レプリカ虚像乙女
【第五章、回帰 三十八話、父の古き友人】
「いらっしゃいませ」と本物に聞き紛うけれどどこか機械的な声が迎える。
と高杉が訪れていたのは大江戸総合科学研究所…ではなく某企業の研究所だった。本社は別所にあり広い建屋には研究施設が集約されているらしい。
「こんにちは。14時に面会の約束をしています。
と申します」
「
様ですね。少々お待ちください」
受付の女性…は電話の受話器を取るとどこかに連絡している。隣には笠を被ったままの高杉さん。あの柄なら目立ってしまうと今日は頼み込んで大人しい黒地の着流し。ついでに刀も置いてきて頂いた。話し込んだ女性の前で緊張を紛らわすために
は笠を抱いた。「
様、三階の事務所まで彼女がご案内致します」手で指し示した先には、メイド服の女性…彼女も受付の女性と同じく耳元にヘッドホンみたいなものを付けているのが気になった。私達が彼女の前まで行くと軽いお辞儀をされた。「どうぞこちらに」メイド女性が歩き始めたのでその後を追った。エレベーターホールで上へのボタンを押すとすぐ後ろの扉が開き、三階に着くと長い廊下を進んだ。ある扉の前にたどり着くと女性はコンコンとノックをする。「どうぞ」中から男性の声が聞こえる。扉を開くとメイド女性は手で中へと促した。
「失礼します」
は声をかけて室内に踏み込んだ。お世辞にも綺麗…とは言えない物が雑多に置かれた個室の中にその人は立っていた。白い白衣を纏い、あの写真で見た若い頃の面影が残りつつも顔は確かに歳を重ねている。そして少し猫背。父の古き友人であり同じ研究所に勤めていた人。
「林先生こんにちは。私、
賢人の娘の
です。長らくご無沙汰しておりました。お久しぶりです」
そう挨拶をすると林先生は垂れた目を僅かに見開いた。先生が手にしていた備品がガタリと音を立てて落ちる。隣にいる高杉さんはじっと林先生を見ている。いや観察しているとでも言った方がいいのだろうか。「や、やあ。
ちゃん久しぶりだね」落ちた備品を慌てて拾いながら林先生はそう言った。手前にある応接間のようなソファーに座るように促されてそこに腰をかけた。机の上にも何やら資料やら書籍が散らばっている。
林流山。かつて江戸の未来機械技術を担うとまで言われた天才科学者の一人。今は、幕府お抱え機関になったあの研究所から離れ、以前から研究していた機械工学技術を用いて企業を設立、何やら色々作っているらしいのだ。落ち着きがないまま「コーヒーでも飲むかい?」と棚からコップを漁っている。「お構いなく」遠慮がちに告げた時には不揃いなマグカップが三つ並び、インスタントのコーヒーを取り分けていた。
「賢人が無くなってからもう十年以上経つのかねぇ。しかし暫く見ない間に大きくなったもんだ」
「早いようで長い…そんな時間でした」
湯気が立つコーヒーが入ったカップを両手に持ちながら林先生が応接エリアにやって来た。「散らかっててすまないね」隅にコーヒーを置き、卓上に散乱した資料やらを大雑把にかき集める。物が無くなった机の上にカップと細いスティック入りの砂糖が何本か入れられた別のマグカップやミルクのパウダーが入った入れ物を並べて、好きに入れてくれと言うと林先生はようやくソファーに座った。
「突然、メールして申し訳御座いませんでした。そしてお忙しい中お時間を割いて頂き有難う御座います。これ…先生がお好きだった羊羹です。お召し上がりください」
「ありがとう、甘いものが好きなの覚えててくれたんだね。昔は実験中に、補給と称して賢人とよく研究室のお菓子を取り合ってたもんだ。懐かしいな」
差し出した包みを覗きながら先生は笑った。と言ってもその笑顔はどこか寂しそうで…少しだけ気になってしまった。「そちらは?」室内に入って笠を外した高杉さんの方を見ながら先生が口を開く。私の知人兼雇い主兼命の恩人です、そう答えれば「ハッハッハ。そうかそうか」と特段気にもしていない様子で乾いた声で笑う。「それで要件は何だい?確か聞きたいことがあるって書いてあったけど」ミルクと砂糖を多めに入れたコーヒーを飲みながら先生が尋ねてくる。自信が無さげ、撫で肩に猫背、視線はずっと下に向けられていて交わることはない。私は姿勢を正し前を見据えて切り出した。
