。すると、
「もう良い。勝手にしろ」と吐き捨てられた。しかも相当苛立っているように思える。 何か粗相でもしたか? には覚えが無い。固まったままの女に見向きもせずに、風間は立ち上がり部屋から出て行ってしまった。 何だいきなり。皆目見当がつかないとはこのことか。 考えても埒が明かないと、急ぎ里への文を認めることにした。準備にかかろう。 端に寄せていた文机を元の位置に戻すべく完全に立ち上がって部屋を見渡し、初めて状況を把握する。 部屋には婿殿からの贈り物が隅に積み上がり、幾分か狭くなった中央には蝶足膳がそのまま。 料理もそう進んではいない。そこでは自らの失態と風間への無礼を思い知った。


「(ああ。だから婿殿は)」

夕餉は終わっていなかった。心伴わくとも彼は未来の夫。 わざわざその男が訪ねて来て夕餉まで共に取っていたのに、私は持て成しどころか酌一つしていなかったではないか。 夫を立てる良き妻を演ずることもないまま。あの男は西国の筆頭の鬼。 妻になろうがならまいが、男も女も関係なく敬意を払われるべき存在だ。 悔やんでも時は返らない。次に会う時、その時に三行半を突き付けられようが(まだ婚姻すら契っていないけれど)、首を刎ねられようが、何より謝罪しなければ。 生きるか死ぬか、私の命は彼の心持次第。死にたくはないけれど、彼への無礼を考えればこの首一つで収まるなら致し方ない。 まだ、やるべきことはたくさんあるのに。
は心落ち着かないまま、残った酒を一気に煽った。


すれ違う思い。彼女はまだ「北里の頭領」なのだから。
20151101*星宮はちこ   裏語