レプリカ虚像乙女
【第五章、回帰 三十六話、お帰りなさいませお嬢様】
私は普段着ないような柄の着物を纏い、顔を隠す為に高杉さんに倣って編笠を被りながら街を歩いていた。あの夜高杉さんは、鬼兵隊が宇宙に出航するまでの僅かな合間だけ自由に動けと言った。限られた時間の中で私は今回の計画を全うしなければならない。私が拾った紙には攘夷浪士による恐ろしい計画が記されていたのだ。
“来たる日。ターミナル、……、その他主要公共施設…カ所に大小の爆弾を設置し、例のモノを撒き散らす。爆弾は破壊目的ではなく…の拡散用。他は真選組や見廻組の目眩…とする。使用するVX、T2ウイルスにΩは例の……から奪う…。関係者は…と金で買収し……と…を…。爆弾の調達の目処はついた。現在計画の六割…を完遂。…とVXは後日…”
所々読めないけれど、あれは立派な犯罪計画書だった。その中でも私の目に留まったのは“VX”と“T2ウイルス”、そして“Ω”の文字。特に最初の二つには覚えがあった。VXとは強力な神経ガスの一つ。T2ウイルスは非常に強い感染力を持ち、死に至る感染症を引き起こす…今となっては中々話題にも上がらないけれど。この二つが使用されただけでも江戸に多くの死者が出るだろう。そして最後の“Ω”。如何にも危ない感じの名前だが、正直なところ覚えがない。新たなウイルスでも発見されたのだろうか。前記の二つだけでも江戸の町を壊滅させる事が出来るだろうに。
この攘夷組織の計画を…無謀にも私は止めたいと思ってしまった。例えば真選組の屯所を襲撃したり江戸城を攻撃するならば、攘夷活動の一環だとも思えるのだが、これはただの無差別テロ行為にしか過ぎないのだ。江戸の人々がただ死ぬだけ。そう彼に言ったら、鼻で笑われた。「お前、色々と鬼兵隊向いてねーな」なんてよくわからない小言を頂いたけど。私、まだ一般人ですから。でももし鬼兵隊がこんな馬鹿げた計画を実行しようとするならば…止めていただろう。しかしいつどこで起こるかもわからない、誰かもわからない攘夷組織の犯罪計画を見たところで、私にはどうしようも無かったのは事実だ。ならばどうするべきか。
“VX” と“T2ウイルス”
それらは特級危険物に指定されているモノ。この地球ではそう簡単に手には入らないはずだ。扱うのにも厳重な施設と防護服が必要。そう、今はもう彼処でしか…私はそこに覚えがあった。この犯罪計画書について手がかりはそれだけ。
…
‥
時は数日前に戻る。「んな漠然とした計画を止めたいなんざお前…正気か」 煙草を吹かしなから高杉さんがそう尋ねてきた。「ええ。正気です」なんて答えるけれど、私にも策が無いわけでは無かった。今一度、物見場にいる彼に視線を向ける。
「VXとT2ウイルスは今、この地球では一箇所にしか存在していません。それもここ江戸にあります。所有は“大江戸総合科学研究所”…つまり徳川幕府お抱えの研究機関です」
かつて…父も所属していた研究所だ。化学、物理学、数学、生物学、天文学とそれらの応用とありとあらゆる最先端の科学技術の研究を行なっている一大施設。勿論国家機密を扱う場所であり、一般人にはその所在すら知られていないかもしれない。そんな施設に入ること自体不可能に近いけれど。しかし内容の通りのVXとT2ウイルスは、今やその施設でしか保管が許されていない。恐らくΩもそこにあるのだろう。犯罪計画書の通りならば、この組織はこの研究所から該当の危険物を手に入れるしか無いのだ。それが唯一の手がかり。
「鋼鉄で固められた施設に脅迫状でも送る気か」
「精々悪戯で処分されるのがオチです。それか私が捕まるだけ」
それでは意味がない。その組織がどこまで施設に入り込んでいるかはわからないけれど。VXとT2ウイルスなんて、扱うのにも危険が伴うものだ。簡単に瓶に入れて運ぶだけでは済まない。対応する防護服と移動ケースが必要な程だから。 「んなもん研究所ごと潰した方が手っ取り早い気がするがな」と追い討ちをかけられる。簡単に考えればそうかもしれない。研究所ごと破壊すれば保有している危険物を拡散できるかもしれないけれど。
