レプリカ虚像乙女
【第一章、飛翔 六話、銀のナイフ、紅い弾丸】
─パッ 屋敷の上層階から強烈なライトが北の塔入口周辺に向けて照らされる。余りの眩しさに顔を上げていられなかった。それは攘夷浪士の面々も同じ様子で、隣では金髪の美少女も腕で光源を遮りどうにか体勢を立て直そうとしている。「あの男」と、
は小さく呟いた。この屋敷で私の命を狙っている存在は…あの
怜一郎しかいないのだ。
「ようやく捕捉完了したよ…我が娘、
。君は悪運だけはどうやら強いようでね。幾度となく暗殺を仕掛けたけど全て邪魔が入って失敗に終わった。ならばどうするか?自分の手でやってしまうのが速い。そう…君の父や母と同じようにね。残念だけどここで君はテロに巻き込まれて死んだことにするよ」
建物の屋上からあの男の声がする。今、あの男は何て言った?父も母も…殺された?この男に? 父は実験中の事故で亡くなった。母は交通事故に巻き込まれて亡くなった。そう言われていたのに…この男が殺した。
は感情を抑えきれぬまま荒々しく口を開いた。
「外道!私の父も母も皆お前が殺したのか!」
男は貼り付けたような笑みで優雅に振る舞う。
「おおっと、淑女たるものそう声を荒くしてはいけない。君の両親は私が殺した。間違いない。そして
…君は悪い子だ。天人に引き渡してその存在意義を生かしてくれるならまだしも。今回の婚約をこぎ着けるまでにどれだけ苦労したことか。それをあっさりと捨ててしまうなんて!」
「そもそも、意もせぬ婚約など受ける気もしない!」
屋上に届く様に有りっ丈の声を張り上げる。真選組は会場に付きっきりなのだろうか。違う。攘夷浪士を追って屋敷内を捜索しているはすだ。真選組がこのような行為を許すはずもない。この暗殺はあの男が独自に企て、実行に移ったということ。早く真選組本隊がここに来てくれれば状況は変わるはずだ。男が笑いながら声を上げた。拡声器越しの声は緊張感の漂う空間に良く響く。
「どうしてこの私が君の逃亡を察知したと思う。私は天才だからね…あれだけ私を拒絶していた君があっさり婚約を受けいれたことを疑問に思ったのさ。残念だよ
。君がテロとの交戦に巻き込まれて死ぬなんて!葬式では盛大に憐れな父親を演じないといけないじゃないか!ああ、真選組にも責任を取ってもらわないと!」
私は会場の設計を自分の手で行った。勿論詳しい人にも力を借りたけど。会場周辺の抜け目のない電気系統の配置。ある一点を壊してしまえば機能しなくなる作り。北の塔周辺の安易な警備体制。それらをこの男は見抜いたらしい。気付かないとは思っていたがちょっとは頭が働くらしい。当日の会場と北の塔周辺で何かが起こることを察知し予め金で雇ったであろう殺し屋でここを固めたのだ。しかし今ここでこの男の思惑通りに死ぬわけにはいかない。如何すればこの状況を打破できるのだろう。前にはあの男…後ろは塔の入口。横には攘夷浪士…彼らは無関係だし交換条件だが私を助けてくれた。巻き込みたくはない。眩しさを堪えて屋上を盗み見ると、こちらに銃口を向けている狙撃手が4人。
「ねぇ来島さん…ここは逃げてください。塔の入口はすぐそこです」
「アンタはどうすんスか」
「鞄さえあれば煙幕で奴らの視界を遮れるはず」
前を向きながら向こうに悟られない様に小声で話し合う。問題は私の鞄が少し遠い位置に置いてあるということ。下手に動けば向こうも狙撃してくるだろう。
「ハッ?アンタ馬鹿?そんなんでアイツ等蹴散らせるわけないじゃん。向こうはプロの殺し屋で武器はライフル。建屋内ならさっきのガスも効くかも知んないけど野外なら無理っしょ」
「来島さんて随分冷静ですね」
「ゴラァ馬鹿にすんな!!!」
「おやおや作戦会議かい?攘夷浪士もろともここで蜂の巣にしてあげようじゃないか!」
