レプリカ虚像乙女
【第四章、隠匿 三十二話、目指せ看板娘】


高杉さんが船に戻られて不在の間、旅籠では私と万斉さんの奇妙な(?)共同生活が続いていた。共同…と言ってもお部屋は別なままだし、彼の副業が捗っている時は殆ど顔を合わさない日だってある。
私は例の資格取得の為の勉強漬け。夕方に息抜きでお茶菓子を食べてフランス刺繍に勤しんでみたり、医療雑誌を読みながら新しい見地を得たり。意外と自由。殆どお出かけもしないけれど、消耗品が無くなった時には近所のドラッグストアへ。気分転換には図書館にも行ったりするけれど。勿論、万斉さんに行き先と戻る時間をお伝えしてのお出かけだ。遠出でも無いし、伝えた時間には戻るようにしているので、外出を断られることもない。ダラダラと過ごすのではなく、ある程度のスケジュールが決まっているのはいい事だ。誰かと同じように窓際を陣取って外を眺めつつも白い布地に花の刺繍を施していく。最初こそ歪でどこか不恰好だった鈴蘭花の刺繍も、今では綺麗に縫うことが出来る。得意なモチーフの一つだ。

「?」

キャイキャイなんて書き表わせるくらいに女子の話し声が聞こえて私は顔を上げた。人通りもそう多くない道なのに、高校生位の女子4~5人のグループが通ったらしい。静かな道にはよく通る高い声。若い女の子…と言えば、また子さんは元気にしているだろうか。江戸に降りてから一切顔を合わせていないのである。今はほとぼりが冷めるまで各地で息を潜めながら再起を図る段階らしいけれど、もしかしたら彼女は彼女で危険な任務に当たっているのかもしれないし。「針を片手に思想顔。危ないでござるな」 扉の所に万斉さんが立っているではないか。

「あっ…すみません。ボーッとしてて」
「考え事か?」
「また子さん。お元気にしてるのかしら、なんて」

言えば「心配はいらぬ。また子は主が考えるよりも頑丈だ」と、答えになっているような、なっていないような言葉が返ってきた。何だ頑丈って。

「勉学に励むのも悪くはないが、少し…息抜きも必要。中々進みが悪いと見受ける」
「…バレてましたか」

そう。息が詰まってしまって目の前の問題に集中できないのである。散歩もしてみるけれどどうもジッと座っていられない。今日は早々に勉強を切り上げ、刺繍に逃げてみた。私の戦いなんて大きいこと言ったはいいものの、早々に壁にぶつかった。 部屋に入ってきた万斉さんは白い箱を私の前にかざした。「差し入れでござる」と言われてビニール袋ごと受け取る。少し重い。何だろうこれ。


「旅籠の女将特製のプリンにござる。巷で流行っていて並ばなくては食せぬ逸品とな。女将から頂いた」


白い箱を開けてみるとガラスに入った薄茶色のプリンが顔をのぞかせた。そう、これ!和三盆糖を使用した甘さ控えめのやつ。夕食のデザートに頂いた覚えがある。高杉さんが「いらねーから食え」なんて言われて2つも食べた記憶が。何でも万斉さんの話によると、宿泊客の夕食のデザートとして提供していた所、美味しいと口コミが広がり問い合わせが増え、宿泊客以外にも数量限定でロビー横の食事処で提供を始めたという。それもまた口コミやらで人気に火が出て、今や並ばなくては食べられないらしい。すごい…。

「わぁ!頂いてもいいんですか!」
「主は美味しそうに物を食すからな。見ているこちらも気持ちいい」
「一つしかないですけど…」
「良い。食うでござる」
「いただきます!あ、でもやっぱり分けましょう!」

ノートが広がったままの卓上を片付けて、箱からプリンを取り出す。少し小さめ。一緒に入っていたプラスチック製のスプーンを手に一掬い。行儀は悪いけれど「どうぞ」と差し出す。反応がなく動かない万斉さん。まだ口をつけていないからプリンもスプーンも新品だ。もしかして潔癖症…だとか?あ、失礼なやつかも。二人して固まったまま。「主という女は…」溜息のような呟きがしたので顔を傾げる。


