レプリカ虚像乙女
【第一章、飛翔 四話、仮面舞踏会】
大々的なファンファーレが響く中、この日の為に建設された新棟の大広間では異星人が江戸に大使館の設立にあたっての祝辞を述べていく。幕府のお偉い方もそれに応じる形で杯を交わす。天人があの男の技術と交渉力を誉め、それを使って商売を始める約束を取り決めた。互いの国に繁栄を…という声が耳に届くも私の心には響かない。目の前で俯瞰的に流れていく式典の内容があまりにも空っぽで下らなくて滑稽だった。上層だけで取り決められる決まり事。それもあの男が父の栄光をまるで自分のモノかのように使って得た偽りのモノ。
盛大な拍手喝さいの最中私の名を呼ぶ声がして、ふと、気が付いた。あの男に呼ばれたのだ。私の隣には写真で見たことがある天人が立っている。つまりはこの人が婚約者なのだろう。司会がその天人と私を紹介する。初めて会う人と結婚だなんて、よくよく考えれば馬鹿げてる。それを受け入れちゃう私はもっと馬鹿げてる。医者として…私を必要とする人を救いたい、ただそれだけ。なのに神様はそれを許してくれないのだ。目尻から零れた雫が仮面の下を伝う。悟られない様に精一杯、笑う。
“─それでは舞踏会へと移ります。皆様、フロアへお集まりください”
そんな神様ならいらないわ、って私の中の私が呟いた。だから私はこの式典をぶっ壊す。誰にも私の自由を奪えない。今日ここで
は死ぬ。時は来た。
「御免なさい。ちょっとお化粧が崩れちゃって…すぐ戻ります」
小声で隣の天人にそう伝えると有無を言わさずにフロアの雑踏を走り抜ける。会場の扉を出ると同時に首元にヒヤリとした金属の感覚と音がした。想定外の展開に息を飲めば私の顔を確認した相手は刀を降ろす。反応が遅れていたら間違いなく真っ二つだった。
「危ねぇですぜィ。思わず殺っちまうとこでした。アンタ今日の主役だろ?」
そう言ったのは、殆ど隠れていないレースの様なスカスカな仮面を纏った随分と若い男だ。首元には赤いアイマスクをかけている。確かに式典最中に抜け出そうとする輩がいれば、そいつはただの不審者でしかない。着眼点は悪くないが私は違う。ここで止められるわけにはいかないのだ。
「少し化粧直しをしたいのですが」
「まあ良い。ただ…何かあっても困るんで護衛を付けさせてもらうぜィ」
「それならば彼を」
私が指を差したのはたった今目に留まった真選組の男だ。何故だろうさっきからそこに居たのだろうが、“今”目に留まった彼。私に刀を向けた男は中々の手練れだ。もしもの時、撒くのが大変そうだと思ったので彼をリクエストしておいた。見た感じ普通…どちらかと言えば地味。山崎と呼ばれた男の人は例の手練れに何やら指示を出されてた。
「10分間待ってやる。帰ってこなかったら異常事態で警報を鳴らす」
アイマスクの彼も中々冒険心がお有りと言うか、サディスティックと言うか。10分って短くない?女子の本気メイクの化粧直しどれだけ大変だと思っているのだと心の中で思っていたら、「3分でもいいんだぜェ」なんて悪魔の囁きが聞こえた。御免なさい。そうこう言っているうちにも刻一刻と時間は過ぎていく。会場を長時間抜けるのはマズイ。山崎さん(と呼ばれていたから勝手に呼ぶ)が後を追ってくるのを感じながら、カツカツと軽快なヒール音を立てて廊下を走った。
辿り着いたのは小部屋。
との合流場所…と言っても彼女はずっとここに居た。ちなみに山崎さんには少しの間、外で待ってもらっている。
「順調よ…全部予定通り。外に居るのは護衛の山崎さん。広間前の扉に居るのは沖田さん。こっちは厄介そうだからあまり絡まないで。10分しか猶予をくれないほどのせっかちさんよ」
「了解。荷物はあちらに」
