そして鬼はいなくなった
【弐拾肆話、共に永久に】


考え事をしていたのか、禊として身体中の穢れを落とす為だっだのか定かではないが、いつもより長風呂だったのは確かだ。おかげで頭の先から足の先まで綺麗さっぱり、ついでにホカホカと温まっている。風呂から上がってから乾いた湯帷子を纏い全身の水を吸わせる。頭を洗ったから…乾かすのが大変だろうなと、どこか他人事。手拭いで髪を拭い終わると浴衣を纏う。千景は…あれから行水などしていないのではないか。ならば秋雨に打たれた体は冷えきっているだろう。早く代わりに温まって貰わねば。風呂場を抜け出すと鬼の気配を頼りに、男の居場所に急いだ。
「入れ」階段を静かに駆け上がると、部屋に伺いをかける前に声がした。勿論千景の声だ。部屋の中には気配が少ないようだ。「失礼します」声をかけてからゆっくりと襖を引いた。部屋には千姫と千景だけが座っている。二人とも優しい眼差しで迎えてくれた。

「無事で良かったわ。私が帰って来る日にこんな事になるなんて…ね」
「夫が妻の身を守るのは当然のこと」
「はいはい」

促されるまま空いた座布団の上に座り、先ずは角屋に戻って来た千姫に挨拶として深々と頭を下げた。次いでこの夜の騒動で迷惑をかけた事の詫びも告げる。「もう…いいんだから」頭を上げるように言われて私は体勢を戻す。


「千景…先に風呂を頂いて感謝申し上げる。秋雨に打たれたままでは体が冷えるから、早く其方も体を温めなければ」
「そうか。頬に色が戻っているな」
「あっ」


男の指の背が私の頬に触れた。その冷たさに思わず声が上がる。自らの手を重ねて、温もりを移すように握った。「手が冷たい」きっと千景は体も冷えきっているのだろう。冷えは万病の元だ…そう言えば男は重い腰を上げる。「すぐに戻って来る。髪を早く乾かせ」そう言い残して風間千景は部屋を離れた。我々のやり取りを見てだろうか、千姫が丸い目を見開きパチパチと瞬きを繰り返している。驚いていると言った方がいいのかもしれない。「一体どう言う巡り合わせかしら」呆れる姫に向かい、私は畳に頭を付けて謝罪した。



「千姫。此度の私を巡る騒動…里に限らず姫にまで気を揉ませた事お詫び致す。今宵あの男が死に瀕している時…私は知った。其方の言う温かく愛おしい気持ちを!そして、風間千景を失うのを恐れ禁忌に手を出してしまった。ただ共に…生きたいと思ってしまったが故に私は!私は!」



鼻先に畳が擦れる感覚がする。禁忌を犯した事が罪ならば、どんな処罰だって受けるつもりでいた。「顔を上げて」静かな声が聞こえて恐る恐る姿勢を起こす。千姫の表情からは感情を読み取れない。彼女は落ち着いた様子でこう尋ねて来た。



は風間の事、好き?この先あらゆる苦難に遭遇しても、あの男と乗り越えられる?」
「私は千景と生きたい。千景となら添い遂げよう。共に永遠に!」
「うふふ…があんな顔を見せるなんて!風間に心を許した証ね。言ったじゃない、私は貴女の味方だって。禁忌の事も相手は風間だから気にしなくていいわ。そりゃあ、傲慢無礼で自尊心が高いけれど…信頼に足る男よ」
「それは知っている」
「そうよね。うん」
「ああ」



千姫はそのまま私の前まで体を寄せると思いっきり…私を抱きしめた。「姫!?」と、私が慌てふためいていると「いいでしょ…全部、うまくいったんだから」そう丸め込まれ、畏れ多いながら彼女の背に手を回した。湯を汲んだ千景はそのすぐ後に戻って来た。血塗れの着物に疲れた表情…から打って変わり凛とした雰囲気を纏っている。千景とも千姫とも話したい事はたくさんあったけれど、今日はもう寝ろ…と言われてしまった。あんな事があってゆっくり寝れるだろうか。不満は表情に出ていたらしい。「案ずるな。寝れぬなら側にいてやる」この男に迷惑をかけるわけにはいかないか。言葉に甘えて、私と千姫は千景のいる部屋を離れた。