「晋助には内緒にしておかなければな」


スプーンに乗ったプリンを一口で食べた万斉さんはそう言って部屋を出て言った。一口だけで良かったのだろうか。部屋を去ってしまっては尋ねることもできない。仕方がない、残りは全て頂いた。クドくない優しい甘さが美味しい。旅籠の女将とは挨拶ぐらいはする仲。後でお礼を言いに行こう。もう少し…頑張ってみるか、と端に寄せていた参考書を開いた。
日も暮れかかり、東の空がわずかに藍色に染まる頃。もうすぐすれば、途端に従業員達は今宵の客人のもてなしに忙しくなるだろう。いや時間的には手遅れだろうか。はプリンを頂いた女将と河上にお礼を言うために部屋を出た。自室で楽曲製作に勤しんでいるだろうと思っていた河上は部屋を訪れても在室の気配すらない。どこかお出かけをしているのだろうか。また会えるだろうと早々に諦める。しかし女将の方は何としても今日中にお礼を言いたいものだ。“ロビー横の食事処”という単語を思い出し、その足で向かうことにする。が、静かなはずのロビーは普段とは異なる人の気配を感じた。話し声も届く。何があるのだろうかとは顔を覗かせる。

“…が……だから!”
“明日の…は……じゃん?”

「これは…」耳をすませなくてもわかる女の子の話し声。物静かな旅籠の玄関だったはずなのに、今はどうやら人で混雑しているらしい。パタパタと小走りの従業員の小柄な女の子を見つけて「一体何が?」と聞いてみた。曰く、食事処を喫茶として日中も開放したら例の甘味目当てに繁盛しているらしいのだ。なるほど。昼先の若者のグループは喫茶目当てに来た客なのだろう。プリン自体は作ってしまえば売り切れを待つだけだが、接客は客が途切れるまで続く。一応営業時間も早めに設定し、バイトも雇ったらしいが追いつかず旅籠の従業員も日中大忙しらしい。女将への挨拶は控えるべきか。裏手から食事処の厨房入り口を覗く。あ、女将と目が合った。


「これはこれはさん。バタついててすみませんねぇ。先ほどのプリン、お口に合いましたか?」
「忙しい所申し訳ございません。とても美味しかったです!ありがとうございました!」
「またお届けさせて頂きます。もう、喫茶が繁盛してるのは有難いんですけど、旅籠のお客様のおもてなしもあるんでね。支障の無いよう気をつけますので」


“プリン本日分完売”の文字が掛けられテーブルでは客が話し込んでいる。バイトの女の子はテーブルを片すのに必死で、下げられた食器が洗い場に積み上がっていく一方。

「(積み上がった食器。前はずっと洗っていたな…)」

掃除と洗濯と洗い物に追われ…船内を駆け回っていた記憶が思い起こされる。あの頃は全てが新鮮で毎日が必死で、楽しかった。あの日々がもう一度…なんて過去を追いはしないけれどいい思い出だ。

「これ、洗っても良いですか。食器洗うの好きなので!」
さん!?いえ、これはお客様にして頂く事ではございませんので!」
「あ、いいですいいです。何なら皿洗いとして雇って下さい。期間限られてますけど。勉強漬けも良いけどたまには体動かしたいなーと」
「秋月さん(※高杉さんの偽名)にお叱りを受けますので」

高杉さんの名前(偽名だけど)を出されたら私も口を閉ざすしかない。いい気分転換になると思ったのに。でも高杉さんは今ここにいないわけで。ついでに彼は“ここ”に居ろとは言ったけど同じ旅籠内なわけで。解釈の違いと言えばそうだけれど、これは何とかなるかもしれない。


「今…私の目付けは河上さんです。彼の許可が得られれば問題ないと思います。説得してみますので一度是非検討をお願いします!」


そう言って部屋に戻ると開いたままの参考書。今日はここまで。さて、ついでに言うと課題が増えた。 万斉さんの説得である。目的は旅籠内での雑用諸々のお仕事の許可。得られるかは不明。ついでに彼の居場所も不明。「絶対許してくれないよねー」なんて独り言も溢れるくらいだ。

