レプリカ虚像乙女
 【第二章、混濁 九話、孤高の月夜】


町はずれの港にある一隻の中型飛行船の隣に飛行船は着水した。船が着いた脇には彼らの仲間と思われる攘夷浪士が数人待機しており停泊と共に港と船の間には渡し場が繋がれる。足を捻ったままだった私は湿布を張り付けた後で、固めのテープで該当箇所を固定した。満足には動けないが歩行には問題ないだろう。荷物は浪士が運んでくれるらしい。武市さんに来島さんが降り立つ姿はまるで幹部の通り、様になっていた。しかし明らかにこの場に異質な私が船から降りると、そこにいた浪士たちは顔を曇らせ、まるで珍獣でも見るかのようにマジマジと視線を寄越す。ああ、でも確かに舞踏会の時の衣装のままの私は場違いかもしれない。後で着替えよう。
降り立ってすぐ隣の大きな船舶に移る。やはりこっちが本部のようだ。飛行船には乗ったことがあるが、それは観光用や移動用で、大きな窓があったり乗客用の座席があったりした。しかしこの船は少し形態が異なるようだ。下手にキョロキョロと見渡しても怪しいので、チラリチラリと視線だけを動かす。幹部の帰還に鬼兵隊の隊士が廊下に並んで挨拶している。ここでもやはり私は珍獣扱いだった。居心地は最悪だ。しかし…この場を耐えこれから会うべきボスに受け入れてもらわないと、私の存在は海の藻屑と消えてしまう。と言うか鬼兵隊のボスってどういう人だろうか。ヤクザ?マフィア? 脳裏には厳つい用心棒を引き連れた強面の男が浮かぶ。もう逃げられはしない。ただ進むのみだ。廊下の角から新たな隊士が現れた。


「武市さん!来島さん!朗報です。お二人が出られてから高杉さんが戻られましたァア!」

「ウッス…って晋助様が!?今すぐ挨拶に行くッスよ!!」
「お待ちなさい。貴女が連れてきたこの方も高杉さんの元へ連れて行きなさい」

「ハァッ!?アンタ、晋助様との逢瀬を邪魔する気ッスか!?」
「いや…それはどうでもいいんですが」


そうだ。来島さんは散々“晋助様”って呼んでいたではないか。こんな若い子をハベらせているなんて。つまり来島さんはその人と恋仲と思われる。まあ、何でもいいのだが。彼女が陶酔しこれ程の攘夷組織をまとめ上げるような人だ。少なからずその人には光るモノがあるのだろう。誰かがそっと力になるような、集まってくるような。敵意満々な来島さんの視線を逃れ、作り笑いで“お好きにどうぞ”と言っておいた。来島さん目が本気すぎるよ。そして私にとって、その大将と来島さんの関係とか…恋愛関係とかどうでも良すぎた。うん、男女関係には踏み入らないのが一番だ。これは大江戸病院で学んだ。


「先ず晋助様に会うのはこの私ッスよ!?アンタは暫くそこらで待っているといいよ」
「はあ、そうですか…」

「いえそういう訳にはいきません。拾ってきた貴女が最後まで責任を持って面倒を見るべきです。直ぐに高杉さんの元へ行って彼女の存在を精査してもらうべきでしょう。ですよねさん?」
「はぁ…武市さんがそうおっしゃるなら…」
「ちょっとォオ!!晋助様とこの来島また子の間に割り込む気ッスか!?」

「もうどーでもいいので!!とりあえず手短にお願いします!!!」


いい加減イラッとした。話がてんで進まないではないか。それは声や表情にも出ていた様で、幹部二人は無言のまま互いに顔を見合わせていた。時々チラッとこっちを盗み見ている。何だコノヤロー。早く話の一つや二つ決着つけてもらおうではないか。にしても、武市さんにはもれなく拾ってきたペット扱いされているようだが。そのままふて腐れていると適当な空き部屋に連れてこられた。その人に会う準備が出来るまでここで待っていろとのことらしい。段々と頭が冷えてくると、この状況ヤバくない?なんて心の余裕が生まれた。その人に会う前にここで始末されて海の藻屑とか…可能性はある。大いにある。声を上げても届かなさそうだ。ってか、攘夷組織に単身乗り込むなんてどんな映画?ドラマ? フィクションなんかじゃない現実の展開に冷や汗が出てきた。


