そして鬼はいなくなった
 【拾参、いずれ鬼はいなくなります】


部屋には私とその上で眠る男そして正座をする天霧殿。 男二人に女一人では、荷物の多いこの部屋も随分と狭く感じられる。

「来て早々に申し訳ない。その…明りの準備を頼めるか。 この有り様で動けんのだ」

動けば間違いなく男が起きる。 傾きかけの陽はまだまだ明るいが、暮れが来れば部屋の中は直ぐに暗くなってしまうだろう。 鬼の眼は本を読むには困りはしない。 でも読みやすさを考慮すれば行燈の明りがある方が良いに決まっている。 隅にあった行燈は天霧殿によって寄せられ、油が沁みた芯に火が灯される。 和紙越しに揺らぐ炎が私たちの横顔を照らした。


「熱心に読まれていたのですね」
「東海道中膝栗毛…ご存じか。今は丁度弐ノ巻でな。 外の世界を知らぬ私でも、日ノ本を旅しているように思えてくるから不思議なものだ」

読みかけの書物を閉じ失礼ながら顔だけを天霧殿に向けた。 足元の男はまだまだ起きる気配はない。 視線を落とせば、かの絹糸の髪は行燈の光を浴び黄金に輝いている。 美しい。触れたいと思ったよりも先に手が伸びていた。 一掬い…するのは何故だが躊躇ってしまう。起こしたくはない。 宙で止まった手を静かに下ろす。


「風間千景。私の夫となる鬼は其方から見てどのような男か。一つお聞かせ願いたい」
「西の名門風間家当主に相応しく強い鬼の血を引く男です。 彼が本気になれば私でも敵いません」


鬼の血脈の良さに加え育ちの良さは存分に感じることが出来る。
その点では申し分ないのだ。むしろ勿体無いくらいに。
「其方と婿殿の関係性は?お目付け役だと聞いたが」
「天霧は代々風間に仕える家。 鬼の数少なくなる中、身を固めず自由気ままに過ごしてきた風間には私もほとほと手を焼いていました」
「ふぅん」

まあ、その姿想像するに易い。


「私は風間と貴女の婚姻が決まり一つ肩の荷が下りました。 しかし…貴女は可笑しな鬼です。あの時風間に心を許していないのはわかっていました。 今も同じ。なのにこの有り様。私の想像の範疇を超えています」
「何故こうなったのは私が聞きたい」


やっと言えた本音。だが風間を起こすことも憚れる。 矛盾しているのはわかっている。でもなぜ矛盾が生じるのかわからない。


「天霧殿。私は閉塞された鬼里で生きてきた。女社会だ。 その事実に逃げるわけではないが…今まで恋などという気持ちを持ったことは無かった。 そんな私がこの男に心をくれてやるには、如何すればよい?」
「縁は異なもの味なものとは良く申したもの。 時が解決してくれる場合もございましょう。 歩み寄りとは一日にしては成し得ません。先ずは互いを知るところから」
「…解っている」


互いを知り時が経てば、この心を差し出すことができるのだろうか。 何度も自分に言い聞かせるように「解っている」と繰り返した。 わかっているがわからないもの。それは解っているつもりでもわかっていないもの。 それ以上天霧殿は私と風間の関係について何も言わなかった。 問い詰められるよりは良い。しかし彼は何かを見据えたような、悟ったような、綺麗で澄んだ眼差しをしていた。 その瞳を見つめるのに苦しくなって、膝上の男に再度視線を落とす。 男鬼はまだ穏やかに眠っていた。 天霧殿に聞きたいことは山ほどあるのに、口を開けば全てを見透かされてしまいそうで億劫になる。

「一介の男鬼として、私から一つ申し上げてきましょう」
「?」

その言葉にはようやく顔を上げた。



「風間は貴女の事を想っております。一体彼に何があったのか」


彼が私に惚れている。そんなことあるはずがない。 彼が私の元へ訪れるのは私が逃げない様に監視しているだけだ。 そして私に行う事全て、意のままにならない女を弄ぶという彼の戯れ。 随分卑屈に陥った私は最後の結論に至った。


