櫻色ノ薔薇
【壱拾、宴】
今日は満月だ。そしていつもより風が少し強く感じる。がたどり着いたのは屋上だった。欧州の校舎の屋上とはまた景色が異なる。普段、他校の屋上になんて来る機会は無いからとても新鮮に感じた。本当ならもう少しゆっくりできたら最高なんだけどな。
と分かれてからは階段を上がった。途中、いくつかのトラップが仕掛けられていたが引っかかってあげるのも面倒なのでそのままにしておいたのは言うまでもない。何とも器用な人間だ。これほどの数と種類の仕掛けを、恐らく生徒がいなくなった後に仕掛けたのだから。顔も知らぬ仕掛け人を想像しながら、また一つ上から物が落ちてくる仕掛けを見つける。
「(ここまで凝っているのだから引っかかってあげないと失礼かな)」
張られた糸に手を掛けゆっくりと引く…が、また面白いことを思いつく。胸元から取り出した小さなハサミで糸を切と途端に上から何かが降ってくるのがわかった。 しかしそれは頭に当たらず、抜群の反射神経での手の中に納まっていた。手にズシリと重さを感じる。よくよく見てみると黒くて重い。
「鉄アレイ?何これ殺す気?」
思わず声が出てしまったではないか。今までの仕掛けが遊びならばこれは本気だ。 当たり所が悪ければ死ぬ。仕掛け人の意図が掴めない。単に悪戯をしたいのか、足止めをしたいのか、あるいは殺したいのか。は頭を傾げた。このまま置いておくのもつまらないので、糸で鉄アレイをぶら下げておいた。そうして階段を上がりきったところで、現在の屋上に至る。
視線を空から、校庭、別の校舎へと向ける。確かにこの学校は無人ではない。僅かだが人の気配がする。例の三人組だろうか、強いて言えば会いたくもないががお熱ならば仕方がない。彼女に手を出させないようにしなければ、三人組は関係ないが先の事件が頭に浮かんだ。何時からか、はに執着を見せるようになっていた。理由は色々ある。もちろん一言では語りつくせない。にとっては親友であり、彼女と一緒にいる時が気兼ねなく自分を見せることができて一番心地良いと感じていた。彼女の関心や興味が他に向けられる度には不安になった。男なんて以ての外だ。いつだっての心の中に存在したい。それは恋愛的な意味ではない。ただもっともっと近くに居たいという、純粋で、ある意味危険な感情。にはその自覚はない。
さあて、そろそろ仕事再開。せっかく一番美味しいところを貰ったのだから存分に楽しまなければ。校舎内を通ってもよかったが、趣向を凝らした罠が張り巡らされていると思えば途端に面倒に感じる。二階と三階には隣の棟と渡り廊下が繋がっていた。ここを通ろうか。屋上から渡り廊下の屋根までは飛び降りればすぐだ。まさか三人組も廊下を通らず屋根を移動するとは思うまい。も自慢の脚力で、屋上から渡り廊下の屋根に飛び移ると目的地を目指した。
*****
「報告致します。始末人は恐らく校舎内に侵入したものと思われます。罠が作動していたところが数か所見られました」
特別会議室内で伝令担当の山崎が告げる。本部には近藤と山南、待機組の原田と永倉が居た。始末人が現れたという事実に、永倉は途端に声を荒げる。
「おっしゃ!ここからは俺様の出番だな!見とけよ始末人!」
「報告ありがとうございます。ところで山崎君、どうかされたのですか? 何か言いたそうですが」
握り拳で闘志を燃やす永倉に比べて、山南は何時にも増して冷静だった。普段とは異なる伝令の様子に気付いていたのだろう。視線を下げたままだった山崎が顔を上げると重い口を開く。
「近藤学園長、山南先生。少しお耳に入れておきたいことがあります。罠が作動していたのは主に1階でした。あとの場所はそのままで作動した形跡はありませんでした。しかし他に数か所、主に上層階で刃物等の鋭利なもので切られた痕跡があり、罠が破られていました。ある場所は前後の罠は無事で、その一か所のみ別の罠にすり替えられていた所もあります」
「つまりそれは…」
始末人とて馬鹿ではない。1階の作動した罠が、逆にこちらを油断させるための罠なのかも知れない。いやそれならば、罠を破ったりすり替える必要はない。そのまま引っかかったと思わせ続ければいいのだ。一体何がしたい? 此方側の力量を量っているのか? 始末人の謎の行動に対する答えは見つからなかった。
「山崎君、これは貴重な情報だ。俺からも礼を言う。これをトシや総司たちに伝えてやってくれ。途中始末人に遭遇するやも知れんから十分気を付けるように」
「御意」
