櫻色ノ薔薇




 【仇、罠】


その週末。金曜日の放課後は翌日が休日だからか帰宅する生徒も多い。 薄桜とて例外ではないが、今日は特別だ。遅くまで活動しているはずの部活の生徒もまばら。 いつもは賑やかなはずの18時前にはもう人の姿はなかった。 生徒が残っていないか教師の巡回が始まり、加えて教室や校舎の施錠を確認。 18時丁度に校門は閉じられた。

ガサガサという音が響く。 草木を掻き分け、時にそれらを踏み拉きながらも人が歩く音だ。 もちろんでもでもない。夕焼け色に染まる校舎が美しい。 しかしその時間は僅かばかりで、反対側から薄闇に包まれる。 表面上は人がいないにしても校門は目立つ。私たちは今、校舎横に植えられた少し大きな木の上にいた。 もちろん言葉は交わさない。気配を殺しながらも下に視線を降ろす。 木の下には、先ほどから怪しい動きをする人影。 まるで自分はここにいますとばかりに大きく物音を立てている。 何者だろうか?気配からしても羅刹ではない。人間だ。窃盗の類か、もしくは悪戯でもしに来たのか。 あるいは彼らの仲間か。下の人間は、上に潜む彼女たちには気付くはずもない。 顔もわからない人間は校舎に近づくと窓に手を近付けた。 今日の為にいろいろと作戦を考えてきた。恐らく一筋縄ではいかないであろう薄桜学園の三人組。 彼らが今日いったい何をしようと言うのか。 それを見てみたいという思いも一つ。彼らをもっと知りたいという思いもまた一つ。 この日が、三人組との出会いがより一層楽しいものになるように筋書きは多い方がいい。 裏から色々と手をまわして薄桜学園校舎の図面すら手に入れた。 もちろん逃走経路確保の意味も込めてだ。これらの筋書きの発案は主にだったりするがもいくつか手直しを入れた。 沖田総司君、一君、左之君。彼らはどんな人だろうか。 何だかスパイ映画みたいで楽しくなってきた。

ドンドン! ─ガチャガチャ

回想に浸るを現実に引き戻してくれたのはガラスを叩く音だった。 下にいる人間はどうやら学校の窓を開けたいらしい。 ガラスを割らないということは物盗りではないのか、あるいはそこまで頭が回っていないのか。 大きな音を立てられてはにとっても迷惑だ。 よくよく凝らして見てみると、白いブラウスにクリーム色のベストを着ているのがわかる。 髪はそう、濃い目の青。この薄闇の中だと黒にも見えてしまうが、 闇に慣れた視力の良い彼女たちには判別できる。 ズボンをはいていると言うことは男か。にしても見覚えのある服…
そう。浅黄色のジャケットを羽織っていないもののこれはこの薄桜学園の制服だ。 この男は帰宅が命じられた日の放課後に、わざわざ学校に侵入しようとしているのだ。 いやもうここは学校の敷地内なので侵入は果たしてしまっている。怪しい。 というか、本当に物盗りか悪戯かの現場に出くわしてしまったのだろうか。 それはそれで面倒なことになってしまった。三人組は、今日何か行動を起こすのだろう。 下の男が彼らの仲間で、彼らが起こす行動に沿って動いているのなら頷ける。 一般生徒の犯罪行為を見過ごすわけにもいかないが、三人組…強いて言えば“羅刹”関係の出来事に巻き込むことは避けたい。

「…ったく。ここら辺の鍵をこっそり開けといたのに。なんで閉まってんだよ!」

一つ、また一つと鍵が掛けられていない窓を探す男…いや生徒ならば少年か。 隣のに視線を送る。私の視線に気付いたのか彼女は何かを伝えてくる。

「(どうする?)」
「(この子何?一体何がしたいの?)」

が私の耳元に口を寄せて小声のやりとり。 もちろん下の男には聞こえていない。

「もしかして三人組の一人じゃない?」
「多分、違うわ」
「巻き込んでも面倒だから眠っててもらう?」
「あの子たちの仲間の可能性は否定できないけど、どうしても中に入りたいみたいね。 手伝ってあげましょう」

寄せた顔を離すと私は一人で隣の木に飛び移り、しゅるりと音もなく地面に降り立った。 猿もびっくりの芸当だ。 男に気付かれないように少し離れた校舎に近づくといとも簡単に窓の鍵を突破した。 学校の窓の鍵はとても簡単だ。鍵破りの才はそこらの泥棒にも負けないだろう。 は校舎内に侵入すると、その生徒から離れた位置の窓を内側から開いておいた。 男子生徒が気づくのは時間の問題だろう。 その様子を木の上から見ていたがため息を漏らしていたのを私は知らなかった。