「私はいずれこの男との子を成す存在でしかない」

「全く。そうではありません。貴女が理解するにも時間は必要でしょう」
「皆の望み通り私は風間の子を産む。それも多くの鬼子を。 この胎が使い物にならなくなるまでは使命を全うするつもりだ。 その時が来たら私は…」

「女鬼は子を生すためだけの存在じゃない。 そう否定している貴女が何故それに囚われるのか。 貴女も風間も…ほんの些細なことに目を背けて気付かない。 だからすれ違い続ける」


昔から唱え続けてきた言葉。それに身を投じる最後の鬼は私だ。 里の女達が自由に生きれる唯一の道。



「貴女は全てを背負う必要はありません。勿論他の女鬼も。 我々がどう足掻こうとも…いずれ鬼はいなくなります」
「正直なところ…誰と結ばれようと構わんのだ。 勿論妹たちに丸投げする気もない。なのに私はどうして…」


こうも苦しみ贖おうとするのか。解っているのに。救えない。
穏やかな風が私たちの間を吹き抜ける。日が暮れたのか茜色の空がずいぶんと遠い。 私も天霧も、互いに何も話さない。無言の空間。決して気まずいのではない。 何故だろうむしろ心地良さを感じる。横から浴びる様な煌々とした行燈の明りが揺らぐと同時に足元の重みも動いた。


「…っ」


零れた声と息に体が反応した。 深く眠りこけていた足元の鬼が頭を動かし、閉じた目蓋がゆっくりと開かれる。 同時に現れた紅い瞳は宙に向けられたがそこには私の顔。 ばっちりと目が合った。 未だ微睡みの世界から戻って来ていないのだろうか。 彼に限ってそれはないだろう。しかし言葉がかけられることも無い。


「婿殿…お目覚めか」



見つめたままの瞳。彼の唇が私の名を紡いだ。 着物が重力に引かれ白を晒しながら伸びてきた手が頬に添えられる。 耳元まで伸びだ指先がくすぐったい。自身の手を重ねると男の体温の低さを感じる。 しかし確かに温もりは存在した。


「夢の中のお前は随分と素直で美しかった」
「何と夢にまで現れたか。しかしその様子だと…それは私ではないな。 狐でも化けていたのではないか」


私の声を聴いて、僅かに眉を寄せた風間はゆっくりと起き上がり視線を合わせた。 頬から下がり、顎のあたりに添えられた手。そのまま顔を寄せられる。 つまりは夢の通りに従順に口づけを受け入れさせようという魂胆なのだろう。 今までも随分従順に彼を受け入れてきた。そして今日もまた同じ…。
と、言いたいところだが、今日は状況が些か異なる。

「風間。戯れもそこそこに」

ほら。声がかかった。その声は私のものではなく勿論天霧殿である。 二人の戯れには鬼が一人多かった。しかも彼はお目付け役だから仕方がない。 当の婿殿は彼の姿を視界に捉えると盛大に舌打ちをした。 こっちが驚くほどの苛立ちの気配を感じる。邪魔されたからか。随分子供な。


「天霧。何故貴様がここにいる」
「仕事の件で風間に伝令を。しかし君に話し相手を頼まれまして」

「まあまあ婿殿。あまり怒るな。彼の話は実に面白かった」


そう言って彼を見つめれば、その頬に視線が注ぐ。伝えるべきか伝えないべきか。 何より…普段の彼からは想像できないような姿に思わず笑みが漏れた。 今日は普段の彼とはまた違う一面を見せてくれる。 彼の頬には私の膝で付いたのであろうか、跡が残っているのだ。 天霧殿もそれに気づいてはいるようだが何も言わない。 天霧が口を挟めば事態は一変、大嵐になることは彼自身が一番解っているはずだろう。 しかし自らが仕える鬼の姿に半ば呆れた様子で小さくため息をついた。