短く礼をすれば、横から新八先生の「まだまだ留守番かー」という呟きが届く。どうやら彼も前線として活躍したいらしい。待機組ならばもしものことが無い限り外に出ることはないだろう。急がなければ。この始末人きっと只者ではない。音もなく山崎は闇に紛れた。校舎内を走ってみても怪しい人物には出会わなかった。二階に進めば丁度、沖田・斎藤の二人組に出会う。 彼らは罠の場所を知っているし、易々引っかかるような人間ではない。先の罠の件について報告する。斎藤は「そうか」と呟くと何かを考えるように手を口元に当てた。一方で沖田はさも楽しそうに笑うばかりだ。
「ねえ一君、聞いた?あの鉄アレイ。僕が山崎君に提供したんだけど、破られてたんだって。あーあ、残念だったな」
「とりあえず、油断はしないでください。これから俺は土方さんと藤堂君にもこのことを伝えます」
「そうだね。うん、そうして。土方さんなら今頃教室棟にいるよ」
二人と離れて程なく土方・藤堂と接触、山崎は無事に伝令の任務を果たすことができた。
*****
ご丁寧に鍵が開いていた。いや、これはわざとだろう。正しく「ようこそいらっしゃいませ」ということだろうか。中に入ってみても、人間の気配は感じられない。 下手な罠が仕掛けられている様子もない。目的地は三人組との始まりの場所「視聴覚室」だ。彼女はまだここに到着していないらしい。どこで道草を食っているのか。 あるいは誰かに出会ってしまったのか。でも心配はいらない。彼女は強いから。こんなにも月明かりが綺麗なのに、この部屋の窓の大半は分厚いカーテンで閉じられていた。
「(そうだ。いいこと思いついちゃったわ)」
部屋中の窓という窓を開く。時より強い夜風が吹き込み、カーテンが靡く。風が通れば随分気持ちいいものだ。空気の入れ替えは重要とも言うし。着ていた長袖パーカーを脱ぎ、腰辺りに巻きつけた。窓から外を眺めると今まで起こった物騒な出来事を忘れそうになるほど、静けさを感じた。ふと渡り廊下を何かが動いたような気がした。人間だが彼女ではない。三人組の誰かか、早く遊んであげたい。その時、一直線にこちらに向かってくる足音に気付いた。さあお手並み拝見というところだ。
─ギィ
扉が開く音がする。入ってきたのは足音からして一人だけ。しかも随分大胆な足音だ。どたどたと音を立ててこちらに向かってくる。
「何でここ窓開いてんだよ。ったくさっきからこの学校どうなってんだ?」
入ってきたのは声からしてさっきの男だった。まさか? まだ気を失っているかもう帰っているはずではなかったのか。計算が狂う。そしてここに来たということは間違いなく三人組の仲間だろう。 さっさと始末しておけばよかった。離れた位置から男を観察する。もちろん此方には気付いていない。段々に備え付けられた机の間を降りてくるのがわかる。そして降りながらも一つ一つ机の中を覗いている。はて、どうしたものか?
「確かここらへんに俺の財布が……ってあった!よっしゃ! これでやっとこの変な学校から帰れるぞ!!」
この男、どこまでもお馬鹿さんらしい。あれほど罠に引っかかっていたり、この状況ですぐに家に帰らなかったり。三人組の仲間か…いや違うか。三人組はもっと切れ者のイメージだ。こんな普通の人間は仲間なはずがない。男の独り言を聞いていると、どうやら財布を忘れたらしい。夜にわざわざ侵入してまで取りにくるものだろうか。それとも全財産が入っているくらい高額なものなのか。どちらにしろ私にはまったく興味がない。これから三人組と楽しいお遊びが待っているのだ。一般人はさっさと退出願いたい。男が教室を去ろうと、階段状になった机の間の通路を上がっていた時だった。
「ッ!?」
突然、彼らの気配が現れた。姿はまだ見えない。男は勿論気付いていないだろう。 キョロキョロと辺りを見渡す。居る。この空間に彼らが。
「血ィ……を……」
「ぅぐ!? なな……何だよ……さっ、さっきから!」
彼らの、腹の底から湧き出たような掠れ声が響く。 例の男は“彼ら”の姿を捉えてはいないものの、今までの罠とは次元の違う出来事が起こると悟ったらしい。 肩をビクビクと震わせているのが見て取れる。
「オイ!誰なんだ!俺を驚かそうとしている奴は!! 言っとくがこんな程度で…、俺は、俺は驚いてなんかねーぞ!!」
いやいやいや、思いっきり怖れ慄いているではないか。思ったことをうっかり口に出してしまいそうになるのをどうにか抑えた。我ながら冷静なツッコミ。男の前方、教室の後ろ側に揺らりと影が揺らめく。居た。羅刹だ。 轟々と風が吹き込み重いカーテンがバタバタと暴れる。
「血ィ…欲シィ…。血ヲ…寄越セ…」
白髪の赤眼。最早二本足で立ってはいない。獣のような風体の羅刹だ。男もどうやらその姿を捉えたのか、ガタガタと肩や足を震わせ棒立ちになっている。足は動かなそうだ。
「おいおい何だよ…これ」
「血ィ…」
