レプリカ虚像乙女
【第三章、紅桜 二十話、輝夜に舞う天女】
この船は今…空を飛んでいる。人目に付かぬ夜に船は暫く過ごした港を離れた。動き出した瞬間、慣性の原理で体が揺られたのを覚えている。最初は船がそのまま海の上を動いていると言う感覚だったが、ある時、急にグッと持ち上げられた衝撃が全体に伝わった。その瞬間この船が“飛行船”であり、空へと飛び立ったのだと認識した。
それからは軽く揺れることはあっても特に大きな振動も無く…飛行しているのかどうかも忘れるぐらいに静かだった。今日は夕方から全隊士の外出が禁止され、特に私は危ないから医務室から一歩も出るなと仰せつかっているので、外の状況は一切知り得ない。ついでにこの部屋には窓はない。船内から医務室に戻った久坂さんに「飛行は順調だよ」と教えられて、とりあえず一安心だ。行き先はそう遠くない所らしい。暇を持て余した私は読みかけの本を開いた。船酔いはそう経験がないが、今のところそう揺れもしないので本を読んでいても大丈夫だろう。読み終わったページを捲る。呼び鈴の鳴った電話を取ろうと手を伸ばすも、一歩早く久坂さんが受話器を持ち上げた。再び手元の本に視線を戻す。
「
君、お呼び出しだよ。甲板に来るようにって」
再び顔を上げる。お呼び出し?誰から?何で? 疑問は顔に出ていたようで、笑いながら「来島君から。幹部が君をお呼びだってさ」と。ついでに彼女個人の伝言だろう、迷子にならないようにと釘を刺されたとも言われる。だから私は彼女より年上だってば。半ばふて腐れながらも、命令を無視するわけにもいかないので急いで本を片付ける。医務室の扉に手を掛けると後ろから久坂さんの声。
「寒いかもしれないから上…羽織って行った方が良いよ」
「あ、はい」
確かにそうだ。だって甲板だもの。甲板…って外? そう、外なのだ。何故今頃甲板にお呼び出しを食らったのだろうか。久坂さんがまた子さんの声を聞き間違えるわけがない。と言うことは電話の相手は来島さん本人。下っ端隊士の呼び出しではないだろう。甲板から突き落とされる可能性…ナイナイ。いや。無いと信じたい。適当に羽織を掴むと、「言ってきます」と声を掛けて医務室を飛び出た。
迷子…になるはずもなく、いつもの“外”への道のりを小走りに進む。いつもは隊士とすれ違う人通りの比較的多い廊下も、今は誰もいない。手にした羽織を着ようと走りながら広げる…が、形が想像と違った。あれ? 下手なことを考えていたせいか、着物用の羽織ではなく医務室の白衣を持ってきてしまったようだ。しかし戻っている時間はない。唯一の救いは、今着ているのが普段着の着物ではなく戦闘服だと言うこと…つまり白衣と合う服でよかった。羽織ると最後の階段を上がる。いつもは開きっぱなしの扉が閉められているではないか。ボタンを押して開くと…途端に風に包まれた。今日は風も天候も穏やか…絶好の飛行日和なのだが、高度数百メートルか千メートル近くの上空は無風なんてことは無い。それでも普段通り歩くには気にならない風を受け、甲板へとかけて行った。
「…」
抜けた先は時が止まったように穏やかで、静かで、まるで一枚の風景画のようだった。大きなコンテナが二つ置かれた甲板の先には、佇む高杉さんの後ろ姿。周囲には幹部の皆さんが勢ぞろいしているではないか。あ、また子さんはコンテナの上だ。それも結構隅の方…落ちないだろうか。武市さんが何やら喋っている。私はそのまま何も言わずにジッと彼らを眺めていた。すると、
「いつまでそこに突っ立ってやがる」
そう声を投げかけられて、全員の視線を受けた。
「あ、
サン!もー来てたんなら声くらいかけて下さいよ!」
「俺は嬢ちゃんの気配で分かっていたんだがねェ」
「拙者も同じく」
「まあまあ皆さん落ち着いて。
さん早くこちらにいらして下さい」
各々にそう言われて舳先の方に歩み寄って行く。いつか振りの満月の夜空から眩い月光が照り注ぐ。振り返った高杉さんの美しさに足が止まりそうになった。彼らの元にたどり着くと、真横からドンッという音がする。また子さんがコンテナから飛び降りてきた。
「船内に缶詰じゃ息が詰まるだろってわけで晋助様が気ィ利かせてくれたんスよ。この前みたいに先っちょ行って落ちないでくださいよ」
「落ちないですって!」
だから私はまた子さんより年上(以下略)
すると、次は武市さんが私のそばに歩み寄ってきたではないか。何だろうか。
「念のためヒモか何かで命綱などを付けておくのはどうでしょうか。備えあれば憂いなしとも申すことですし」
「武市さんまでからかわないでください」