「如何した」


当の鬼だけは事態を掴めていない様子。 このままこの微妙な雰囲気を味わわせていると直ぐに不機嫌になるのだろう。はくるりと向き直し、鏡台の引きだしから手鏡を取り出すと男に差し出した。 自らの有り様と向き合った時の風間の表情改め拗ねっぷりは決して忘れられないだろう。 この場に不知火が居なくて実に良かった。 彼なら盛大にからかい倒し、大声で笑い転げていたであろうから。 風間ならば刀の一つや二つ振り回して屋敷を壊す勢いで暴れるに違いないのだ。 本当に。私と天霧殿だけで良かった。整った顔が台無しだと伝えたいのを表情に押し出しながら、は笑いを堪えるのに必死だった。 むしろ少しぐらい漏れてしまっているのだろう。ニヤニヤという表情が。

「安心しろ。今日の事は誰にも言わん。心に留めておこう」
「まあ、頭領としての仕事に追われていたのも事実ですから。 たまには休息も必要でしょう」

「…」

やっぱり拗ねただろう鬼は、手鏡を置くとそっぽを向いた。 子供だ。大きい子供。


「で、天霧。用件を手短に話せ」
「紀伊地方に住まう鬼は一族を連れて、里を発ったと報告を受けました」
「遂に時が来たか」

京以外の西国の範囲では、その東に属する国の鬼達から随時最果ての地へと旅立つと言う。 その言葉を聞いて心が揺らいだ。

「(紀伊の鬼はもう国を離れたのか…)」

比べて我が里は、先遣の鬼を送りだす手筈を整えたばかりだ。 一度に鬼が移動すると目立つ。 距離の遠さに道のりの困難さも国によってまちまちだ。 人数だって違う。時期をずらして行動を起こすことは悪いことではない。 しかし自らの背負う里が遅れを取っているのではないかと考えると気が気ではない。 里への手紙を早々に認めれねば。里鬼を西の地へ派遣し、移住への礎を築かねば。 焦る心が鼓動を早くする。


「そう焦るな。物事には順序と言うものがある。時期を見誤っても良いことはない」
「ああ。解っている」


唇を噛みながら心を落ち着かせるのに必死だった。 彼の言う通り、焦りは禁物だ。先ずは里へ手紙を出すこと。 そして無事に里から先遣の鬼が発ち、無事に合流できること。 それが移住への第一歩。何も問題が起きないことを願うばかりだ。 紀伊の鬼だって、話を聞く限り国を発ったばかり。 彼らが最果ての地へとたどり着いたという報告もまだである。 紀伊の鬼の進捗状況も出来れば耳に入れておきたい。

「…」

無言のまま。しかし思考は移ろぐ。一報の風間も私の横顔をずっと見つめたまま。 彼の視線に気づいてそちらを見やれば紅色。互いに何を話すわけでもない。


「フン。先程渡した書状を以ってさっさと里へと手紙を書くが良い。 俺は用事を済ませる」
「?」


風間はそのまま立ち上がると、後に続こうとする天霧を制止しそそくさと部屋を出て行ってしまった。 残された天霧は更に大きなため息を一つ。


「それもこれも時期が悪いのでしょう。の里の移住の話が進めば状況は変わる。 それまでは、この状況はどうしようもありません」
「いったいどういう意味だ」

「貴女も風間も困ったものです」


その言葉に首を傾げる。 もっと深く問おうとすれば彼も腰を上げた。が声をかけるよりも早く天霧は部屋を後にした。 誰もいなくなった部屋はやはり無音。 仕方がないとその場を諦め、は手紙を書く準備を始めた。



*****



「おぅ天霧の旦那!来てたのかよ」

気配を頼りにある部屋に辿り着けば、中に居た鬼達の視線が一斉に彼、天霧に向けられる。 声をかけた不知火に京の鬼姫であられる千姫。 妻となる菊月までが部屋の中央で何かを囲う様に円となって座っているではないか。


「で、話は進んだの。あっそうだ!風間はに手出してなかった?」 
「少々…内容が直接的過ぎますよ。姫様」


全く。菊月の言葉の通りだ。千姫は目を輝かせながら風間との進展について心を躍らせて止まない様子だ。 一方的な風間の要求に、始めは嫌悪感を見せていた千姫も、の鬼との話し合いでどうにか落ち着きを取り戻した。 そこまでは理解できなくもない。 途中から風間が可笑しな行動を見せていたのも知っていた。 それを機に千姫も変わったと言うべきだろうか。 二人を、強いて言うなら風間を、警戒を解いてはいないものの応援しているような節が見られるのだ。 まったくもって理解できない。風間も千姫も少しずつ変わった。 そしてその中心に居るのは。全ての可能性を秘めつつも些細なすれ違いを続ける。 傍から見ているとよく解る。が、本人たちは気付いていない。 その方向性がかみ合えば、風間もも理解し合える時が来るだろう。 今のところ、いつになるかはわからないが。