でもそれは誤りだ。研究所は窓のない建屋が続いているのだが、外にある施設は講堂やら会議室やら、一般的な書庫、多目的実験室やら…重要性が低いものばかり。国家機密に当たるような重要なものは全て地下に存在している。実験データを保管しているシステムやら機密書庫、特別実験室に保管庫。それらの入り口は限られた人間しか入る事が出来ない。監視カメラや各種鍵で管理もされている。それぞれの分野が独立していて鍵もそれぞれ異なるのだ。
「やけに詳しいじゃねーか」
「死んだ父が、そこで働いていました。私もよく遊びに行っていて…」
賢者の石の研究も地下で行なっていた。セキュリティーカードを持ち出してある程度自由に出入りしていたけれど。当時は今では考えられないセキュリティーの緩さだった。今は一転して厳重だろう。天人の技術が入ってきて、情報量と機密性は比べられないものになったのだから。「いずれ其奴らは研究所に入り込みガスやウイルスを手に入れる。お前はそれを止めたいってこったァ。どうする気だ」 チラリと視線が向けられた。
「その組織より早く私がそれらを盗み出します。そうすれば計画に危険物は使用できません。ついでに私が入り込めるんですもの、各種セキュリティーの脆弱さ解決にも繋がるでしょう。危険物は宇宙で処分します。あんな危険物は人間が持っていても何の役にも立ちませんから」
「クックック…天下の科学者の娘が考えるこったァ理解しかねるねぇ。犯罪者よりも早く盗みをするったァ俺には考えがつかねーな」
「一応不法侵入に窃盗ですからね…。これで捕まったら笑えないですけど」
それでもあの施設から危険物を失くさなければ、結局別のことに使われるだけだろう。VXは攘夷戦争の最中開発された有毒ガスだ。その危険性故に実戦では使用されることは無かったほどに。一方のT2ウイルスは、古くから江戸で脅威を振るっていた感染病の原因ウイルスである。強力な感染力は類を見ず、有史以降多くの人が犠牲になっていることが記録や遺跡などで確認されていた。それでもワクチンが生み出されたのは長い歴史の中でもごく最近のことだ。しかし今やワクチンで感染を防ぐことは出来ても、一度発症してしまえば治療法は確立されていない。社会的に根絶をしたと謳われていても確かに株は江戸に残っていて、保有しているワクチンの数も限られている。全ての住民に予防接種を行うことは困難だろう。再び広まったらどうしようもない。これらのような危険物はこの施設に集められ研究が続けられていた。本来ならば破棄すべきだったのだ。他の危険物もろとも宇宙に捨てれば良かったのに。科学者達はこぞって危険物の破棄を上に進言した。が、その案は棄却された。
「時の将軍、徳川定定公は科学技術の発展を理由に彼らの意見を聞きいれなかった。代わりにあらゆる危険物の独占保有を命令したのです」
高杉さんの視線が鋭くなった…ような気がした。今やあの研究所はあらゆる危険物の宝庫となりつつあるのだ。残りのΩもあの研究所にあるのだ。それが別の星からもたらされたものなのか、この江戸で新たに作られたものなのかはわからないけれど。
「二週間くれてやる。それで終ぇだ。後は無理矢理にでも引っ張って宇宙に引き上げる。その間に盗みでも何でも片付けろ。ついでに真選組なんざに捕まることは承知しねーからな」
「わかっています。高杉さん、本当にありがとうございます」
…
‥
そう言って私のこの計画は始まった。鬼兵隊の手助けもなく私は自身の脳内の構想のまま盗みを…いや言葉が悪いので窃盗を、いやこれも違う。危険物の収容を行わなければならないのだ。私が失敗すれば江戸の人々は皆死ぬか重大な後遺症に悩むことになるだろう。攘夷活動にももっと別のいい方法があるだろうに。私と危険物を結ぶのが例の大江戸総合科学研究所ならば、私と研究所を結ぶ場所は一つしかない。
家本邸。
