そして鬼はいなくなった
 【拾肆、私を抱け】


手紙を書き上げて里に送った。風間からの書状と共に無事に届いたらしい。 次に手紙が京に届いた時には先遣の鬼達が里を発ったという一言が添えられていた。 我らが鬼として生きるための最初の一歩。 此処までくるのにどれほど時間がかかったのだろう。正直長かった。 しかし油断は禁物だ。先ずは彼らが周防の地へ辿り着かなければならない。 そして風間一門の鬼との合流を果たし、最果ての地へと赴く。 それまでは気が気ではない。彼らからの便りはまず私に送られることになっている。 そして私から里へと伝える。旅路は予め話し合って決めていた。 山陰側の方が安全かとも思えるが距離は長い。 山越えも多いからと山陽の方を通る。鬼の足で進めば人よりかは早く移動できる。 次に手紙が来る頃は何処からだろうか。待ち遠しい。
そこまで考えてからは障子戸の向こうに広がる空を見上げた。 この空の続く先に彼らが居るのだ。先遣の鬼達はもう北の里に帰ることはない。 辿り着いた先で後に続く鬼達が生活する基盤を築き上げてく為に。

「(京に留まって随分経ったな)」

時間感覚は疾うに失せていた。それでも朝は来るし陽は暮れる。 次の月の満ち欠けまで一巡りしてしまったのかあるいはしていないのか。 わからない。日常は相変わらず部屋に引きこもったまま。私は何も変わらない。 きっと風間の元へ嫁いでも変わらないのであろう。 読み物にすら手が伸びなくなって、ぼんやりと空を眺めた。



、貴女の胎はどの鬼よりも濃く強い鬼子を為せる。特別な才能よ”


まるで耳元で語りかけられるように母の声が聞こえたような気がした。 その言葉には覚えがある。呼び起こされるように幼い頃の記憶が脳内に広がる。 普段は優しく陽気な母の初めて見せた表情、有無を言わさない口調と真剣な眼差しに心が固まった。 それは過去を回想する今の私も…かつての私も全く同じだ。 どれほど時間が経っても忘れることも慣れることもない。 あの時の記憶が緩やかに再生されようとしている。 回想の中…そして次に母はこう言うのだ。


“強い鬼と結ばれなさい”


それは私が元服を迎える前だったと記憶する。 ある深夜、厠に行こうと自室を出た私の耳に届いたのは母と祖母の声。 何かを話しているようだった。盗み聞きするつもりはなかったのに離れようと思っても足は進まない。はそこに留まったまま障子に映らない様に壁に背を向け息を殺していた。


“いずれの存在はこの国の鬼の勢力を変えるでしょう”
  《東の鬼は優秀な血が多く残っていると聞く。元服を迎え次第、縁組を持たせねば》

“承知しております。皆あの子を欲しがるわ。動かし方次第では我らの地位も安泰”
  《あの子の価値を高めるには、そろそろアレの教育にも精を出さんとな》

“いずれ私が仕込みますわ”



「──っ!?」


全身に力が入りビクッと反応した勢いでは目が覚めた。体の感覚が戻ってきて初めて気付く。 いつの間にか夢を見ていたらしい。 まるで今、目の前で起こっているかのように現実味があり忘れたころにふと繰り返される、かつての記憶…嫌な夢。 ちなみにここ最近はしばらく見ていなかった。 母と祖母が交わした言葉の意味を幼い私はまだ理解できていなかった。 そして、その後の出来事が私の価値観を変えたのだ。 血脈が良くて多くの鬼子を生せる女鬼は珍しいらしい。 母と祖母にとって私は、政略的な駒、余所の家に売り出される品物でしかなかった。 希少価値を高められた品物は有効に使われるだけ。 心満ちぬまま望みもしない男鬼と婚姻して子を産むことこそ、彼女たちが求めた私の存在理由。 望み通り…多くの鬼を産まなければならない。の乾いた笑いが、誰も居ない部屋に響いた。



周防の地へとたどり着いたと言う手紙が届き歓喜したのはそれからすこし経ってからだ。 実際には手紙を出してから届くまでに時間差があるから、今ごろ先遣の鬼達はもう次の段階へと進んでいるのだろう。 風間一門の鬼と合流したことに加え、問題もなく旅立ちの準備に取り掛かっているという。 それが整い次第、西へと経つ。といっても周防の地で長居する予定はない。 案の定、手紙を受け取った翌々日には、周防の地を発ったという新たな知らせが届いた。 次に届く手紙はきっと最果ての地からの手紙だろう。 問題が起こらないことを願い、里への手紙を綴る。一族を連れての移動だ。 問題なく事を進める為に、里の鬼達へも移住の心得を説いておく。 書き上げた手紙を飛脚に渡し、部屋に戻ると千姫が居るではないか。

