レプリカ虚像乙女
【序章、偽りの女】
“拝啓 貴方様
この国も随分変わってしまいましたがお元気でしょうか。名も知らぬ貴方に助けられて早十年。私は今まで多くの方に救われてきました。今の私からは想像も出来ないのですが、幼い頃、それはとても病弱な女の子だったのです。
いつからか、助けられるのではなく多くの命を救いたいとこの道を志しました。貴方と出会ったあの時、私はまだ半人前にもなれていない子供でした。貴方が私を助けて下さらなかったら、きっとあの時死んでいたでしょう。私はあの時、かけがえのないモノをたくさん失いました。全てを、敵も、世界さえも呪いました。この国を憎み、壊れてしまえばいいのにとさえ思ったこともあります。しかし、その中で私はもう一度希望を抱きました。私は私のやり方でこの国を変えていこうと思います。私にしかできないこと、見つけたのです。あの日の貴方の後姿は今でもこの目に焼き付いています。差し出した手を確かに握り返してくれた感覚を今でも覚えています。何故でしょう。それだけはわかりません。
江戸の地を転々とし、時には宇宙に行くことも増えてきました。貴方は今どこで何をしていますか。この広い世界の中で、もう一度会うことが出来たら今度はちゃんと言わせてください。「助けて頂いてありがとうございました」と。もし貴方が誰かの助けを必要としているのなら、私が貴方の力になりたいと思います。
いつか貴方に会えるまで、私は探し続けます”
分厚い日記帳(兼スケジュール帳)に自分だけの手紙を認め終ると、充足感と少しの解放感からため息を漏らした。他人には見られたくはないが職場で書くというスリルがなかなかクセになる。誰にも見られない様に厳重に鍵をかけるとポケットにしまい込む。少し肩が凝ったのか、首を揺らせばボキボキと関節が鳴った。
壁に掛けられた時計を見れば時刻は13時過ぎ。この職場は明確な昼休みの枠がない。昼時はある意味戦争で、僅かな時間を使い交代で食事に行くのが常である。ようやく昼休憩を貰ったと思ったら“ここ”を無人には出来ないと、後半のご飯組に組み込まれてしまった。先輩(含むお局)たちはさっさと近所の定食屋に乗り込み、数量限定の格安ランチを食べているのだろう。何て羨ましい。早く帰ってこい!と心の中で悪態をつきながら、受付カウンターで一人待ちぼうけ。
「貴女…休憩の時間じゃなかったの?」
廊下の奥から声がかかったので、座り込んだ受付台から覗き込めば、先輩の内野さんが小走りに向かってくるのが見えた。
私は
。色々とワケ有りな存在だが、表向き普通の看護婦として生活していた。ここ大江戸病院は設備も充実していて、近頃江戸で急成長している病院だ。小さな診療所を転々としていた私にとって、総合病院での業務はとても魅力的だった。勤務し始めて早三か月。立場こそ新人で駆け出しのぺーぺーであるが、主に入院患者のお世話を担当していた。
優しく声をかけてくれたのは先輩の内野さん。勤務している看護婦はベテランが多いが、彼女は私と歳も近く所謂“若い”グループに入るのだ。黒髪ショートボブにパッチリお目々、時々おっちょこちょいで誰にでも積極的に声をかける内野さんは入院患者(主に男性)の間でもアイドル的存在だ。彼女が廊下を進めば皆が笑顔で声をかけていた。私がここ大江戸病院に来る前には、入院していた患者さんとイイ雰囲気になったとかいう噂が流れていた。真相は知らないが。内野さんに引き連れられて初めて病室を回った日、とても緊張したのを覚えている。長い廊下の左右には引き戸がずらっと並んでいたからだ。全ての病室へ挨拶しに伺えば、患者さんはあっという間に名前を憶えてくれた。逆にこちらが患者さんの名前を覚えるのに苦労した。今はもう覚えたが、最初の頃は掲げられたネームプレートを確認しながら病室に入っていたのが懐かしい。
「婦長ったら、こんな日まで
ちゃんに留守番任せて行っちゃったのね」
「お気遣いなく。ナースステーションを無人になんて出来ないですから」
内野さんは
の横に座り込むと、背もたれに体を預けて思いっきり体を伸ばした。
「ご飯行ってきていいわよ。それまで私がここに居るから。タイミング逃すとお昼抜きになっちゃうわ」
「でも…痛っ」
渋っていると渾身のデコピンを食らった。「早く行きなさい」と手で合図されて、急いでカーディガンを羽織ると更衣室まで財布を取りに走った。