「好きにしたら良い。拙者は自由主義と申したはず」
「えっ万斉さん!?」
「主の話を聞いていた。全く拙者の思考の斜め上を行く…が、実に面白い。旅籠の範疇ならば問題もなかろう」
「あはは。万斉さん、ありがとうございます!!」

真後ろにいたことに驚いた。今一切気配も音も感じなかった。肩がビクリと震えたけれど許可を得られた事実に安堵する。私は敬礼のポーズでお礼を告げた。


*****


“プリン3つ、カフェオレが2つ、オレンジジュースが1つ、二番卓”
“プリン2つ、あんみつ2つ、アイスコーヒーが3つ、アイスティー1つ、八番卓”

、本職≒鬼兵隊での医者兼雑用(只今総督の身の回りの世話)、副業=皿洗いバイト中。厨房に挙げられた伝票を確認しつつ飲み物をパックからコップに移す。甘味の盛り付けやら調理は従業員の方が、ホールでの注文聞きやら配膳やらはバイトの女の子が、私は洗い物と飲み物の準備を行なっている。午前中は机に向かって勉強、午後に繁盛しすぎて手が回らなくなったら甘味処のお手伝いに入っている。洗い物がひと段落した時には単語帳などを使って勉強だ。あ、これくらいの方が勉強しやすいかも。ずっと机に向かって勉強して詰め込むよりも、適度に気分転換が出来ていい。「オレンジジュースとアイスコーヒーです」と、手にしていたグラスを盆に乗せた。ボーッとしていると万斉さんが裏から覗いていたりするので要注意だ。今日はいない。
ただ今店内を忙しく動き回り、注文を聞き配膳を行なっているのはバイトの珠代ちゃんだ。専門学校生の19歳で、低めの身長と愛くるしい笑顔がトレードマーク。以前は某有名ファストフード店でバイトしていただけあって客さばきが上手い。普段は他人のことを“さん付け”で呼ぶのだが、ゴリ押しされて“ちゃん付け”に落ち着いた。「ちょっと!注文いいかしら」 あ、お客様が呼んでいる。厨房からホールを覗いてみても珠代ちゃんは見当たらない。客席が混雑している中覗き込んでいた私と、あるお客さんとの視線が交わった。途端にアイコンタクトされる。さっき呼んだのはこの人だろうか。仕方がない。

「はい!只今お伺いします!」

手元のメモ帳を掴んで厨房から出て行く。メニューはそう多くないから覚えているし、お客さんが頼むものも大体同じ。加えて珠代ちゃんの仕事を見ていたので注文取りのイメージは出来ている。サッとテーブルの横に駆けつけるとメニューも広げずにお客さんが背筋を伸ばしたまま座っているではないか。


「ここの人気メニュー…頂こうかしら?」
「はい。プリンでございますね。ご一緒に飲み物など如何でしょうか」
「そう…でも要らないわ」
「ではプリンが一つでございますね。準備致しますので少々お待ち下さい」
「…」


人気メニューのプリン。口コミで広がったこれを目当てに来ているのだから殆どのお客さんが注文する一品だ。大抵はジュースかコーヒー、紅茶を頼むのだけれど、プリンだけとは珍しい。艶やかな着物を纏った…天人のお客さん。ペコリと会釈して厨房に引っ込む。キッチン担当の源さん(従業員)にプリン一つのオーダーを通して洗い場に戻る。と、珠代ちゃんが裏から戻って来た。声をかけるとお手洗いの為に抜けていたらしい。後は彼女に任せて裏方業務。水に浸かった食器を洗う。バシャバシャと水の音。洗い終わると台拭きで拭きあげる。仕事が無くなったらノートを取り出して“星間通訳士”の勉強。と言っても、殆どが他の星と天人についての勉強だ。戻って来た食器が次々とシンクに置かれて行くけれど、溜まったら洗おうと決めた。レジの操作音が聞こえてくる。珠代ちゃんの「ありがとうございました」という声も。