。今からこの鬼兵隊の総督…晋助様に会せてやるッスよ。念のため身体検査をさせてもらう」
「…お願いします」


来島さんの目は本気だった。とりあえず手荷物はこの部屋に置いておこう。軽く触れられながら不審物を持っていないかどうか調べられた。あ、着替えるのを忘れていた。こんな装飾塗れの(ある意味の)正装…早く脱ぎたかったのに。「ヨシ。大丈夫ッス」と声がすると廊下に出される。そこには武市さんもいた。先導する二人の後を追う私に、廊下やらどこかの部屋の入口やらから浪士たちが顔を覗かせ様子を窺っている。正直、周りなんて気にしている余裕なんてなかった。

「この部屋ッス。晋助様~!来島また子、只今戻りましたァ!!」

開いた扉から光が伸びる。電気の点いていない薄暗い部屋には行燈が一つ。その部屋の奥には腰ほどの位置にある格子窓の敷居に気怠そうに腰かける男の横顔。思っていたよりも随分と…いやかなり若い。巻煙草の広まったこのご時世には珍しく、煙管で刻み煙草を燻らせている。艶やかな着物の柄に紫紺の髪…何より男の頭に見える包帯に目を奪われた。妖艶という言葉はこの船の…いや今まで出会ってきたどの男よりもこの目の前にいる男の為にあるものだろう。この人が鬼兵隊のボス。何だか納得した。



「来島か。また一つ暴れたらしいじゃねぇの?」


「これで幕府にも我々の存在を思い知らせてやれたッス」
「貴女はいつも通り好き放題暴れていただけじゃないですか。おまけに人まで拾ってくるなんて…」
「晋助様!これには色々と理由があるんスよ。でも“いいんじゃないか”って言ったのは武市先輩なんスからね!」
「それは責任転嫁です」


部屋に入った幹部二人は奥の人と会話を続けている。怖いわけではない。なのに一歩、部屋に踏み入ってからそれ以上私は足を進めなかった。足を動かすよりも…ただ男の横顔を見ていた。ジッと、ずっと…。相変わらず外を眺めながら煙草を燻らすその人は一度もこちらを見ていない。その人には力強さよりも儚さを感じた。何だか放っておくと消えてなくなりそうな…。そんな不安定な印象だった。

「で?」
「「?」」

「そいつは?」

ゆっくりとこちらに視線を寄越した男の瞳には…ギラギラとした力が宿っていた。儚さと不安定さと…強さが共存している。病院に勤めていると色々な人に出会ってきたが、こんな人は初めてだった。患者と言う意味ではなく人という意味でだ。そしてその人が頭に巻いた包帯の意味を知った。

「(左目が…)」

怪我ならば相当のもの。或いはもう見えていないか。男が含んだ煙を吐き出した時、それまで止まっていた私の中の時間が突然動き出したようだ。足を進めて男の前まで歩み寄る。



「あの…私は医者をしていますと申します。今回の事件で命を狙われたところ来島さんを初め鬼兵隊の方々に助けて頂きました。これも何かのご縁かと思いまして…私を、鬼兵隊で雇って下さい!」



静まり返った部屋には応答の声はない。目の前の男の人にも、幹部の二人も口を開かずに黙ったままだ。まさか聞こえていないわけではあるまい。この間が怖い。何を言われるのか…もしくは突然殺されるのか。握った拳に力がこもる。

「此処で雇ってくれたァ俺達はいつからにハローワークになったんだ?お前ここで何する気だ?」
「人殺しは出来ません。でも私には医学の知識があります。ここで医者として働かせてください。これ…一応履歴書です。ついでに医師免許のカードも」

ヒラリと紙とカードを差し出す。履歴書には私の経歴やら学歴やらが書いてある。攘夷組織に雇われる為に役立つのかどうかはわからないが、普通の病院で雇用されるためには必要なものだ。二つを受け取った男はそのまま読みもせずに紙を破り捨てた。カードはご丁寧に真っ二つ。


「こんなもんはここでは何も役立たねぇ。覚えとけ」


面接は何回か受けたことがあるがこの状況は好感触とは言い難い。ちなみにこの面接…落ちたら私の命がかかっている。生か死か…極限だ。

「で、てめーらこんな拾いモンして如何する気だ?」
「私は一応反対したんスけど。この女がどーしてもって言うから連れてきたッス」
「我々は後戻りは出来ない事を伝えてあります故。あとは貴方のご決断次第」

