レプリカ虚像乙女
 【第二章、混濁 十八話、感じるままにリズムを奏でる】


外から声がかかり応答する間もなくカーテンが開いた。そこに居た男の人は、あの倉庫から港町まで高杉とをバイクで運んだ人。私とまた子さんは驚いた表情のままその人を凝視してしまう。何だかんだ久坂さんでさえ気を使ってくれてカーテン越しに話してくれていたり、こっちの反応を待ってくれていたのに、それがこうも呆気なく開いて正直驚いてしまった。と言うか私が中で着替えとかしていたら、この人はどうしていたのだろうか。

「って、万斉先輩ィイ!さっきの私の話聞いてた?勝手にカーテンの中に入らない様にって言ったじゃないですか!何でいきなりやって来て、いきなりカーテン開けてんスかァア!?」
「ちゃんと断りは入れたでござる。それに、この娘がこのような事で怒り狂うような気性の荒い女にはござらん。また子…お主ではないからな」
「サラッと、ウチを貶してないスか先輩」

その人はまた子さんが横から睨んでも一切動じていない。高杉さんに動じず話す姿といい、この人一体何者なのだろう。表情から私の言いたいことが伝わったのか、その人はフッと笑うと口を開いた。


「拙者は河上万斉と申す。晋助の命でお主が何者か、信頼に足る人物であるか、何の目的で此処へ来たのか…少しの間吟味させてもらっていたでござるよ。


つまりこの人は、私の事を探っていたらしい。なるほど。サラッと私の名前を口にしていたが、私の事を調べていたと言うのなら納得がいく。それもそうだ。私がどれほど幕府とは無関係な一般人とは言え、突然攘夷組織に入った人間が信頼できるかどうかなんてわかりはしない。そういう意味では裏で調べられていてもおかしくはないのだ。隣のまた子さんは腕を組み未だ納得できないという表情をしていた。


「周囲は攘夷浪士という猛獣の檻に、無謀にも一人迷い込んだ…否、ズカズカと入り込むなど聞いたことがない。しかし面白いモノを見せてもらったでござる。その女は餌の羊の皮を被った差し詰め猛獣使いと言うところか。あっという間に周囲に溶け込み…飼い慣らすとは。晋助が珍しく執着を見せるので気になっていたがいやはや興味深い。お主は特に観察していて面白かったでござる」
「…」


猛獣の檻?猛獣使い?飼い慣らす?何だ。急に台詞が文学的になった様な気がする。そして、突然出てきた単語に私の頭が付いて行かない。この人…詩人なのか。見た目音楽好きな若者なのだが。そして今、この人は私の事をずっと観察していたって言った。もしかして、

「私が此処での生活で時おり感じていた嫌な気配って…」
「恐らく拙者のモノにござろう。確かに何度か振り返られたことがあった。そう鈍くはないと感心したが、確認する勇気は無かったでござるな」
「いや普通ないでしょ。私、死にたくないんで」

あの嫌な気配の理由がこれで判明した。どうやら、この人に結構早い段階から監視されていたらしい。



「今回の件でお主は幕府の間者でないことは分かった。安心するでござる」
「だから私は何でもない一般人だって言ってるじゃないですか」



この言葉…ここに来てもう何回目だろう。でも先ほどの河上さんの言葉で、鬼兵隊内に蔓延る私の間者説が払拭されると思えば、一般人宣言ももうこれで最後だろう。河上さんの言葉にまた子さんが「サンが間者じゃないってどういう意味ッスか?」と尋ねている。私も聞きたい。


「今回の事件、首謀者は攘夷浪士を語るただのチンピラにござった。もしこの女が幕府の犬なら、真っ先に真選組の助けが来ていたでござろう。あの場に現れた晋助にも何の沙汰も無いとすれば、この女は無関係ということ。しかしあの組織の連中も、よもや喧嘩を売った相手が鬼兵隊総督の高杉晋助とは思わなんだでござろう。憐れな」
「言っておきますが私、一般人ですからね」


確認の為もう一度言ってみたが見事に無視された。酷い。扱いが酷くなって行っているのは気のせいだろうか。いや気のせいなんかじゃない。私のいるベッドに腰を降ろしながらまた子さんが河上さんを見上げる。

