レプリカ虚像乙女
 【第三章、紅桜 二十二話、辻斬りご用心】


数日の間に、岡田さんに対する“彼が辻斬りの犯人”だとか“血を求めて彷徨っている”だとか言う噂が酷くなり、コソコソと隠されることなくの耳に届くようになった。それらを聞いても私の中では、彼は違うそんな人ではない…と言う確信が揺るぐことはない。食堂の手伝いとしてテーブルを拭きながらも、最近姿を見ない岡田さんの様子が酷く心配になった。

「何でも“桂”まで殺っちまったらしいゼ」
「それ聞いた聞いた。ふれ回ってるらしいがどうだかな。また狂言ではないか」
「嘘か真か。どっちにしろヤベーよあの人」

二つ隣のテーブルで隊士が数人話し込んでいた。食べ終わった空の食器をそのままに、並々注いだ酒をチビチビ飲みながら。周囲の事は眼中に無いらしい。空の食器…早く洗い場に持って行きたいところだ。台拭きを片手にテーブルを移って行く。


「すみません!食器頂いてもいいですか?」
「オッ!悪ぃねぇ盛り上がっちまって!」


抱えるように前のめりだった体勢が後ろに引かれ、私は露わになった食器を同じものを重ねて運びやすいようにする。カチャカチャと陶器の音が鳴る。隊士の視線を浴びながら私は仕事に専念している。

「おうおうおう、ちゃんも出歩く時は“辻斬り”にゃ気をつけなさいよォ。こんな別嬪さん…俺が辻斬りならバッサリよォ」
「オメーそりゃ違う一太刀だろ?」
「ガハハ言ってくれるねェ」

最初こそ“貴様”やら“女”やら呼ばれていた私も、今では苗字で呼ばれたり名前で呼ばれたり好き放題。私も別に気にしてはいない。酒が入った彼らは頬を赤く染めながら意気揚々と話しかけてくれる。随分とペースが速いようで、机の端には空の瓶が転がっている。酔っ払っている彼らはテキトーに流すのが一番だ。今は仕事第一。


「安心してください。耳にタコが出来るくらい聞きましたから。にしても、何やら話し込んでいると思えばまた辻斬りの話ですか?」


お盆を抱えながら、机にかじり付くような体勢に戻った隊士を見つめる。「いやいや岡田さんの話」と言われ失っていた関心が戻る。岡田さん…今一体どこで何をされているのだろうか。万斉さんみたいに鬼兵隊の仕事なのだろうか。



ちゃんも岡田さんの“噂”知ってんだろ?アレだよアレ」
「かつての高杉さんと共に戦争やってた、攘夷浪士でも一際名のある“狂乱の貴公子、桂小太郎”を殺ったってふれ回っていてな…」
「アンタあの男と親しくしているし…忠告っちゃ何だが、余り近づかない方がいい」
「岡田さんが無闇に人を殺めるなんて。確かに“人斬り”と伺いましたが辻斬りとは無関係ですよ」



もし仮に、仮にそうだったとしても…私にはその事実を受け入れられなさそうだ。あの岡田さんが…辻斬りなんて何もメリットが無いではないか。そう。幕府の関係者に対するテロや暗殺ならまだしも、辻斬りなんて!

「今日も何やら出歩いてるらしいゼ」
「おー危ねぇ危ねぇ」

隊士の笑い声を背に受けながらも人知れず胸に不安を抱いた私は、まとめた食器を調理場に持ち込んで張っていた水に浸ける。カランと高い音しながらゆっくりと茶碗が沈む。
高杉さんはこの事をどのように考えているのだろうか。まさか辻斬りが彼の指示だとか。港を移動したあの夜以来…高杉さんとは中々話す機会が無かった。村田さんの一件で会ったことはあれど短い会話だけ。それに最近は、日中は船を離れていることが多く、戻ってきた彼にお茶をお持ちしたことが数回…それも他愛のない会話をした記憶しかない。辻斬りの件と岡田さんの件…直接、彼に尋ねてみたかった。満足のいく答えが返ってくるかはわからない。いつも通り、はぐらかされてしまうかもしれないけれど。今日は確か船にいらっしゃるはずだ。お茶をお持ちして…少し話す機会を設けてもらおう。は食器を洗い終え乾燥機に放り込むと割烹着を脱ぎ、高杉さんの部屋に行くために食堂を出た。