新米イビられ街道を進む私にとって優しい内野さんは天使だった。今までは感じなかった職場の人間関係構築の難しさがここには存在していた。仕事は嫌いではない。むしろ誰かの役に立っていると思えば楽しいくらいだ。しかし「人を救う」と言う漠然とした目標に向かって手探りで働く私にとって、患者よりも先に身内の存在に悩まされてしまう事が苦しかった。どう足掻いても、理想と現実との間に起こった亀裂は埋まることは無い。
何度でも言う。仕事は嫌いじゃない。
たった三か月。それでも長い三か月を経て、私は制度の整った大江戸病院を離れることを決めた。私がやりたかったのは、与えられた仕事を淡々とこなすような…こういう事ではないのに気づいてしまったから。尻尾を巻いて逃げると言われてもいい。自分の中の何かを変えたかった。退職が決まった途端、お局看護婦からの風当たりは更に強くなった。そして、今日が最終勤務日なのだ。
「
」と書かれたロッカーを開き、鞄の中からがま口の財布と携帯を取り出しポケットに突っ込む。内野さんへのお礼はコンビニのチョコにしようか或いはクッキーか。うーん。行ってから決めよう。閉めようとした扉にカランと音を立てて当たったのは、首から下げたカードホルダー。大江戸病院の所謂社員カードが入っていた。その裏は看護師の免許証が背中合わせで入れられていた。一枚、看護師の免許証をズラせば白いカードが一枚、半ば無理矢理重ねられている。
“医師免許証
”
私は看護婦である前に医者の道を志していた。
さっさと昼ご飯を済ませて戻ってきた私を待ち受けていたのは急患の対応。少し前に流行った薬物の中毒患者だった。今までにない依存性の高い麻薬は余所の星からもたらされたモノ。表立ってはいないが、ヤクザやら犯罪者やらアングラな組織の資金源として今もまだ出回っている。泡を吹く極度の興奮状態の患者を数人で押さえつけている間に医者が応急処置を施す。幸いこの人は初めての使用で量も僅かだったようだ。しかし「転生郷」と呼ばれる麻薬の依存性の高さは侮れない。症状が落ち着いたら麻薬患者の更生施設に行くことが決まったらしい。
「ふぅ…」
今日で最後なのに大仕事だった。大男を押さえつけるのは一筋縄にはいかない。気分転換に外の空気を吸いたくて抜け出した先は屋上。患者も出入りできる病棟ではなく裏側にある特別棟の方。今の時間は医者も看護婦も誰もいなかった。空には飛行船が数隻飛んでいるのが見える。遠いな。
私にはもう一つワケ有りな事情があった。それは“家”との関係だ。只今、絶賛家出中なのである。理由は追って話そう。
──ヴーンヴーン
と、私用携帯が振動した。あれ?ロッカーに戻してなかったっけ…と思ったら急患の連絡に慌てて駆け付けたからか、個人の携帯はポケットに入ったままだった。婦長にバレたら逆パカされて沈められてたかもしれない。良かった。誰もいないことを良いことに勝手に休憩タイム。開けば新着メール1件の通知。ダイレクトメールかと思って、件名だけ読んで消す気でいた。
“件名:緊急連絡!”
物騒な件名に胸騒ぎがする。送信元は見知った友人からだ。何か嫌なことが起こったのではないかと急いで本文を読めば案の定悪い知らせが入っていた。もう少し“外”の世界を満喫したかったのだが。勤務終了まであと二時間。最後まで頑張ろうと
は院内へ続く扉を開いた。
引き継ぎを全て終えると三か月間の大江戸病院勤務が終わった。
最後は看護婦の皆から花束やらメッセージカードを貰った。担当に関わらず、患者さんからも手紙やら花やらをプレゼントされる。黒い噂が絶えない黒田先生のしつこすぎる食事の誘いを何とか断り、更衣室に逃げ込む。何が「江戸一の美味しい寿司レストラン」だ。あの男が看護婦皆からブラックリスト入りしているのはここだけの話。何でも院長の弱みを握ってて、好き勝手していてもお咎めなしなんだとか。外道だ。いつか滅びろ、と悪態を溢しつつナース服を脱ぐと専用の回収箱に放り込む。ロッカーの扉を開き鞄を漁ればチョコレートが二個出てきた。糖分を欲していたので早速食べる。甘くて美味しい。チョコレートは正義。銀紙はくしゃくしゃにしてゴミ箱へ。と、
はゴミ箱の中に何か見つけた。
“万事屋 坂田銀…”