「でも万斉先輩。どうしてサンが連れ去られたのとか解ったんスか」
「その場で見ていたでござる」
「いや…じゃあその場で先輩が助ければこんな大事にならなかったんじゃないッスか!!?」
「あの男が何を選ぶか…面白くなりそうであったからな」
「?」

「拙者の仕事は一段落した…ここからは個人的に様子を見させてもらうことにするでござる。それではそろそろ失礼する」

そこまで言うと河上さんはクルリと反転し、何も言わないまま三味線を背負った背中が遠ざかる。また子さんが彼の名を呼ぶが振り向くどころか止まりもしない。彼もまた一匹狼気質なのだろうか。私はそのまま医務室を出ていくものだと思っていた。彼が扉に辿り着くよりも早く、扉の方が開いた。


「おや。万斉殿も珍しくお戻りのようで。貴方も彼女の見舞いですか?」
「そう言う所でござるな。久坂…」


入ってきたのは久坂さんだ。しかしさっきから全然時間が経っていないのに戻ってきたらしい。扉の前では久坂さんと河上さんが何やら話し込んでいる。時おり単語が聞こえてくるが何なのかわからない。私は横に座り込むまた子さんと他愛の無い会話を続けていた。ふと、視界の隅にあった河上さんが此方を振り向いたかと思うと、ざっと近寄ってくる。何事だろうかと私は瞬きを繰り返す。私の真横までやって来た彼はゆっくりと腰を曲げ、耳元に顔を寄せると小声で話しかけてくる。

…あれから晋助はここに来たでござるか?」
「…」

高杉さんが?彼の姿はあの夜以降は見ていない。その名前が出てきたことに若干の動揺を感じつつも表面には出せず、ジッと河上さんの目を見たまま頭を振った。それは否定の意味。そう答えるとフムと考える素振りを見せ、「いや。只の独り言にござる。気にするな」と言い残し、次はあっという間に医務室から出て行ってしまったのだ。私たちの会話が聞こえていなかったであろうまた子さんに「サン何か言われたんスか?」と聞かれたので、「可笑しな独り言ですよ」とだけ答えておくことにした。

「って、久坂さん戻って来るの早いッスよ!それじゃあ全然休めて無いんじゃないんスか?」

ベッドから腰を上げ、次は久坂さんに詰め寄るまた子さん。元気だなぁとクスクス笑っていると枕元にある机の上に小さな花瓶に活けられた一輪の花が目に入る。死角にあったからか気付かないでいた。五つの花弁を持つ白い花。いつからここに在ったのだろうか?直接は貰った覚えはない。ジッと見つめていても埒が明かない。きっと久坂さんが持ってきてくれたのだろうと、途端に感心は失せた。



顔の腫れが収まり、後は薄く残る頬の痣が消えるのを待つようになると、は手持無沙汰を紛らわす為に医務室内を動き回るようになった。働かなければという思いが私を動かし、現在、医務室内をお掃除中である。足の痛みは薬の効果もあってか少し歩きにくいという程度で、そうは気にはならない。ヒビの入っていた右手首には、固定の意味でキツくテープを巻くことで対処。下手に動かさなければ問題ない。私の思いも通じてか久坂さんも掃除くらいは…と了承してくれた。モップ掛けの後はゴミを纏め、備品を補充する。時おりまた子さんやら他の隊士やらが様子を窺いに来てくれた。今日の掃除は久坂さんが医務室を離れている間に終わらせてしまおうと意気込んでいた。

「お主は真に働き者でござるな。その点感心するでござる」

この声と喋り方は河上さん。振り向きながら軽く会釈をするとニヤリと応じてくれる。河上万斉。高杉さんに次ぐ鬼兵隊の事実上No,2の実力者と久坂さんから聞いた。最近は独自の任務に就いていて、少しの間この船には顔を出していなかったらしいのだ。その仕事って私の偵察だろう。しかしそれも済んだ今は船に滞在しているようで、しかも何故かちょくちょくとここ(医務室)を覗きに来ている。私と河上さんには特に接点はないのだが、何故が他愛の無い内容を話しかけられる。今日だってきっと同じだろう。