「そんなに慌ててどーしたんスか?」


小走りに廊下を駆けていると後ろから声をかけられた。また子さんだ。足を止めた私は辻斬りの件と岡田さんの噂の件を、高杉さんに尋ねてみようと思う旨を伝えた。パチパチと長い睫毛の伸びた瞼を動かしながらまた子さんの表情が固まった。


「いや。似蔵の件も辻斬りの件もサンが心配することないッスよ。大体アレとソレはウチらとは無関係。大体、さっきアタシが部屋を訪ねた時にはいらっしゃらなかったし」
「そう…ですか」


少なからず私に対して事実は隠されているらしい。辻斬りと岡田さん、そして鬼兵隊に相関がある事は明らかだ。それは重要機密なのだろうか。高杉さんは…鬼兵隊は何を隠し何をしようとしているのだろうか。不安だけが募っていく。


「そんな死にそうな顔しないで下さいよ。ウチらに任せておけば大丈夫だって」
「でも、その…」
「そうだ!こうするッスよ。晋助様ならきっと甲板で煙草でも吸ってるはずなんで。サンは今、甲板に出入り制限されてるじゃないですか?ウチが晋助様部屋に呼んでくるんで、合図したら茶でも何でも持ってって“似蔵が頭オカシイ”って言えばいいんスよ」
「誰も岡田さんが“頭オカシイ”なんて話してないんですが」


私が言ったのは、辻斬りの件と岡田さんの噂の件だ。「とりあえず!サンは医務室で待機ッス!!」と言われ、上層階へと進んでいた私は見事に医務室に逆戻りを果たした。さっき食堂で聞いた話、まずは久坂さんに相談しよう。戻ってきた私を振り返る久坂さん…は珍しくも席を外しているようで、私は誰もいない部屋で一人、連絡が入るのをジッと待っていた。


*****


もし甲板にいた高杉さんが刻みたばこに火を点けたその瞬間だったとしても、吸い終わるのにそう何十分もかからないことくらい私にもわかる。せいぜい数分くらいだろう。また子さんと別れて早二十分。それからの連絡は一切なかった。例え断られていたとしても…それでもまた子さんから何かしら連絡が入るはずだ。

無音。

こちらから行動を起こすにも甲板には行けないし、幹部の部屋の番号は知らされていないし。誰もいない医務室ではすれ違いになる可能性も無くはない。結局のところ、医務室から動けないでいたのだ。せめて久坂さんが早く帰ってきてくれれば!
─ダンッ!ダンッ!ダンッ! 遠くで銃声の様な音が数発聞こえた。この広い船内の奥深く…港街の音なら相当響かなければここまでは届かない。それこそきっと地響きがする程のものだろう。しかし先程は音だけで振動はそう伝わってこない。という事は、銃声が発せられたのは街ではなくこの船の中という事。そう大きくもない音からして甲板のあたり…だろうか。

「(まさか、あの倉庫で何かあったのかしら?)」

敵襲?辻斬り? この船に何かが起こったのは明白。しかしそれが何なのか知る術を知らぬまま、底知れぬ不安がを襲う。こんな時に限って船内は恐ろしいほどに静まりかえっていた。
─ダダダダダッ! 次は連続した銃声。この船で銃を使用する人は限られている。私が知る限り、“紅い弾丸”と呼ばれる来島また子ただ一人。彼女が戦闘に巻き込まれたのだろうか。彼女の愛用する拳銃にしては連射する間隔が狭い様にも思える。外に出て確認するべきか、はたまた医務室に留まるべきか。私は扉の前で全神経を外に集中させ考え込んでいた。


君!敵襲だ!」


勢いよく医務室に入ってきたのは久坂さんだった。彼は扉の前を陣取っていた私と思いっきりぶつかり合う。その拍子で私は思いっきり後ろに倒れ込み、その隣には久坂さんがうつ伏せに倒れている。医者が二人、随分派手に転けたものだ。後頭部を摩りながら起き上がり隣の久坂さんに声をかけると「大丈夫か?」と逆に心配された。さっき物凄い勢いで顎を打っていたはずなのに。私が上半身を起こすと外の状況が伝えられた。
何でも甲板…船首にいた高杉さんが狙われ、敵に銃を突きつけられていたところ、来島さんが後ろから応戦。隙を突いて逃げようとした相手と隊士の戦闘に至った。相手は戦闘に長けており、隊士数名が怪我をし数名が気を失っているとのこと。もうすぐ負傷した隊士が随時医務室に運ばれてくると言う。肝心の侵入者は来島さんが捕縛したらしい。─ガチャリ と響く物騒な金属音に視線を奥に向ける。久坂さんの手には刀が握られていた。



