レプリカ虚像乙女
【第二章、混濁 十九話、ゆるやかな調和】
「失礼します。お茶をお持ちしました」
扉の向こうへと声を掛けると、短く「入れ」と聞こえた。
あの日以来…高杉さんの元へお茶を届けるのが私の日課となっていた。基本的に午後三時前後。と言っても高杉さんは用事で船を離れることもしばしば。そんな時は出かける時にわざわざ医務室まで顔を出してくれていたり、久坂さんに伝えていたりした。そして、ほんの数回は届けに行って留守を知る時もあったりした。だが大抵は船に戻られた後に、医務室に「茶…」というほぼいたずら電話かと思わせるような内容の連絡が入って慌てて届けに行ったり。そんな生活を数週間続けている間に、顔の痣も消え、手首の骨のヒビも完治。いつも通りの生活が出来るようになった。朝から夕方まで雑用と医務室の手伝いの繰り返し。その合間にこうしてお茶をお運びする。それが今の私の日常。部屋に入れば相変わらず窓辺で煙草を吹かす高杉さんの姿。いつもは一人…でも今日は違った。
「晋助の元へこう毎日毎日茶を届けに来るとは相変わらず勤勉な。真に感心するでござる」
「万斉さん?あ、直ぐにお茶をお持ちしますので!」
部屋の脇にある応接セットの所に万斉さんがいるではないか。お茶の用意は一人分しかないので、高杉さんに渡した後に、急いで追加を用意するために小走りで戻ろうとする…と
「!?」
万斉さんの三味線が私の通り道を塞ぐ。そのまま突っ込んでいたところをかろうじて止まる。
「そう急ぐでない。聞けば医務室からわざわざ茶を淹れてくるとか。それでは遠かろう。近くに給湯室がある故、そこで仕度すればよい。拙者と
の二人分を頼む」
「私の分もですか?」
「断る理由はなかろう。丁度、晋助の為に手土産の菓子を持ってきてやったのに“要らぬ”と突っぱねられ余っていたところでござる」
右に曲がったところを教えられ、探り探りに給湯室と思しきところを見つけた。こんな近くにこんな部屋があったなんて…知らなかった。というより私がふらふらと上階を探索出来るわけがない。戸棚から手早く茶葉を見つけ、お湯を沸かす。下にある茶葉より良い物だ。準備を整えると部屋に戻る。万斉さんに茶を差し出すとそのまま彼の隣に座るよう促された。「流行りのスイーツでござる」と、見た目が鮮やかな洋菓子を渡された。一言…美味しそうなのだ。しかし豪快に頬張るわけにもいかないのでちゃんと切り分けて食べることにした。
「お主は真に美味そうに物を食すな。また子が言っておった通りでござる」
「って、また子さんそんなこと言いふらしてたんですか?」
「どうだか。もう忘れてしまったでござるよ」
「…」
彼女のことだ…きっと違いない。万斉さんに詰め寄りながら根掘り葉掘り聞こうとしても「さあ」やら「はて?」やら良い感じにかわされてしまった。何ということだ。すると窓際から咳ばらいが一つ届く。しまった。一瞬、一瞬だけ高杉さんがこの部屋に居ることを忘れてしまっていた。
「
はからかい甲斐かあって面白い限りでござる。ついでにこれもくれてやろう」
「わー!これ、寺門通のCDじゃないですか!噂の猫耳ジャケット!」
差し出されたのは寺門通のニューシングル。巷で話題になっている猫耳姿のジャケットのものだ。あれ?発売日は今度の水曜日じゃなかったけ?どうして万斉さんが発売前のCDを持っているのだろうか。土曜日や日曜日やに発売されるジャンプじゃあるまいし…。CD越しに万斉さんを見ているとフッと笑われた。
「裏ルートで入手した故、事情は話せぬ。それにこれ以上余りお主を一人占めしていると拙者が怒られるからな。今日はこの位にしておこう」
「それってどういう意味ですか」
「言ったまんまでござる。で、晋助…我ら鬼兵隊のこれから、
に教えてやったらどうだ」
そう言って万斉さんは窓辺に視線を寄越した。相変わらずの背中は無反応。もう一度万斉さんが彼の名を呼べば「ウルセェ。聞こえてる」と反応が返ってくる。私もその背を見つめるしかない。鬼兵隊が攘夷組織だってことは私も知っている。が、万斉さんの言う“鬼兵隊のこれから”とはいったい何を指しているのだろうか。今ここで、“明日テロ決行します”とか宣言されたらどうしよう。全力で止める…なんて出来ない。でも“はいそうですか”なんて二つ返事も出来ないだろう。今の私に出来ることって、本当に何もないのだ。含んだ煙を吐き出した高杉さんが首を動かし、視線を私たちのいる方に寄越し、
「じきにここを離れる」
そう告げてから彼は再び視線を外に向けた。簡潔な言葉。でもそれでは私には真意は伝わらない。何事だろうかと瞬きを繰り返していると万斉さんがクスリと笑った。
「ここを離れるって…もしかして宇宙に?」
「心配は要らぬでござる。この港では色々と都合が悪い故、江戸の別の港へ移るに過ぎぬのだからな」
「別の港へですか」
よかった。テロの宣言じゃなくて…と胸を撫で下ろしていると、「移動後に宇宙に行くのは拙者だけでござるよ」と万斉さんが付け加えた。へぇー、彼は宇宙に行くらしい。鬼兵隊の用事で?それって機密事項なんじゃ…。張り巡らせた考えを遮るように「万斉」と高杉さんが彼を窘めた。うん。今のは聞かなかったことにしておこう。
「
…そいつの言った通りだ。俺らはここを離れる。それだけだ」
