レプリカ虚像乙女
【第一章六話閑話、臆病者】
「殺せ、次は必ず」
邸の応接室で革張りのソファーに身を預ける男は、笑いながら自らの口髭をなぞる。
男の目的は、ある女を殺す事。自らの義理の娘である
という存在を消す事である。
家が所有する秘宝、賢者の石は手に入れた。後は生き残りである義理の娘がいなくなれば全て上手くいく。目の前に座る仲介屋に必要な資料は全て渡した。写真、個人情報、歯形のレントゲン写真にDNAの情報まで。最後に帯付きの札束を追加する。
「次の殺し屋は確かなんだろうな」
「Yes」
「あの女を消すのに、何が大切かわかるか?」
自然であることだと男は言った。誰かの手が加えられたことを悟られず、自然な事故死に見せかけること。暴漢による事件で死ぬことも有り得るのかもしれないが、それではあまりに不自然だ。警察による徹底的な検分は必須。いついかなるミスで我々に捜査の手が伸びるかもしれない。そんな危険は避けたい。我々は雲の上で全てを見ているだけの、そう、神のような存在なのだから。
「殺し屋というのは、まるで使えない奴ばかりだ」
男は、以前受けた報告の数々を思い出す。
最初の殺し屋は、偶然の事故に見せかけて、駅で女を後ろから突き落とすという計画だった。通勤経路に電車が入っていない女を朝や夕方の混雑に誘うのは容易ではない。無理やり根を回し、一日だけ電車に乗せる方向に持っていった。混雑したホームにはスーツ姿のサラリーマンにOLが働きアリのように動き回っている。その群衆に標的が紛れ込む。X両目Y番扉の待機列。女は一番前で電車を待っていた。後ろには、その時を今か今かと待つ殺し屋。
“Z番線に間も無く電車が到着致します。ホームの黄色い線の内側に…”
もうすぐ電車が駅にやってくる。動悸がするような気さえ覚える。目の前の女が、一瞬で礫死体になるのだから。ドクンドクン。心音が聞こえる。胸が痛い。女がふと後ろを振り返る。
「大丈夫ですか!?顔色があまりよろしくないですよ?胸、痛いですか?」
女が男の表情を見た途端に声をかけた。応じる声は出なかった。緊張なのかわからない。でも、確かに胸が痛い。立っていられなくなって、その場にへたり込む。女が手を挙げた。
「手を貸してください!医務室までこの人を運ぶの手伝って!お兄さんは救急車呼んで!」
あっという間に駅員室に運ばれ、やってきた救急車に運ばれた。女が持病の有無やら服薬の有無を聞いてくるので苦しいながら答える。大病院に運びこまれた後で、医者には循環器の疾患が疑われ入院を勧められた。以降、殺し屋業は引退した。
二人目の殺し屋は、毒殺…市販されていないような毒物を使うと殺意が明るみに出るので、有毒キノコと有毒山菜の類を自然な流れで食べさせるという計画である。女と職場の同僚数名がやってきた山奥の料理屋。使用する食材を有毒なものにすり替えるだけ。確実に仕留めるために、殺し屋は別の客として紛れ込み、対象が食材を口にするのを確認するまでが仕事だ。絶景が有名な観光地にある、一際古びた料理屋の自慢の山菜料理は、死へ誘う最後の晩餐と化す。標的がいるグループはキャイキャイとはしゃぎながら山菜御膳が運ばれるのを待っている。古びた料理屋は、他所と違って繁盛している様子もなく、例のグループと殺し屋以外に客はいない。
「どうぞ」と、先に天ぷら蕎麦が運ばれてくる。手をつけないのは不自然だ。手を合わせるとズルズルと蕎麦をすすった。繁盛してないながら蕎麦の味は悪くない。汁はまあまあだ。苦味のある天ぷらがアクセント。小腹が減っていたからか、あっという間に食べ切ってしまった。すると、
「うっ…」
腹が痛い。舌が痺れている。何故だァァァ!!意識、いや視界がぐるぐると回っている。手が震えだしているのは気のせいではない。これは中毒症状!?だが、確実に奴らが口にするように“山菜御膳”にだけ入っている高級山菜に紛らわしい有毒食材を用意したのに。こっちは小さな天ぷら一つしか食ってないぞォォ???