夜具に潜るとあっという間に意識を手放したらしい。重い目蓋を上げると外から明かりが差し込めているのが見える。重いのは目蓋だけではない。頭いや体もか。だが全く体が動かないわけではない。はゆっくりと時間をかけて体を起こした。千景から贈られた品物が所狭しと並んだ部屋。この身一つ飾り立てるには…手に余る品々。私は箱の一つを手に取った。
仕度を整えて部屋を出る。やがて辿り着いた目的地はそう遠くはない。声をかけて入った部屋には私以外のほぼ全員が揃っていた。千姫に風間千景、天霧九寿、不知火匡、菊月。張り詰めた、と言うほどではないが静まり返った雰囲気が漂っている。私が部屋に入ると皆が顔を上げた。


「体は休まった?」
「かたじけない。もう大丈夫だ」
「お声が戻られて何よりです。姫様の憂いもこれで一つなくなるでしょう」
、こちらへ」


千景に促されるまま私は彼の隣の空いた座布団に腰を下ろした。昨夜はどこまで話が進んだのか…さっぱり覚えていない。「天霧、状況を話せ」静かな部屋に声が響いた。天霧曰く、遠野の首は本物だと確認が取れたらしい。我々が戻ってからすぐさま廃寺に向かい首の検分を行なった。そして鬼の死体を転がしておくわけにもいかないので、そのまま首は持ち帰り、その他の処理は風間配下の鬼に任せたと言う。そして遠野本家に風間千景の名で書簡を送った。


「遠野がどう出るか」
「首級が出せねえからってイザコザなんざ起こすなよ!頼むから」
「この時期の争いは風間側としても、遠野側としても避けるべきでしょう」
「出せぬと言うなら出させるまでだ。風間いや、この俺への侮辱は許さん」


自体は思ったより深刻だったようだ。やってきた刺客は全て始末したものの相手の出方がわからない以上、更なる襲撃の可能性だってある。風間は自身の配下そして千姫が率いる京の鬼にも、事態が終息するまでしばらくは警戒を続けるように告げた。もちろん私にも。それを受けて皆が頷く。



「これが片付いたら…いよいよ時が来る。、お前と話をつけておかねばならぬ。西国の鬼と北の鬼の長同士として」



私は千景と共に生きよう。そう決意した。そしてそれ以前に私は北の鬼里の長。未だ里には私の帰りを待つ鬼達がいる。冬が来るまでに里を離れて身を隠すつもりであったけれど…諸々の予定が崩れ(いや殆ど私が原因なのだが)、里の鬼はこのまま冬を越すことになってしまった。これから我が里の鬼たちがどう動くべきかの話を詰めなければここ(京)を離れるわけにはいかない。ついに、私はここまで来た。自業自得ながら…長かった。

「この俺の時間も限られている。お前の心持ちが決まったならば…早い方がいいだろう」
「ならば明日にでも。何があろうと私の気持ちは変わらぬ。姫の都合は如何か」
「構わないわ」

千景との会合は翌日に執り行われることが決まった。
昨日の今日。角屋の反風間勢力への警戒は相当のものであった。天霧殿は外に出ているらしく気配は感じられなかったものの、不知火殿は腹に異国の銃を抱えて襲撃に備えている様子。反風間の意思を持っているのは遠野の家だけではないだろうから。残りの鬼がどう動くかはわからない。も角屋からの外出は控えるように言われている。物見場から外を眺めながら…肌を掠める風の冷たさを感じた。


「失礼いたします」
「入りなさい」


襖の向こうの気配から来訪者が雛であることはわかっていた。入室を促す声を聞いてゆっくりと襖が開く。床に手を付き頭を下げた少女。顔を上げた彼女は「様」と丸く可愛い目をこちらへと向けて離さない。

「雛…心配をかけてすまなかった」
様!様のお声が戻ったと聞きました!!」
「ああ」

起き上がった彼女は一目散に私の元へと駆けてくる。不躾と言えばそうかも知れないが、今はどうだっていい。一回り頼もしくなった鬼娘を抱きとめると少女は抑えていた思いを吐き出した。
昨日私が迎えに行ってから中々戻らないのをとても心配したこと。突然、角屋中の人の動きが慌ただしくなり状況もわからないまま部屋で大人しくしているように言われたこと。千姫が戻ってきて簡潔にではあるが状況を聞いたこと。そのまま部屋から出ることを許されないまま一晩を過ごしたこと。