「傷の治りも体調の方も万全と見受ける。ともすれば、こんな狭い医務室に留まっておれぬだろう」
「それは…どういう意味ですか?」

モップを動かす手が止まる。ジッと彼を見つめれば、河上さんが愉快気に笑った。


「退屈でござろう。良ければ拙者がお主の散歩に付き合ってやるでござる。船内だけでも外を歩けば気分は良かろう。久坂には言付けておく故心配は無用」
「…」


確かに、そろそろ医務室内だけではなく外(船内)にも行きたかったなぁと思っていたところだ。私の心境を知ってか知らずか医務室の扉を開いた河上さんが廊下から促してくる。少しの不安が過ったものの、街をうろつくわけでもない。何より河上さんがいるのだ。私はモップを片付けると医務室の外に居る河上さんの元へと歩み寄った。散歩。と言ってもこの船には見て回る場所など特にない。彼が背負った三味線の弦を目で追いながら、廊下を抜ける。途中ですれ違う隊士には振り返り驚きながら「もう大丈夫なんですか!?」なんて言われるので笑顔で返しておく。河上さんは何処に行きたいのだろうか。今のところ“散歩に付き合ってやる”と言われたものの私が河上さんの後を追っているだけなのだ。一体付き合わされているのはどっちなのやら。互いに何も話さないまま、甲板に続く例の階段を上がる。

「(そう言えば…この船に戻った時は高杉さんに)」

抱えられていたのだ。その状況がありありと思い出されて居た堪れなくなる。医務室まで運ばれてから、高杉さんには会っていない。軽く二週間ぐらい経っているのに。彼は今…この船にいるのだろうか。攘夷活動に奔走しているのだろうか。開いた扉を通ると海風を感じる。船内で窓のない医務室からでは天気も気温も感じるには程遠かった。晴天とまではいかなくとも、白い雲の映えた青空からは燦々と日光が降り注いでいる。解放感に全身を伸ばして関節を鳴らす。外の空気は気持ちいい。
「こっちでござる」と河上さんに促されて船首の方へと歩いて行く。船内では何人もの隊士とすれ違ったのに、ここには人っ子一人いなかった。相変わらず雑多な甲板で河上さんと私の二人…彼の背なかを見ながら立ちすくんでいる。…何を話せばいいのだろう。私たちの間には共通の話題も無ければそれほど親しくもない。


「お主の今考えていることを当ててやるでござる」


その言葉に視線を上げた。逆に言うと、私は今何を考えていたっけ。

「この状況が気まずいので拙者に何を語りかけるか考えていたでござろう」
「えっと…」

確かにそうだ。この状況に気まずさを感じていたことも、彼に何を話しかけるべきか…或いは何を話しかけられるのだろうかと心配になっていた。背を見つめていた目線が泳ぐ。ゆっくりと河上さんが此方を振り向いた。濃い色のサングラスで覆われた先は捉えることが出来ない。


「そう力まなくても良い。ここに呼び出したのは少し聞きたいことがあったでござる。晋助があれほど目にかける理由…自分では覚えなどないか?」
「高杉さんが…私に?」
「我ら攘夷組織が船に無関係な一般人を乗せるなど理解できぬ。それなりの理由があろう」
「私には覚えがありません。高杉さんにはこの船で初めてお会いしましたから」


そう言い切った。私の答えを聞くとフムと少し考える素振りを見せ、河上さんは口を開く。

「船に戻って来てから晋助の接触は無いのでござったな?」
「お会いしておりません」
「晋助に会いたいか?」
「えっ…?」

突然そう言われて心が動揺した。高杉さんに…会いたいか?会いたい訳ではないが会いたくない訳でもない。でもやっぱり久しく姿を見ていないので…会いたいかも。答えが出ぬまま百面相をしていると、河上さんが「解りやすい女でござるな」なんて笑ってきた。精一杯否定しておこう。私の反論は上手くかわされてしまった。


…これから拙者の事は名前で呼ぶでござる」


高杉さんにしても、河上さんにしても武市さんにしても皆苗字で呼んでいたのに、ここに来て突然名前で呼べなんて…どんな展開だろうか。駄目だ。頭が付いて行かない。またまた無言で百面相をしていると河上さんが「呼ぶでござる」と言ったのだ。え、もしかして今ここで呼ばないといけない感じなのだろうか。