「お客さん?大丈夫?お客さん!?」
「何を…食わせ…た…はぁ…」
「裏山に生えてた美味い山菜さねぇ。あれ、毒入りと間違えやすいってじーさんが行ったけど、まさかねぇ」
「う…」
普通に毒草と間違えてるババアァァア!!!ヤバイ…意識も朦朧としてくる。救急車呼んで、そう声を出したくても体が震えて声が出ない。異変に気づいたのは標的がいるグループだった。一番年上のおばさんのメガネが光る。
「アンタら至急救急車をお呼び!あの葉っぱ猛毒のヤバソウだよ。アタシゃ“山の女”だからわかるんだよ。ついでにアルカロイド系の毒だ解毒剤持ってこいって伝えな」
「「「婦長ォォォ!!!」」」
おばさん改め大江戸病院看護婦長の的確な指示により麓から救急車が呼ばれた。毒に対する適切な解毒剤が処され、殺し屋は一命を取り留めた。山奥の某飲食店は保健所から営業停止のお触れが出されたらしい。
三人目は、空間コーディネーターを名乗る殺し屋で、町中のありとあらゆる物を使って事故死を偽装するという。標的は今日は友人と買い物に出かけることがわかっている。今は駅前で待ち合わせ中だ。そんな日常に事故死の危険はいつだって迫っている。
そう、例えば車が突っ込んでくるとか。迫るは高級セダン。あの女は整備不良車の暴走に巻き込まれて死ぬ。ーバリィィィィン フロントガラスに蜘蛛の巣が走る。運転手は慌ててハンドルを切り、セダンは商業施設のショーウィンドウに突っ込んだ。
「お待たせ!」
「レディ。遅くなり申し訳ございません」
ショーウィンドウ周辺は黒山の人だかり。どこからか救急車の音が近づいてくる。猛スピードで走るセダンのフロントガラスを踏み台にした二人が、待ち合わせ相手と合流した。騒動が気になる様子の女だったが、「あー暴れ馬じゃない?」の一言で流される。最近暑くなってきたから、らしい。標的と合流したのは、黒いワンピースの女とスーツ姿の男でどちらも同年代。
ならば次、特殊な訓練を終えた大型犬で標的を襲わせるのだ。人間の腰ほどある背丈の犬の手綱が外された。「行け」と指差す先には標的。操られた獣が一直線に狩りに向かう。唸る獣の声が迫ってきた。
「キャァ!ワンちゃん、大好きなの!」
「
?どうしたの?あ、犬だ」
迫る獣の間に割って入ったのは女。両手を広げて笑顔を見せている。「本当にワンちゃん…好きなの」ニコニコと笑顔を見せていた女が目を見開く。弱者を射抜くホンモノの眼差し。氷の微笑。闘争本能を丸出しにしていた野生の犬が、弱肉強食の理を思い出させられて止まった。立っていた耳は途端に下がりブルブルと怯え出す。「狩りの時間ね。犬皮のコート…夢だったの」女が走り出すと、キャンキャンと高い声で鳴きながら犬が逃げていく。早々に追うのを止めた女が二人に合流する。「嫌われちゃった」
ならば次だ。建設中のビルを取り囲む足場、吊り下げられた木材。クレーンを操作して女に落とすのだ。標的は合流した二人と何も知らずにビルの下を歩いている。食らえ、生身の人間など小蝿の如く叩き潰してくれよう。木材を固定する金具が外され、ゆっくりと、木材が落下する。長い角材が女に命中…せずに空中で爆散した。木っ端微塵になった屑が周囲に降り注ぐ。例の女がどこからか持っていたロケットランチャーの類で角材を打ち落としたのだ。何かのパレードの如く降り注ぐ木屑に周囲は何事かと空を仰ぐも、上から間違えて木屑落としたんだろーぐらいに見られて人々の関心は削がれていく。
あの女…一体何者なのだ。只者ではない。よもや暗殺対象の女などどうでも良い。あの黒髪の女に関わってはいけない。本能がそう告げている。今あの三人組は喫茶店に入って休憩しているようだ。今ならまだ逃げられる。今回の依頼、報酬の大金は惜しいが命の方が大切だ。逃げよう。そう決意した時、後ろから声がした。
「失礼」
あの三人組の中の男が真後ろに立っていた。喫茶店には女二人しか残っていない。感情が表立っていない表情は、人間なのかも怪しい。殺人機械兵器なのか。あるいは同業者。
「先ほどから色々と工作されているご様子で。依頼者は誰だ」
脱兎の如く、隙を見て逃げ出す。男が後ろから追ってくる様子はない。ハァハァと息を荒げながら、暗殺行為を観察できるように陣取っていた解体途中の廃ビルの階段を駆け下りる。逃げなければ殺される。一刻も早くここから離れなければ。階段に無造作に置かれたシートに足を取られて、男はバランスを崩した。手首に強い力を感じて視界が反転する。
あの男が手首を掴み、階段の踊り場から一点で支えられていた。何故?どうして?錯乱する頭では思考が働かない。
「まあ依頼人はわかっております。さて、良かったですね」
