レプリカ虚像乙女
 【第十章、動乱 百話、再演〜目覚めたのは空白のセカイ アナザーサイド〜】


<来島また子の見た世界>

某日深夜、江戸湾沿い某埠頭にて。
来島また子以下十数名の鬼兵隊隊士は、ある計画を遂行するために最終確認を行なっていた。各人の手には周辺地図が握られている。そして彼らの側には、眠るの姿。隊士達は各々が緊張に包まれている。だが穏やかに眠る女には緊張の面影など感じられない。

 真選組への間者計画の始まりは、が組織を裏切り奴らと接触する事である。

 脚本とも呼べる作戦の筋書きには、ここでは鬼兵隊から離れる旨が書かれていた。具体的な内容として、彼女は奇兵隊を裏切って組織から逃げたものの刺客(つまり来島たち)に追われていると言うものである。注意点は及び鬼兵隊隊士の安全第一であるということ。真選組に限らず、一般人にも攘夷組織の存在を悟られてはいけない。まるで一世一代の“劇”さながらである。


「この道はどうなんスか」
「視察したところ、舗装されてないのでさんがうっかり転ぶ可能性があります」
「こっちは?」
「街灯がなく前が見えない上、道が狭いので危険です」
「よっし。さんを追うルートはココとココでこう。間違うと危険だから、全員ちゃんと頭に叩き込むッスよ」
「「「了解!」」」


 今日は月明かりが綺麗な夜のはずなのに、雲が多く周囲は薄っすらと闇に包まれている。街灯も限られた寂れた埠頭では前どころか足元の状況を確認するのも怪しい。時折雲の隙間から、穏やかな明かりが視界を照らすも、それは一瞬で、また薄闇に戻っていく。それの繰り返しだ。今のは足が開かぬような着物を着ているわけではない……とは言え、躓いてしまっては思わぬ怪我に繋がってしまうだろう。むしろ彼女の場合は、躓く可能性が高いのが心配だ。

 幹部が呼び出された部屋で知らされたのは、到底信じられない話だった。真選組に間者を送り込む話は以前から挙がっていた。だが肝心の要員はそこらの隊士ではなく船医のだった。意味がわからない。

 どうして?

 と、真っ向から反対した。先に河上万斉が折れ、本人の静かな説得の後で来島自身も仕方なしに首を縦に振った。本当はそんなことしたくないというのが本音だった。せめてもの餞別にと、彼女が組織を離れる際の芝居全般は来島がかって出た。どう言う流れにするかはと来島の二人で話を詰めたものである。自身は、これが起こる時には記憶がないのだろう。だがこの筋書きには内容には納得していた。
 来島は運ばれてきたを受け入れた。その“よくわからない催眠術”とやらが既に掛かっているらしく、高杉の腕の中でぐったりと横たわり目蓋はピタリと閉じられている。不安に感じて覗き込んでみるも、胸元は静かに上下していて……ただ眠っているらしい。そこで来島が言い伝えられたのは、しばらくしたら彼女の意識が目覚めると言う事だけだ。それも鬼兵隊のことを綺麗さっぱり忘れた(と思い込んでる)状態で、である。用意は周到に。この計画の失敗は許されない。もし失敗してしまえば……鬼兵隊だけではなく真選組の中にいるの命も危なくなる。来島を始め今回の作戦に参加する十数人の鬼兵隊隊士は、彼女の受入後すぐに母船を離れたのである。


「そろそろ時間ッスよ。サンがいつ起きても大丈夫なように、各自持ち場につきな!」


 来島の声を聞いて皆が地図を懐に仕舞った。或る者は持ち場へと駆け足で離れ、また或る者は反対方向へと散っていく。数人の隊士はまた子のいるこの場に残ったままだ。来島自身も顔を分厚い外套に繋がったフードで頭を覆い隠す。が目を覚ました途端に、止まっているであろう時間が動き出す。正直なところ、穏やかな寝顔を見ているとこれから起こる事がさっぱり嘘かのように思えてくる。そうだ。嘘だと思いたい。あるいはこの穏やかな時間が……ずっと続けは良いと思ってしまう。彼女の重い目蓋がゆっくり開き……
“んっ……。ん? また子……さん? 皆さんもどうされたのですか?”
 なんて声が今にも聞こえそうな気がする。そうであって欲しい。でもそんなことがあるはずないのだろう。腰元に刺さった二丁の拳銃の重さが現実を示している。何も知らない寝顔を見つめながら、僅かに表情が強張った。舞台の開幕までもうすぐだ。