来島が声を荒げたためか狙撃手の照準が一斉に向けられた。いつ撃ち殺されてもおかしくはない。男の笑い声が届く。
「そうだ
。最後に君の首元を飾っている“賢者の石”を返してもらおうか。遺体から剥ぎ取るのも忍びない」
「どうやら目的は私の命と…コレのようですね」
私の首元には賢者の石。黒く滑らかな質感は“何処にでもありそう”だが“ここ”にしかない。中心を飾るそれを思いっきり剥ぎ取ると顔の前に翳した。
に災いをもたらした呪いの石。父はこれを生みだした。が、どう使うのかの記録は残っていなかった。この男はコレをどう使うつもりなのか。
「さあそれを手前に置きなさい。そうすれば君の使用人たちの命は助けてあげよう」
嘘だ。この男のことだ必ず殺す。関係ない人まで巻き込んで全てを葬り去る気だ。一瞬でいい…向こうの注意を逸らせたら塔の中に入り込むチャンスがあるのに。と、照らし出されていたライトが思いっきり右へ左へ上へと動いた。
「何だァア!君は!」
「ッ!?」
男の叫び声に
は視線を上げた。屋上に何やら人影が一つ。よくよく凝らして見ればあの目立つ髪色は見覚えがある。振り返った男と目が合った瞬間、その男はニヤリと笑ったような気がした。紅い眼と銀色の髪。万事屋、坂田銀時。なるほど…いざと言う時に頼りになる存在。報酬はもっと弾んでもよかっただろうか。まっ、轢かれそうになったわけだしいいや。ズレたライトが戻らないあたりどうやらあっちは男の登場に混乱しているのだろう。
「あっどーもー。仮面執事こと万事屋銀ちゃんでーす」
「オイ!こいつを殺せ!殺すんだァアアア!」
男の叫びと同時に銃を持った狙撃手が坂田に向かって行くが一瞬でライフル銃が真っ二つになる。控えていた部隊と刀対木刀の組み合いになっているようだった。今がチャンスと自分のトランクケースから煙幕弾を取り出すと周囲に三つ四つ投げ捨てる。途端に周囲は煙塗れだ。屋上まではそう煙は届かないにしろ、注意が削がれた今なら多少の目くらまし位にはなるだろう。二、三発此方に撃ちこまれた銃弾からして、煙幕がありながらもまだ私の命は狙っているらしい。下手に動き回れば餌食になる。ここは塔の中で狙撃を回避するのが得策だ。
「来島さん大丈夫ですか!此処に居れば撃たれますよ。壁沿いに歩いて、塔の中へ行きましょう」
「この煙…眼と喉がやられるゴホッゴホッ」
煙幕(無害)に紛れて催涙弾まで投げたらしい。喉の痛みを感じながらもハンカチで口元を覆う。捻った足では走れないがトランクを持ち、来島の手を繋ぎながら入口を目指した。鍵の壊された入口には攘夷浪士の仲間がいて、どうやら来島の到着を待ちわびていたようだった。彼女を見た途端「来島さぁん待ってましたァ!!」と奮起している。
「此処では狙われます!どうか中へ!」
長居は無用だ。状況を判断したのか男たちは来島と私を塔の中へと連れ込むと重い扉をバタンと閉じてしまった。暫く銃弾からは逃れられそうだ。塔の中に隠してあったトランクを一つ持ってくると途端に力が抜けた。攘夷浪士達は上に続く階段へと足を進めていた。彼らの目的地はこの北の塔…上に何かあるのだろうか。確か古びた天体観測台と明りと鐘しかなかったはずだ。「ここにいると危ないッスよ。早く上へ」と来島さんに急かされ共に階段を上がる。下に居たままなら侵入してきた暗殺部隊と交戦する危険があるらしい。しかし上にも暗殺部隊が潜んでいる危険だってあるはずだ。
の不安に反して上からの襲撃は一切なかった。螺旋状の階段を絶え間なく上っていると平衡感覚が狂ってくるようだ。今は塔のどのあたりに居るのか、もう直ぐで着くのかあるいはまだまだなのかもわからなくなる。暫く上っていると遠い記憶の中で見覚えのある扉が見えてきた。確か、屋上階へ続く扉だ。
─ギィ
