レプリカ虚像乙女
【第二章、混濁 十六話、迷子】
買い物最中に
が突如姿を消したことは、血相を変えて船に舞い戻った来島によって鬼兵隊幹部の耳に伝わっていた。この事実は他言無用と言い渡されたのだが、どうにも一般の隊士に漏れてしまったらしい。声を荒げて
の名を呼ぶ来島の姿は甲板にいた隊士の目を惹いた。人伝いに噂が広がり、表立ってはいないが皆ヒソヒソとざわめき立っていている。建屋の二階…幹部しか踏み入れることが出来ない領域のとある部屋は重苦しい空気に包まれていた。
「やはり彼女は幕府の間者だったのでしょう。必要な情報が手に入ったら姿を消す手筈になっていたと思われます」
表情を変えぬまま淡々と武市は状況を整理し始める。自分たちが彼女と初めて接触した状況からを伝えていく。窓辺に座る高杉は外を眺めたまま、まるで興味がないとでもいうようにそれらの言葉を淡々と聞き流しているようにも見えた。
「我らが鬼兵隊にこうも容易く間者が入り込んだとなると大問題です。他の隊士にも示しがつきません。彼女を一刻も早く見つけ出し処分するべきです」
「…」
“処分”という言葉に、行儀が悪いが机に腰を掛け座り込んでいた来島が反応する。視線を落としブツブツと何やら唱えているようだった。あとの運びは総督である高杉の決断次第。生かすも殺すも…。チラリと来島は高杉を盗み見る。が、本人は何も言わず反応もせずに外をジッと眺めているだけ。重苦しい空気が部屋を包み込んでいる。それ以上は誰も何も言わない。
「あの女が俺らを裏切ったとするなら殺すしかあるめぇ。それは最初の約束だ。お前ェら見つけ次第、あの女を殺せ」
総督の決断は静かに告げられた。途端に動揺したように来島が視線を上げる。
「晋助様ァ!また子が戻ってくるように説得するッス!!それでも無理なら…私が殺します!!それも
サンと約束したッス!ふと目を離した隙に居なくなるなんてとんだ迷子なんスから!今はまだ帰り道が分からなくなってるだけなんス!
サンなんて…信用した私が馬鹿だったッス!!!」
支離滅裂とした叫びを残して来島は部屋を走りながら出て行ってしまった。武市の無機質な眼差しが彼女が飛び出して開けっ放しになった扉を見つめている。途端に彼から溜息が零れた。今の鬼兵隊は、隊士でもない一人の女の失踪からこんなにも動揺が生まれているのだ。
「晋助殿、いったいどうするおつもりで?」
武市の言葉はきっと窓際の男にも聞こえているのだろう。だが、顔色一つ変えずにまるで置物のように外を眺めているだけなのだ。ふと高杉が体勢を整える。右手を懐に突っ込むと愛用の煙管を取り出した。火を探しているのだろうかもう一度懐をごそごそと探っている。静かにその様子を見つめていると不意に舌打ちが聞こえた。ひょっこりと敷居から腰を上げるとそのまま武市の横を通り過ぎ、部屋の出入り口で立ち止まると「煙草切らした」とだけ言い残してザッとその背中は見えなくなってしまった。暫くして河上が部屋に入ってくるまで、武市はその場を動かなかった。
*****
高杉が部屋を抜け廊下に顔を出すと、壁にもたれ掛る男の姿を捉えた。鬼兵隊の実質No,2である河上万斉である。ヘッドフォンとサングラスを装着したままでは一見こちらに気付いていないように思えるが、高杉が部屋を出たと同時にニヤリと笑った様子からして気付いているのだろう。いやむしろ…彼が部屋から出てくるのを待っていたとでも言うべきだろうか。彼には別件の任務を与えていたはずなのだが…。違う。その任務で来たのだろう。
「これはこれは随分と面白いことになったでござる。晋助、どうするでござるか?あの娘が一人居なくなった所で我らにはどうってことない」
「あん?」
そのまま河上の前を通り過ぎようとした高杉に彼はそう声をかけた。どうするもこうするもない…。高杉が「始末するだけだ」と言うと万斉は鼻で笑う。
「このままではまた子が煩くて敵わぬな。煙草…取りに行くなら手伝うでござる。そう時間の余裕は無い。…十分後に下で待っている」
「どーいうことだ」
「言ったまんまでござるよ」
とだけ言うと、河上はふらりと姿勢を正し今高杉が出てきたばかりの部屋へと消えて行った。気分を紛らわそうにも煙草を切らしたままだ。高杉は自室に戻ると羽織を肩に掛け腰に刀を差して船外へと降りる階段へと大股で歩いて行った。いつも数人の隊士が見張りをしているはずなのに今に至っては誰もいない。不用心すぎるにも程があるが、船内を誰にも見つからずに抜け出すには好都合だった。
船の下…と言っても真下ではなく少し離れた家屋の近くに高杉は来ていた。言われた時間よりも少し早いのに、何故かそこには準備万端の万斉の姿。高く湾曲したハンドルの二輪車に跨った彼は、高杉を捉えると「晋助…お主はこっちだ」と隣を指差した。今どき中々見かけないスタイルの二輪車だ。しかしこのようなバイクに跨った経験はない。
「オイ万斉。ヘルメットはどーした?」
「心配いらぬ。捕まりはせぬ故」
高杉が指差された場所に乗り込むと一際大きなエンジン音が響いた。風を切って寂れた港町を進む。昼ですら寂れた町だ。夜ともなれば人っ子一人歩いていない。その静かな町に大型バイクのエンジン音は余りにも響きすぎていた。しかしその音を存分に響かせている万斉自身はそう気にもかけていない様子だ。
「安心するでござる。これでも道は選んでる」と港町を抜けて幾ばくか人通りが増えても、目立たぬように周囲に溶け込んでいた。繁華街を抜けて長い海沿いの道を走り過ぎると、別の港町に辿り着く。何処かの商社の貿易倉庫…と言えばいいのだろうか。規模が違う大きく綺麗な倉庫が視界の限り連なっている。それら倉庫街を通り抜け、一番隅に在る少し古びた倉庫の隣でバイクは止まった。上手く周囲に溶け込んでいるが、よくよく観察してみれば余所の倉庫とは雰囲気が異なるのだ。
「お主の探し物は此処でござる。とっとと見つけて拾ってくればよい」
例の任務で、色々と嗅ぎ回らせていたがそれが吉と出たか凶と出たのか。少なくとも凶ではないのだろう。だが、万斉はこの状況を愉しんでいるように思える。それが何だか高杉は気に食わなかった。万斉の存在は未だ彼女の前には出していないはずだ。「フン」と鼻で笑うと、開きっぱなしのシャッターから倉庫の中に入り込む。そう大きくはないと思っていたが、中は広く複雑な作りらしい。長く入り組んだ廊下を進みながら、張りつめた殺気の出所を探った。
男が消えた倉庫の脇で河上は静かに空を見上げ、全てが終わるのを待っていた。これからどう事が運ぶのか…気になったからだ。この倉庫の中で起こるであろう事も、彼の探し物の事もすべて想定の範囲内。勿論探し物が決して煙草ではないことも河上は知っていた。
「さて、面白くなってきたでござる。
…お主はこの状況をどうする?」
男は、倉庫内の惨状を想像しニヤリと笑った。
糖分過多の前に、裏側・反対側をば。
20161005*星宮はちこ 裏語