私があの夜に逃げ出した家だ。私の実家であり、研究所に出入りしていた父の部屋も勿論残っている場所。父の部屋に行けば研究所に入り込める手がかりを見つけられるはずだ。しかし、馴染みがあるとは言えそう簡単に戻れるはずもない。使用人は私が生きていることは知っているけれど。表から堂々とあの家になんて戻れない。ならばどうしたらいいのか。こっそり入り込むしかないだろう。いわゆる住居侵入(実家だけど)というやつ。あの家の勝手は誰よりも詳しいので、侵入してしまえば迷わずに父の部屋までたどり着く事が出来る。問題は、例の研究所までとはいかないけれどそこそこ厳重なセキュリティーで守られたあの家に侵入することだ。番犬…に例えるのは悪いが、私の、いや一般人の二百倍は勘のいい使用人が一人いるのだ。もしかすれば侵入した途端に気配を感じ取られて探しに来るかも…なんて無いか。彼女は人間だ。下手に問題を起こして警備を固められても困るので、普段の日常の最中に侵入を試みることにした。
郊外にあるその家は、煉瓦とデザインに富んだ細い鉄製の外壁と高い生垣に覆われている。草木の間からは中の建物を見ることは出来ない。ざっと見渡しても、長く続く外壁には切れ目もない。鉄に足をかければどうにかよじ登れそうだが、それでも結構な高さだ。さらに周囲には目隠しになるようなものは一切無く、登っているのがバレバレなのだ。中は赤外線が張られていて侵入すれば警報が鳴るように管理されている。これはこれですごい警備だろう。それでも中には侵入を試みる泥棒もたまにはいたりするのだが。
「(確かこの辺りに…)」
完璧とも思える警備にも実は“抜け道”はあるものだ。ただそれは知っている人には通る事が出来るだけであって、知らない人には絶対に通る事が出来ない。鉄製の外壁がある煉瓦作りの台座。その中に
の家紋が入っているものがいくつかあるのだが、それの一つが目印だ。周囲を確認する。さすがに大きな家が並んでいる郊外なだけあって歩行者は皆無。行こう。私は切れ目なく続く柵の一つ…長さで言って40cmくらいだろうか、を手にかけ軽く引きながら持ち上げた。切れ目が無さそうに見えても“ここ”だけは動かす事が出来るのだ。ストッパーが外れれば後は普通の扉の様に前後に開く事が出来る。一人分押し込んで体を滑り込ませると元あった様に柵を戻しておく。ジグザグに重なっている赤外線にも一定の法則で通り道がある。生けられいた木やら花やらあるいはオブジェを頼りに赤外線を抜けて建屋に近づく。例の…北の塔があった位置は綺麗に片付けられてただ広場の様になっていた。外壁にたどり着くと、以前また子さんや鬼兵隊の方々と建屋内を抜けて外に出てきた例の扉がある場所へ。見ただけではこの外壁に扉があるとは思うまい。難なく屋内潜入成功だ…裏ルートだけど。
屋内に入っても裏ルート移動は続く。全ての警備を無効とする行為。チート補正。何とでも言えばいい。私はこの家で育ってきた。父が亡くなった今、この家の構造やカラクリを最も把握しているのは私なのだから。裏ルートはあらゆる部屋に繋がっているが、まるで普通の扉みたいに鍵…あるいはカラクリによる鍵がかかっている事がよくある。もしかしたら私が知らない扉もまだあるのかも知れないけれど。残念ながら父の部屋への扉は鍵が解らず開く事が出来ない。仕方ない。近い部屋に出て外(室内)を行くしか無さそうだ。室内にダイレクトに入れないなら、警備室からマスターキーを貰ってくる必要がある。それこそが今回の重要課題。あそこには必ず人がいる。手元の灯りを頼りに、石造りの階段を進む。警備室近くの空き部屋に出ると、案の定誰もいない。今の時点で勘のいい使用人にバレていなければいいけど。警備室は入った所が前室で奥に事務所があって、そこであらゆる鍵が管理されているのだ。まずは廊下に出る前に外の気配を伺う。
「(誰もいなさそうね…)」
行こう。正にそう思った瞬間だった。軽快な靴音が響いてきて、僅かに開いていた扉を元あったように閉じる。その足音は
の潜む部屋の前を通り過ぎると警備室に入って行く。まさか、もうバレたとでも?