「ならば私もついて行きます。それだけです」
そう答えると隣から愉快気な笑い声が響いた。
部屋を離れて医務室への道を辿る。手には抱える大きさの包みが一つ。退室の間際に机の上の物を持って帰る様に言われ、ついでに部屋に入ってから見ろとも釘を刺されていた。寄り道もせずに医務室に戻り、自室へと駆け込む。ドアを閉めてから包みの結び目を解くと綺麗な布地が広がった。見覚えのある柄。贈られた反物の仕立てた着物が数着。手でなぞる絹地は滑らかで美しい。仕上がった着物を何も言わずに渡す高杉さん。でもそこには確かに心が込められていると感じた。彼なりの思いが。明日は一着来てみよう。そして何も言わずにいつも通り彼の前に茶を運ぶのだ。全身をジッと捉える視線こそ彼が満足したという証なのだと思うことにする。
*****
「そこのお嬢さん!!!失礼ながら高杉殿の元までご案内頂けないだろうかァ!!!!」
洗濯物を干すためにカゴいっぱいの衣類を運んでいた私の後ろから、恐ろしいほど大きな声が聞こえて、思わず手を離してしまいそうになった。慌てて振り向けば、長髪で眉間に皺を寄せた男性が腕を組んで仁王立ちしているではないか。て、敵襲!? 恐らく鬼兵隊の隊士では無いだろう。と言うよりこんな人見たこと無い。反応に困って瞬きを繰り返している私に、「こりゃァ失礼いたしたァアア!!!」と、だから声量間違ってますよと言いたくなるような声が届く。…この人パチンコ屋ででも働いているのだろうか。
「私は江戸の刀鍛冶、村田鉄也と申す者!実は本日、高杉殿と会う約束をしておりましてェ!!この船までやって来たは良いものの、人っ子一人出会わぬ故どうしたものかと焦っておりましたところ、貴女の後ろ姿に出会ったのですよォオ!!!」
あ、刀鍛冶なんだ。と言うことはこれくらい大きな声じゃないと仕事場ではお話出来ないのだろう。なるほど。でもここは違う。お願いだから声量考えて下さい。この距離でその声…絶対間違ってますって。明らか吊り橋が掛かった谷の向こう側に話すときの大きさな気がする。思わず耳を塞ぎたくなるところを、客人の手前そんな失礼なことも出来ず、どうにか我慢した。私…エライ。手に持ったカゴを置き、村田さんと名乗る男性の前で姿勢を正す。
「初めまして、私はこの船で働いております
と申します。失礼ながら…この船に乗る者がどのような方々かご存知でしょうか」
「と、申されますとォ!?」
「ここはただの観光船ではありません。きっとそう…猛獣の檻とでも言いましょうか。それを承知の上踏み入ったということでよろしいのでしょうか?」
私がいきなり“猛獣の檻”だの言い出したのには理由がある。何も考えも無しに急に言い出したわけでは無い。この人…本名を名乗っている保証は無いけれど村田さんはもしかしたら幕府の人かもしれないし、あるいは殺し屋かもしれない。不審者を組織のトップにホイホイと会わせるような馬鹿な真似は私だってしない。とりあえず相手を探らねば。するとどこからか聞き慣れた笑い声が聞こえてくる。キョロキョロと私は周囲を探った。
「こりゃアまた面白ェモン聞かせてもらったぜ。安心しな。其奴は正真正銘俺の客だ」
「あ…その…村田さん疑ってしまい申し訳御座いません」
高杉さんがそう言うならこの人は不審者では無いのだろう。むしろお客さんだ。私は頭を下げた。上からは高らかな笑い声が降り注いでくる。
「ガッハッハ!!いやしかしこの状況では疑うのも無理はないでしょうぞ!!実に面白い!貴女のことは覚えておこう!!」
船内に消える高杉さんの背を追って村田さんもフラフラと歩いていく。見えなくなると思った最後の一瞬に振り返った高杉さんの「後で茶、持ってこい」の一言が耳から離れなかった。そのまま立ちすくんでいた私だったが、突如脳内に“茶”と言う言葉が浮かび、止まっていた時間が動き出した。走って洗濯物のカゴを船尾の物干しスペースにドンっと置くと、給湯室目指して全力疾走する。廊下でぶつかりそうになった隊士には走りながら謝る。上階への階段を軽快なリズムで駆け上がる。お湯と茶葉の用意…お菓子は何にしようか? 茶器も選んで順序良く茶を淹れる。早歩きで、でも音を立てないように例の部屋までたどり着くとコンコンとノックをする。返答を待ってから私は入室した。
殆ど毎日…と言っても過言ではないくらい通っている高杉さんの部屋。畳敷きのスペースに二人向き合って座っていた。村田さんの前に「どうぞ」と、お茶と菓子を差し出す。次は高杉さん。二人の間には風呂敷が広がっていた。その中央には鈍い輝きを放った日本刀…。視界に入れないようにしていても…自然と見てしまう。刀鍛冶の村田さんが刀を持ってきていも何らおかしくはない。高杉さんのものだろうか。彼の刀を覚えてはいないけど。
「村田。コイツの淹れる茶は悪かァねぇぜ。たんと味わって飲め」
「それはそれは!!ではいただくことにしましょう!!!」
頭を下げた私はそれ以上何も聞かないように見ないようにとそそくさと部屋を出て行く。あ、洗濯物をまだ干していなかった。早くしないと皺になってしまうだろう。何故だろうか…、あの刀を見たときに感じた変な胸騒ぎが、ずっと消えなかった。
二章、混濁 【完】
遂に、混濁が調和しました。次章に続く重要人物村田さんと刀。つまりアレですね。
20161225*星宮はちこ 裏語