 落ち着きを求めて来島は息を深く吸った。胸元に手を当てると、そこに存在する小さな金属を思い出す。ペンダントのように紐で首から下げられたそれは、小さな鍵だ。安全な所に置いてきても良かったが、今日という日のお守り代わりに身に着けている。他人の物、なのにそれが胸元にあると安心する。
 “サンの日記帳の鍵”
 今回の作戦で、彼女自身が外に持ち出せはしないし、かといって部屋に置いていくのも不安だから預かっていてほしいと言われたのは記憶に新しい。日記帳本体と鍵のセットで預かっているが、鍵だけは紐を通して持ち出していた。来島も後で金庫に戻しておこうと思っている。もしもの時は燃やして処分して、とお願いされているがお断りだ。彼女自身の手で取りに来てもらうしかない。手に取った小さな鍵が月の明かりに照らされてキラリと光っている。


*****


 日付が変わって少し経った頃だ。その時はやってきた。ピタリと閉じていた目蓋がわずかに動くのを感じた。待ち遠しいはずだったのに日が昇るまで待ってほしい気さえしてくる。やがてすぐには目覚めた。

 周囲を取り囲むのは攘夷浪士が十数名。自分の置かれた状況がわかっていないのだろう。頭を抱えながら上半身を起こした彼女は、怯えた眼差しで周囲を見渡した。各々が筋書きの通り、抜身の白刃を片手に殺気立ちながら女を見下ろしている。

「何故?」

 来島もその舞台に立った。低く、性別を悟らせない声で尋ねる。
 まだ蹲み込んだままのは、何事かと目を見開き周囲をキョロキョロと見渡している。この状況を理解できていないでいるのだろう。無理もない。だがこのままでは場面が移らない。女が逃げなければ。
 「行け」と促すように呟いた。早く行って……と言う気持ちを込めて。それでも女は動かなかった。このままでは埒があかない。


「行けェェ!!!」


 方向を指しながら叫んだ。呼応するかのように瞬きが一つ。
 刹那。女は起き上がると心配になるようなふら付いた足取りで走りだした。そう、それでいい。これで場面が変わると少しだけ来島は安心した。数拍置いて十分な距離を確認してから、


「追え! 取り逃がすな!!」


 そう声を張り上げた。その言葉を合図に隊士が彼女を追い始める。とは言っても、全速力で走って捕まえるのが目的ではない。ここで大切なのは、怪我なく彼女を追い立てて最終地点にたどり着くこと。来島は一足先にそこへ足を進めた。

 埠頭の外れに注ぐ人工川沿い。

 周囲は倉庫や空き地ばかりで人の気配はない。川沿いには灯りが点在しているものの、無機質な光が等間隔で並んでいる様は寂しさを際立たせているだけだ。
その川沿いに、一際立派な柳の木が植えられていた。木の傍で待っていると、追い立てる声と足音が大きくなってくるのがわかった。……仕上げだ。


「久々の運動はどう?まさか本当に裏切るなんて思ってなかったよ」
「裏切るって……何を?」


 やはり、は来島らの事は何も覚えていないらしい。計画の為にはこれでいいはずなのに、どこか心の奥で寂しさを感じた。記憶が戻った時に改めて文句を言おうと心に決める。
 腰元に差しておいた愛銃を一丁手に取って、立ったまま石のように動かない女に向けた。響いたのは金属音。それが銃だとわかった時、女の表情が動揺したのが手に取る様にわかった。

「……」

 いつだったかも忘れたが、初めて彼女と出会った時と同じ表情をしていた。驚きと恐怖、そして動揺。今の彼女を見て思い出した。
 来島が一歩一歩ゆっくりと距離を縮めていく。立ち尽くした女のさらに向こう側からは隊士の荒い足音が近づいてくるのがわかる。目深に被っていた覆いを外す。乗っかっていた重さがなくなった開放感。顔を晒しても、の困惑は増すばかりで、彼女の名前を呼ぶ様子はない。来島は立ち止まった。


「どうして……どうして裏切ったんスか!? 信じてたのに。アンタだけは信じてたのに!! どうして!」
「……」
「答えろよ。サン……どうして晋助様を、ウチらを裏切ったんスか! 答えろォ!!」