「…万斉さん」

聞こえるか聞こえないかの小声だったが彼の耳には届いたらしい。ご丁寧に「敬称は要らぬ」と付け加えられた。つまりあれだ。“万斉”と呼んでもらいたいのだろうか。しかしまた子さんですら“また子さん”なのに突然、そう親密な関係でもない河上さんの事を“万斉”など呼べるはずがなかろう。次は前面に表情に押し出してみた。伝わるだろうか。

「そう苦い顔をせずとも良いでござる。拙者は中々嫌われてしまった様子でござるな」
「嫌いじゃないです。ただ…その…お呼びするなら順序を踏んでからが良いかなと…」
「では今のところ敬称は認めるが、時が来れば“万斉”と呼んでもらうでござる」
「努力します」

ふとした瞬間に河上さんと呼んでしまいそうなので気を付けよう。前方にいた万斉さんがゆっくりと歩み寄り、ほぼ目の前にまでやって来た。ここまで近いと流石に身長差を感じてしまう。緩やかな潮風が通り抜ける。私を呼びだしたのは名前の話をしたかったからなのだろうか。波間に反射する輝きを視界の中に捉えながら、ずっと万斉さんの顔を眺めていた。すると「ずっとあの部屋で掃除しているのは退屈でござろう?」と投げかけられた。どういう意味だろうか。


「今晩、ちと野暮用を頼める人間を探していたところであった。久坂には拙者から言っておく。どうでござるか?」
「野暮用…ですか?」


今どき“野暮用”とは何だろうか。それも他の隊士に頼むわけでもなく…私にである。高杉さんがそうだったように何かを買ってこい的な?近所ならまだしも遠くに行くには許可が下り無さそうだ。他には特に思いつかない。


「簡単でござる。今宵…皆が食堂に集まっている頃に、拙者の部屋に茶を届けてほしい。ただそれだけでござる」
「お茶を?万斉さんの部屋に?」
「うむ。生憎拙者には勝手がわからぬ故」
「承知しました」


ではこれを、と渡された紙にはこの部屋だと言う風に見取り図に印がされていた。どうやら幹部しか入れないあの建屋の上階のようだ。階段を上がった先。迷うことも無い。ザッと位置を確認し紙は胸元に仕舞いこむ。

「では頼んだぞ。感想は後日聞かせてもらうでござる」

と、言い残して万斉さんは船の中へと消えて行った。何だ感想って。散歩…と連れ出されても、そう大したことはしていない。彼は私にこの託を頼みたかったのだろうか。今晩、万斉さんの部屋にお茶をお持ちする。それが野暮用?もしかしたら来客の対応かもしれない。攘夷浪士の来客って、誰だろうか。同じ攘夷浪士?犯罪者?それって危険では。いや、そもそも来客でないかもしれない…その最悪の事態は否定しておこう。


*****


夜。久坂さんに断わりを入れては医務室を出た。来客の可能性も完全には否定できないので、念の為、服は患者用でも戦闘服でもなく普通の着物。しかし髪は大雑把にまとめ上げたまま。食堂はきっと人だかりなので使用を諦め、医務室内で熱々にお茶を入れて盆に乗せて運ぶ。甲板に向かう階段までは早かった。そして…今日はその先へ。
建屋の上に向かう階段。前を通ることは良くあるものの先へと進んだことはない。恐る恐る上がっていく。登り切った先はシンと静まり返り物音一つ響かない。廊下の作りは単純。指定された万斉さんの自室は迷うことも無く見つかった。目の前のこの扉である。─コンコン と、恐る恐るノックするも中からの返事はない。しかし万斉さんは確かに中にいる。根拠のない自信が私にはあった。


「失礼します。万斉さん…お茶をお持ちしました…」


そう言って特に何も考えていなかった私は、開いた扉の先に居た人物に驚愕した。万斉さんがいると思っていたのに、そこに彼はいなかった。それどころかとんでもない人がいた。

高杉さんだ

しかも薄暗い部屋の窓辺にもたれながら煙草を吹かしているではないか。まるでここにやって来た日と同じ。高杉さんはチラリとこちらに視線を寄越したが、驚くわけでもなく無反応。私も動けないまま固まっていた。どうして彼が…ここに? ここって万斉さんの自室ではなかったのだろうか。もう一度紙を取り出して確認するも、やっぱりこの部屋で間違いない。もしかして、彼の部屋に訪れたお客(じゃないけど)って高杉さんの事だろうか。駄目だ。混乱して頭が働かない。