「(あの男の子。邪魔にならないといいけど)」

少ししてから男がが鍵を開けておいた窓に気付き、これまた大きな音を立てながら校舎内へ侵入した。 それを確認してからと同じ窓から侵入を果たす。 と合流すると同時に、小声で「結界を張ってほしい」と伝えれば頷いてくれた。 術を操るには体力と精神力を要する。 その程度や時間によってそれらの消耗は大きく異なる。 今回はも自由に行動できるように、姿が見えない程度の弱いものにすると打ち合わせてあった。 何やら墨で文字が書かれた人型(ヒトガタ)の紙を渡されて、それを肌身離さず持っておくよう言われる。 彼女が精神を研ぎ澄ましながらと自身に術を施す。完了の合図と共に、廊下を進む男を追った。 例の男は迷わずに廊下を進んだ。その後ろを行く。勿論私たちの姿は見えていない。 第六感と言うか、鋭い人間ならば今の程度の結界ならば気配だけで何かがいると気付くことあるらしい。 この男は違うみたいだが。ほぼ真後ろを堂々と歩く。もちろん足音は立てずに気配を殺して。 電気を点けない廊下はただただ薄暗いだけだ。窓から入ってくる外の明りだけが足元を照らす。 しかしもう日は暮れた。周りを確認するのに十分な明るさではない。 一歩一歩、確かめるように進む。

ふと、何かがあるのに気付いた。

を制止させる。彼女の前に上げた手をそのままに何か先の方を指差した。 廊下の奥だ。が目を凝らしてみると、足首あたりの位置に細く僅かに輝く糸のようなものが張られていた。 この暗闇だ。男は勿論気付いていない。

「(あれは…何かのトラップ?)」

考えているうちに、男の足が糸を掬った。


─ヒュンッ ドス

「うぉ!」


鈍い音と共に男の呻き声。この罠は糸に引っかかったと同時に上から何か重い物が落ちてくる仕様のものらしい。 トラップにしては定番だろう。構造を推測するに簡単な仕掛けだ。 だがそんなこととは知りもしない男は落下物が見事に頭に当たったようで、蹲りながら頭を抱えていた。 隣のが今にも声を出して笑い出しそうなのを必死に抑えている。

「ったく!痛ってぇ。何でこんな所でこんなもんが降って来るんだよ!」

男の足元には小さ目の砂袋らしいものが落ちていた。砂袋。…砂。 千鶴の言っていた“薄桜七不思議”の一つ、砂の怪。 まさかこんな誰が仕掛けたかもわからない悪戯の結果ではないだろう。 そうと思いたい。あの沖田君が解き明かすと言っていたもの。 そもそもこの仕掛けは一体誰が?
三人組か、あるいはそれ以外の誰か。男がこの仕掛けに引っかかってくれたお蔭で、今この学園がただの無人の学校でないことが分かった。 恐らく似たような、時にもっと凄いトラップが仕込まれている可能性がある。 これはまだまだ子供騙しだ。私もも同じことを思っていたようで、視線を交わらせると小さく頷き合った。 頭の痛みが去ったのか、男は足元の砂袋を蹴ると。 再び立ち上がり廊下を進み始める。

今の声からしてこの男やはり若い。よりも年下かあるいは同級生か。 薄桜の生徒であることは間違いないだろう。そしてどうやらキレ者…とは程遠い。



ギシッ ─トトトト

「ヒィ!」


ヒュッ

「ぐあッ!!!!!!」


ドサァアアア

「ぐっ」


目の前で面白いほど見事に仕掛けられたトラップに引っかかる。 横から鋭い三角定規が飛んで来たり、上から植木鉢が降って来たり、床板が外されていて落とし穴があったり。 隣のはもう涙目でお腹を抱えていた。こんな彼女を見たのは久しぶりだ。 口元に人差し指を立てて彼女に合図する。この学園一体どうした。 これらの仕掛けが直接羅刹に関係するとは思えないが、普通の悪戯の域を超えている。 何かが変だ。

「どうなってるんだよ!?俺が一体何したってんだ」

この男はこれらの仕掛けとは無関係であろう。 その後も男は2つのトラップに引っかかっていた。 暫くして男は教室に入っていった。 こちらの方は思惑が当たったのか、後ろの窓が施錠されていなかったようだ。 部屋には美術室というプレートが掲げられていた。何故ここに侵入しようと思ったのだろうか。 職員室ならばまだ金目の物や重要な書類はあるだろう。 もう一度二人見つめ合う。