予定ではXX分後に機械室を爆破後、外で花火を上げ、暗転した会場と警備の混乱に乗じて屋敷から逃走というものだ。手元の時計を確認する。準備していたトランクケース2つを手に、次の時間までここで私が待機する番だ。ここで私達は入れ替わる。会場へは
が私として戻るのだ。
「
、時間よ。外の山崎さんと会場へ」
「了解…
…」
彼女の震える声には答えない。ただ信念を宿した強い瞳で応じる。そこから何か感じ取ったのか
は一人頷くと外へと続く扉のノブへと手を掛けた。彼女が退出してから、狭かった小部屋が何故だかだだっ広く感じてしまう。緊張からか心音がドクンドクンと体中に響き渡っている。後は何事も無く、屋敷の照明が消えるのを待つばかり。大丈夫…今のところ。
は小部屋に留まり、今か今かとその時を待っていた。
この日の為に、あえて古くから屋敷に備えられていた旧広間ではなく新しく建設した広間が会場になるようにした。会場の設計も電気系統の配置もすべて計算尽くされているものだと誰が知ろうか。今その会場に居る者の中で秘密を知るものは、蔵人と
の二人だけだろう。心音がまるで時計の秒針のように脳内に響く。直ぐに部屋から出れるように、ドアノブに手をかけ待機してどれくらい時間が経ったのだろうか。
─フッ っと、突然壁に取り付けられた琥珀色の電灯が一瞬で消えた。
その合図と同時に
は部屋の外に出る。時計の時間も予定通りだ。今頃暗転した会場は混乱しているのだろう。目の前の廊下も明りが消え、外からの月明かりだけが頼りだ。薄暗い小部屋にある小さな電灯の明かりの中で潜んでいた
には視界は鮮明だった。衣装を着替えるべきか悩んだが屋敷の中では、不審者と疑わないために仮面とドレスが必須だろう。歩きにくいトレーンと芯の入ったパニエだけをあの部屋で脱ぎ捨てた。
薄暗い廊下を進めば反対側の棟の明りが目についた。今回、屋敷全ての電気を断ったわけではないのだ。自分が通る経路とそれを悟られないために関係の無い場所数十か所、仮面舞踏会会場と警備室本部への電気は断たせてもらった。最新のセキュリティーシステムは、鍵と言う物が不必要な反面、全て電子回路で管理できる代物らしい。会場入り口への電気も断ったので今頃場内は袋の鼠。外にも出られないし中にも入れない。しかし会場周辺の、真選組の沖田さんやらがいた通路の灯りは断たずに残しておいた。今のところは…だが。会場内の悲鳴やら混乱に、彼らも状況把握に加え場内に入ろうと必死だろう。花火が上がる頃には残った全回路を破壊するので廊下も真っ暗だろうが。
トランクケースを手に
は廊下を進む。曲がり角は念の為、奥に人の気配がないか確認してから。目的地は屋敷奥の北の塔。裏には逃亡用の車両を手配している。まるでアニメに出ている怪盗三世のようだ。このようなスリルを味わいながら目的を達成するのは、職場で認める秘密の日記や手紙に似ている。廊下を走っているとまるで爆破の様な衝撃音と同時に一瞬揺れた…ような気がした。
「(何?建屋の破壊は計画外だけど)」
何かトラブルでも起きたのだろうか。或いは真選組が会場内に入る為爆薬でも使用したのだろうか。噂では真選組は派手に仕事をすると評判らしい。あらゆる可能性が弾きだされては消える。さっきの衝撃は一体何なのだろうか。しかし会場に戻って確認するほどの余裕は
にはなかった。振り返ることは許されない。只進むしか道はないのだ。
小部屋から通算して三つ目の廊下を進んでいると、ガヤガヤと人の声と粗っぽい足音が近づいてくるのが分かった。咄嗟に空いた部屋に入り込み外の気配を全身全霊で探る。
「攘夷浪士め!追えぇえええ!!」
「見つけ次第捕らえろ!!」
「会場から逃亡したらしいぞ!!」
荒々しい足音に紛れて