シンプルな名刺だった。しかし半分に千切られ名前の最後も連絡先も読み取れなかったが。看護師の誰かが患者からもらったのだろうか。ラブレターやら連絡先やらプレゼントを貰ったら、散々話のネタにしてゴミ箱に捨てるのは良くあることだ。正直捨てられたゴミに興味はなかったが、このご時世あのかぶき町にある“万事屋”とは中々面白いと思い拾い上げる。しかし連絡先の読み取れない名刺には何の意味も無い。元あった様にゴミ箱に戻しておいた。帰ろう、と重い体を動かし
はとっとと大病院を後にすることにした。
敷地から出る時に一礼。次の勤務先は決まっていない。次の勤務があるのか否か。さっきのメールを要約すると、家から呼び出しを食らった。要は仕事を止めろという事。医者になる道を絶たれるなんて…私には耐えられない。何が何でも私は家を出る。そのためには色々と準備が必要だ。あれこれ考えながら帰路を進む。角を曲がると人気のない夜道が伸びていた。浅い川沿いに連なる桜の木も春ならば綺麗だが、今の季節はただの枝葉しかない。静まり返った世界に身震い一つ。何だか嫌な予感がする…早く帰ろうと足を早めた時だった。
「お姉さんどいてぇぇえええ!!!」
「!?」
遠くから恐ろしいほど切羽詰った叫び声が近付いてくる。私に対してなのか?人気のない道路に考えるまでもなく振り返った。刹那。視界には原チャリのライト。しかも一直線に向かってくるのだ。
「きゃあああああああ!」
心臓が裂けそうだった。向かってくる原チャリを間一髪で避けた。3秒いや1秒後だったら多分引かれてた。通り過ぎ様、まるでスローモーションのように全てがコマ送りに見えた。一応ブレーキをかけたのか減速した原チャリが止まる。死にかけた私は怒るよりも何も腰が抜けて動けなくなっていた。ちなみにかすり傷一つ負ってはいない。
「いやぁー悪ぃ悪ぃ。にしても見事な避けっぷり。お姉さん立派な闘牛士になれちゃうよ」
「あ、その、、ありがとう、ございます」
心臓がバクバク言っているからか真面目な応答はできなかった。言葉が出てこないので男の気怠そうな眼差しをジッと見つめる。私の視線に気付いたのか、ヘルメットを被ったままの男は背中をボリボリと掻きながら言った。
「あー悪いついでであれなんですが今ちょーっと急いでて。ついでに違反の点数ギリギリで出来たら警察には秘密にしていてもらいたいなーなんて。あ、これ俺の名刺。アンタに何かあったら出来る限り力になるから!頼む!」
「はぁ…」
放心状態の私の前に名刺が差し出される。
“万事屋 坂田銀時”
見覚えのある名前に瞬きを繰り返す。さっきの名刺だ。と言うことはこの男が万事屋の経営者と言うことで良いのだろうか。人を見た目で判断してはいけないが、どうにも仕事を任せられるような印象は得られなかった。仕事の時は豹変するとか…、あーないない。一人であれこれ考えている間に、その男は停めてある原チャに跨ると鍵を回し込みエンジンをかける。ライトを点けると私を含めどこにも衝突していないのに、表面が粉々に割れていた。むき出しの電球が煌々と光っている。
「やっべぇーどっか当たったか。今月金ねぇのに…またじーさんとこで直してもらっか。お姉さん立てる?夜道危ないんで送るけど大丈夫?」
「いえ…お構いなく」
新手のナンパだったら引く。もれなく引く。むしろ貴方の存在の方が危ないと思う。轢き殺されそうになっているのだし…と心の中で存分に呟くことにする。さっきより随分落ち着いてきたようだ。よろよろしながらだが
はようやく立ち上がることが出来た。お尻に付いた砂を叩くと投げていた鞄を拾う。確認してみるが傷はついていない。良し。
「じゃーお姉さん気を付けて」
「貴方も運転お気をつけて。さようなら」
颯爽と暗闇に消えていく尾灯を眺めながら、ある種の運命的な出会いに胸がざわめく。それは勿論、恋愛のような甘いものではない。変な男。万事屋。私が家を抜け出すための協力者として役立つかもしれない。
は受け取った名刺を眺めながら携帯を取り出すと慣れた手つきで番号を押した。数回のコールで電話は繋がる。
「私よ。ねえ…お願い、かぶき町にある“万事屋銀ちゃん”という店に行って欲しいの」
相手の困惑する声が聞こえた。
主人公が抱える二重生活…。銀魂連載はじまりはじまり。
20160508*星宮はちこ 裏語