 足元に一発、発砲した。当てるつもりは微塵もないが引き金を引くことに躊躇はなかった。は組織を裏切った……ことになっている。このままここでお前を殺す、と言う脅しだ。恐怖からだろう。半歩下がった際の足元からが崩れ落ちた。眼力を弱めずに睨みつける。銃口を向けたまま二人の距離は縮まっていく。

「残念だけど、サンはここで死んでもらう。最後に言い残すことはない?」

 小刻みに震える唇から音は聞こえない。最後の仕上げは……他の誰にも任せられないけれど、心が痛む。痛いから我慢して欲しい、と予定外に伝えたのは自分への言い聞かせの意味もあった。これからを撃たなければならない。痛い思いをさせなければならない。


「さよなら、サン」


 覚悟は決めたはずなのに、胸が詰まって涙が零れた。本当はこんな事したくないのに。大切な人を撃たなきゃならないなんて。深呼吸を一つ……したはずだった。駄目だ。これ以上動揺したら手元が狂う。かすり傷程度の怪我を負わせるだけでいいのに大怪我になってしまうかもしれない。


「さよなら……」


 来島はついに引き金を引いた。発砲と同時に銃口から火が吹き、煙が立つ。
 一直線に放たれた銃弾が彼女の肩を掠めた。周囲には血が飛び散り、衣服に色が広がる。撃たれた勢いでは後ろに倒れ込んだ。「う……はァ……」と、苦しさしか感じられない呼吸と悲鳴。肩を押さえながら悶絶する様は見るに耐え難い。来島は慌てて駆け寄った。覗き込んだ額には脂汗が滲んでいて、片口から溢れた血が広がっている。呼吸が浅くなっているのは明らかだ。


「必ず……帰ってきてくださいよ!! サン!!」


 痛みに耐える姿に対して、来島の声はもう届いていないように感じた。ごめんなさい。痛い思いをさせてごめんなさいと何度も心の中で叫ぶ。ポタポタと溢れ出た涙が道路に落ちる。集まってきた隊士が、脚本通りでありながら想像を絶する光景に口を噤んだ。


「オラァ! 早く救急車を呼ぶんスよ!! 早くしないと本当に危ないんだから!!」
「手配済みです! 十分弱で到着予定とのことです」
「はぁ? 遅くない?」


 報告した隊士を睨みつけると、他所での要請が多発している為とのことらしい。電話口で隊士も「なるべく早く」と伝えたとのこと。


「仕方ない。例の資料は落としてないッスよね?」
「大丈夫です!」
「あー! 救急車なんで早くこないの! サン大丈夫ッスよね」


 鬼兵隊との関係性を示す証拠として、は架空の化学兵器の設計図を持ち出した設定にしている。事前に準備した本人のサイン入りの資料は、催眠術の前に彼女自身が懐に入れていたものだ。隊士の追い立てでもどこかに落とした形跡もないとのこと。念のため来島自身が彼女の胸元を探ると、折りたたまれた紙が入っているようだった。これで彼女は鬼兵隊を裏切り、重要資料を持ち逃げして逃亡、追手に襲われたという筋書き通りだ。
 肩から広がった血が周囲の地面にまで広がってきた。心配になって落ち着きを無くした来島は周囲を行ったり来たり。

「来島殿ォ! そろそろ我らも身を隠さなければ! 救急隊員にでも見つかってしまいます!!」
「わかっているッス!! あー救急車! ウチは音がするまで側にいるから、残りは撤退準備!!」
「「「了解!!!」」」

 隊士達は証拠を残していないか周囲を確認しながら撤退位置まで引いていく。
 血溜まりの中で横たわり動かない女。傍らにいた少女は、緊急車両の音が大きくなるまで動かない。やがて名残惜しそうに立ち上がった来島も、遠巻きに隠れ見る仲間の元へ駆けていく。通報者のいない現場にたどり着いた救急車。救急救命士は通報者の存在を探しながらも、倒れ込む負傷者を発見して収容した。これからきっと真選組にも連絡がいくのだろう。彼らがやってくるのは時間の問題だ。
 再び救急車が音を立てて動き出すのを確認してから、来島と十数名の隊士は完全にその場から撤退した。


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20260114*星宮はちこ   裏語