。彼女は不思議で可笑しな鬼です」

「あら今更よ。は自らの殻を破らなければならないの」
「殻って、アイツ鶏だったのかょ」
「それは表現だから!」

「落ち着いて下さい」


扇を開きかけていた千が音を立ててそれを閉じる。 盛大に頬を膨らしながらジト目で不知火を見つめる千。それを宥める菊月。 風間千景との関係を軸に得られるこの団欒も悪いモノではないのだろう。 願わくば、主人であり西の鬼の頭領である風間にとって良い方向に物事が運んでくれれば良いのだが。

「部屋を訪ねた時、風間は彼女の膝の上で眠っていました」
「はっ?」
「…」

各々が石のように固まった。 皆その様を想像しているようで、遠い眼差しをしているではないか。 風間が膝の上で安らかに眠る姿など想像するのは中々困難である。 かける言葉も見つからない。

「驚きました。暫くは、彼女も心を開いているように思えましたが、物事はそう上手くは進展しないようで。 風間が起きた途端に元通りです」
「つまり、はまだ“心”を許していないということね」
「と言うことになります」

視線を落とした千姫の表情は曇っていた。残念がっているともいうべきだろうか。 何故彼女が、一介の女鬼の恋路にそこまで熱心になるのだろうか。 天霧には中々理解できないでいた。 彼女は自分の、不知火との婚姻のことを優先して考えるべきなのだろう。 或いは京に住まう鬼達のこと。その鬼達も彼女に続いて京を離れ、人と縁を切る準備をしているのだから。 彼の視線に気付いた千が僅かに首を傾げた。



「なぜ八瀬の姫ともあろう御方がこうまで心を砕くのか。私には理解できません」



正座の姿勢を崩さない天霧に三人の視線が集まる。 ジッと見つめていた千姫が突然クスリと笑った。その様子に釣られ菊月も笑った。 ただ一人、キョトンと置いて行かれた様子の不知火は二人の女鬼の顔を交互に盗み見ている。 彼は未だ天霧と同じ理解できていない側なのだろう。


「女ってそんなモノよ。他人の恋路は知りたいし口を挟みたがる。 それには鬼も人も、いつの時代だってきっと関係ないわ。ね、菊月?」
「はい姫様。私も他人事と言えばそうですが、まるで自分の事のように思っております故」

「それにと私は友達だから。友達が幸せになるのを応援するって当たり前よ!」


そう言いながら笑う彼女は古の血を継ぐ姫君であり、そして他の誰とも変わらない女鬼であった。 その笑顔の眩しさに、不知火もつられて笑っていた。

「(。やはり貴女は不思議な鬼だ)」

この話の中心にいるという鬼。あの風間さえも変化を生み出してしまう存在。 二人の関係は未だ良くはない。否、其々が“変化”を恐れているのだ。 さっきは「時が解決する」と言い切り、それ以上は深く踏み込まなかった。 変わるのは自分次第。でも外からの力添えも時には必要なのかもしれない。

「旦那様」

妻となる鬼の一声。 視線を向ければ彼女の温かい笑みが迎えてくれる。

「二人の恋路を応援致しましょう。そして見届けましょう。鬼の未来を」

今これから我らと彼らが歩み、作り上げていくもの。 それは確かな鬼の未来に他ならない。 風間が背負うもの、彼の行動次第では鬼の未来が絶たれると言っても過言ではないのだ。



「仕方がありません。私も…随分お節介さが増したようです」



彼女に出会って自分も変わった。 に出会ってから。


頭領としての一面と、恋をしたいという女の一面。そしてその奥深くにある“とある”思いが今後の重要な鍵です。
20151229*星宮はちこ   裏語