「どうしてお前ェがここにいやがんだ?」
「その…万斉さんに頼まれました。彼の自室にお茶をお持ちするようにと」
「奴の部屋はここじゃねェぞ」
「でも!この部屋にと言われまして、その、すみませんでした」

確認の為、三度紙を取り出してみる。何度確認しても答えは変わりもしない。「見せろ」と声がかかったので盆を抱えたまま部屋の奥へ進む。高杉さんの前へと紙を差し出すと、あっという間に攫われてしまった。軽く目を通すと高杉さんはその紙を破いてしまったのだ。

「万斉の野郎め。昼間といい…俺に喧嘩売ってくるたァいい度胸じゃねーか。で、テメェは奴に言われるがままノコノコ来やがったってことか」
「ハイそうなります」

もう棒読みだ。やけくそだ。これ間違いなく怒られるやつだ。そう思った途端に胸が重い。


「顔…見せろ」


投げかけられたのは想像していたよりもずっと優しい声だった。パチパチと瞬きを繰り返しつつ、手にしていたお茶が乗った盆を空いた机に置くと、窓際の高杉さんの傍に歩み寄る。敷居に腰を掛ける高杉さんの頭は私のものよりも少し下にあった。このままだと変に見下ろすことになるので戸惑ってしまった。だがそれを気にしていたのは私だけだったようで、高杉さんの白く繊細な…男の手が伸びてくる。指先が頬に触れると、まるで電気が走ったように皮膚の表面と心の奥底が跳ね上がった。顔が…熱いのだ。指先が頬を撫でる度に心が躍る。ジッと眺められているままでは視線が合わせられないので、私は目蓋を固く閉じていた。指先が頬から首筋そしてその先へと滑るのを感じて、思わず自身の手を伸ばして彼の手を止める。重なった右手は包帯が巻かれている方で、掌ごと包み込まれるとゆっくり引かれた。

「こっちは治ったのか?」
「ヒビが入っただけですから…無理に動かさなければ問題ないです」

私の指を彼の指が滑り、遊ぶ。この状況…恥ずかしいの一言に尽きる。赤く染まった頬を悟られない様に、心を落ち着かせるようにゆっくりと深呼吸を繰り返す。必死だった。だって…高杉さんは来島さんと恋仲なのだから。私が入り込む隙などあるわけがない。それに、この感情はきっと恋愛などではなく…“憧れ”なのだ。きっとそう。


「茶、貰ってやらァ。どうせ万斉もその気で寄越したんだろうからよ」


そう言われて、私は慌てて机に置きっぱなしだったお茶を取りに行く。盆ごと持ってくると高杉さんに湯呑みを差し出した。熱々のまま注いだが置いている間に徐々に温度が下がってしまっていた。手に持った感じではまだまだ熱いくらいだったがどうだろうか。反対の手で煙管を持ち、湯のみに口を付ける高杉さんの様子を恐る恐る眺めていた。

「ちと温いが味は悪くねェな」
「ありがとうございます」

─カンッと 音が聞こえ、音のした方を見ると高杉さんが窓の外に向けて火皿の灰を落とたのだ。やっぱり携帯灰皿は使ってくれていないらしい。でも私は知っていた。さっき見えたのだ。机の脇に無造作に置かれた携帯灰皿。使用している痕跡はないが捨てられるわけでもないようだった。
盆を抱えながら視線を窓の向こうへと向けると、低い建屋が連なる港町の向こう側…遠くまで景色が広がっていた。漏れ出た各々の家の明りが連なっている。

「綺麗…」

と思ったままを口にしていた。湯呑みを降ろした高杉さんも外を眺める。


「俺ァこの世界なんざ腐ってると思ってる。幕府転覆させるためどれほど犠牲があろうが構いやしねーとな。もちろんこんな町…思い入れすらねェが、ここから眺める景色は悪かねーなァ」
「良い景色ですね。この飛行船で飛んだら、きっと鳥になったみたいに気持ちいいですよ」
「クック。昔から“馬鹿と煙は高いところに上る”って言うが、お前ェはまんま上るのが好きなだけかよ。ここに来た時もフラフラ足元覚束無ェままあんなところ上りやがって」
「私…馬鹿でも調子者でもないですから!あ…あの時は助けて頂いてありがとうございます。多分落ちてたら死んでました」


