櫻色ノ薔薇




  【壱、発端】


門をくぐると浅黄色の制服が目を惹いた。 満開に咲く桜色とのコントラストに慣れるまで少し時間がかかりそうだ。 ここは私立薄桜学園という高校。新学期が始まってすぐの放課後だからか、 部活や委員会が無いのだろう新入生と思しき生徒が一人また一人と校門を出てくる。 ちなみにどれも男の子だった。少女たちの横を通り過ぎる時、 黒髪の小柄な少年が視線だけをこちらに向けた。



あの日の放課後、職員室ではなく教頭室には呼び出された。生徒会関係の呼び出しはいつも職員室なのに今回は何故か教頭室なのだ。 このパターンは滅多にない。それに、口うるさい教頭先生が少し苦手なのはここだけの話。 挨拶もほどほどに教頭先生はこう切り出した。

「春休みが明けてから二人には我が学院の代表として、薄桜学園に行って頂きます」
「「え?/はぁ?」」

突然の依頼に、私との声が見事に重なってしまった。
島原女子高校というのは我が欧州女学院と鬼百合学園を合わせて女子御三家と呼ばれる女子校の一つである。良妻になるなら島原女子、世界で活躍するなら欧州、学問を究めるなら鬼百合だと言われている。ちなみに欧州はこれに加え文武両道の強い女であれとも掲げていた。 女子御三家の間には深い親交があり、教育理念に違いはあれど女性社会を切り開く道として協力関係にあった。今年この三校で弁論大会を開こうかという話になったのだが、鬼百合が諸事情で辞退したらしい。諸事情って何だ…とは突っ込んではいけないのだろうか。 鬼百合の辞退により、それでは弁論大会は島原女子と欧州の二校で開催を行う…という話になった。 そこまでは昨年から引き継いでいる話だ。
今いる薄桜学園と言うのは島原女子の姉妹校として知られている高校で、何でも昨年度までは男子校だったが今年から共学校になったらしい。というか初めて知った。 何でも学園長が熱い教育思想を持っていて、今回の弁論大会に是非薄桜学園も参加したいと申し出たらしい。うち(欧州)もミッション系の女子校だ。 いきなり男子校と合同でと言われても困るだろう。しかし共学として女子にも開かれた教育を打ち出した薄桜に、欧州も賛同し今回の三校合同の弁論大会の開催が決定したと言う。 これは教頭先生から今聞いたこと。というか突発的過ぎます。決定とか聞いてない。

「新学期早々になりますが薄桜学園の方と顔合わせを予定しています。 薄桜学園の近藤学園長よりご招待いただいたので、生徒会のお二人に是非行って頂きたいと思っています。 我が校の代表としてよろしくお願いしますね」

そう言うと教頭はニコリと笑った。欧州女学院の教頭先生は今年4X歳で見た目は小奇麗だが、理想の生徒像があるらしくそれにそぐわない生徒を見かけると、まるで鬼のように豹変し口うるさく注意するという。 あまりにしつこく煩く恐ろしいので生徒達も苦手意識を持っている子が多い。今までのことを整理すると淑女のイメージを前面に打ち出しているが、 どうやら高校生~大学生あたりの若いイケメンが大好きで、他校の生徒に手を出したとか、目を付けているとか、事実関係はわからないが色々と噂のある人だ。 裏ではコッソリ“オールドミス”なんてあだ名が出回っていたりする。勿論本人の前では誰もそれを言わないし、むしろ口が裂けても言えない。



薄桜学園の校門を抜けて正面玄関に着くと、鮮やかな緑色のジャージ姿の先生が迎えてくれた。 おそらく体育教師だろう。いや、体育教師以外の何者でもない。 私達を見た途端に、眩しいほどの笑顔でブンブンと音がしそうなほどに手を振ってくれる。

「よお!さっすが天下の御三家から来たお嬢様だな!オーラが違うぜ!」

投げかけられた声量は私たちが驚くくらい。見た目通りの元気の良さだ。やっぱり笑顔が眩しい。

「…っこんにちは。欧州女学院より参りました、です」
「こんにちは。同じくです。どうぞよろしくお願いします」

「おっおう!俺は2年2組担任の永倉新八だ。数学を教えてんだ。よろしくな!本来なら教頭の土方さんが迎える予定だったんだけどよ。ちょーっと外せねえ用事があってだな…まっ学園長の部屋はすぐそこだから、俺が案内するぜ」

用意されていた来客用スリッパに履き替えると、永倉先生の後を追って颯爽と廊下を進む。と言うかこの人数学教師だったんだ。 人を見た目で判断してはいけないがどう見ても体育教師だと思う。本人には言えないけど。
真新しい風景に失礼にならない程度、視線だけを左右に動かしながら廊下を進む。その突き当りには学園長室と書かれたプレートが提げられた一際立派な扉が現れた。 さて、噂の近藤学園長とはどんな人だろうか。恐る恐る重厚な扉をコンコンコンと三回叩くと、中からと「どうぞ」と男の人の声が聞こえた。


