レプリカ虚像乙女
 【第三章、紅桜 二十一話、這い回る囁き】


港を移ってどれくらいの時が経っただろうか。新天地での生活が慣れても、私は高杉さんのお茶汲みを怠りはしなかった。今日だってそう。古い茶葉を使い切ったので新しい茶葉を開けて急須に量りとる。沸かしてから少し温まった(と言っても十分熱い)湯を注ぐ。湯呑みに広がる緑色と立ち上がる青い香りに、何故だろう心が躍る。やっぱり時間が経った茶葉よりも、開けたての茶葉の方が香りが良いような気がする。

「失礼します。お持ちしました…よ」

部屋の隅で真剣な表情をした総督の姿に少しだけ動揺した。

「そこに置いておけ」
「承知しました」

彼がこの表情をしている時は重要な書状を読んでいたり、何やら思考を巡らせている時なので余り話しかけないのが吉だ。文机の上に静かに置いて部屋へと戻ろうとした時だった。机の上には大江戸新聞やら政治系の情報誌はたまた週刊誌までが、まるでターミナルのように高く積み上がっていた。新聞やら政治系の情報誌を読み情報収集を行うのは分からなくもないが、高杉さんが芸能情報が満載の週刊誌を読んでいる姿は想像できないものだ。決して馬鹿にしているわけではない。ただ何かイメージ出来ないだけ。大江戸新聞なら医務室にも届けられるので今朝読み終わっている。積み上がった雑誌類の一番上には、ご丁寧に週刊芸能情報誌が飾られている。芸能界やら著名人のスキャンダルを匂わせる煽り文が連なる雑誌の表紙は皺も折り目もなく、どうやら開かれた形跡がない。

“人気上昇中大江戸病院、専属悪徳医師が闇のビジネスか!?”

見覚えのある旧職場の名に思わず視線が留まった。大江戸病院。短い間であったが良い勉強になったのを覚えている。内野さん…彼女は元気に過ごしているだろうか。おっちょこちょいな先輩の顔が浮かぶと、彼女たちと過ごした三か月が遠い昔の出来事のように思えてくる。そう何年も経っていないのに、記憶って不思議だ。


「(って違う!大江戸病院が何故この雑誌に!?)」


楽しい思い出に浸る頭を振り、今一度雑誌に意識を向ける。表紙には毒々しい色で煽り文が書かれているだけだ。高杉さんの資料であるとわかりつつ、背を向けている総督にばれない様に(別にばれてもいいけど)雑誌に手を伸ばした。芸能人の不仲やら浮気やら離婚やら或いはお金の話やら、人々の関心を惹くのは明るいものよりも圧倒的に黒い話が多い。それらの煽り文をスルーして目当てのページを開く。

“大江戸病院某K医師…健康な患者を騙し臓器売買か!?被害者十数名”

思っていたよりもブラックな内容だった。人名の部分は伏字で書かれているものの、内容を読んでみると相当の悪徳非道な行為を行っていたらしい。健康な患者を言葉巧みに騙し臓器を摘出、別の患者に高額で移植するというもの。勿論違法である。記事にはより詳細に、大江戸病院内で違法な摘出手術を行っていた所に恐らく乱入者がいてその人物によって関係者もろとも縛り上げられたところを別の医師に発見された…という内容が。関係者は全員逮捕され事情聴取を受けているとも書かれていた。その下には江戸に蔓延る臓器やら麻薬やら人身売買やらの闇市場の規模がリスト化され載せられている。

「悪徳医師…K…」

記事を読んでいて気になるのはもちろんこのKという医師が“誰”なのかということだろう。イニシャルK…そんなに多くも無かったけれど、数人はいた。K…つまりは、か・き・く・け・こから始まる。脳内で一人、誘いがしつこかった某医師が浮かぶ。あの頃から黒い噂が絶えなかった。まさか…ね。



「意外だなァ。んなモンに興味あるたぁ」
「あ、いえ。ごめんなさい」


開いた雑誌を閉じると元あった様に山積みの一番上に戻しておいた。高杉さんが週刊誌を読んでいる方が驚きだけど(でもきっとこの雑誌は読んでいないし読む予定もないのだろう)。興味があるなら好きなものを持って行っていいとも言われたが丁重に断っておいた。実際興味がないのだし。再び書状に目を通し始めた高杉さんの背に向けて、「失礼します」と頭を下げるとは部屋を離れた。


