Révolution de l'amour 〜愛の革命〜
2,L'hôtel “château de Chambor”[ホテル“シャンボール城”]
メルボルン中心街から車で約二十分の海辺の一角に、大きな建物群とゲートが見えてきた。ここがU−17選手の滞在する「選手タウン」である。ちなみに試合が行われる会場は別で、各国の選手はここから会場までバスに乗って移動するらしい。バスが何台も通れるほどの大きなゲートはセキリュティが万全らしく、通行用の窓口には係員以外に警備員も数人立っている。関係者用の窓口に近づくと、運転手がセキュリティパスを見せ、乗っている私たちの顔を見たただけで簡単に通れてしまったけれど。私たちの前にいた車は何やら書類を渡して、係員が書類を見ながら確認していたのに。まあいいか。
「すごい大きい! まるでテーマパークのようね!」
入場して一番最初に視界に入ったのは立派な高層ホテルだった。周囲にもテイストは違うが大きなホテルがいくつか並んでいる。車窓から見上げる先にはドイツ国旗が靡いているのが見えた。
「一棟ごとに各国の選手が滞在される予定となっております。ちなみに日本は入口右のこちらのホテルを使用されるようですよ」
「ここが日本代表のホテルか。確かに日本国旗が見える。素敵だわ」
流線形が特徴的なホテルだ。咲曰く、日本代表の入国はまだ少し先とのこと。隣にはアジア風の八角系の屋根が見えた。ホテルの規模は様々だが、向かいの十階未満の建物にもどこかの国が入っているようだ。ここで働く関係者の宿泊施設もタウン内にあるらしい。本当に一つの街が出来上がっていると言えるだろう。
「ドイツや日本のホテルは近代的だけど、他は国の伝統的な建築物を模してるものもあるのね」
「タウン設計の際に要望があれば各国の伝統を反映させているそうですよ。近代的なホテルをご所望のところはそのようになっているとか」
「日本は……お城の天守閣とかじゃないのね」
「高さが出せない分、広い土地が必要だったので見送られたそうです」
「ふーん。確かにそうね」
限りある土地では高さを出すのが現実的だろう。アジア風楼閣の隣には大聖堂風の建物。そしてその隣にはギリシャ神殿が連なっている。
「ここはギリシャ代表?」
「ご名答です。その隣はこれから滞在するフランスのホテルとなっておりますよ」
「どんな感じかしら」
窓に張り付くようにして覗いてみた。お行儀が悪いと怒られたけれど気にしない。道路に直接面していないのか、フランス代表に充てがわれたホテルはまだ見えない。やがて車が近づくほどにその全貌が姿を現した。
「うわっ、何これ」
思わず声に出てしまったではないか。
道路からは橋が伸び、川を挟んだ先には少し規模は小さいかもしれないがシャンボール城そのままが聳え立っているのだ。突然、見知った歴史的建造物が視界に飛び込んできた衝撃は中々だった。鞄から携帯電話を取り出して外観を写真に収めておいた。「私もよろしいでしょうか」と咲も携帯を取り出している。
「フランス的でよろしいじゃありませんか」
「まあらしいと言えばそうだけど。前面は石畳よ。私芝生が好きなの。裏に芝生の庭があったらいいな」
「外観は模造されていますが、中は実用的に改装されているとのことですのでご安心ください」
「はあ。なるほど」
送迎車は橋を渡り正面玄関へと向かっていた。
中の天井が高いのだろう。階数はそうでもないのに建物自体は高いのがシャンボールの特徴だ。事前に送っていた荷物は既に部屋に搬入済みらしい。私は身の回り品を入れた鞄だけしか持ってきていない。それも咲が持ってくれるからほぼ手ぶらだが。
表玄関にはタウン入場時に連絡が入っていただろうの使用人が数人と、フランス代表の関係者と思しきスーツ姿の方が二人立っている。到着と同時に使用人が車の扉を開けてくれた。
「コンニチワ。マドモワゼル」
「Bonjour,monsieur. Vous parlez bien le japonais!」(こんにちわ。日本語がお上手ですね)
「マダムにも褒められました。大分話せます。日本語は少し難しい」