「君は船内が落ち着くまで医務室待機。その侵入者の仲間がいるかも知れないからね。何かあったら私も攘夷浪士の端くれ、君は私が守ろう。ここにはすぐに負傷者が運ばれてくるはずだ。今は二人でできる事を…負傷者の手当てをしよう」
「承知しました!にしても、久坂さんが刀をお持ちなんて、中々見れる光景ではありませんね」
「そっちの腕はイマイチなんだけどね」



笑いながらも手は止めない。どれほどの負傷者がいるのだろうか。消毒液にガーゼ、テープ医療器具を取り揃えていく。扉の開く音がしたと思えば、担がれた負傷者が続々と運ばれてきた。ある者は頬を殴られ、腹を蹴られ、鼻血を出している人もいて、完全に意識の無い人もちらほら。空いたベッドに寝かせながら怪我の程度を判断する。しかしどの隊士も刀でバッサリ斬られて血まみれと言うよりは、殴られたり蹴られたりした程度の怪我だった。気を失っていた隊士も一人、また一人と起きていく。少しだけ…安心した。なだれ込んできた負傷者をさばききると、突然疲れが襲ってきた。


「…死人が出なくて良かったですね。怪我の程度も皆軽いし、何より高杉さんが無事で安心しました」
「侵入者も無事捕まえたようで何よりだよ」


攘夷組織となれば命を狙われることも少なくはないのだろう。犯人は幕府の関係者か、あるいは裏の組織か。いきなり総督を狙うくらいだ。明らかに殺意があってのこと。私は犯人の正体が気になって仕方がなかった。鼻血を出し、脱脂綿を鼻に突っ込んだままの隊士に声をかける。敵はどんな人物だったのかと尋ねてみたのだ。「相手は馬鹿強いガキだ。あれは相当の戦闘訓練を積んでやがる。恐らく金で雇われた暗殺者だ」 と、隊士はそう答えた。その答えには衝撃を受けたのは言うまでもない。高杉さんを狙った犯人は子供だった。少なくとも自分よりは年下の子供がどうして暗殺だなんて。また子さんと同じ年頃かあるいはもっと幼いのか。総督襲撃の犯人は捕縛された。まさか、見せしめに殺されるなんてことも…ここは攘夷組織だ可能性はある。



「久坂さん、犯人は殺されるのでしょうか?」
「どうだかね。少なくとも武市殿が動いているのは事実。犯人が何者で誰の命を受けて動いているのか、取り調べは受けてるはずさ」



見舞いにくる隊士に、被害の状況やら犯人の処罰やらを聞いていると、今現在の襲撃と被害の状況が繋がって来る。犯人は来島の一撃によって気絶。今は捕らえられて拘束されていると言う。なんでも戦闘中に肩と足を負傷、犯人の意識が戻るのを待って尋問に取り掛かるらしい。
使用した道具の後片付けを終わらせた頃には、夜も深くなってしまった。久坂さんは自室に戻っている。このまま医務室での待機を命じられた私は、食堂の手伝いから一切船内を出歩いてはいない。ここに篭っている間に多くの事件が起きてしまったものだ。外の気配を探ってみてもやはり船内は異様なほど静まりかえっていた。すると、医務室の扉が開く音がして振り返る。


「…」


そこには左頬を腫らしたまた子さんがいた。痣にはなっていないものの左側だけ少し赤い。彼女は侵入者と直接戦闘をしたのだ。それも戦闘に長けた相手。負傷している可能性は大いにあり得る。「また子さん!!お怪我はありませんか!?」 そう言って駆け寄れば、「フッ…」と笑われた。頭を掻きながら彼女は口を開く。



サンは相変わらずッスよね。これくらい大丈夫だもん」
「頬っぺた…腫れてますよ。女の子なんですから、気にしてください。このタオルで少しの間冷やしてください」



差し出したタオルは途端に掻っ攫われた。どれくらい腫れているか聞かれ「少し…でも痣にはならないですよ」と言えば「じゃあ良いッスよ」と大人しくタオルを当てていた。恐らく、私と約束をして高杉さんを呼びに行った前後で侵入者と戦闘に至ったのだろう。あれから随分時間が経ってしまったものだ。遠い昔のように感じてしまう。「アー、あのクソガキ。マジぶっ殺す」 そう繰り返しながら彼女は頬を摩っていた。