*****


最近、船内に不穏な噂が広がっていた。その囁きが私の耳に入らないわけがないが、隊士に根掘り葉掘り聞くわけにもいかずに真相を確かめることなきまま。私の胸にはまるで墨が滲むように不安が広がった。

“巷で辻斬りが流行っているらしい”

届けられた新聞にも犯人の情報提供を求めるビラが入っていた。何でも浪士ばかり、もう五人も斬り殺されたらしい。港周辺では犯行は起こっていないが近くの町で三件連続しているとのこと。


「夜、出歩く時は気をつけて下さい。まあ、あんなことがあったんだ。高杉さんもさんをそう簡単に外には出さないでしょうが」
「鳥羽さん。それって例の“辻斬り”の話ですか?」


ちょうど医務室に訪れた鳥羽さんにコッソリ聞いてみることにした。しまったという顔をしながらも言いにくそうに「そうです」と彼は答えた。実際のところ、昼間には外出の許可が出るのだが、夕方?から夜にかけてになるとほとんど許可が下りなくなってしまった。近所で辻斬りが流行っているならば心配されるのも理解できる。でも…私を取り巻く環境を考えると、“それ”が鬼兵隊と無関係とは思えなくなっていた。コソコソ話す隊士の横を通り過ぎる時の彼らの表情。


「鬼兵隊が関係しているのですか?」
「俺の口からは申し上げられません」
「そう…ですか。ならばこれ以上は聞きません」


鳥羽さんの言葉、それが答え。私はこれ以上の追求を止めた。今回の辻斬りに鬼兵隊が関係しているのは明らかだ。しかし攘夷組織の標的は幕府や天人ではなかったのだろうか。浪士ばかり斬り殺していても…彼らの目標たる“幕府転覆”はいつまで経っても成し得ない気がする。高杉さんは、何を思って鬼兵隊に辻斬りなどさせているのだろう。本人に直接聞きたいけれど聞く勇気は勿論ない。不安と疑問で悶々とする日々が続く中で、また新たな噂が囁かれ始める。それは“最近岡田さんの様子が可笑しい”というもので、中には“狂言癖がある”だの“病気だ”だの“人を殺した”だの、私には到底信じられるものではなかった。
食堂から医務室に戻る私の目に留まったのは、同じ方向に向かう岡田さんの後ろ姿。手には何やら白く小さな花が見える。しかしそれは私が声を掛けた途端にスッと隠された。


「岡田さん、こんな時間にいかがされましたか?」
「いや。何もないよ」
「お花…いつもありがとうございます。ここに戻ってきた時からずっと届けて下さってるの。知ってますから」


例の事件で私が船に戻ってきてから、枕元にはずっと花が活けられていた。枯れたと思った時には新しい花に変わっていた。久坂さんに送り主のことを聞いても口止めされているのかはぐらされてしまうばかり。しかしこの前、今日のように医務室に戻ろうと廊下を歩いていた時、医務室を出て行く岡田さんの後ろ姿を見た。そしてその日まであった花は無くなり新しい花に変わっていたのだ。つまりこの花の送り主は岡田さんなのだ。何も言わずに花を届けるなんて。

「元気そうで何よりさね。このことはあの人に内緒にしといてくれよ」
「待って岡田さん!」

踵を返し去ろうとする彼を呼ぶ。私の声に岡田さんが止まりゆっくりと振り返った。彼に例の“辻斬り”の件を聞こうと思った。これだけ船内で噂になっているのだ。よもや知らないわけがないだろう。そして鬼兵隊と辻斬りが関係しているならば、幹部である彼が知らないはずがない。



「最近、巷で辻斬りが横行していると噂で伺いました。岡田さんは何かご存知ですか?」



さも鬼兵隊との関係を知らないように…聞いてみる。高杉さんに直接なんて無理だ。 万斉さんは最近お会いしないし、また子さんと武市さんは間違いなくはぐらされる。 と言うよりも、逆にこっちが何を知っているのか疑われる。つまり聞ける人は今の所、目の前にいる岡田さん以外にはいないのだ。そしてもう一つの噂として、彼が辻斬りを行っている本人かどうかがあるのだがそれについては私が否定しよう。問いを受けて「辻斬りがねぇ…」と顎に手を添えて考える仕草をしたまま動かない。彼が何を語るのか、緊張の面持ちで返答を待つ他ない。