あ、岡田さんに万斉さんまで笑ってる。
「うむ。紐は無いが拙者の弦ならあるでござる。これなら強度は抜群。娘一人ぐらいでは切れはせぬ。だがしかし、先に肉の方がズタボロになるかもしれぬが」
「ヒィイイイ!」
指の間に忍ばせた弦を見せられて体が強張った。幹部による滅多打ち処刑…から救ってくれたのは「
、こっち来い」と私を呼ぶ声だった。まるで鶴の一声。私を取り囲んでガヤガヤ言いたい放題言っていた皆が口を閉ざしてしまうくらいに。「ハイ」と答えて高杉さんの横に歩み寄る。
「下、見てみろ。落ちんなよ」
高杉さんにまでそう言われてしまうとは。相当信用されていないらしい。言われた通りに、胸ほどある縁から下を見下ろす。その光景に私は声を失った。まるで宝石をばら撒いたような輝きが遥か下方の一面に広がっているのだ。上を仰げば、満月。綺麗。
「素敵」
「お前が来た時もデケェ月が昇ってやがったな」
「そうでしたっけ?」
ダメだ。今のところ落ちそうなった事しか思い出せない。ロマンもムードも何もない自分に呆れつつも、記憶を掘り起こす。何やら音がしたと思えば紫煙の香りが届いた。彼が吐き出した煙は途端に風に流され消えていく。ジッと前を見据える男の横顔から視線が逸らせない。
「まるでかぐや姫でも降りて来そうじゃねーか」
隣から呟きが聞こえた。何てロマンティック。まさか高杉さんがそんなことを言うとは思っていなかったので、クスリと笑ってしまった。別に馬鹿にしているわけではない。ただ意外だなぁと思っただけ。あ、見られてる。今、私見られてる。見返す勇気はないのでそのまま空の月を見上げておくことにしよう。
「この月夜に“かぐや姫”とは晋助も中々詩人でござるな。と言っても、拙者はもう降りて来ていると思うがな」
「万斉先輩降りて来てるって何の話ッスか?ってか何でそんなにニヤついてるんスか」
「空を仰ぐ月の姫…まあこの猪女ではないことは確かですね」
「ハァ!?武市先輩まで何なの!?」
皆が思い思いに“かぐや姫”の話で盛り上がっている。月の人“かぐや姫”…きっと綺麗な人なのだろう。五人に求婚される位だし。でも結局月の世界に帰っちゃうんだよね確か。そして現実の“この世界”に降りて来たのは実際、天人だったけど。と言うことは、天人がかぐや姫?…違うな。そこまで考えたところで、あることが浮かんだ。私は隣に高杉さんの気配を存分に感じつつも一人呟いた。
「かぐや姫ならいますよ。私の隣に」
すると後ろで繰り広げられていた論議がピタリと止まった。再び船首に静寂が訪れる…ことはなく。「ブッ!!」と声がして「ああー!万斉先輩吹き出したッス」「おやおや珍しい」 何やら余計騒々しくなってしまった。万斉さんが声を出して笑っているこの光景は珍しいと思う。
「アン?誰がかぐや姫だ。野郎に姫ったァふざけんな」
おまけに隣からは物凄くメンチ切られていたり。月夜と高杉さん…お似合いだから。きっとこの中でかぐや姫がいるなら彼しかいないと思っただけ。そう軽くオブラートに包んで言ったら鼻で笑われた。その時、着物の裾を激しく揺らすほどの風が通り抜ける。飛ばされるわけでもないけれど白衣の裾がビラビラとはためいた。
「
さん、今日は変わった上着をお召しのようで」
武市さんの声に私の白衣に視線が集まる。煙草を吹かしながら隣の高杉さんまで見ているのだ。裾を持ちあげる。
「これ“天衣(てんい)”と言って、父が生み出した驚異の軽さ強さ繊細さを持つ新素材なんです」
「天の衣とな。それでは差し詰め
さんは“天女”と言ったところでしょうか」
「…天女ねェ。そう言えばかぐや姫は戻ってきた天女の話を聞いて地球に降りたらしいね」
「ふーん。相変わらずのポエムッスね」
「私達がもし、かぐや姫と天女なら…こうして空を仰ぐ理由が説明出来ますね」
「…」
笑顔で見上げれば「フン」と返事を告げられた。あまり興味はないらしい。そのまま皆で空を見ていると目的地が近づいたと言う連絡が入る。渋滞のない空の旅はあっという間だった。安全のため船内に戻ると、次は着水の衝撃が伝わった。忙しなく廊下を行き交う人の気配を感じつつ、停泊の準備が整うまで医務室に居るように言われている。
は新天地に思いを馳せながら落ち着かない様子で久坂と話をしていた。訪ねてきた隊士に話を聞くと、さっきの衝撃で手をぶつけて切ってしまったらしい。幸いにも傷は小さいのですぐに手当てを施す。次に訪れた隊士には、停泊の準備が整ったことを告げられた。
本編を意識してます。どのシーンかわからない方はテレビ版紅桜編初話の冒頭シーンをご覧ください。
20170101*星宮はちこ 裏語