もう一度、男は紫煙を吸い上げる。甘い煙がの鼻にも届いた。この男の決断に私の命がかかっている。しかし何故だろう、さっきより心は随分落ち着いていた。



「悪ぃーがちょっと席外してくれ。まぁ適当に甲板ででも待っててくれや。来島ァ」
「ハイ!連れて行くッス!」


有無を言わさず部屋を出された。来島さんは迷わず廊下を進んでいく。階段を降りた先には前方の甲板が見えた。所々荷物が置かれたそこには誰もいない。「ここでしばらく待っててもらう」とだけ言い残し来島さんは踵を返し建屋内に消えてしまった。
甲板はとても静かだった。そして今日はどうやら満月だったようで一際眩い月明かりが海面に反射しキラキラと輝いている。煌びやかなシャンデリアも音楽家達の演奏も…この自然の生み出した世界には敵わない。暴利を貪る天人もそれに媚びる人間も、ただ我武者羅に毎日を生きる者の美しさには敵わないのだ。先ほどまで私が居た世界の陳腐さを実感した。深呼吸を一つ。海の上では潮の匂いしかしないけど。

ふと視線の先にある船首が気になった。長く伸びるそこはどうやら歩いていけるらしい。昔見た豪華客船の恋愛モノの映画で船首で二人がイチャつくシーンあったなぁ…なんて呑気に考えていた。確かその船最後には沈んじゃうんだけど。誰も見てないならいいよね。と、意気揚々とは船首の方に歩いて行く。階段を上がると意外と広い空間だった。私は気付けば船首の先の先へと足を進めていた。しかし本当に気持ちが良い。潮風が靡くここでは長い髪とドレスの裾がバタバタとはためいている。まるで海鳥になった気分…とはロマンチックすぎるか。ふと…誰かの気配がしてはゆっくりと後ろを振り返った。




「…っ……せ…ぃ?」



後ろにはさっきの男の人がいた。しかも思ったより近かった。何だろうか。目を見開いて…動揺…しているような印象も受ける。それに小さく呟くような感じで何かを言っていた。“せ”と“い”は聞こえたけど。ついでに右手は腰に差した刀の柄に伸びかけだけど。これ処刑されるのでは? 次は私が固まった。男の向こう側、甲板の上には腕組みした来島さんと武市さんが並んでジッとこっちを見ている。肝心の男の人は固まったまま動かない。私も動けない。私達の間には沈黙が流れている。暫くして男は伸ばしかけの右手を降ろした。俯いたままで男の表情はわからなかった。とりあえず…斬り捨て御免な状況は去ったのだろうか。或いは気分が悪いとか。さっきの表情…只事ではないはずだ。

「あの…大丈夫ですか?気分が優れないとかですか?」

そう言って駆け寄ろうとした時だった。
─ブワァ と、今までにない突風が一瞬で船上を駆け抜けた。遮るもののない船首の先に居た私は風をまともに受けるしかない。纏わりつく長い丈のスカートが広がりまるで帆のように機能した。強い力で横に引かれたのだ。



「いやっ!!」



咄嗟に“落ちる!”と思った。港にある建物と比べても結構な高さだ。仮に落ちたのが海面だとしても衝撃は相当のものだろう。全部がスローモーションのように流れている。その中で伸びてきた白い手だけが素早くの手首を捉え強い力で引き寄せた。バランスを崩しかけていたが掴まれた手の引かれる力で、床を踏む感覚を取り戻す。風の過ぎ去った世界でその人と私は手が繋がれたまま船首にいた。いつの間にか顔を上げている男は先ほどの動揺とは程遠い落ち着いた表情をしていた。

「おい、危ねぇーぞ。ちったぁ足元に気を付けろ」
「御免なさい。あの…助けて頂いてありがとうございます」

は大人しく頭を下げた。また誰かに命を救ってもらった。私の命は多くの人に救われて生きている。だから少しでも恩返ししなくては。と、は未だ自分の片手が男に掴まれたままなのに気付いた。いつまで掴んでいるのだろうか。ジッと掴まれた部分を見ているともう一度引かれた。


「来い。そこじゃ危ねェだろ」


男に引かれるままは甲板に降り立った。途端に来島さんが駆け寄ってくる。

「アンタ、マジ危なかったッスよ。そんな動きにくい恰好しているからこんなことになるんスよ。私を見習え。これ以上晋助様に迷惑をかけることはこのアタシが許さない!!って、いつまで手ェ繋いでるんスかァア!!」
「あ、ごめんなさい…」

でもこれはこの人が私の手首を掴んでいるわけで、私の意思では如何しようもないわけで。そう言っても彼女はきっと納得してくれないのだろう。と言うよりこの人いつまで掴んでいるのだろう。早く放して貰わないと隣の来島さんに手ごと撃ち抜かれそうだ。間違いない。