久しく来ていなかったからか蝶番が音を立てながら扉が開く。天体観測が正確に出来る様にできるだけ高く、しかし将軍様の住まう天守閣よりも低く設けられたというこの塔も、ターミナルや高層ビルの立ち並ぶ江戸の町では随分低い建造物になってしまった。中心部から離れた場所にあるので他の建物に邪魔されず空や町を眺められるのだけが唯一のお気に入りだったが。扉の向こうの風景だけは変わらない。火薬と煙の臭いが僅かに混ざっているが、靡く夜風が気持ちよかった。一つ深呼吸。そうゆっくりもしていられ無さそうだが。
「もう合流の時間なのにあの変態先輩何やってんスか。こんなとこで待たされんのマジ勘弁ッス」
「まあまあ来島さん。これでこんな物騒な所ともおさらばじゃないですか!」
「そうですよ。これで高杉さんに良い土産話が出来ますよ」
「晋助様ァ…待っててください!この来島また子、晋助様にいい報告が出来るよう最後まで完遂して見せるッス!!!」
握りこぶしを見せる来島を筆頭に攘夷浪士組は何だか作戦会議真っ只中の様であった。時おり単語だけ聞こえてくる。“晋助様”と言うのは誰だろうか。様付けしているくらいだから偉いのだろう。しかし彼らと違って逃げ道を絶たれた
は気が気ではなかった。塔の裏には逃亡用の車があるのだが降りれば殺される可能性もある。どう動けばいいのか…策はない。このままここにいても殺されるだけだ。
「おやおや、鬼ごっこはもう終わりかい?
…随分手間を取らせてくれるじゃないか」
「ッ!?」
突然後ろからあの男の声がした。急いで振り向くと扉の前に
怜一郎がいるではないか。他の暗殺部隊は率いておらず何故かあの男一人だった。なぜこの男がここにいるのだろうか。塔と建物の間は数十メートルほど距離があったはずなのだ。屋上から地上に降り再び上がってくるには早すぎる。加えて塔の入口は頑丈な扉で閉じられているのに。移動距離と障害に対して時間が合わない。まるで瞬間移動をしたのか空でも飛んだとでも言うのだろうか。想定外の出来事に頭が真っ白になった。
私に対し銃口を向けながら男は笑った。気持ち悪い笑みだ。鬼兵隊を名乗った来島さんたちは
怜一郎の登場に対し、武器を構え臨戦態勢を取っている。緊張状態の中で私だけが丸腰だった。
「はっはっは!私を撃ってみろ…この塔には爆弾が仕掛けてあってね。皆、木端微塵だ!だから命が欲しいならそんな物騒な物はしまいたまえテロリスト諸君!」
「とことんイかれた野郎ッスね」
「君があの“紅い弾丸”こと来島また子君だね。噂は聞いているよ!正直私はテロリストと殺り合う気は無いんだ。そこの女を殺せるなら君達は見逃したっていい。どうだい悪い話じゃないだろう?」
チラリと視線を向けられた。この男が殺したいのは私なのだ。憎い。ただ憎い。両親を殺された。この男にすべて奪われたのだ。怒りと憎しみの激しい炎が心の奥底に渦巻いている。人を救うことを目的に生きてきた私の中で、殺意と言う感情が確かに芽生えたのだ。しかし私にはこの男を殺せるだけの力が無い。人間なんて弱く脆い生きものなのに…殺せないなんて。
「私は寛大だ。三分間待ってあげよう。テロリスト諸君…結論を出したまえ!」
まるで舞台上の主役の様に盛大に振る舞う男は両手を広げ、猶予を告げた。しかしたった三分だ。この状況を打破できるほどの策はない。このままここで男に殺されるのか。そんなの嫌だ。死にたくない。
「アンタもあんなイかれた野郎にストーキングされるなんてとことんツイてないね。その意味不明な石っころに何の価値があんスか?」
ボソリと来島が言った。二人だけの秘密の会話。これは人が生みだした呪いの石…ただそれだけ。だから私はこれがどれだけ価値がなく無意味なガラクタかと淡々と言ってみせる。宇宙中の天人も人間もこれを欲しがる理由がわからない。使い道すら知らないのに。例の石は首飾りから無理矢理取り外して適当に仕舞ったまま。