来たのが私で、男はそう言った。男の同僚が来ていたら、耳も爪も指も、手も目も残虐の限り無くなっていただろうと言う。でもそれでは不自然だ。仕事はスマートに。そう言って男は静かに手を離した。階段の踊り場が遠ざかる。男が最後に見せたのは笑顔だった。
「名のある殺し屋に依頼して、暗殺は全て失敗に終わっている。三人目は逃亡し居場所すら分からない。全くお粗末だ。次は…江戸一の殺し屋か」
用意周到。その分時間はかかるが確実に仕留めると言う。もう事故死なんて悠長なことを言ってられない。銃殺でも何でもいい。あの女さえ死ねば。期待していると男は笑った。
*****
『亀』と呼ばれる、江戸一の殺し屋は、桜並木の小川沿いから徒歩三分のマンションに身を寄せていた。依頼が来た、それも中々の大金の報酬である。標的は若い女だ。裏社会に身を置く人間の暗殺なら経験があるが、資料を読み進めてみても、一般人以外の何者でもない。裏社会に身を置くホストにハマったとか、借金等のトラブルを抱えているとか、そう言う類の者でもなさそうだった。
依頼は遂行する。
金を積まれれば誰だって殺す。何故なら老後が心配だから。その代わり時間はかけさせてもらうのが俺のやり方だ。
標的は大江戸病院に勤務している。終業後、徒歩で自宅アパートまで数十分かけて帰るのがお決まりだ。時々、道すがら『大江戸スーパー』で晩ご飯の食材を買うこともあるらしい。どっちにしろ、この桜並木の河川敷を通るのだ。相手を観察していてわかったことがたくさんある。ゆっくりと歩きながら空を見上げるのがお決まりらしい。口元が動いている時は何かの曲を口ずさんでいるらしい。だが、もうすぐその日々も終わる。女は大江戸病院を退勤するという。その最終日、今日こそ暗殺の決行日だからだ。愛用のライフル銃の位置を調整する。あの桜並木は街灯がない。暗視スコープで標的の位置を把握し、一発の銃弾で決めるのだ。
空が暮れて深い藍色に包まれる。周囲のアパートや住宅の窓からは明かりが溢れている。どこからか晩ご飯の匂いが漂ってきた。カレーだ。だが桜並木にはいつも通り、他の人影が見当たらない。亀は暗視スコープを覗いて、標的がそこを通る瞬間を待ちわびていた。
「…」
来た。鞄を肩にかけながら、今日は足早に桜並木を通り過ぎようとしている。住宅の木に阻まれて一瞬だけ視界から消える。そして上半身がまた姿を現した。ライフルの引き金に指をかける。これを引けば仕事は終了だ。
安物の暗視スコープの視界を遮るような強い光が、標的を照らす。何だ。白抜きのように陰影を失った姿に動揺し、強く引き金を引いた。
ーバァァン
撃った。殺した。急いで状況を把握するために暗視スコープを覗く。止まった原チャリにヘルメット姿の男の後ろ姿。標的の女はいない。目の前で女が撃たれて、後から来た男が止まったのか。あるいは俺以外に殺し屋が雇われていたのか。
と、狭い視界には起き上がったのだろう標的が姿を見せた。外した…だと?ヘルメット姿の男が女に謝っているらしい。轢き殺そうとした別の暗殺者か。
暗殺を失敗してしまえば後はない。俺は臆病者。報復を恐れているから二度と同じ案件には手を出さない。報酬も失うが致し方ない。
亀は静かに甲羅に身を隠す。また新たな獲物に食らいつくその時まで。
*****
江戸一の殺し屋『亀』が依頼を降りた一件は、すぐに
怜一郎の耳に届けられた。握った書類が潰れる。顔を歪めて白い歯が覗く。
「江戸一番に頼ったが駄目だっただと?あの女…忌々しいほどの悪運め」
いっそ、このバイクの男が轢き殺せば良かったんだ。そうすれば報酬をくれてやったのに。男は悪態をつく。仲介人はご機嫌を伺いつつ頭を下げた。今代わりの殺し屋を探しているとも告げる。
「代わりだァ?江戸一の次は宇宙一か!?」
「いえ。『亀』が江戸一になる前にいた最強の暗殺者です。『魔女』と呼ばれた女。奴が消えた代わりに『亀』が江戸一になったとも言われている」
「どこにいる?」
「消息は不明。だが必ず探し出してコンタクトを…」
「もういい。誰にも頼らん。自分でやってしまった方が早い」
そうだ。あの男も女も自らの手で下してきたではないか。天人との婚約は取り付けた。そのまま商品として売り物になってくれればそれはそれでいい。だが、念には念を。歳を取るとどうも安心しきれない。何重にも保険を掛けなければ。確実に殺さなければ意味がない。あの女には莫大な保険金をかけた。受取人はもちろん自分。金も賢者の石も…最後に全てを手にするのは自分。そう
怜一郎である。
ようやく伏線回収完了。
20200816*星宮はちこ 裏語