「てめーの件…気が変わった。精々好きにしろ」
「え?」

ようやく男は私の手を解放した。


「だが、俺らも俺らがやろうとしていることもそんな生半可なモンじゃねぇ。この世界はお前が思っているほど甘くはない。仲間を斬り捨てようがそんなのは問題じゃねぇ。お前に誰かの命を見捨てる覚悟があるなら俺は何も言わねぇ。勝手にしろ。そして…一切“鬼兵隊”を名乗るな。ここを裏切れば命は無いと思え」
「…」


これは一応採用されたってことでいいのだろうか。
彼らの居る世界も彼らが行おうとしていることも…今まで私が居た世界のどれよりも理不尽なことだろう。だがもう戻れない。この組織から離れれば殺される。それでも私は…


「貴方を含め…誰かが怪我をされたなら精根尽くして治療します。もし志半ばで倒れるのなら心から弔います。今の私にはそれしか出来ませんから」
「フン。上等だ。来島…確か医務室の奥に倉庫があったはずだ。そこ連れてけ。ついでに久坂にも会わせとけ」
「了解ッス!新入りィ!この来島が直々に案内してやるから付いてくるんスよ」
「よろしくお願いします。あ、そうだ。貴方のお名前…教えて頂けませんか?」


そう言えばこの方の名前も何も知らなかった。周りは散々名前やら呼び名やら言っているけれど、正式な自己紹介はまだ受けていない。儚さ不安定さ強さが共存する妖艶なオーラを纏った鬼兵隊のボス。その人は懐から煙管を取り出すと、



「…高杉晋助」



それだけを伝えあっという間に背を向けられた。どうやら見た通りの一匹狼らしい。これ以上面倒くさく絡むのも迷惑かと小さくお礼を言い、ズンズン歩く来島さんの後ろを追った。甲板から離れる前に一度だけ高杉さんの方を振り向いた。その人は相変わらず飄々をした背中を見せ吸っていた紫紺の煙を深々と吐き出している。まあいいか。は船内に入っていった。



******



残ったのは高杉と武市の二人だけだった。


「先ほどは間違いなく斬り捨てようとしていたのに、気が変わったとはどういう風の吹き回しですか」


甲板は静寂に包まれているが、胸が詰まるような重い空気が漂っているような気がする。鬼兵隊の大将と参謀の二人は、攘夷活動においては互いに信頼し合っているものの個人的な会話はそう多くはない。どちらも話さず深入りせずの関係だからだ。武市は、来島が拾ってきたという女の存在は名前くらいは知っていた。部下が調べた資料の中に記されていたのは怜一郎の義理の娘という事実。噂話の中ではその男に使われ政略結婚させられる立場だった。
塔の上の混乱から抜け出ればいつの間にやら来島は女を助けていた。猪女の名にふさわしいガサツさと周りの顧みなさを持った来島が、である。その女は何を思ったのか「鬼兵隊で働きたい」と言い出した。ここがあの幕府に最も恐れられる男が率いる攘夷組織鬼兵隊であると知ってか知らずが。恐らくは知らないのであろうが。その場で念押ししておいた。もしこの船に乗ったのなら後戻りはできないと。だが女は船までやって来たのだ。空き部屋に居た高杉に対し、動じず自己紹介をし履歴書を出した人間を見たのは初めてでありきっと最後だろう。女に席を外させた部屋で、彼は幹部二人を前にしても何も言わずに煙草を吸い続けた。一服吸い終わると男はそろりと部屋を抜け出し、甲板に足を進める。武市も来島も何も言わずに後を追うしかない。
船首で両手を広げ、まるで風を感じている女の後姿に高杉晋助は音もなく近づいて行った。その間にも右手がゆっくりと柄へと延びていく。始末するのだろう。ただそう思ったのに、突然振り向いた女の前でパタリと止まり動かなくなったのだ。何だろうか。彼にしてはどうも様子がおかしいのだ。振り向いた方の女も表情が固まる。そのまま女が駆け寄ろうとしている最中、突風に煽られバランスを崩したのは一瞬だった。反射的行為だったのだろうか。高杉は女の手を掴み助けた。そして…気が変わったと言ったのだ。変わったということは変わる前があったということ。変わる前がどうだったかなんて聞かずともわかろう。問題はどうして気が変わったかということだ。不本意ながら表情も感情も悟りにくいと言われている武市も他人…特に彼、高杉の心情は計り知ることが出来ない。


「気が変わった。ただそれだけだ」
「まあいいでしょう。晋助殿がそうおっしゃるなら」

「後で俺の所に万斉を呼べ」


我らが大将は移り気な御方なのだ。


遂に…総督殿が…。長くなりましたが登場です
20160724*星宮はちこ   裏語