高いところは風が通って…気持ちいい。そして空と星が良く見える。私が上る理由はそれだけだろう。夜風が部屋に入り込み二人の着物を揺らした。下を見れば船内への出入り口が見える。つまり私が船内から出て、見上げた先に高杉さんが煙草を吸っていた場面は全てこの部屋の窓ということなのだ。


「オイ。お前の茶の味、気に入った。また呼んだら持って来い。ついでにそっちの机の上にあるモン持って来い」
「いつでも…喜んで!」


味を褒められたことに気を良くして笑顔で答える。空いた湯呑みを受け取ると机の上に盆ごと置き、代わりに乗っていた風呂敷包みを手に取った。中身は見えないが硬くて筒状の物が何本か入っているようだ。高杉さんに包みを渡すと器用に結び目を解いて行く。中から現れたのは綺麗な反物だった。留めを解くと数十センチほど広げて、渡される。「合わせろ」と言われて状況が掴めないまま布を肩の辺りに当ててみる。合わせるってこんな感じだったけ?もっと長く広げてからだったっけ?

「上出来だ悪かねェな。今度それ仕立てさせるから覚えとけよ。血塗れの“奴の着物”は捨てさせたからなァ。使い走りの褒美だ…受け取れ」
「そんな」

こんな上物受け取れない。大体助けてもらったのは私の方で、お礼なら私がしなければいけないのだ。そう伝えれば、「黙って受け取れ」と言われた。それ以上は何も言えずにただ頷くしかなかった。こんなことまでしてもらって、申し訳ないの一言しかない。私は何も高杉さんに返せていないのに。


「手…出せ」


静かな声でそう言われ、反物を幾つか抱えながら右手の掌を差し出した。私が手を差し出すと、徐に彼は自身の袖の中をゴソゴソと探っている。何だろうか。何があるのか見当がつかずに頭上には“?”が浮かんでいる。袖から出てきた高杉さんの握られた拳。私の掌の上に来ると指が緩む。─シュルリ と物が乗った感覚が伝わった。それが何かを見た途端に手が震えるのを感じた。

「これ…嘘…」

あの時攘夷浪士に奪われたままだった家族の形見がそこにはあった。小さなロケットペンダント。中には最初で最後、唯一の家族写真が入っているもの。疾うに失ったものだとばかり思っていたのにどうして。高杉さんが…これを持っていたのだろうか。駄目だ。手の震えが止まらない。涙で視界が滲む。力が入らなくなった腕から反物が滑り落ちた。拾わなきゃ、頭では分かっていても体が動かなかった。頬を涙が零れ落ちる。下手な事では泣かないと決めたのに涙が止まらない。

「拾いモンだ。野郎が持つには似合わねェからな」
「高杉さん!ありがとうございます!!本当に…ありがとうございます!!!」

力が入らなくなってその場に膝からへたり込む。


「泣くな。お前ェも随分…面倒くせぇ奴だな」
「このお礼は必ずしますから!高杉さん…私に何でも言って下さい!!」
「フン。言ってやらァ!泣くな!とっとと戻って寝ろ!野郎のことなんざ信用すんじゃねェ!」
「わかりましたけど!でもそれ…お礼とちょっと違うような気が」


涙を拭いて立ち上がると頭を深々と下げる。戻って寝ろと言われた手前この部屋にはそう長居は出来ない。最後にもう一度ありがとうございますと告げて扉の前へ。

「おやすみなさい」

言葉で何かが返ってくるわけではない。それでも優しい視線を向けられたのはこの言葉に対する返答である。私は静かに扉を閉めると医務室へと戻った。


*****


“失礼します。万斉さん…お茶をお持ちしました…”

高杉の脳内ではの言葉が巡っていた。いつの間にか奴の名を呼んでいたことに気付かないほど馬鹿ではない。そしてと河上の間にそう接点がないことも知っている。これは奴の当てつけであり、そして見事に喧嘩を売られているのである。

「フン。調子に乗りやがって。俺ァ売られた喧嘩は買うって言ったはずだ」

苛立ちを押さえようと、高杉は再び煙草に手を伸ばした。


詰め込みすぎた感が否めませんが、とりあえず総督は執着しています
20161218*星宮はちこ   裏語