「やあいらっしゃい!欧州女学院のくんとくんだね。話は伺っている。さあ入りたまえ」


そう言って、応接用の革張りのソファーに座るように促される。 薄桜学園の創設者であり学園長でもあるこの人は…近藤勇と名乗った。 想像していたよりもずっと若くて、それこそ自分たちの両親と同じくらいか もしくは若干校長先生の方が若いのかもしれない。 そして恰幅が良く大らかな印象を受けた。 要は、一言で行ってしまえば良い人ということだ。永倉先生とはまた違う、 優しい笑顔をした理想のお父さんだな…純粋にそう思った。


「今回の弁論大会、我が薄桜にとって実りあるものであることに間違いない。 いやー、本当は断られると思っていたんだがね」
「薄桜学園は元々男子校として教育に携わっていましたが、今年から共学校に転身されたと伺いました。 欧州の学園長は“女子に開かれた薄桜の教育方針”に賛同したのです」
「それにしてもここに来るまで私達、女子生徒に一人も出会わなかったのですが…」

さすがだ。彼女は“それ”に気づいていた。自身もその違和感に気づいていた。 他校の生徒が珍しかったのだろうかあるいは女子生徒が珍しかったのか、 歩きながらチラチラと視線を向けられているのはわかる。 しかしすれ違う生徒は皆男子だった。男子校として名を馳せた“薄桜学園”だ。 共学に転身早々、普通の共学校並みに女子生徒が集まることは難しいのかも知れない。 実際彼女たちは共学校になったこと自体を知らなかった。


「ああ、やはり気付いていたんだね。実は非常に申し上げにくいことなんだが…」


私たちがその先に続いた言葉を理解するのに、時間がかかったのは言うまでもない。 何でも今年入学した女子生徒はたったの一名らしい。 最初は何の冗談だろうかとも思ったが、目の前にいる人はこんな時に冗談など口にしそうにない。 近藤学園長は大きく笑いながら頭を掻いていた。 というか何故一人なのだろうか。いや、せめて十人とかだったら…。むしろその学園でたったひとりの女子生徒の方が気になってしまった。自分たちはずっと女子校で、しかも周りのメンバーにそう変化が無かったからかどういったらいいのかわからない。しかし高校生活が始まって周りに女子生徒がいない=友達はどうする の疑問が浮かんだ。この三年間、男だらけの環境の中で生きていく顔も知らない新入生が少しだけ気がかりだった。勇者だ。いや、そんな環境でも生きていける女の子だっているだろう。 が一通り考えを巡らすと、近藤学園長が口を開いた。


「その女子生徒、雪村君と言うんだが彼女にも今回の弁論大会はいい刺激になるだろう。勿論、うちの男子にもね。ところで一体、欧州の生徒が挨拶に来ているのにトシはどこに行ってしまったんだ」


突然近藤学園長の口から出てきた“トシ”という言葉に疑問が浮かんだ。 トシって何だろうか。人の名前?何かの名詞? 私の表情の変化を読み取ったのか学園長はニコリと笑いながら続ける。

「トシというのはね、まあ…昔からの馴染みの呼び方なんだが。 うちで教頭をしている土方先生のことだ。 今は色々と仕事をまかせっきりで頭が上がらんが、君たちに挨拶だけでもするように言ったんだけどな」
「お忙しいのでしたらどうかお構いなく」
「そうです!これっきりという訳ではないじゃないですか。またの機会に会えますよ。きっと!」


―ピピピ 突然、学園長室の電話が鳴った。 ビクリと肩を揺らして恐る恐る音がする方に視線を逸らすと、 近藤学園長は「ちょっと失礼」と慌てて机に駆け寄った。

「ああ、歳か。まだ忙しいのか?今丁度、欧州のお嬢さん方がいるんだ」
「─」

電話機の向こうから途切れ途切れに声が聞こえる。 何を言っているのか、会話までは聞き取れないが電話の向こうの土方先生は どうやら大きな声で話している…いや怒鳴っている? は目を合わせながら何事だろうと思った。

「おいおいどうしたんだ。何かあったのか」
「─」
「ああ。またあいつらか…。まったく彼らも我が校の生徒会のメンバーではないか」
「─」
「取り合えずトシ。彼らはもういいから今からこっちに顔を…」

受話器の向こうから特別大きな怒鳴り声が聞こえたと思うと、通話が途切れたらしい。 その音も聞こえた。きっと受話器の向こう側で良くないことが起こったのであろう。 今の電話が全てを物語っていた。静かに手の中の受話器を置くと、近藤学園長はゆっくりと こちらを振り返る。 少し頼りないような、ヘラヘラとした笑顔。

「いや、大変申し訳ない。どうもうちの人間は落ち着きが無いらしい。あはは。 挨拶も全然できなかったが、今日はこの辺で許してくれ。 次回は必ず全員揃えるよう約束しよう」