「どうだかねぇ。嬢ちゃんも夜道には気をつけるこった」


そう言ってスタスタと私の横を通り抜けていなくなってしまった。結局、辻斬りについては何も語ってはくれなかったけど、隊士の間に広がる噂の人物がさっきまで目の前にいた岡田さんと同一だなんて…やはり私には到底思えないのだ。


*****


数日後のある日のこと。私は廊下で人とすれ違う。通り過ぎ様「お疲れ様です」やら「ちわーっす」やら声をかけられるので頭を下げて返事をする。見たことがない作業着姿の相手は鬼兵隊の隊士ではもちろんなく、どこかの業者の作業員らしい。ここ数日余所の業者が船内に出入りしているのだ。それに伴い私の活動範囲が制限された。上階に行くのは高杉さんにお茶をお持ちする時だけ、船尾に洗濯物を干しに行くときは必ず複数人。特に甲板奥の物置スペースには立ち入り禁止で周囲を勝手にうろつくのは事も駄目。何でも倉庫スペース改築の為、強力な薬品を使って処理したり、重機を入れて作業するので危険とのこと。先の辻斬りの件もあって、私はたかが船内の工事なんてと特には気に留めていなかった。


「これはこれはさんではありませんかァ!!!」


隊士の方と船内を歩いていると、遠くから見覚えのある男の人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。正直、声をかけられずともその人が誰なのかわかるのだが、遠くから響いた声量に確信を得た。村田さんだ。あの人の声の大きさはこの距離に相応しい。

「こんなところでお会いするなんて奇遇ですね!!」
「村田さんお久しぶりです。高杉さんにご用事で?」

互いに距離を縮めながら会話を進める。彼が近づくたびに声の大きさが気になって仕方がないのはここだけの話。


「まあそんなところでしょうか!!といっても私がここに来たのは、アレが上手くいっているかどうかの確認のために来たのですよォオ!」
「そうですかアレですか」


アレって何だ。私と村田さんにアレと呼べる共通の話題は無かったりするのだが。私の言葉を聞いて彼は一人で「実はアレも中々繊細なモンでェ!今回の新設にあたり色々と微調整が必要なんですよォ!」と勝手に話を進めていく。いや、だからアレって何なんですか。私がアレについて聞いてみようとしたところで、村田さんに別の隊士から呼び声がかかる。途端に「では私はこれで失礼しますぞ!!」と笑いながら廊下の奥に消えていってしまったのだ。いや、だからアレって何だったんだろう。私は気になって仕方が無かったが確認する術はもう無い。







雨の日が続くと洗い終わった洗濯物の行方に困ってしまう。乾燥機はフル稼動しているが間に合わず、余った分は船内に干すしか無いのだが、乾くのは遅いし洗濯室もそう広くはない。船内での行動域を制限されたままでは仕事がままならないと武市さんに進言すれば、下っ端隊士の有志数人が手伝ってくれた。隊士がいるならある程度動けるのでありがたい。船内のいたるところに縄を張り、衣類を干していく。重いカゴは隊士に運んでもらい、私は皺を伸ばして広げる係。一階の、立ち入り禁止区域のすぐ裏にまで進出した私は一心不乱に皺だらけの着物と格闘していた。有志の隊士の皆さんには横で下着類を干すのを手伝って頂いている。皺だらけの着物は後でアイロンをかけといた方がいいかもしれない、と視線を上げながら考えていると天井に伸びる太い配管が目に留まる。

「(あれ?前、こんなのあったっけ?)」

幾つもの管が倉庫に繋がっている。最近業者が入って工事をしていたのは、使われていなかった一階の倉庫…と言っても甲板から直で入れる一画で、なぜここが倉庫なのだろうかとさえ思っていた船内でも一番良い位置にある所だった。もっといい使い方があっただろうに。改装されたそこは今は何やら使用されているらしい。もれなく私には立ち入り禁止区域だけど。



名前を呼ばれた。隊士がかける挨拶の声と同時に私の目が万斉さんの姿を捉える。彼を見たのはあの夜以来だった。

「拙者は所用でしばらく船を離れるのでな。お主が寂しがらぬよう挨拶に参ったでござる」
「宇…」

宇宙へ、と言いかけて咄嗟に口を閉ざす。
深入りは厳禁だ。あの時だって高杉さんが内容を聞かせないように遮ったくらいなのだから。私の不安を知ってか知らずか、万斉さんが「そう。宇宙へ」と笑った。