「心配しました…。お声が出ないまま御身にもしも事があるのではと」
「悪かった。私はこの通り無事だ」
「はい。お声が戻ったと今朝聞いて…居ても立っても居られず」
「雛」


返答を待たずに抱きしめた。



「私は長として里の鬼たちを導く。ここまで来るのに随分と遠回りをしてしまったな。だがもう歩むべき道を見据えた。帰ろう…我が里へ」
「へっ…?」
「時は来た。皆首を長くして待っているはずだ」
「それは、その」
「最後の冬を乗り切る。春と共に…最果ての地へ」
「ご決心がついたのですか」



彼女の肩口に顔を埋めながら、いつぞやの出来事、雛が初めて京に赴いた日の事が浮かんだ。あの時雛は私にこう言ったのだ。“様は、風間と言う鬼の事を心から想っておいでですか?”十も幼い彼女から投げかけられた言葉。聞いた時こそどうして彼女がと疑問にさえ感じたけれど、今となっては堂々と答える事ができる。


「私は皆を導き…そしてあの男と共に生きよう。惚れた弱みか…には内密にな」


それが私の答えだ。「それが貴女様のお望みなら…雛も皆も納得致します」雛も笑顔で応じた。長としての会合は明日。近いうちに里に戻ることになるだろう。



*****



翌日。角屋の一室で私は風間を迎えた。
この会合では里長同士の関係。声がかかり頭を上げれば千景は落ち着いた表情で私を見ていた。この会合では千姫が立会人であり、天霧も同席している。不知火は朝から顔すら見せていないが…気配は部屋の外から存分に感じられる。皆、世話焼きな鬼たちだ。


「北の鬼の件、我らは全て受け入れることに変わりはない」
「この冬を耐え忍び、春と共に…其方の元へ導こう」
「最果ての地は遥か西。外との接点としていくつかの地に鬼を残してある。この書状を以って道を辿るが良い」


差し出された書状には風間家の印が押されている。中には手を貸してくれる鬼達の名が記されているとのこと。絶対に失くすなとも言われた。「命に代えても守る」言いながら受け取った。念の為、名を記した鬼には私の事は伝えておく…とのこと。


「一足早いが…俺は京を発たねばならぬ。西国の鬼の多くは既に自らの里を離れ、最果ての地にいる。この俺もまたその鬼たちを導く存在。離れるのは惜しいが…理解してくれ」
「ああ。互いに背負うものは同じだからな」
「この身がいつどこに在ろうと、お前の心は俺のモノ。俺の心もお前に差し出そう。共に永久に」
「不束者ながら、よろしくお願い申し上げる」


長く平行線だった想いや願いがやっと交わった。千姫はニコニコと笑顔のまま私達を見ていた。「やはりその髪には黒が似合うな」男が私の髪を留めている櫛を見た。緩く纏め上げただけの髪には男から貰ったうちの一つが飾られている。以前、自分の髪留めをに贈ってから手持ちが無くなったので、使っているのだ。


「数の多さは頷けないが…これは気に入っている」
「離れている間は俺と思って身につけろ」
「おうおう…熱ちーなァ。外は冬も始まりかけてんのにここは夏かァ」
「不知火。貴様、場を読め」
「そうよ!匡ったら今ちょっと良いとこだったのに!」


外からドカドカと入ってきた不知火に風間は顔を歪めて睨み上げ、千姫は笑顔で扇子を飛ばしていた。勿論彼女の扇子は不知火の頭に命中している。追うようにして菊月が人数分の茶を持って現れた。そのまま菊月と不知火も合流し…長同士の会合から、鬼の会合に移る。
穏やかな雰囲気から一変して皆静かに風間の言葉を待った。風間千景襲撃の件で彼の要求通りに、遠野家は赦免を請うて首級を差し出したと言う。厳罰であるが残りの反風間勢力への牽制の意も果たすことになる。千景は、念の為警戒は怠らないようにと言った。


この話には二回「共に永久に」が出ています。が、あえて字を変えてみました。次回、結びの最終話。
20171230*星宮はちこ   裏語