目を見開いた羅刹。その手には鋭い爪が輝いていた。引っかかれたら一溜りもないだろう。ゆっくりと、しかし確実に獲物を捉えながら羅刹が前に重心をかける。 飛び掛かる。そう思った。
「うぁあああああああー!」
─ガキィン
羅刹がその鋭い爪を翳して飛び掛かったと同時に、少女も動いた。 鞘に入れたままの状態のそれで爪を食い止める。 男は腰を抜かしたようでその場に座り込んでいた。 少女は見えていないのだから、寸前で爪が止まっているように見えているのだろうか。
「ねえ…貴方!」
この羅刹、力だけはあるようだ。爪に体重を掛けてくる。 その重さに耐えながらも男に届くように声を絞り出す。 突然何もない空間から女の声がしたのだ。男は辺りを見渡し、声の主を探していた。
「おっおい!誰かいるのか?」
「いるわよ。まったく。ここは…いいから、さっさと…消えて」
言っている意味が解らないのか、男の頭には「?」が浮かんでいた。 突然降ってきた声だ。無理もない。ここで暴れても構わないが、この男を巻き添えにするのは良くない。 彼女もそれを望まない。
「おい!これは…いったい何なんだ!?化け物か?」
男が声を振り絞って叫ぶ。見えない相手に向けてだからか、本当は目の前にいるのだが叫ぶように声が大きい。 正直、耳障りなくらい煩く感じる。“これはね…、羅刹っていうの。 察しの通り人間じゃない。ただの化け物よ”声には出さないが、頭の中で答えておいた。 彼らが一層力を掛けてくる。まったく単純だ。 力を込めてその攻撃を食い止めていたが、手の力を緩めて引いた。 途端に羅刹は体勢を崩す。その一瞬を狙って、空いていた足で彼らの腹を蹴りあげた。 羅刹が吹き飛び、後ろの壁に叩きつけられる音がした。
「ねえ貴方。今見たもの全部忘れて」
「お…い。そんなの…、そんなの出来るかよ!!」
彼方からこちらに向かう気配が二つ。この男の先ほどの叫び声でも聞かれたのだろう。 間違いなくこれは三人組の誰かだ。ご丁寧に殺気まで感じる。 この状況で遭遇するのは分が悪い。こちらとしてももっと余裕のある状況で交戦したい。 後ろにへたり込む男の胸倉をつかんで立たせる。男の瞳に恐怖の色が見えた。 でも気にしない。気にしてあげられない。 怖いのなら見なければいい。居たくないのなら逃げればいい。 貴方はまだ関係ないのだから。
「私はここにいる。良いから私の言葉を復唱しなさい」
焦点が合っていなかった男が前を見据えた。姿こそ見えてないだろうが視線は交えている。 大丈夫だ術はかけることが出来る。
「今日この日この夜の出来事を一切忘れる。 お前は今日物を探しに学校に来なかった。何も知らないわからない。いいな?」
「今日この日この夜の出来事を一切、忘れる。 俺は今日物を探しに学校に来なかった。何も知らないわからない…」
懇願するように男が呟いた。自らに掛けた結界の術を弱める。 男の前に手を差し出すと、うっすらと姿が見えるのか男の視線が手に注がれる。上出来だ。
「君は今から裏の非常階段を下りて帰りなさい。決して振り返るな」
─パチンッ
静かに指を鳴らす。音と同時に男の目が僅かに見開かれた。
「行け!」
一層に声を荒げると一目散に男は裏の扉から出ていった。 これでこの部屋での出来事、学校に来たことすら忘れるだろう。 あとは学校から出るまでに誰にも会わないことを祈るだけだ。 あの男の運を信じるとしようか。 男が出て行った方向から視線を前に向けると、羅刹が体勢を整え今にもこちらに飛び掛かりそうな状態だった。
「(しまった!間に合わない!)」
彼女がそう思った時にはもう羅刹が飛び掛かってくる瞬間だった。 防御が間に合わない。体を精一杯捻らせるが、羅刹の爪が彼女の腕に引っかかった。 深くはないが長く切られたようだ。血が滲む。
「ぐっ!」
先ほどから感じている人間の気配がどんどん近づいてくる。 もうすぐここにたどり着くだろう。 それまでにこの羅刹を始末しなければ。
「いい加減に…しろってーの!」
羅刹が三度飛び掛かってくる。鞘から白刃を抜くと、目にも留まらぬ速さで振り切った。 一撃が羅刹の首を飛ばした。彼女の体には羅刹の血が降りかかる。血の匂いは嫌いだ。 羅刹本体はすぐに灰の様に崩れた。素早く血振りを行う。 それでも残った血は、腰に巻きつけた上着で拭った。
気配が、足音が階段を駆け上がる。三人組はもう着いたようだ。 いらっしゃいませと言いたいところだが、残念ながら彼女も彼らの血に塗れている今は出迎える元気はなかった。 術はまだ利いている。彼らには見えない状態だ。 なのに頭の中ではどこに隠れようかと考えていた。 彼女は血塗れのまま奥の柱の向こうに隠れる。 さあ、三人組のお顔を拝見するとしよう。