両手を合わせて謝罪のポーズをする近藤学園長が何だか可愛らしく思えてしまう。 ということはこの人も中々憎めないタイプだろう。 近藤学園長に、ウチの教頭から頼まれていた書類入りの封筒を手渡した。 しばらくの談笑の後、それではこれからよろしくお願いしますとお暇することになる。 学園長自ら玄関まで見送りに来ていただいた。 二人で深々と礼をするとゆっくりと玄関を出る。

「近藤さんって言ったっけ?中々いい人じゃん?」
「確かに、人を惹きつける力はあるようね」

行きと同じように二人並んで校門までの道を歩いていた。 空はすっかり茜色。そんな時だった。



「─!?」


突然、嫌な予感がしたのだ。 それは一瞬だったが途端に背中がピンと伸び胸がざわめき立つ。 ずっと歩いていたのにそれからは足が動かなくなった。その場に立ち止まったままだ。

?」

数歩先に進んでいたが徐に振り返る。突然足を止めた私に気づき「どうしたの」と彼女がこちらに歩み寄った。 視線だけをずらせば、私が言おうとしていることは伝わったらしい。 しかし目の前の彼女が気付いていないのなら“彼ら”はまだ現れてはいないのだろう。 少しばかり敏感な第六感とも言うべき感覚は、喜ぶべきなのだろうか悲しむべきか。 辺りが薄暗くなった放課後のこの時間。 大方の生徒は帰宅しているであろうが、まだまだ部活をしている生徒も多い。 所々電気が点った教室が見える。おそらく職員室であろうか、まだ煌々と光が点っていた。 先生はほとんど仕事をしているのだろう。 まだ生徒こんなに残っている場所に現れられても困るだけ。 被害が広がるし、下手に存在を知られてしまっても大変だ。

“彼ら”は間違いなく現れる。

しかしこの広い学園のどこだろうか。 早く駆けつけないと、それこそ被害が広がってしまうだろう。


「あれ見て!」

が指差したのは校庭の端っこだ。 確かに何かがいる。しかしよくよく凝らして見てみるとその色は浅黄色だった。
二人で駆け寄ってみれば薄桜学園の生徒が倒れているではないか。 まさかこんな時間にこんな所で寝ているはずもないだろう。 黒髪が揺れたかと思えば目の前の彼女は、倒れている生徒の脈を確認した。 その横顔を窺っていると“彼”は死んではいないようだ。血の匂いもしない。 衣服に乱れもない。勿論切り裂かれたかどうかという意味でだ。 この生徒はただ気を失っているのだろう…恐らく“彼ら”に遭遇して。 命はあるが目の前の少年も被害者の一人だ。

「ねえ。その子任せてもいい?」

急がないとそれこそ本当の死者が出る。 目の前で関係のない人が死ぬのはもう御免だ。は何も言わずに立ち上がった。


「まさか一人で行く気!?結界は?今からでも術は掛けれるわ。時間を頂戴!」
「すぐに行かないと!大丈夫。私はドジなんて踏まないわ」


後ろからの声がしたが振り返るつもりはない。 結界とは解釈は色々できるが、周りからその空間や物を隔てる術だ。 羅刹やそれを始末している自分たちの存在の露見を防ぐ為のもので、 一言で言えば“見えなくなる”ものだ。 結界を張れば外からは視覚で捉えられなくなる。 勿論、術の程度や掛ける人の能力によって精度はバラつく。 結界を張ること自体、加えて維持することにも体力と精神を消耗するという欠点も忘れてはならない。 ちなみに私は結界を張れない。その点は優秀だ。結界を張るには少し時間がかかる。 こんな所でもたもたしている時間はない。 それにこの生徒はこのままだと再び襲われる可能性がある。そのまま放ってはおけなかった。 私の背中から何を感じ取ったのか、小さなため息が聞こえた。

「まっいいけど。にしてもこれで二回も見せ場を取られちゃったわねえ」

きっと後ろではニヒルな笑みを浮かべているのだろう。は前回の事をまだ根に持っているというのか。…何と言うかこのままだと後が怖い。

「明日のランチご馳走するわ」
「食後のデザートもね」

私がそう言った途端に嬉々とした声に変わった。 まったくこれだから大変なのだ。今回は仕方がない。

。気を付けて」

落ち着いた声だった。振り返らなくてもわかる…きっと彼女は真剣な表情をしている。

「勿論」

それだけを伝えて、 は校舎に向けて走り出した。



*****


「ねえ一君」

電気も点けない薄暗い教室の中から、空を見上げた少年が呟く。 今まさに教室を出て行こうとして突然名前を呼ばれた少年は「何だ」と言わんばかりの表情で振り返った。

「何だか楽しいことが起こりそうな気がするよ」
「楽しいこととは?」

少年は何事にも動じず、淡々と尋ねる。


「やだね。それは君が一番知っていてるじゃない」

子供の様にケラケラと笑う目の前の男をジッと見つめると、小さく息を吐き捨て教室を去る。 彼が何を言おうとしたのか、勿論知っていた。