意識を集中させていると、少ししてから同じ足音が出て行った。今動くのはマズイだろうか。もう一度外を覗き込むと、屋内は異様なほどにシンと静まり返っている。これは一体…。意を決して私は空き部屋から出ると小走りに駆け寄り警備室前室に体を滑り込ませた。今、外から人が入ってきたらバレてしまう。同様に私は前室から事務所内を伺う…と、いるべきはずの人員が殆ど見えないではないか。ワイワイと人の気配がするのは更に奥の、モニター室。今だ。体をそろりと動かすと鍵入れを開けてマスターキーを…あれ?ない。あるべき所にマスターキーがない。ならば、父の部屋の合鍵を失敬した。
空き部屋へ戻り、再び裏ルートを辿って着いた父の部屋。鍵を手に入れたので侵入は容易だった。父が亡くなってからこの部屋に入ったのは二度目。一度目は母と部屋の整理のために…それっきり。部屋の中は記憶に残ったままだった。研究所で働き続け、家に帰ってくる事が少なくなっても、父は部屋に私を呼んで一緒に遊んでくれたのを覚えている。
「(研究所に関する書類は…)」
机の引き出しの中にあるはずだ。一つ、また一つと引き出しを開けてみるも、書類はおろかノート一冊入っていない。確かここにまとめておいたはずなのに。開けども開けども引き出しには何も入っていないのだ。…あの男が勝手に処分したとでも?まさか。使用人に頼んで父の部屋へは手出しが出来ないようにしていたはずだ。ならば…。
は机の引き出しを開いて取り外すと机の下に潜り込む。天板の裏に、まるで桐箪笥のように隠された引き出しが一つ。ここを知っているのは私か母しかいない。きっとここには何か残っているはずなのに。
「嘘。何もない」
最後に、母と二人確かめた時には何かが入っていた。途中、人が入ってきそうになったので確認こそしなかったけど。それが一切何も無くなっているのだ。どうして…? 結局、この部屋には父に関するものが何も残っていない。おかしい。私はこの部屋に違和感を抱いた。あの男かそれ以外なのかはわからないけれど…この部屋に誰かが入ったのは確かだろう。いったい誰が? 勘のいい使用人の目を掻い潜って外から侵入することなど素人には不可能。ましてや、金目のものを盗むわけでもなく、父の部屋に入るなんて。
「…」
胸に抱いた違和感が消えない。室内を歩きながら他に“おかしいところ”がないか探る。記憶の中に残った部屋を思い出しながら。本棚には科学と天文学に、歴史の本がズラッと並んでいる。室内を見渡してみても、“それ”以外にはおかしいところは無さそうだった。この部屋には私と研究所を繋ぐ手がかりが残っていなかった。どうすればいいのだろうか。過激派攘夷組織が危険物を手に入れるのを黙って見過ごすなんて出来ない。これからどうするか考えながらも、私の視線は室内を追っている。本棚の一角に写真立てが並んでいた。妹たちがいない家族写真。父の小さい頃の写真。母と出会った頃の二人の若い時の写真。母と私が並んだ写真。研究所での写真…。
「この人は…」
研究所時代の、それも入所したての若い頃の写真が目に入った。この国の未来を担うべき若手研究者がズラッと並んだ集合写真だろうか。その内の一人が父。その隣に立った人物が目に留まる。この人なら…もしかしたら…。見失っていた研究所との接点。僅かに望みがあるなら写真に写るこの人に賭けるしか無さそうだ。善は急げ。ここにはもう用はない。周囲に人がいないのを確認してから元来た空き部屋へと戻る。と、廊下がどうも騒がしい。私であるかどうかはわからないけれど、侵入者がいることはバレたのだろうか。人の動きがさっきよりもずっと忙しなくなっている。行こう。面倒ごとになる前に。
は裏道を通り屋外へたどり着くとそのまま敷地外へ。隠していた編み笠を被り直すと、さも何事もなくただの通行人…のように歩き出した。「おい」と、真後ろから声がして肩がビクリと反応した。ハッと振り返る。「高杉さん!?」彼が何故ここに? 似たような編み笠を被った彼は私の顔を見るなり鼻で笑った。「近くまで来たんでな。挨拶がてら顔出してきた」 と、こんな幕吏関係者やら会社経営者やらの屋敷しか並んでいない区画に挨拶とは、一体何だろうか。
「帰るぞ」
歩き出した彼の隣に並ぶ。進展を聞かれて…私は「何も」と答える。あの部屋には何も残っていなかった。いや、残されていなかった。しかし別の手がかりは手に入れた。残っている道はそれしかない。
「それでどーする気だ」
「父の古い友人に会いに行きます。彼なら何とかしていただけるのではないかと思って」
「お前に時間をくれた分、俺にも暇が出来たからな。仕方あるめー。目付けに付いて行ってやる」
でも、と心配になって見上げると。彼は何ともない涼しい顔で歩いていた。
新章開幕。ミステリーとサスペンス要素あり。
20170605*星宮はちこ 裏語