Révolution de l'amour 〜愛の革命〜
1,Arrivées[到着]
時刻は午前九時過ぎ。燦々と降り注ぐ太陽の光が眩しく感じるくらいだ。フライトは順調に進み、飛行機は無事に空港に着陸した。
「暑い」
降り立って口からこぼれたのはその一言だった。先ほど述べたように、太陽の光と熱をこれでもかと浴びている。私は機内で既に脱いでいた冬物のコートの代わりに帽子と日傘を受け取った。つい一晩前まで身震いするような寒さであったというのに。機内では徐々に空調の温度を調整してくれていただろうけれど、自然の力は圧倒的だと感じる。体が寒暖差に慣れるまで少し時間がかかりそうだ。
一晩で冬から夏へ移り変わった。時差は約一時間……ここは南半球のオーストラリアのメルボルン空港ことタラ空港である。
「Enjoy your holiday!」
「Thank you.」
オーストラリア入国時の荷物検査は、旅行会社やガイドブックに太字で記載されるほど厳しいことで有名だ。食べ物、現金、動植物。持ち込み不可なものは言わずもがな。そうでなくても申請しないと多額の罰金が課されるものもある。あらかじめ説明を受けていたし、必要なものは申請しておいた(代理申請だけど)ので確認は簡易的に終わった。そして入国審査、その他諸々の手続きも待ち時間無しの専用窓口を利用し待合室でウエルカムドリンクまで頂いた。
「流石に早いわね」
本来なら入国手続きを待つ長蛇の列が待っているのだろう。一般入国者と異なるルートの今日は個室対応だ。いくつか並んだ個室が使用中なあたり入国者の数も多いと思われる。
以前、友人と連休を利用してハワイに行ったことがあった。その際は親に何も言わなかったが(両親共に仕事が忙しいし、丁度日本にもいなかったのでチャンスと思った)、出国は難なくできたものの入国時に引っかかったのである。未成年は入国に際して親権者の同意書が必要とのことで、友人はそこらへん完璧に揃えていて入国できたのに私はそこから別室行き。勿論、両親に連絡がいった。アメリカ本国で仕事をしていたパパの口利きもあって最終的に入国はできたけれど。その日のうちにハワイに飛んできたパパは、大層心配して終始ご機嫌がよろしくなく、それに付き合わされる私のイライラは文字にはできないほどだった。反省してないのね、と友人は呆れていたようだけれど。そして拗ねた私は魔法の言葉を使用した。
“パパ酷い、嫌い”と。私も滅多にこの方法は使用しないけれど効果は抜群だった。あの時の慌てた表情は今でも思い出せる。次はパパの方がご機嫌取りに必死。でも本気では言っていないから、ハワイで数日遊ぶことを許可してくれたらそれでよかった。確か、仲直りの代わりに三人で一緒に美味しいディナーに食べて終わった気がする。
ちなみにこの一件も全てママの耳に入り、私は日本に戻ってからこってりお説教食らったけれど。我が家の権力図は御察しの通りである。
「ねえこれからの予定は?」
後ろに立っている存在に声をかけた。待合室にはソファーがあり、入室時にも着席を促したけれど彼女は律儀に突っ立ったままだ。審査が早いとはいえ十五分は経っているはず。私がいいと言ったから別に気にしなくてもいいのに。
彼女の名前は咲(サキ)。の使用人であり、私の身の回りの世話をしている三人のうちの一人だ。今回のオーストラリア渡航の付き添い人である。付き添い人と言えば聞こえが良いが、要は途中で逃げ出したり変なことをしないための見張りである。残り二人のうち一人は日本に残ったままで、もう一人は後に妹たちと一緒にオーストラリアに来るようだ。
「はいお嬢様。空港から宿泊タウンの方へ直行となっております」
「えー直行なの!? 王立展示館とビクトリア国立美術館行きたいのに」
「奥様から“遊ばせずに直行せよ”と命を受けておりますので」
「……せっかくガイド買ったのに」
手元には“オーストラリアの歩き方〜シドニー・メルボルン編〜”なる旅行本が出番を待っている。豪州行きが決まってからすぐに買ったのを覚えている。さらに言えば、豪州全般の本から行き先に合わせたシドニー・メルボルン編を買い直しまでしたのだが。結局、この本は私の期待を膨らませることだけになりそうだ。
「今からこっそり寄り道しましょうよ。まだ着いたって連絡してないし」
「奥様に直談判されてはいかがでしょう?」