「これはこれは。千姫自ら部屋を訪ねて頂くとは。今日は如何されたか」
との秘密の話…でもないかしらね。 で、結局、風間とは良い感じに進んでるの?」

とっぴおしもない問い掛けに足がちょっと滑りそうになった。 どうにか体勢を整えて千姫の前に座る。何故いきなりそんなことを言い出したのだろうか。は瞬きを繰り返しながら目の前の少女を見つめた。

「その反応を見るとまだまだね。にしてもまだこれ(贈り物)届いているんでしょ。 そろそろ別の場所にでも移さないと。寝る場所もなくなっちゃうわ」
「あの男はまだ私の心を欲しているらしいな」
「…」

どれだけ物が届いても心には響かない。 過ごす場所が狭くなるのは迷惑な話だが、それすら気にならなくなっていた。 今日も朝からなにかしら物が届いている。

「如何すれば…の心を動かせるのかしら」
「心配は要らぬ。心など必要ない。何があろうと私は嫁ぐ」

千の口から出たのは想像もしていなかった言葉だ。 私の心をどうすれば動かせるか…と協力的になっているとみえる。 その言葉を受けて思ったままに私は自分の意思を伝えていた。嫁ぐ。それだけだ。 心なんてもう関係ない。今は亡き母も祖母も…この結果にあの世で満足しているのだろうか。


「心の繋がりは大切よ。誰よりそれを求めていた貴女がそれを見失っているなんて。 私は貴女の味方…が最も幸せになれるようにお手伝いするわ。何か質問ある?」


綺麗な眼差しが私を捉えていてた。彼女が投げかけたその問いは怖い。 裏があるようで無いような。何かを見透かしているような。全てを含みそれでいて何もない。 随分と疑心暗鬼になってしまったものだとは目を逸らす。千姫は私が何か尋ねるのを待っているらしい。

「心を通わすとは…どのような気持ちか?」
「そうね。愛おしくて温かくて触れたくてどうしようもない感じ」

私には“それ”がわからない。だから問うてみた。互いに想い合い慈しみ合う相手の居る千姫ならば知っているのだろう。 しかし返ってきた答えも、結局は意味が解らない。温かいとはどのような感覚だ。 それに触れたいならば触れればいいだけの話。「他には?」と聞かれまるで尋問のようだ。

「私はどうすればいい」

風間と生きていくためには諦めと覚悟が多すぎるのだ。 共に生きる覚悟が持てないなんて弱音など、口にはできない。


も風間も…歩み寄ることも必要なのよ。 後は流れに身を任せることね。は意地っ張りな割に、変なところ繊細なんだから。 意地を張らないであの男を受け入れてみて」


そうすれば何かが変わるかもしれないと姫は付け足した。 身を任せられる流れなどあるのだろうか。 そうして、今晩より所用で少し置屋を離れるという連絡を残し、千姫は部屋を去って行った。



「入るぞ」


鬼の気配が肌を伝わったのは千姫と会った翌日だ。今はいつ頃だろうか。 外を確認すれば太陽が傾き始めていた。彼に他ならない気配には力なくじっと襖を眺めた。そして珍しく声がかかった。 返事をしようにも腹に力が入らなくて声が出ない。 自分だけに聞こえるくらいで「ああ」とだけ。しかし風間側も私の応答を聞くことなしに襖を開く。

「変りはないか」
「何も」

何も変わらない。婿殿も見た感じは何ら変わっていない。 勿論私も部屋も、ここでの生活すらも変わらない。 風間は部屋に入ると部屋の中央に腰を下ろした。 彼より高い位置に座るのも気が引けたので、物見場から彼の前へと移動する。


「お前は美しい」
「はぁ…それはそれは。勿体無い言葉だな」

「今日こそはお前を連れ帰ろう」
「断る」


彼はやっぱり私の想像の斜め上を行く。 天霧殿もこの有り様を見ていれば「彼が私に惚れている」だの思い込んでも可笑しくはないのだろう。 実際は彼の戯れ。付き合ってやる元気もない。 そう考え込んでいると、風間が間合いを詰め私に手を伸ばし私の頬に触れた。 その胸中は計り知れないし知る術もない。 不意に肩を押され畳に倒された。背中と胸の衝撃に体が動かない。 髪が乱雑に散る。天井を捉えた視界の中に風間の顔が一杯に映り込んだ。 緊張と動揺で鼓動が速い。