「ねえ、アンタはもう悲しまなくてもいいんスよ。あの外道野郎は鬼兵隊を侮辱した罰で私が殺ってやるッス」
「貴女が罪に問われますよ」
「私達を何だと思ってんスか。鬼兵隊は今や幕府を脅かす攘夷組織。今まで晋助様に仇なす存在を何人殺ってきたことか。それに比べたらあんな小物一人殺すのなんて造作ないこと」
二丁ある拳銃の銃口は相変わらず男に向いたまま。引き金を引けば全てが終わるのだろうか。私はあの男が死ねばいいと心から願ってしまったのだ。あの男の全てを呪い、憎み、殺そうとしている。でも…それは私自身解っていたことではないだろうか。全部要らないって言った。財産も、賢者の石も、あの男も要らないと。心の奥底に潜む私がそう囁いたような気がした。それを受け入れた途端に体中に血が巡った様に熱くなる。
「さあ時間だ。答えを聞こう。テロリスト諸君…私の提案を受け入れてくれるなら銃を降ろしたまえ」
来島は臆することなく鼻で笑った。
「フン!この外道野郎!鬼兵隊に盾突いた罪はその命で…「おい待ちやがれってんだこの変態ヤロー!ターザンみたいにひょこひょこ逃げやがって。お前はジャングルの住人か!?正々堂々勝負しやがれってんだ」
彼女の決め台詞を遮って別の声が響いた。その聞き覚えのある声はあの男の後ろから聞こえて来たのだ。視線を向けると、ここまで上ってきたのであろうかゼーハーゼーハーと息を切らしたまま、開いた扉にもたれ掛る万事屋の姿があるではないか。私の姿を見た途端彼はやっぱりニヤリと笑った。
「お嬢様ァ御機嫌あそばせぇー。執事のエスコート無しで散歩するったぁおイタが過ぎるぜ」
正体を見破られている…と言うことは
が偽物だってことはバレたのだろう。危機的状況なのになぜだろう私はクスリと笑った。舞踏会会場はホンモノの攘夷浪士の襲撃を受けてしまった。それは想定外の展開。相当の混乱が生じたのだろうからここでの正体の露見は仕方がない。何より今更、だ。
「こっちが本物の“ご主人”らしいじゃねーの。ったく、いきなり他人の腹に足蹴り食らわすあの物騒なメイドにはちゃんと躾しといてもらわねーとな」
「さっきから一体貴様は何者なんだァアア!」
「アァ?言っただろ?万事屋銀ちゃんこと…坂田銀時だってよォ」
男が坂田さんを狙い銃弾を撃ちこむがそのどれもをするりと避ける。まるで風の様だ。それは彼の瞬発力の凄さを物語っている。出鱈目なようで完璧。万事屋坂田銀時とはいったい何者なのだろうか。勿論只者ではないことは思い知った。弾切れになった拳銃に気を取られている男の一瞬の隙を突き、その腹目掛けて木刀を振り切る。鈍い音と共に男は地に伏せた。
「ったく手間かけさせやがって…大体あの“人魚のミイラ”なんてとんだ偽物だろーが。金に物言わすくれーなら審美眼くらい磨きやがれってんだ。で、そっちの攘夷浪士はどーすんの?そいつに怪我させられちゃ困るんだが」
「…」
一触即発。睨みあう二人だが隣に居る来島はチラッと私に視線を寄越した。何だろうかと体が反応する。まさかここに来て邪魔だ死ね的な感じで殺される…とは思い難い。いやそうだと信じたい。口元を覆い中々表情が掴みにくい来島であったがその目元が僅かに緩んだ…ような気がした。そして小さく優しく「アンタ…良かったな。これで安心ッスね」と声がかけられた。何て…いい人なのだろうか。思わず目頭が熱くなった。こんな時に限って泣き顔なんて見せられない。顔を仮面で覆っているのが唯一の救いだ。しかし仮面の下では抑えきれなくなった涙が一筋。
「この女に用は無いッス。よって解放の意思はある。が、ウチ等の自由と安全が保障されるまではソッチには渡せない。迎えが来るまでこちら側に居てもらう」