「今回の仕事、この河上万斉一世一代の大プロデュースにござる。、お主も応援していてくれ」
「もちろんですよ」
「して、土産の希望は?」
「ハイ?」


声が上ずった。どうしていきなり土産の話? 首を傾げていると再び彼は笑う。万斉さんは捉えどころのない人だと今更ながら思ってしまった。宇宙土産と言っても彼が宇宙の“どこ”に行くのかは知りはしない。むしろ行き先は聞かない方がいいのかもしれない。あれこれ考えて無言のままでいると「お主だけ特別に要望を聞くのだ。何でもいいでござる」と付け加えられた。え、何でもいいって何?何が何でもいいのだろうか。脳内で必死に宇宙土産になる物を受かべてみるが、全然浮かばなかった。早くしろとばかりにサングラス越しにジッと見つめられて(見えないから恐らくだけど圧力は感じて)ただただ焦るしかない。

「じゃあ…」

私は土産の希望を伝えた。簡潔に。要望を聞いて彼は首を傾げる。「帰ってくるの待ってますからね」そう追い打ちをかけると、彼は「欲の無い…いや貪欲な娘にござる」と頭を掻いた。


「万斉先輩ィ!明日は出発なのにこんなとこで何してんスか!?あ、サンもいたんだ」


また子さんに続き武市さんが階段を上がってくるのが見える。幹部三人が集合なんて…珍しい。下っ端隊士は、追加の洗濯物を取りに行くと言い残しさっさと洗濯室に戻って行ったではないか。また子さんが私の持った洗濯物を見ながら「雨の中大変ッスね」と労ってくれた。確かまだまだ残っていたはずだ。

を見かけたのでな。折角なので話しかけていた所でござる」

私が「そんな感じです」と二人に伝えたら「用事は済んだので拙者は失礼する」と背を向けたのだ。あれ?私達、本当に土産の話しかしていない。手を止めるわけにもいかないのでカゴに入っていたタオルをパンパンと広げながら小さくなる背中を見つめる他ない。明日…万斉さんは船を離れるらしい。


サンも、今の時期あんまりチョロチョロしないで下さいよ」
「確か工事中で危ないんですよね」
「そうです。例えばココ、下手に見られては困るものがアッチコッチに…」
「って武市先輩ィ、サンに変なこと言わないで下さいッス!!!


武市さんが指差したのは例の倉庫。鍵が掛かっていて入るどころか中を見れもしないのだが。廊下に伸びる配管の数々。私はそれに見覚えがあった。かつて…父の研究所で。



「ココ、何なんですか。巨大な培養槽でもあるのですか?」
「「…」」



幹部二人が固まっている。まだ固まっている。未だ動く気配はない。あれ?また子さんの目が泳いでいるように見えるのは気のせいだろうか。


「ってオィイイイイ!!!サン無いッス!そんなん無いッスから!ね、武市先輩。無いッスよね!!んなもんあるわけ無いじゃないスかアハハ!」
「にしてもさん。貴女どうしてここに培養槽があるとお思いなのですか?」


問いに私は答えた。昔、父の研究所で組織再生の実験を扱っていた時に大きな培養槽があったこと。培養槽の維持には莫大な量の電気と水が必要で、加えて温度管理にも気を配らなければならず大きな排気管もあったこと。この配管を見ているとそれを思い出したのだ。軽い気持ちで“培養槽”なんて言っちゃったけど、何か場の空気が悪くなったような気が。これ以上は何も言わない方が良いかもしれない。

「また子さん…さっきの反応。それじゃあ只々怪しいですよ」
「じゃあこの状況、武市変態が何とかしろ」
「変態じゃねーよ。フェミニストっつってんだろ」

上ずり声のまた子さんといつも通りの武市さんが端っこでコソコソと話し合っている。



「ただの勘ですよ、勘」



苦し紛れにそう伝えれば顔を見合わせた二人がようやく私の前に戻ってきた。翌日、見送ろうとした私よりも早くに部下を数人引き連れ万斉さんは船を出たらしい。


着々と話が進みます。ちなみにまだ本編が始まっていない時間軸です。
20170114*星宮はちこ   裏語