「ならば心ごとその身を奪うまでだ」
「愚かな。何度も言っているだろう。私は…」


私は何がしたいのだろうか。 心に自分の呟きが響く。風間との婚姻を決めたのは自分の意思。 受け入れなければならないのだ。なのにいつに私たちの関係はいつまで経っても平行線。 いつまで続くかもわからない。私に課せられたのは、次の強い鬼を産むこと。 出来るだけ多くの鬼を。あの夢の続きは忘れることが出来ずに今でも脳裏に浮かぶ。 “あれ”があってから私は“完全な”女鬼になった。母が私を完全にした。 夫となる鬼にこの身を捧げずしてどうする。私という存在が望まれる理由こそこの肉体。 胎でしかない。 絵物語の様な恋を望み、慈しみ合える相手を焦れ、心を許した相手に身を差し出せるなど驕り高ぶりに過ぎなかったのだろうか…

「!?」

の意識を引き戻したのは風が通ったような涼しい感覚だった。 男を見ればその両手はの襟元を広げ白い肌を露わにさせている。 緩く留めていた帯はいつの間にか意味を成さずただ体の周りに纏わりついているだけ。 纏っていた着物が解け、重なりつつも崩れる様は繭を割り蛹になった蚕を晒した感覚だろうか。 正面から肌蹴ているのだ。


「もう茶番は良いだろう。観念しろ。俺を、我が風間の血を受け入れて、その胎に強い鬼を宿すがいい。 お前の心と体を今ここで手に入れ、早々に最果ての地へと連れ帰る。悪くはない」
「私は里の鬼を導かねばならない!その時が来ればこの体はくれてやる。 精々好きにするがいい。だがまだ…」


“意地を張らないで受け入れてみて”

こんな時に限って姫の声が木霊した。 私はどうすれば良いのかと聞いて姫はそう答えたのだ。時には流されてみろと。 彼女の言う「受け入れる」とは、この状況を肯定しろということなのだろうか。 それはつまりこの男に心よりも先に体を差し出すこと。 風間の手が柔らかく素肌をなぞれば背中が粟立つように反応する。

「(この男を受け入れればあの夜の続きが…始まる…)」

は、次の強い鬼を産む為に生まれてきた。 どんなに惹かれる男が現れても強い鬼じゃないなら意味がない。 どんなに心惹かれなくても強い鬼との子なら望まれる。 強い鬼を産む為に私は生きている。そう強く暗示した途端、心の奥底に秘めた最後の“意思”に薄く罅が入ったような気がした。 全てを力で奪ってくれるのなら、恐怖すらも供物に出来るだろうか。
は自分を組み敷く男を見据えた。曇りのない眼。 僅かに肩を震わせながら上擦る声で言い放つ。



「私を抱け」



心なんて要らない。体さえあればいい。それでも私は私。 子を生すには生きている肉体さえあれば問題ない。 震える自分を取り繕いながら、男の深紅の瞳を見つめる。 その余りの深さに呼吸すら忘れ溺れそうだ。

「良いからこのまま私を抱け。そうすればこの心も…何もかも差し出せるかも知れん」
「…」

一息飲んでから両手を男の頬に添える。小刻みに震える手が憎く、知らずと目尻が熱い。 床を背にして見上げた風間千景はやはり強く逞しく美しく立派な鬼であった。 あの日のように、まずは一晩、その時を我慢すればいい。 交われば強い鬼子を宿せるのだ。



「お前は…を…れている」



風間千景の声。消え入るような小さな呟きは、あまりにも小さく細すぎて内容まではの耳には届かなかった。 しかし見上げた風間の表情は苦しく悲しく、何とも言い難い。 今までに見たことのない男の面持ちは、突然心臓を掴まれたような衝撃を与えた。 時が止まったように部屋が無音に包まれる。

「興が削がれた」

ポツリと一言。 男の顔はいつもの風間千景に戻っていた。の目尻に溜まっていた熱い雫が皮膚を伝う。 自身を組み敷いていた風間はざっと起き上がると背を向ける。


「待て婿殿!優しさなんて要らない。私を抱け!」
「お前の代わりは幾らでもいる。その血が手に入らないなら無理強いはせん。 里に帰るのも妨げはしない」


いっそ一思いに、乱暴に、襲ってくれれば心を差し出せるかもしれない。 そう思った。そう決めた。そう諦めた。そう覚悟した。 なのに私を遮り、最も残酷な一言を残し、一瞬のうちに男の気配は消えたのだった。


展開はかなり強引。心の奥底をこじ開けられた主人公。これよりシリアス展開注意です。
20160228*星宮はちこ   裏語