「犯人は子供…だったんですよね」
「ウチよりガキで戦闘の腕は中々。っても先輩のロリコンに阻まれたッスよ」
「その人、殺すのですか?」


声が震えていた。その子供は確かに高杉さんを殺そうとしていたのかもしれない。でも、殺す以外にもっと別の手があるはずだ。

「甘いッス。そのガキが晋助様を殺そうとしたんスよ。ウチが居なかったら晋助様が危なかった…その事実を忘れちゃ駄目ッス」

私には返す言葉がなかった。来島さんが高杉さんを救った。そしてその犯人が高杉さんの命を狙っていたことも事実だ。罪人は本来裁かなければならない。その子供はきっと殺される。


「船内は厳戒態勢。サンはこのまま医務室から出ないで下さいよ」
「わかってますって」


そう伝えれば彼女の表情が柔らかくなった。だが次の瞬間、肩を思いっきり掴まれた。「で、サン」と、また子さんは真剣な表情の顔を寄せると私の名を呼ぶ。いきなり何だろうか。私は上ずった声で「ハイ?」と答えるしかない。そのままジッと見つめられ…いやメンチを切られている。私、何かしたっけ。



「アタシ…パンツ毎日取り替えてるッスよね!?サンだって知ってるッスよね!今度、晋助様の前で証言して下さいよ!“来島また子はちゃんと毎日下着替えてる”って!!」
「…いきなりどうしたんですか」



突然の下着トークに体勢が崩れそうになってしまったのはここだけの話。しかしまた子さんの目はいつになく真剣だった。理由を尋ねると、侵入者との戦闘の最中、高杉さんの前で彼女の意識を逸らす為に侮辱されたらしいのだ。何でもその時、確認の為に下着まで見せようとしたらしい。また子さん…凄いな。汚名返上の為に私の証言が欲しいという。


「大丈夫ですよ。そんなことで高杉さんがまた子さんのことを蔑むことはないです。それに、貴女がちゃんと取り替えてるの知ってますから。だから、いきなり下着を見せようとするなんて止めて下さい。はしたないですよ。例え恋人同士でも守るべき一線は守って」
「う…うぅ…サァァン!やっぱ信じるべきはガキじゃなくて姉さんッス!!!」
「苦し…」


思いっきり抱きつかれた。恥ずかしい半分苦しい半分。ほとんど上半身を締め上げられている状況だ。彼女の肩をポンポンと叩くとゆっくりと距離が開いていく。また子さんは離れて一言。

「でもサンって、意外と“まな板”ッスよね」
「って、違いますから!色々とワケありでやってるんで!本当はもう少しありますから!!」

突然振られた話題の中、必死に否定した。私だって晒取ればもう少しあるわァア!! でもまた子さんは全然それを信じてはくれない。


*****


侵入者の一件で私は興奮が醒めやらぬまま、中々寝付けずにいた。体も精神も疲れ果て、重いのに肝心の…心が落ち着かない。高杉さんが狙われた。来島さんが侵入者を捕まえた。犯人は子供だった。その子供は散々尋問され痛めつけられた挙句殺されるのだ。いつの間にか手が震えていた。

子供。

犯人はまた子さんより幼い子供だった。それも相当の戦闘訓練を受けているらしい。暗殺者として仕立て上げられたと言っても過言ではないくらい。そんな子供まで攘夷活動、あるいは暗殺行為に参加させらているのだろうか。世界の闇はどれだけ深いのだろう。まるで隠された裏側を見たような気分だ。
ふとした瞬間に、自分が幼い時のことを思い出してしまう。あの頃は攘夷戦争も真っ只中で、世界は随分混乱していたけど…私には父と母と妹たちがいた。父は幕府に協力していたけど、私たち家族は戦争とは無縁の生活だった。次の記憶は医学校に入る前後の頃。医者になるために必死に勉強していたのを覚えている。その頃は女子のほとんどが看護婦の道に進み、医者になるのは狭き門だった。研修の為、特例で各地の医療班に参加していた。そこで出会った師の言葉は今でも忘れることはない。戦闘で負傷した兵の治療は、皆が志を持って従事していた。それでも、実質的な戦闘とは無縁だったと思う。この平和な世界の裏側には何が待ち受けているのだろうか。高杉さんは“この世界をひっくり返す”と言った。ひっくり返した先には、いままでの裏側が露見するのだろうか。