「十分ですよ。フランス語でも日本語でもお好きな方を」
「はいお言葉に甘えます。僕は監督でこちらがコーチ。滞在に際してご案内をさせて頂きます。どうぞこちらに」
玄関を入った所は大きな吹き抜けの広間。螺旋階段も健在だ。私はすぐ近くの部屋に案内された。内装や調度品はフランス風のそれだが、大きなテーブルとそれを囲う椅子の数からして会議室のようにも思える。咲にも隣に座るように促しておこう。
「改めて貴女の滞在を歓迎いたします。マドモワゼル・コレット」
「初めまして。……いえ失礼。私は・ドゥ・コレットです。堅苦しいのは苦手ですのでお好きにお呼び下さい。我々を歓迎下さりありがとうございます」
「お嬢様の身の回りの世話を担当する咲と申します。よろしくお願い致します」
「お二人にお会いできて光栄です」
フランス国籍を持つ私の本名。・ド・コレット。日本ではほとんど通称で過ごしてきたから、うっかり名乗ってしまった。ちなみに正式な場で間違うと叱られるので要注意だ。コレットという名前はママの実家で古の貴族のもの。今はただの飾りでしかないけれど。両親は当時珍しかった夫婦別姓を通している。ママの名前はマリアンヌ・ド・コレット。周囲からは、ママはマダム・コレット、私はマドモワゼル・コレットと呼ばれることが多い。
「マダム・コレットはお仕事でホテルを離れております。これからホテルの案内とタウン内の説明をさせて頂きます」
「よろしくお願いします」
差し出されたのはホテル内の見取り図と選手タウンのパンフレット、公式ロゴのタグのようなもの、顔写真付きのIDカード。タグの裏にはフランス国旗がプリントされている。
「先ずは選手タウンについてです。こちらが……」
タウンの中心にはメインダイニングやショッピングモール、トレーニングセンターなどが入った共有施設がある。中には映画館や劇場などもあるらしい。共有施設はタウン滞在者なら誰でも利用できるとのこと。ダイニングの利用は無料で、渡されたタグによって入退室の管理をしている。各国の名物や宗教に配慮された料理もあり一日中利用可能だ。土産や物品の購入、各所に設けられたカフェやレストランは個人決済でオーストラリアドルにクレジット、電子決済が利用可能。また、小規模だけれどこのホテル内にもカフェがある。飲み物と軽食はいつでも利用できるが、食事は事前に申し込みが必要とのこと。時々、共有施設では各国交流のためのイベントが開催されることもあるみたい。
「共有施設の周囲は……」
周囲には各国のホテルが配置されている。フランスのホテルがシャンボール城であるように、各国特徴が出ているのでわかりやすい。ドイツや日本、そしてアメリカなどは一般的なホテルとそう変わりないようだが。勿論、関係者以外は入ることができない。
タウン内の移動は巡回式のバスがあるので、同じようにタグを利用して乗ってもらいたいとのこと。噴水がある大きな公園、ビーチがある海岸線沿いの遊歩道。特に遊歩道はホテルとは正反対の位置にあるので、移動には少し時間がかかるとか。
「随所に係員がいるので、困った時は頼ると良いですよ」
「はい。そのように致します。ここは思っていたよりずっと広くて魅力的なタウンですね」
「ええ僕もそう思います。それでは次にホテル内と部屋を案内致します。どうぞこちらに」
私と咲は部屋を出た。どうやらコーチはここで別行動のようだ。彼は軽く会釈をして反対方向に歩いていく。パンフレットを抱えながら歩く私の足取りは軽やかだった。この選手タウンでの生活がどうなることかと不安に感じていたけれど、楽しめる環境が整っているように思えたからだ。私の機嫌が良いのを咲はすぐに感じたらしい。流石にずっと一緒にいるだけはある。
「そう言えばフランス代表選手の方々は?」
広い建屋はしんと静まり返っており人の気配が感じられない。もしかしたら、裏側などで練習でもしているのだろうか。ここで坊ちゃんと顔を合わせるのだけは避けたいところだ。監督の前で言い合いになったら直ぐにママの耳に入るだろうし。その後の地獄を想像して背筋がヒヤッとした。
「今はプレスの取材を受けています。しかし昨日、メインダイニングが混んでいたようですので、早めに昼食に向かうでしょう」