「(あの子どうする?)」
「(巻き込んでも面倒よ。この子は私が何とかするわ。今回はが楽しんできて。あと仕掛けには気を付けて)」
「(了解!)」

口を開かずともここまで以心伝心な私達。 元々二手に分かれることは計画の内だ。先ほどの男が美術室で何をしようとしているのかはわからない。 若しかしたら三人組の仲間の可能性もゼロではないのだ。 男の侵入目的を明らかにして、三人組との関係を探らねば。 は敬礼のポーズをとると、くるりと体を反転させた。ここからは別行動。 彼女が下手な罠に引っかかるとは思えない。大丈夫。 は美術室の鍵が開いていた窓の隙間から中を覗いた。 普通の教室より広く、隅には石膏像や大きな額縁が置かれている。 男はどうやら奥に続いている部屋にいるようでこの部屋にはいないようだ。 ゆっくり窓を開くと桟に手を置いた。手元に体重をかけると前回りの要領で音も立てずに素早く教室に侵入。 窓を元あったように閉めると、奥側の部屋へと足を進めた。
─ガサガサ とご丁寧に室内を物色する音が聞こえる。気配を殺すのもお手のもの。 無意識には耳を澄ました。

「芹沢さんの書類。芹沢さんの書類…確かここに置いといたはずなんだけどな。 見つからなかったら殺される。ああ殺される。間違いなく明日の太陽を拝めないぞ」

何だか物騒な単語が聞こえてくる。外はもう夕方ではなく夜になっていた。 月明かりが窓から差し込む。今日は満月か。普段よりも月明かりを強く感じる。 そこでは男の姿を、顔を初めて認識した。やはり薄桜の生徒。 背はよりも高いが、歳は同じか下だろう。犬と猫で表すならば間違いなく犬。 素直じゃない中型犬みたいな印象だ。

「(忘れ物か…。いや探し物、書類?)」
「ったく、大事な書類なら俺になんかに預けるなよな。ああー確かここらへんに…」

部屋の真ん中ぐらいに置かれていた木でできた丸椅子に腰かける。 狭いけど体育座り。男の…少年の目的は窃盗に悪戯の類ではないらしい。 学校に侵入してまで探す必要があるのか。ふと疑問に思う。確か命が危ないと言っていた。 彼の口から出てきた芹沢という名の人物に脅されているのだろうか。 棚を隈なく探している。 は今頃楽しんでいるだろうか。 もしかしたらもう誰かに出会っているのかも知れない。 出来れば目の前の少年には退出頂いて、早く彼女と合流したかった。 それにこの少年を三人組や羅刹の話題に巻き込んでしまうのは避けたい。 ふと視線を手前に戻せば机の上に小さなコテのような道具が転がっている。 描画用の道具だろう。その一つを左手で持ち上げる。 男はまだまだ壁の棚を探していてこちらには気付かない。 コテを顔の前に翳すと小さく自分の顔が映っている。確かに私は映っている。 そっと握っていた手を開いた。

─カランカラン

「うっ!」


金属だからか思ったよりも高い音が響いた。男は肩をビクリと震わせ固まる。 私はまだ体育座りのままだった。 恐る恐る男が振り返るのがわかる。 目の前には女…本来ならば見えるはずなのだが今の彼には私が見えない。

「誰だ!誰かいるのか!?」

でもは答えなかった。少年がキョロキョロと辺りを見渡す。 ああ、この子意外と面白いかも。なんて、もっと悪戯して遊んであげたい衝動に駆られながらも、残念ながら今はこの少年に構っている暇はない。 せめて名前だけでも知っておきたいものだ。は椅子から降りると少年の目の前に立つ。 よくよく顔を覗き込むと可愛らしい顔をしているではないか。うーんいや、この子どこかで見たことあるような…ないような…。 このまま眠ってもらうしかないがこれも仕方がない。 見たくもないモノを見せてしまうよりは良いだろう。 覚悟を決めて拳を少年の鳩尾に入れた。

「!」

少年は目を見開き小さな悲鳴を上げるとそのままぐったりと前に向かって倒れ込んでくる。

「ちょっとちょっと!待って!」

急いで少年を抱え込む。が、よりも身長の高い男の子だ。支えきれずに倒れ込む。 次は後ろに倒れ込んでもらうように工夫しなければ。 いや下手に後頭部を打ってもらっても困るか。 背中に手を回すと上から退かした。気を失ってはいるがすぐに目覚めるだろう。

「確か何かを探していたわね」

少年が探していた棚を漁る。書類を探していると言っていた。 芹沢という人の。見ればすぐにわかるものなのか、どんな特徴の物かがわからなかった。 一通り棚を探すと、封筒のようなものがハラリと落ちた。 拾い上げるとご丁寧に付箋が貼られている。

“重要!芹沢さんの!”

これか。中身は確認しなかったが少年の胸元、クリーム色のベストに忍ばせた。 せめてもの餞別だ。押し込んだ時に手に何かが当たる。 取り出すと生徒手帳だった。学生証も入っている。

「1年1組、井吹龍之介君ね」

覚えた。彼の名前…井吹君。入学したての1年生、千鶴ちゃんと同じだ。 この少年、どこかで見たことがあるような気がしたが名前には覚えがない。

「次は忘れ物しないようにね。あと、不法侵入もしちゃだめよ」

井吹君には聞こえていないだろう。その場を立ち上がると振り返りもせずに美術室から出て行く。 さて、これからが本番だ。