が聞き取れたのは単語でしかない。「攘夷浪士」、「捕らえる」、「会場から逃亡」の三つ。走りながら叫ぶ男たちは黒い隊服を纏っていたから真選組で間違いないだろう。攘夷思想を持ったテロリストからの脅迫状に見せかけたのは事実だが、攘夷浪士の登場という演出は頼んでいない。舞踏会会場も照明を消し、出入り口を封鎖してパニックを起こさせるだけであった。
「(まさか本物のテロが…?)」
自身が送り付けた脅迫状の件は表沙汰にはなっていない。しかし本物のテロリストならわざわざ脅迫状など送らずに行動を起こすだろう。より多くの犠牲を願って。
は、蔵人は、万事屋の一行は無事だろうか。将軍は不在にしても幕府の重鎮が数人参加していたはずだ。彼らを狙ったのか、或いは異星人の方か。仮定が脳内を流れていく。
北の塔まではまだ距離がある。一種の閉鎖空間となった会場に真選組の注意を逸らすはずが、本物のテロリストの存在によって会場外…屋敷全体に警備の手が回るのも時間の問題だ。それだけは避けたいものだ。それに
自身もテロリストとの遭遇という危険が増した。剣術が出来るわけでも、銃が撃てるわけでもない一般人…ただの医者の端くれ。実務経験からすれば見習い程度。護身術の範囲の体術ならできなくもないが、襲ってきた暴漢を気絶させる程度のもので、武装集団との戦闘なんて論外である。
戦闘に巻き込まれるくらいなら早く北の塔に急がねば。と、脇見振らずに廊下を精一杯走っていた
も、普段から着慣れない丈のドレスの走りにくさに苦戦していた。適当なドレスを見繕って、予行練習のために走ったことが何度かあったが、この式典用ドレスは厚地で刺繍が施され見た目以上に重かった。トレーンとパニエを脱いでも体に纏わりつくスカートの布が憎らしい。裾に縫い付けられた過剰なレース・フリル…無駄な装飾は嫌いだ。引きちぎってやりたい衝動に駆られながらも、それは北の塔に着いてからにしようと決める。その瞬間…
「きゃっ!!」
「うわっ!!」
──ドンッ!
長い廊下を直進していると、建屋の内側から繋がったT字路部分で突然現れた人影に驚き、そのまま出会い頭に衝突した。激突の衝撃で跳ね飛ばされながらも
は咄嗟に体勢を整えようとした…が間に合わずにその場に尻もちをつく。どうやら今の衝突で軽く足を捻ってしまったようで右足首がジンジンと痛む。この痛さ…歩きは出来るが、全力疾走は不可能だろう。ぶつかった相手もどうやらダメージは負っていたようで同じく尻もちをつき頭を擦っている。悲鳴からして相手は女性のようだ。
「痛ってぇー!!次は何なんスか…まさか真選組!!」
「…」
カチャリと金属音がしたと思えば口元を布で覆った金髪の女性が両手に拳銃を持ち、二つの銃口を私に向けていた。両ひざで立つ体勢の彼女に月明かりが届くと、腹の部分が露わになった濃いピンク色の着物に短い丈のスカート。視線は鋭いが長い睫毛からして中々の美人…どうやら思っているより随分若いらしいので美少女だった。美少女の手には不釣り合いな黒い二丁拳銃がありありと存在感を示している。銃を向けられるなんて経験一般人には皆無。引き金を引かれれば殺される。その恐怖が頭を過った。
「退避途中でとんだ邪魔が入ったッス。その服…真選組じゃないな。…残念だが見られた以上生かしておくわけにはいかないッス」
「あっ…あっ…あの…」
死の恐怖に直面すると咄嗟には声が出なくなるらしい。坂田さんに轢かれそうになった時はまだ大丈夫だったのに。今回は本物の“死”に直面しているような気がした。命乞いだろうか、わからないけど声を出したいのに出ない。座り込んだままの
は荒々しく呼吸をするだけだった。あの小部屋から抜け出した時以上に心音が速く…狂ったようなリズムを刻んでいる。手元には汗が滲み小刻みに震えているようだ。
「にしてもまた子さん!“猪突猛進”とは全くこのことですな!!」
「武市殿が来島殿のことを猪呼ばわりしていたのがようやく理解できましたぞ」
──ダンッ!ダンッ!