「坂田さん…私も彼女たちが離れるまでここに居ます」
散々逃亡を手伝ってもらった。ついでに塔の下では狙撃から守ってもらった。鬼兵隊という存在は知らなかったが、攘夷浪士だって同じ人間なのだから良心くらいあろう。確かにテロ行為は許し難いがさっきの発言で私は来島さんという存在に完全に心を許していた。特別危害を加えられることもないことも悟っていた。彼女たちがここを無事に離れるまで出来る限り協力するつもりだ。私の発言を聞いて驚いたらしい坂田さんはどうやら動揺しているようだ。しかし付け加えて「大丈夫ですから」と笑えば渋々ではあるが納得はしてくれたようだ。早く来島さんたちの迎えが来てくれればいい。その後…私は逃げよう。元の計画通りここからいなくなるつもりだ。坂田さんがどれだけ引き留めようとも私は出ていく。そこは契約上の主人としての立場を使ってでも。
ふと辺りを見渡せば、塔の屋上は長らく人の出入りが無かったようで観測台や鐘や置かれた備品類は変色しまるで長い眠りに入ってしまったかのようだった。
自身もここに来たのは父が生きていた頃が最後だったような気がする。ずっと星を…宇宙を見ていた。ここに辿り着いたことで、頭の片隅に僅かに残った記憶が呼び起こされた。何年経っても、忘れた気になっていてもその記憶は色褪せることなく目蓋の裏に広がっていく。昔は…、小さい頃はよくここで遊んだものだ。
“父様!凄い流れ星!”
“ああ…あれはきっと宇宙船だよ”
“天人の?”
“そうさ。開国してからこの国も変わってしまった。我々の未来はいったいどうなるのか…”
“じゃあ今度は私達が宇宙に行く番ね”
“ははっ
がもっと大きくなったら宇宙に行くのが当たり前になっているかもね”
“宇宙にはきっと新しいモノがたくさんあるわ!そうすれば…あの子たちの病気を治せる薬だって作れるかもしれないもの”
“大丈夫さ。パパが皆の病気を治してあげる。アレがあれば…きっと”
“アレってなぁに?”
“ああ。パパが秘密のお薬を作っているんだ。でもこのことは内緒だよ。約束…できる?”
“うん。約束するわ!指切りね!”
“そうだね指切りしよう。
…もう一つお願いだ”
“なぁに?”
“健やかに誠実に生きて欲しい。どうか自分を見失わずに信じた道を歩むんだ。君には他人に無いものがある。それはいつだってずっと君の傍にあるから忘れないで。後はママに任せてあるから。普通の女の子として、いつか誰かを好きになって幸せになるんだよ”
“大丈夫よ。私…もう好きだから。この国も、この国に生きている人たちも!!”
…
‥
アレって何だっけ? 父の言葉の中で出てきたアレとは…賢者の石? しかし賢者の石は…使い道のないただのモノに過ぎない。価値なんてない。だって今隠し持っているコレは…私が…私が…。
「時間はもうとっくに過ぎてるんスけど変態何してんすかマジで!!!」
「来島さん落ち着いて下さい!!武市殿ももうすぐ来ますって!!」
来島の苛立ちを含んだ怒声に
の意識が戻ってきた。
パチンと瞬きを一つ。そうだ…今の状況を考えれば回想に浸っている余裕はないはずだ。これから如何するか考えなければならない。とりあえず塔を降りて裏にある車で屋敷を出る。追っ手が来る可能性はゼロではないので今晩の内にある程度の場所まで逃げておいた方が良いだろう。海沿いに逃げるか山を越えるか。計画通りに行けば港から海沿いに逃げる方だがどこまで計画が男に悟られているかはわからない。暗殺部隊が先回りしていることだってある。なら…山越えだろう。途中に、以前世話になった町医者があったからそこに一晩泊めてもらうか。西へ逃げ、ほとぼりが冷めるまで各地を転々とする。まずは適当にバイトでもして落ち着いたらかつての知人を頼りに、場所に縛られない医者業をする。と、こんなものか。