「無駄よ。むしろママンは先回りして対策してる。そうでしょ?」
私のお願いは虚しくも却下された。咲は私に協力してくれる時もあるけれど、ママが根回ししている時は協力しない。つまり今回はかなり念入りに言われたのだろう。頼みこむだけ時間の無駄だ。私は早々に諦めた。
丁度、空港職員に呼ばれて個室を離れた。準備が整ったらしく送迎車までの裏道を咲と二人並んで歩く。気温の高さは日本の真夏そのもの。セダンタイプの送迎車は目的地に向かって走り出した。
「奥様が、タウン到着までに目を通すようにとコチラを」
「何これ?」
唐突に手渡されたのは書類が入った分厚い封筒だった。取り出して表紙らしきものを見てみると“U−17W杯 男子テニスフランス代表選手及び関係者資料”と記載されている。下には「個人情報だから取り扱い要注意♪」と手書きで添えられていた。
「覚えろってこと」
「そのようでございますね」
「咲ったら他人事なのね。ってか、私フランス代表の方と面識なんてないんだけど」
「奥様は既に目を通されたようです」
時期的に既に決まったであろう日本代表選手だってほぼ知らないのに。中学生の選抜合宿参加メンバーの顔がちらほらわかるくらいだ。それも青学や青学と戦った中学生だけで名前は怪しい。どんなプレイスタイルかとか、シングルスかダブルスかも一致しない可能性がある。ちなみに肝心の高校生は……一切知らない。
周は、私の予想通り日本代表中学生選手に選ばれている。電話で連絡を受けた時は声を大にして「おめでとう」と言った。その事実をまるで自分のことのように喜んだ。他に青学からは大石くんや越前くんが選ばれたと聞いている。絶対選ばれるであろうと思っていた部長の手塚くんは、なんでも合宿を途中で辞退したとか。
その時に聞いたことだけれど、中々ハードな内容の合宿だったらしい。彼と同室の植物仲間の二人、全国大会で青学と戦った幸村くんと白石くん(植物と一緒の写真は見た)も代表メンバーとのこと。折角なら合宿から戻ってきた周と会って直接話がしたかったのに互いに忙しく時間がとれなかった。私は今回の渡航準備で、周の方も準備やテニスの練習である。
今回、本当なら日本代表を応援するために豪州に来ていたであろうに。ちらりと見た手元の携帯端末には新着の文字はなかった。彼も最終調整の為に海外合宿をしたいるらしいから仕方がない。私は静かに携帯をしまった。
「……」
私は、ママのお仕事の関係でフランス代表と共にU-17W杯を迎えることになっていた。ママがフランス人であることは既に述べているが、彼女のことを少し伝えておこう。
名前はマリアンヌ。世が世なら貴族階級の家系であった人である。だが革命以降、フランスに貴族は存在しない。後の執政により貴族制度が一時復活したりもしたが、現在、公的に貴族は存在しないことになっている。かつて広大な国土に存在した貴族(や特権階級)の数は膨大であった。彼らは現代の世では一般市民と殆ど同じように働いて暮らすか、先祖から受け継いだ土地や建物(所謂お城)を維持し慎ましく暮らしている場合が殆どだ。中には事業で成功し国内外で有名になった人たちもいるが、それは本当に一握りの者だけ。
ママの場合はグランマから引き継いだ事業と公益団体(慈善団体含)を運営している。それなりに大きな規模だったりするが特別に有名人ではない(業界では有名だろうが)。そして公益団体関係のつながりで女子テニス協会の理事の一員をしている。任期満了のタイミングで、次は国際テニス連盟の理事にと声がかかったというわけだ。結局女子テニス協会の方も理事として再任されてママは現在“二足の草鞋”を履いている状態だ。元々の事業や共益団体の仕事もあり忙しい存在である。幼い頃から家にいることが少なかったのは、こういった理由もあるだろう。
そして国際テニス連盟の理事の立場であることが、Uー17W杯への出席理由だった。だがそれはママの事情。一人で豪州外遊をしてくれたらいいのに。テニスに興じている友人がいると知って私や妹まで誘ってきた。家族旅行を兼ねているなら自由に観光させてくれてもいいはずだが、予想通り裏であれこれ手を回しているようだ。結局、今回の旅行でも自由時間はないだろう。面倒くさい……せめて日本側(主に周)と接点があったならいいのに。
「……」