「お前ら黙れ!!!次、口開いた奴から蜂の巣にしてやるッスよ。武市先輩…後でタダじゃ済まさないッス」
後ろを追ってきたのであろう浪士が数人、彼女の部下だろうか…また子と呼ばれた美少女に何やら禁句を言ってしまったらしい。
に向かっていた銃口は向きを変え、彼らに向かって発砲された。しかし本気で撃ち殺そうとはしていなかったようで後ろの壺が割れる音がした。
「フン。合流場所の北の塔までもうすぐッス」
「来島殿、この女はどうしましょうか」
「これ以上の長居は無用!追っ手が来る前に撤退する。アンタ…命拾いしたな」
鋭い視線はそのままに彼女は銃口を降ろした。どうやら今のところ殺されずには済んだらしい。緊張が解けたからか深呼吸を一つ。どうやら全身の力も抜けたみたいだった。しかし、この屋敷から抜け出さなければ私は違った意味で命を絶たれると言っても過言ではないのだ。
という存在を表面上消さねばならない…それが今回の私の目的。ここであの男に見つかってしまえば私は自由を失うだけだ。それはきっと真の意味で死んだも同然。
さっきの銃声と陶器の割れる音のせいか遠くから数人の足音が近付いてくきた。恐らくテロ実行犯を追っている真選組だろう。此処で捕まるのは避けたい。しかし足を捻った今の私には全力疾走はできない。如何するべきか。テロ実行犯の彼女の話からすると…彼らの目的地も北の塔らしい。この事実をどうにか利用できないものか。
は出来る限りの最善策を算出するのに必死だった。
「チッ…真選組の奴らが迫って来てるッスよ。北の塔まで後少しなのに…急ぐッス」
「待って!待って下さい!」
「アン?」
立ち去ろうとする彼女たちを必死に呼び止める。相手はテロリストだ。目的の為ならきっと手段なんて選ばない。一般人の存在なんて虫けらと同じだろう。下手をすればその時点で殺されてもおかしくはない。肝に銘じておこう。
「図面上…北の塔までは確かにこの廊下を通るのが一番です。それでも長い距離。加えてこの屋敷の複雑さはご存じでしょう。もしこの屋敷に秘密の経路があるとしたら…貴女方は追っ手を撒き逃げることも可能」
「アンタ何が言いたいんスか」
振り向いた彼女は、腰に差していた銃一丁を片手にこちらを振り返った。銃口は再び
に向けられている。怖い。あの銃口が火を噴いた時には死んでいるかもしれないのだ。しかし、同じく“死ぬ”ならやらずに死ぬよりよりやって死んだ方がマシだ。少なくとも後悔はしないだろう。
「今宵、私も理由あって追われる身です。目的地は北の塔。しかしこの足では満足に走ることもできない。もし貴女方が私を北の塔まで連れて行って下さるなら。塔までの最短経路を教えます。北の塔に辿り着いたら私を解放して下さればそれで構わない。貴女方のことも行方も誰にも教えない。ここで起きたことも何もかも!」
「都合がいい話ッスね。そこでハイそうですかなんてなるわけないっしょ。で、一体アンタ何者なんスか?折角命拾いしたのにわざわざ呼び止め、挙句の果てには取引なんて…只者じゃない。ウチらが幕府から過激派と恐れられる“鬼兵隊”の一員と知ってのことッスか。まさか…やはり真選組か!?」
鬼兵隊。その名前には覚えが無かった。攘夷組織による破壊活動は時おりニュースになっているが、行為の残虐さばかりが報道されているので、組織名は特に覚えていない。例えば、幕吏十数人が襲撃され皆殺しになったとか、天人の大使が殺害されたとか。まさか目の前の少女がそのような過激派テロ組織だなんて思いもしないだろう。私を真選組に所属している人間だと疑った彼女は「フン」と笑いながら銃弾を装填した。
「鬼兵隊の紅一点“紅い弾丸”と謳われる二丁拳銃の使い手…来島また子とはアタシのことッス。残念だがここで死んでもらうッスよ」
嫌だ、死にたくない。ただそう強く願った。こんなところで死ぬなんて浮かばれない。今まで多くの命に助けられてきたのに…それ以上の命を救えずに死ぬなんて、嫌だ。
「いたぞ!!奴らを捕らえろー!!!!」
廊下をドタドタと近付いてくる足音がする。見えた影は真っ暗で、おそらく黒い隊服を纏った真選組だろう。暗闇に彼らの色はよく紛れる。しかしここで捕まるわけにも殺されるわけにもいかないのだ。この状況を打破するにはやはり彼女ら鬼兵隊を動かすしか方法はない。真選組にはあの男の息がかかっているのだ。