「?」
突然、風で髪が靡いた。頬を掠める髪にふと視線を上げた。今日はそう風が強くなかったはずだ。しかし次の瞬間、髪だけではなく衣装の裾をはためかせるほどの風が塔に吹き渡った。何事だろうか。風の強さに舞い上がった埃が視界を奪う。
「あぁー!!やっと来たんスね先輩!ったく遅いッスよ」
「!?」
塔の下側からゆっくりと上昇してきたのは小型の飛行艇だった。これが彼女の言っている迎えなのだろう。音もなく浮遊するそれは、大きさの割に接近すら察知することが出来なかった。塔の屋上が強烈なライトで照らし出される。眩しさに腕で目元の光を遮った。これで鬼兵隊が去れば私はもうここには用はない。
“皆さぁーん!遅れましたがお迎えですよ。とっとと乗ってくださぁーい”
スピーカー越しに特徴的な喋り方の男性の声がした。しかし風が強すぎる。
は動かずに姿勢を保つのに必死だが、この状況であの船に乗り込もうとすれば途端に転がってしまうだろう。と言うよりこの強さの風の元凶に向かうことは普通の人間なら無理だ。多分。鬼兵隊組もそれは悟ったようで、来島は風の轟音に負けず声を張り上げ「無理ぃじゃあああ!!この変態ィイイイイ!ロリコンがぁあああ!*$&#*@!」と酷い単語を叫んでいる。正直、早く来島さんたちがここを離れて欲しいと思ってしまった時だった。
「
!!!死ねぇえええ!!!」
「!?」
風の隙間を縫うように突進してきた男の手には見たことも無い長さのナイフが一つ。打ち刀ではない両刀のナイフを手に一直線に向かってくるのだ。突然の出来事に体は反応しない。動けない。遠くで坂田さんが驚きの表情を見せながらも、瞬時に木刀を構えてこっちに向かおうとしている…が、距離的に間に合わないだろう。刺される…。死ぬ…。そう思った。
「こんの変態ィイイ!往生際が悪い男は嫌われるんスよ!!!」
来島さんが迫りくる男と立ち尽くした私の間に割って入った。構えた拳銃の引き金を引く。一発は男のナイフに当たりそれを飛ばし、もう一発は男の肩を掠めた。しかし飛ばしたナイフの方向が悪く、勢いよく飛んできたそれは来島の腕を掠める。彼女は腕を負傷した。腕からは血がしたたり落ちている。力が抜けた指から彼女の拳銃が落ちる。金属音と共に黒いそれが
の前に転がってきた。私は咄嗟に彼女の名前を叫んでいた。
「来島さん!ごめんなさい…私のせいで!」
「心配要らないッス。こんなん掠り傷だもん。それよりアンタまた死ぬところだったんスよ。こーゆー時は助けてくれてありがとうの一つや二つ言うもんでしょ」
「…ありがとうございます。早く手当しましょう。あのトランクには必要な装備が入っていますので!」
とりあえず手元にある真新しいハンカチを傷口に押し当てる。見た感じは、深くえぐられたわけでもないので掠っただけだろう。こういう時は素早く正しい応急処置が大切なのだ。
「フハハハ!残念だ!また生き延びたね
!!だがここで皆死ねぇえええ!」
狂ったように笑う男の手には爆弾の起爆装置があった。細長い機械の先に赤いボタンがついたそれ。「止めろ」という猶予もなく男はそれを押した。
「ハッハッハ!どうだい!!あと三分でここから皆逃げられるかねェ??」
押した途端に爆発するやつではないのでとりあえずは安心した。しかしここは塔の屋上。三分では精々、塔の下に降りるのが限界だ。塔から安全な距離を取ることは出来ない。男は私を殺し損ねて自棄を起こしたのだ。これでは皆、塔と共に崩れて死ぬ。鬼兵隊の船も爆発に巻き込まれるだろう。駆け寄って来ていたはずの坂田さんは男の胸倉を掴み爆発を止めろと叫んでいる。私は…どうすれば良いのだろうか。
一章クライマックス前編。次回…賢者の石の秘密が明らかに??
20160702*星宮はちこ 裏語