「流石。本国から記者がいらっしゃっているのですね」
「我がフランス代表はテニスの実力もさながら、皆個性的ですので。スポーツ以外の雑誌の取材も含んでいます。そうだマドモワゼル。オジュワール・ドロンをご存じですか?」
「あ、はい。お顔と名前は存じております」
ムシュー・ドロン。本名はオジュワール・ドロン。名前だと誰だかよくわからないが、要は私が車内で叫んだあの忍者姿の選手のことだ。貰ったプロフィールは読み込みが甘くて未だ名前と顔写真くらいしか覚えていないけれど。「ニンジャの……」と小声で呟いたら、監督の耳には届いたらしい。
「そう! ニンジャ! 彼はジャポンのマンガを読んでとても文化的興味を抱いています。彼はジャポンがとても好きです。お会いしたらマドモワゼルにも興味を抱くでしょう。あれこれとご迷惑をかけると思いますがお許しください。と言ってもニンジャについて聞かれると思います」
「忍者ですか。うーん。あまり得意ではないので、むしろムシュー・ドロンの方が詳しいかもしれませんね」
外国の方からしたら、日本はまだ「侍や忍者」のイメージが強いのだろうか。日本史は好きだけれど、忍者というピンポイントな知識はそう詳しくはない。私は小声で咲に話しかけた。
「ねぇ咲。貴女、忍者について知ってる?」
「いえ。明日までにお調べ致します」
「お願いするわ。甲賀と伊賀くらいしか知らないから」
ムシュー・ドロン対策は咲の協力を得ることにしよう。話題を相手の好みに合わせることは重要だ。とは言え相槌を打つ程度のことしかできないが。いきなりマニアックなことを聞かれたらどうしよう。むしろ、相手の話を聞いて気持ちよくなってもらう方がいいだろう。そうだそうしよう。
シャルダールの坊ちゃんに忍者ムシュー・ドロン。イケメンすぎてテニス界を追放された人。……と、まあ監督の言う通りタレント性は豊富。むしろキャラの濃さが際立っているとでも言うべきか。ここに滞在している限り選手との接触は避けられないが、まあ彼らはテニスに集中していただくとして、私は隙をみて観光を楽しもうと思う。
「こちらがミーティングルーム。隣には資料室。上は選手の個室です」
長い廊下にはいくつか部屋が連なっているようだった。監督に引き連れられて私は、普段は選抜選手の滞在エリアを歩いていく。用事がなければ今後通ることはないだろう。選手は不在のようでユニフォームを着た人を見ることはなかった。ただ時々、スタッフとすれ違っては会釈を繰り返す。
次は屋外に案内された。中庭は噴水と花垣があり憩いの場になりそうだ。裏にはテニスコートが数面。ちなみに屋内にも立派なのがあった。流石、テニス大国フランスといったところか。外のテニスコートやその周囲はもちろん整備がされているが、向こう側には待望の芝生があった。散々石畳でうんざりしていたからありがたい。
「それでは中に戻りましょう。次はマドモワゼルのお部屋にご案内致します」
「よろしくお願いします」
屋内に戻った私たちは中央広間のエレベーターの前にたどり着いた。本来は外廊下であるはずの造りが屋内廊下になっていたり、現代のエレベーターがあったりと、確かに実用的にはなっている。
「私、階段を使ってもよろしいでしょうか」
「階段? 構いませんがお部屋は五階ですよ。階段は三階までしか伸びていません」
「折角の螺旋階段ですもの! 三階まででも構いません。選手の方々に嬉々として上り下りする恥ずかしい姿をお見せするわけにはいきませんので。あ、咲はこのまま監督とご一緒して」
「お嬢様……はぁ、承知しました。必ず合流下さい」
シャンボール城の目玉の一つ、螺旋階段。エレベーターが設置されていてもなお屋内にあるメイン階段は健在であった。ただ本家ではホールど真ん中にあるはずの階段は端に寄せられ、ホールはその広さを強調しているが。関係者はこの歴史的な階段を使っているのだろうか。
まるで観光客のように私は階段の写真を撮影した。咲は呆れている様子であったが、監督は何か面白いものを見つけたようにニコニコと笑っている。