車内でパラパラと資料をめくっていく。予め知識は必要だと思うけれど殆ど興味がないというのが本音だ。まだ時間はあるだろう。詳細はホテルに着いてから読み込むとして、フランス代表選手にどんな人がいるのか写真を軽く見ていった。
「ふーん。この人モデルばりにかっこいいのね。流石フランス。レベルが高いわ」
「通称イケメンと呼ばれているトリスタン様ですね」
「イケメンかぁ。って、貴女も資料見たの?」
「はい勿論です。奥様に目を通すように言われましたので。何でもイケメンすぎて業界を追放されかけたそうですよ」
「どういう理屈なの? 意味わからないんだけど」
嫉妬なのか。それとも周囲とトラブルを引き起こしたとか。業界を追放されるほどとなれば相当の理由があるのだろう。写真以外の本文を軽く読んでみても、それらしきことは何も書かれていない。咲も具体的な理由は知らないらしい。何なのフランス代表、個性的すぎる。
「こちらの方は芸術家タイプね。あ、この子可愛い。ぱっつん前髪のジョナタンくん中学二年……年下かぁ。一目見てみたいわ」
「お好みが年下とは思いませんでした。私はトリスタン様が良いです」
「違うったら。可愛い子は誰でもいいのよ。ママンもきっと好きそうだし」
日本代表選手も周を始めとして彼と同室の二人は顔は整っていたと記憶する。あ、面識があるとするなら跡部くんの存在を忘れてはならない。テニスコート界隈では直接話したことはないけれど、彼は殆どのパーティで目立つ存在だった。顔は言わずもがな整っており学校ではファンクラブもあるとか何とか。選手の中に美少年と呼べる年下の男の子はいるだろうか。越前くんは顔は整っているが可愛らしさよりも生意気さの方が優っている印象がある。今のところ年下の美少年部門はフランスの勝ちだ。主にムシュー・ジョナタン。
可愛い存在に心を躍らせた後で、次はどんな方が写っているのだろうかと期待を込めてページを捲った。
「げっ!?」
その顔を見てすぐに、私はおぞましい声をあげていた。悲鳴ではない。ただ可愛らしさが微塵も感じられない声だったのは認めよう。顔だってそこそこ引き攣っていただろうと思う。私の様子を見て咲は少し混乱している様子である。
写っていたのは年下の男だ。赤毛の目元が隠れるほどの長めの前髪。覗く眼差しは鋭く、可愛らしさよりぶっきらぼうさが際立っている。全体的に自信に満ち溢れた表情をしている写真だった。
「シャルダールの坊ちゃん……」
少し雰囲気は変わっているけれど、この微妙に憎たらしい顔は忘れない。どうしてこの男がテニスなんてしてるのだ。いやテニスに罪はないにしろ、フランス代表になっているというのか。見ず知らずの代表選手と付かず離れずの距離感で過ごしていくつもりだったのに。顔見知り、さらに言えば仲の悪い存在がいるだなんて最悪だ。
「お嬢様のお知り合いですか」
「まあ色々とね。と言っても馬が合わないの。一々楯突いてくるんだから」
この男の名はプランス・ルドヴィック・シャルダール。世が世なら王族と名乗れる血筋の第一子である。確か一人っ子で、王子王子と甘やかされて育ったからか自信家なのはいいけれど、独自の固定概念を私に押し付けてくる。詳細はいずれ否が応でも話すことになるだろう。今は一番会いたくない相手である。
「フランス代表の方とは今日会うの?」
「いえ。ご挨拶は明日の予定です。本日は到着の後、ホテルとタウンの案内を受けて頂き、夜は奥様とご会食となっております」
「ママンったら、絶対知ってたよね。坊ちゃんがいるなら来ないの知ってて黙ってたんだわ!」
「それは私には分かりかねます。真相は奥様に直接伺ってください」
「咲の意地悪……助けてよ」
「無理です。ここは諦め下さい」
今晩は猶予がある。だが明日になれば私はシャルダールの坊ちゃんと顔を合わせることになるのだろう。顔を突き合わせた途端に、勢い余ってぶん殴らないようにしないといけないな。まあ、そんなことしたら私がママに絞められるだろうけれど。イライラを表情に出してはいけない。ポーカーフェイスを貫かねばならない。想像しただけでストレスが増してきた。
「はぁ……。これは旅行じゃなくて修行ね」
選手紹介はまだまだ続いているようだ。中ほどの某ページで心が乱されたものの、未だ見ぬ美少年や興味深い人がいるかもしれない。何気なくページをめくった私はそこに写っている人物を見て目蓋を見開いた。
「何か忍者がいるんだけど!? どういうこと?」
車内に何度目かの悲鳴じみた声が響いた。