怖い。

知り得ぬ世界の闇に触れてしまったような気がした。でも、もう戻れない。私は攘夷組織“鬼兵隊”に寄り添い自らの仕事を全うするだけ。命を救ってくれた皆のために、私は私なりに戦うだけ。冴えた頭では眠れはしない。寝返りを一つ…した時だった。自室の向こう、医務室の扉が開いた音がした。

「誰かァ、久坂殿か殿はいませんかァ!!」

切羽詰まった声に何事かと体を起こした。緩い寝巻きを整え、羽織を掛けて自室を飛び出る。そこには隊士が一人…酷く狼狽した様子でキョロキョロと室内を伺っている。慌てて声をかけると、近寄ってきた男は震える声で言ったのだ。


「岡田さんが右手を斬り落とされ…意識朦朧の状態で発見されました!すぐにでも治療を!!」


その事実を理解するのに時間がかかった。岡田さんが…腕を、斬り落とされた? 私は自身の手の震えに気がついた。どうして彼が…そのような怪我を負ったのだろうか。震えを抑えるために片腕に爪を食い込ませる。ゆっくり深呼吸をして、こう言った。



「早く連れて来て下さい!久坂さんにも声を掛けて!早く!」



慌てて部屋に戻ると、着物を脱ぎ捨て戦闘服を纏う。マスク、手袋、消毒液に器具。頭に浮かぶ物を片っ端から取り揃えていく。久坂さんも合流し、我々は血まみれの岡田さんを受け入れた。出血が酷く意識が朦朧としている岡田さんの右手の傷口を縛り止血を行う。麻酔をかけ眠った男の傷口を確認するとバッサリと二の腕の辺りから先が無い…まさしく斬り落とされたのだ。乱雑な断面を整え、血管と皮膚を縫いながら同時に輸血を開始した。手術中は余計なことを考えず目の前の作業だけに集中していたのに、ふと脳裏に浮かんだ。

「(一体岡田さんに何があったのだろう)」

高杉さんのように浪士か暗殺者に襲われた。あるいは幕府の関係者に。もしくは辻斬り?彼も人斬りと恐れられ名を馳せた人だ。簡単に殺られるはずかない。相手は相当の手練れだろう。縫合が終わると麻酔の量を減らしていく。右手の先にはガーゼを当てて、綺麗に包帯を巻いていく。深夜に始まった大手術はどうにか成功し、後は彼の意識が戻るのを待つばかりとなった。明日の朝、遅くても昼には意識が戻るだろう。ベッドで眠った彼の周りには輸血やら薬やら呼吸用の管が連なっている。ここにたどり着いた時の苦しそうな表情とは一転して、穏やかに眠る岡田さんの様子に安堵した。使用した器具の洗浄をしていると久坂さんから声がかかる。

「色々あったんだ。明日に備えて君も早く休みなさい」
「多分寝れないので。仕事させて下さい」
「全く…無理はしないでくれよ」

呆れた声にも動じない。だって…もうきっと寝れないのだ。この時間にこの大手術をしたことなんてない。脳は現在、興奮状態。朝が近づいて限界が来たら、休めるかもしれないけど。カチャカチャと滅菌処理の為に機器を動かしていると、久坂さんが残りを手伝ってくれた。大きく息を吐き出して手術衣を脱ぎ、最後に手を洗い終わると私もようやく一息つけるような気がした。
頭は興奮状態でも体はやっぱり限界らしい。寝れなくても横になっていようと決め、自室に戻ろうとした時だった。診察用の机の上に、刀が一振り置いてあるのだ。さっきは無かった…という事は隊士が持ってきた岡田さんの所持品の刀だろう。ゆっくりと近づけば何故だろうか、その刀には見覚えがあったのだ。


「(これ、村田さんが高杉さんに渡していた刀だわ)」


初めて村田さんに会った日に、高杉さんの部屋で異様な存在感を放っていたのだ。嫌な予感と言うか、胸騒ぎが消えない刀だったのを覚えている。というかこの刀を見たら思い出した。何故高杉さんの刀を岡田さんが持っているのだろう。むしろ元々岡田さんのものだったのだろうか。わからない。吸い寄せられるかのように、私はその刀から視線を逸らせなくなっていた。自然と手が伸びる。ゆっくりと、その鞘に触れようとした…時だった。