「チッ…しまった!追いつかれたか!!アンタまさかこれを狙って」
意を決して私は立ち上がった。捻った右足を庇いながら動く。突然立ち上がった私に呆気にとられて動かない来島と名乗った美少女の懐に近付くと後ろから羽交い絞めにされているような態勢を取った。
「はァっ!?アンタ一体何を…」
「良いから!私を人質にしてとりあえずこの廊下を進んでください!彼らは手を出せないはず。お願いだから撃たないで下さいよ」
さっき来島に禁句を言っていた浪士の一人と目が合う。彼らの表情からして、私が気が触れたものだと考えているようだ。まだ真選組には聞こえない距離だ。私はその男に向かって荷物を運ぶように伝え、加えて私が合図したら黄色いボールを取り出し真選組の手前に向かって投げる様に言った。男は鞄の中を確認している。
「だ・か・ら!アンタ一体何なんスか!?」
「良いから!私と息合わせてください!今からテロリストと人質ですからね」
そこには人質を盾にするテロリストの姿。真選組の近藤さんや土方さん、沖田さんの様な顔見知りがいればいいのか、彼らがいないほうがいいのか…まだわからない。ここで重要なのは“演技力”と“度胸”だ。私は思いっきり声を上げた。
「嫌ァアー!!!止めてください!私をどうするつもりなんですか!!!」
劈くような女の叫び声は荒々しく迫ってくる男たちの足を止め、慎重にさせるには十分らしい。私の意図を知ってか知らずか…取り残された来島は固まっていた。彼女だけに聞こえる様に「もう演技始まってますよ」と耳打ちする。
「あっ…。アンタらこの女がどうなってもいいんスか?一歩でも動けば風穴が開くッスよ!!」
側頭に銃が突きつけられる。ここで引き金を引かれたら死ぬ。間違っても引かないでと脳内で懇願しながらも演技を続けた。一種のパニックを起こしたように、「助けて」やら「来ないで」やら「撃たないで」繰り返す。真選組が動けば私が撃ち殺されると思わせる様に…。しかし彼らが動こうが動かまいが、来島が手を滑らせ引き金を引けば勿論死ぬのだが。声を上げながら真選組側の隊士を伺う。知っている顔はいなかった。幹部は会場だろうか。
「アンタもまあ…少しは役立ちそうッスね」
「まだですよ。まだ引きつけてください」
互いだけが聞こえる小声での秘密の会話。真選組に応援を呼ばれるのはマズイが、あの黄色いボールを投げるにはまだ距離があり過ぎる。もう少し引き寄せてからでないとアレの効果は少ない。
「如何したんスか!こんな女一人死んでも、うち等はどーってこと無いッスよ」
「(来島さんと言ったかしら…結構ノリノリじゃないの)」
この状況を愉しんでいるように思える彼女に心の中でツッコんでおこう。
「って、えぇえええええ!!?」
「オイどうした山崎」
「人質のあの人、あれですよ。今日の主役
財閥の一人娘…確か
サンです。ハイ」
「
…
…。ハァァアアアア!?舞踏会会場にいるんじゃあ、って何で人質になってんのォ」
「恐らくあの脅迫状の文面からすると…一人娘の命を頂くって…確か書いてあったような」
何やら真選組側から声がしたと思ったら、前線に立ちはだかる屈強な隊士の後ろからひょっこり現れた青年。彼の顔は見覚えがあるような、無いような。名前…何だったっけ?恐らく会った覚えがあるのに覚えていない。申し訳ないけど覚えていない。もしかしたら彼が会ったのは
の方だったかもしれないけれど。その少年は真選組に私が何者であるか紹介してくれた。この状況だ、一般人Aに間違われるよりは扱いが違うはずだありがたい。そして物事も少しは運びやすくなるだろう。
「おのれテロリストめ!その女性に傷一つ付けてみろ!!俺らが全力でぶっ潰す」
「フン。こんな女一人死のうが世間なんてそう変わりはしないんスよ。悪いけど!」
来島の発言は演技なのか本物なのか…
にはわからなくなってきた。このままだと勢いで殺されかねない。真選組は徐々にではあるがこちらとの距離を詰めてきている。そして広がりつつあった隊士も等間隔で集まりかけている。奇襲をかけられるもの時間の問題。期限もそろそろか。
「嫌ー!死にたくない!助けて下さい!!!」
そう叫ぶと同時にあの浪士にアイコンタクトを送る。「今よ」と。彼は私の合図を受け取って、咄嗟にボールを真選組手前に投げ込んだ。それはだいたい目標から2mの位置に落ち、弾ける。同時にモクモクと土煙のようなガスが上がり、真選組の視界を遮る。