さん」


珠代ちゃんに名を呼ばれて顔を上げる。彼女が仕事中に話しかけてくるなんて珍しい。キョトンとしていると、ちょっとこっちに…と申し訳なさそうな顔。何だ。

「お客様がさんを呼んでくるように、と。恐らく私がいないうちにさんが接客された天人です。…クレームですかね」
「えっ!?」

何か至らぬ点でもあったのだろうか。思い当たる節はないけれどクレームならば謝罪しなければならない。後は、そのお客さんが下手なクレーマーでないことを祈るのみ。制服として借りたエプロンの裾を正し「ちょっと行ってきます」と声をかけてホールに出た。プリンも売り切れて客もまばらになった店内。変わらぬ位置にあのお客さんはいた。正直中性的で、眉毛と髪型が特徴的な人だ。私と目が合うと微笑む。

「貴女、教育し甲斐がありそうね。気に入ったわ。旅館付属のこんな小さな店辞めてうちの店に来ない?今度、店を拡大しようと考えているの。成果次第だけど給金も弾むわよ」
「えっと…」

ここでバイトとして働かせて頂いているけどそれが目的なわけではない。ついでにお金のためでもない。興味があるなら良い話だが私にとってはどうでもいい話だ。お断りしよう。


「申し訳ございません。今のお仕事で満足していますし、ここにも短期で働かせて頂いているだけですので…」
「短期…でいいならうちで試してみない。お陰様で今、私の甘味処が繁盛していてね。従業員を増やして上げないとてんてこ舞いなの。貴女、人当たりが良さそうだし」
「はあ…」
「それにうちの方が最先端で美味しいわ。ね、まずは二週間どう?私、周辺の甘味処を視察してるの。貴女を引き抜けるならここの店には影響がないようにしてあげる。断ったらそうね…ここの客層は全て私の甘味処が頂くわ」
「そんな!」


悪い話じゃないでしょなんて天人は微笑んだ。これがいわゆる“引き抜き”ってやつなのだろうか。しかし有能な技術者や上層のマネージャーならまだしも、こんな下っ端のバイト(しかももれなく一週間目)を、である。返答に困っていると女将さんが裏から出てきた。暖簾の向こうには珠代ちゃんの不安そうな顔。私が何か粗相でもしたのではないかと女将さんの腰は低い。天人のお客さんは女将さんに私を引き抜きたいと交渉している。しかし女将さんも、“人から預かった人材ですので”と譲らない。つまり高杉さんのことを指しているのだろう。申し訳ない。女将さんのやんわりとしたお断りに関わらず相手方も譲らない。平行線だ。周囲のお客さんの視線も感じる。早く何とかしないとお店にも迷惑がかかるだろう。「短期でいいのですか?」短期。たかが短期。されど短期。高杉さんが不在の間の二、三週間なら抜けても問題ないだろう。彼が帰ってくるまでに全てを終わらせればいい。そう考えての言葉だった。食い入るように相手方が 話に乗ってくる。女将さんは心配そうに私の名を呼ぶ。

「話のわかる子は嫌いじゃないわ。交渉成立ね。まずは二週間、よかったら三週間。気に入ったら正社員にしてもいいわ。ちょうど連休も挟むから助かるわ」
「短期でお世話になります!そのかわりこの店にはこれ以上迷惑をかけないで下さい」
「わかっているわよ。明日、契約にうちの店にいらっしゃい。私の名前、酔唾(すいつ)って言うの。女将、これ甘味の代金と礼金。釣りは取っといて」

高々数百円のプリンに対しては高額な札を数枚残し、遊女のような下駄を鳴らしながら去っていく。まるでドラマのような展開だ。他のお客さんもこちらを伺っている。今一度厨房の方に引っ込むと、「さん!申し訳ございません!ただでさえお客様なのにお店を手伝って頂いていただいているのに!他のお店でお仕事なんて秋月さんにどう申し上げたら良いのか!」 と、女将に言われてことの大きさに気づいた。そして高杉さんと万斉さんの二大巨頭の陥落に頭を抱えるばかりだった。あー本当にどうしようこれ。何事もなく二週間…ならず三週間が穏便に終わればいい。「とりあえず万斉さんとお話してきます」彼は上の部屋にお戻りだろうか。足取りは重い。


看板娘編の開幕。
20170501*星宮はちこ   裏語