上でお会いしましょう、と二人がエレベーターに乗り込むのを確認してから、私は階段を駆け上がる。どうせなら動画に残しておこうと私は録画モードの携帯を手に持っていた。
「ご到着ですねマドモワゼル」
案の定。到着していた監督と咲が迎えてくれた。監督の言う通り、階段は三階までしか伸びていない。そして本家シャンボール城も三階建てなのである。だが部屋は五階にあるらしい。どう言うことだろうか。
「ここからは階段にで移動して頂きます」
「監督。シャトー・シャンボールは三階建ではありませんか」
「そうです。屋上には美しい装飾がなされている。だがこのホテルは特別に改装されているのです」
「改装?」
「マダムのご要望で、本来なら屋上装飾である所に部屋を設けました。二階分あります。マダムとマドモワゼルのお部屋はそちらに」
やっぱり。建屋にもママが一枚噛んでいるんだ。これは何か裏がありそうな予感がする。
そこからは螺旋階段とは別所に設けられた階段(こちらは通常の階段)を上がった。四階にも部屋と思しき扉が並んでいる。そして五階。階段を上がりきった場所はそう広くはない。屋上装飾は上に行くほど狭まった形状をしているからだ。下ほど十分な空間をとることができないのも仕方がない。五階には色口の扉が二つしかなかった。
「ここがお部屋です」
「ママの部屋は」
「四階になります」
「(……私を上階から逃さないようにしたつもりね)」
案の定、五階には私の部屋の他には控え室があるだけだ。通路は階段のみ。反対側には非常用の通路があるけれど、こちらも監視されているに決まってる。それか普段は鍵かかかっているとか。
「既に荷物は運ばれておりますので。お食事はメインダイニングに行かれますか?」
「何も決めておりませんでした」
「ミディ(正午)は本当に混んでいますので。少しずらされた方がよろしいでしょう」
「ご忠告ありがとうございます」
「これは僕の個人的な話ですが、公園のカフェも雰囲気が良くておすすめです。カフェもカフェラテもお気に入り。サンドゥイッチにプティガトーも豊富です」
「まあ、それは良いことを聞きました」
差し出されたのは公園併設の「カンガルー」なるカフェのチケットだった。どうやら関係者に配られているらしい。ありがたく頂いておいた。コーヒーや紅茶の無料券のようだ。
「それでは良い滞在を。何かご要望があれば私やスタッフに何なりと」
監督は挨拶の後、一礼して階段から降りていった。
五階。と言っても各階の天井は高く設けられているから、他のホテルと謙遜の無い眺望を得られている。廊下と言うほどでもない空間に設けられた大きな窓から空を見上げる。
「咲。今日の昼食の予定は?」
「奥様から指示は受けておりません。お嬢様の判断にお任せします」
「うーん。人混みでご飯もしんどいからな。ホテルで軽く食べようかな」
「それでは軽食を手配いたします」
「お願いするわ。少し部屋でゆっくりするから、咲も休んでね」
「気遣いありがとうございます」
そこで咲とは別れ、充てがわれた部屋に入った。天井が高くて装飾は高級感がある。光沢のあるカーテンの向こう側には大きな窓。私一人しかいないのにソファーは三人がけだ。そして奥に寝室が設けられているようだった。
寝室は向こうの部屋に比べて小じんまりとしており、天蓋付きのベッドと引き出し式の書斎机、衣装棚がいくつかあるだけだ。革張りの衣装鞄と道具鞄が複数運び込まれており隅に綺麗に並べられている。
寝室の反対側はトイレと浴室だった。シャワールームだけかとも思ったが、浴槽付きのお風呂はママのこだわりポイントでもある。おそらく浴槽をご所望したのはママだろう。フランスの水は硬水だ。故に石鹸類の泡立ち難さが存在する。使用感の悪さから日本ほど風呂(シャワー)の文化が受け入れられていないのである。その点、日本は軟水だから石鹸の泡立ちは良いし浴槽の湯に浸かる文化も広まっている。ママは軟水と浴槽がお気に入り。フランスの実家ですら部屋には浴槽付きの風呂が設置され、特別な装置を用いて軟水を使えるようになっているのだから。
一通り部屋を散策した後、ソファーに身を沈めたまま携帯を触っていた。周からの連絡はまだない。