「催涙ガスですよ。早くココを去りましょう!大丈夫…私がいる限り彼らは手が出せませんから」
「…だからアンタ何者なんスか。一般人がこんなもん持ってるわけないじゃん」
「さっき真選組の方が言ってたじゃないですか…
。今日天人に売り飛ばされるはずだった女です」
「あー武市先輩が言ってた。政略結婚の話の?」
「ええ、そう。全部嫌になって…全部ぶち壊した女。だから私はここから逃げたい。さあ、追手が来る前に行きましょう。北の塔まで」
私の存在を使えると思ったのか、鬼兵隊の面々は取引に応じてくれたらしい。捻った右足では走りにくいだろうと浪士の一人が私を負ぶってくれた。二つのトランクは別の浪士が持ってくれるらしい。一先ずその廊下を進み突き当りの部屋に入る様に伝える。図面上は廊下を曲がるしか道が無い。しかしここは類稀なる奇才達が生みだした屋敷。カラクリの一つや二つ…、それどころではない仕掛けに満ちているのだ。突き当りの部屋では、掛けられた牡鹿のはく製を動かせば壁の一部が回転し隣の部屋へと移動できる。次の部屋では書棚の本を三つ押し込むと階段が現れる。壁の中の通路を進めば遊技場の暖炉に続き、書庫に辿り着く。まったく奇怪なからくり屋敷だろう。忍者もビックリの仕掛けである。この屋敷では廊下を通るより、秘密の通路を通った方が圧倒的に距離は近いのだ。そもそもその存在は殆ど知られていないが。このルートを使えば真選組にはまず出会わないだろう。書庫からまた壁に入ると煉瓦張りの行き止まりに辿り着く。そこで降ろしてもらった。
手持ちのライトを頼りに、煉瓦に刻まれた記号をある規則に倣って煉瓦ごと押し込めば、行き止まりだった壁に僅かに亀裂が入る。僅かな凹凸に指を掛け一人分が通れるくらいに開く。差し込む月明かりを感じる。その先は外だ。埃っぽい迷路から抜け出た解放感はどう表現すれば良いのだろうか。空気が気持ちいい。彼らの視線の先には北の塔。入口までは生垣に身を隠しながら進んだ。
敷地の北の外れにある塔はかつて空の観測を行っていた場所らしい。今では大きな釣鐘が置かれているだけで観測は行われていない。隣には比較的新しく増設された鞴式の焼窯もあるがそれすらも使われなくなったままだ。昔は父に連れられて満天の星空を見たものだ。思い出がポツリポツリと浮かぶ。
たちは漸く北の塔入口に辿り着いくことができた。
「ココが北の塔。私は上には用がありません…ここでお別れです。約束通りこのことは互いに他言無用。お願いですから殺さないでください」
「アンタを殺すなんて簡単なこと。まあウチ等もアンタの生死なんてどーでもいいんスけど。でも女は一度した約束は守るッス。だからアンタも頑張んな」
「ありがとうございます」
これで計画が上手くいく。
は今日消える。舞踏会会場は今頃大混乱だろうが、最も離れた位置にあるここはとても静かだった。しかし真選組が現れるのも時間の問題。早く外に行かねば。
は塔の壁を支えに、捻った足を庇いながら一歩一歩歩き出した。後ろのテロリストに口封じに殺されないことを祈るばかりだ。
「危ないッス!!」
「いぁっ!」
来島の叫びと鈍い銃声が聞こえたのと体に衝撃が走り投げ飛ばされたのはほぼ同時だった。僅かに遅れて、さっきまで立っていた場所の足元に何かが勢いよくめり込むのが見えた。撃たれた?誰に。鬼兵隊側である来島は身を挺して
を助けたようだ。戦闘に慣れた彼女は直ぐに体勢を立て直し、相手がいるであろう場所に向かって発砲していた。
「チッ!見つかったか。悪いがアンタにはもうちょっと付き合ってもらうッスよ」
「違う…。これは真選組じゃない…。彼らは治安維持部隊、こんな暗殺行為はしないわ」
さっき廊下で出会った彼らとはやり方が違う。まるで北の塔に来ることを予測していたみたいに用意周到に仕組まれていると感じた。そして…武器を持ったテロリストではなく丸腰の
を狙っていた。真選組ならまずは武装した人間を狙うだろう。なら誰だ…。この屋敷で私の死を望む人間なんて…一人しかいないではないか。
鬼兵隊との出会いは些細なことから。今回は主人公側(表側/或いは裏側?)のお話で、次回は反対側(裏側/表側?)からの予定です。表と裏からその夜の出来事を考察します。
20160618*星宮はちこ 裏語