「ッ!?」



何だろうか。まるで蛇のような、嫌なモノが手や腕を這うような感覚がして反射的に手を引っ込める。あくまで“感覚”であったが、触ってしまったら向こう側に引き込まれるような…そんな感じだった。まるで“妖刀”とでも言うべきように、この刀には怨念か執念か或いは意識でも宿っているような気がした。岡田さんは本当にこれを振るっているのだろうか。

「あ、いいよ。君がそんな物騒なモノ持たなくていいから。俺に任せて」

そう言って、久坂さんは刀を持ち上げると岡田さんの枕元の机に置き直す。あの嫌な感覚は…気のせいだったのだろうか。多分そうだ。辻斬りの件で刀に敏感になっているだけなのだろう。私は結局その刀を触ることが出来なかった。

翌日の朝、岡田さんの意識は戻った。彼は絶対安静を命じられていたのだが、無理を通して起き上がり医務室を出て行ったらしい。今回の件で武市さんら幹部に呼び出しを受けたと言う。興奮状態のまま朝方になるまで寝付けなかった私がそれを知ったのは、既に彼が医務室を出て行った後だった。翌日の目覚めは最悪だ。起き上がってみてもやはり頭と体が重い。私の顔色を見た久坂さんに「今日は休んでおきなさい」と言われ、大人しく従うことにした。

「(外の空気…吸いたいな)」

窓のない自室で寝込んでいると気分まで憂鬱になる。重い身体が更に重く感じる。侵入者の仲間が潜んでいるかもしれないというリスクもあるが、今は何より肺に溜まった空気を入れ替えたかった。あの刀に触れようとしてから、寝ても覚めても私の中の違和感が消えないまま。隣の医務室にいる久坂さんに外に出たいと頼むも、昨夜の混乱もあってか中々首を縦には振ってくれない。今は船内と港の警備に多くの隊士が割かれているので、付き添いできる人もいなかったのだ。「久坂殿、失礼します」と鳥羽さんの声が聞こえたような気がして、急いで顔を覗かせる。


「あ、さん」
「鳥羽さん!お願いです…私を外に連れて行って下さい!」


外の状況を伝えに来た彼に懇願した。突然のお願いに困惑しているようであったが、久坂さんから事情を聞くと彼は笑顔で承諾してくれた。いつものナース服に上衣を羽織ると二人並んで廊下を進む。足取りは重い。いつもより歩くのが遅くなっても彼は私のペースに合わせてくれた。彼は昨夜の出来事で負傷した隊士の搬送を手伝っていたらしい。侵入者について尋ねてみても、彼は直接姿を見たわけではないので満足な答えは返ってこなかった。
廊下を曲がろうとすると何やら人が数人集まっている。鳥羽さんが近くの隊士に何事かと尋ねれば、この部屋には昨日の侵入者が収監されているとのこと。今は気を失っている侵入者の見張りにこうして隊士が割り当てられているのだ。この後、尋問が行われると教えてくれた隊士は私の姿を確認すると「アンタはこんな危ネェ所来るんじゃねェさ」と手で追い払われる。状況を察知して鳥羽さんも頷き、その道を通ることはなかった。「今日…朝から雨が降っていて…」 鳥羽さんがポツリと口を開く。今日の天気は雨らしい…今知った。風の通る甲板で気分転換したかったがそれも叶わなさそうだ。空は分厚い雨雲に覆われているのだろう。きっと。そう言えば空気も湿っぽいような。

「何故だろう。何だか、嫌な予感がする」

次は私が呟いた。重い頭を働かせて状況を整理しようとするも中々上手くはいかない。一歩また一歩と外への道のりを進む。するとまた変な胸騒ぎがして、私はある一点から目が逸らせなくなった。立ち入り禁止区域である、船内中央部の倉庫に続く廊下の奥深く。全身の毛が逆立っているとも言うべきだろうか。向こうを隔てる扉をジッと見つめる。胸の奥が落ち着かない。ついでに頭も…視界もクラクラする。目に見えるものがグニャリと曲がって見えたと同時に、そこから私の記憶はなかった。


さて、本編始まってます。この擦れ違い感で続きます。
20170122*星宮はちこ   裏語