「林先生に、大江戸総合科学研究所についてお伺いしたいことがあります」
その名を出した途端に、チラリと視線が上がったのがわかる。彼が父と同じ…以前に勤めていた研究施設だ。私の言葉に「懐かしい名だね」と続きコーヒーに口をつけている。今や表立って知られていないあの施設について、少しでも情報が欲しいことを告げた。そう切り出すと先生はポリポリと頭を掻いた。綺麗に分けられた髪が乱れる。
「それであの研究所について知ってどうするんだい?」
「それは…」
まさか攘夷組織があそこにある危険物を狙っていて、彼らが江戸で引き起こすテロを防ぐために、先に研究所に侵入し危険物を盗みたいんです…なんて言えるわけがない。窃盗も別の犯罪だ。答えに困っていると、隣で座っていた高杉さんが背もたれに深く沈む。
「ちと用事があってな。何でも幕府お抱えの危険物の宝庫って話じゃねーか。それを悪く使おうって輩がいるもんで、この正義感の塊は何とかしてぇとアンタを頼りにきたってとこだ」
「って、高杉さん!」
回りくどく言うどころか、そのまんま答えてしまっているではないか。慌てて横に突っ込むも本人はどこ吹く風。今更取り繕うことなんて出来ない。意を決して「あの研究所に入りたいのです」と続けた。
「鋼鉄の守りと謳われる、幕府の機密を扱う科学研究所。あそこは確かに一筋縄ではいかないね。俺が辞めてから暫く経つけど」
少なくなったカップの中の水面を眺めながら林先生は呟いた。父の部屋を訪ねてみても、あの施設に関する情報も、研究に関する情報も何も残っていなかった。今私とあの研究所をつなぐ手がかりを持っているのは林先生だけだ。入り込める手がかかりだけでも見つけなければ。「まあ、他と違ってあそこはちょっと特殊でね…」ポツリと先生が口を開く。疑問を持って首を傾げると先生は語り始めた。
大江戸総合科学研究所…幕府お抱えの機密研究を行う極秘施設。そこで働いている人は皆その分野の最前線の人間である。幾重にも張られた警備はIDカードと指紋認証によるダブルシステムで管理されている。そして本来、退職あるいは本人死亡等により研究所から籍が離れる際には完全に情報が消されるのだが、あそこの研究所は籍が離れてからは別の管理がなされ永遠にデータが残り続けるという。IDカードやパスワード自体は使えなくなるのだが、研究データやら本人情報は残るというのだ。父のIDカードは爆発で紛失して見つかっていないけれど。家にあった資料は、研究途中の役に立たないデータばかりだった。それもこの前家に侵入した時には残っていなかったのだ。もしかしたらあの研究所なら、生前の研究に関する有効なデータが隠されて残っているのかもしれない。カタリと音を立ててコップを机に置くと、林先生は立ち上がり部屋の隅の棚を漁り出した。「えーっと確かここに」と何やら探し物をしているようだ。積み上がった書籍を崩しつつ手を動かしている。
「賢人は生前自身の情報におかしな細工をしていてね…。彼の研究情報は研究所システムの管理者ですら触れないようにしていたらしいんだ。それをハッキングするのも別の同僚だったみたいだけどあの話はどうなったのかな。私の所にも話を聞きに来たくらいだし。あれ?無いな」
目的の物はその棚には見つからなかったらしい。隣の棚の書籍に手をかけている。バサバサと紙の乾いた音が響いてくる。元々乱雑に詰め込んでいた棚が見るも無残に散らかっていく。片付けを手伝った方がいいだろうか。「そう言えば
ちゃんは昔は医者を目指してたよね」 と背を向けたまま投げかけられて「はい…今は医者として働かせて頂いてます」近況を伝えた。右往曲折しながらようやく夢に向かって走り出せた。
林先生の探し物はその棚にも無かったらしい。次は、背伸びをしながら手が届くか届かないかの位置を探している。私が医者になったという話を聞いて林先生は背を向けながらも満足そうに「そうかそうか」と繰り返す。「よっと!」軽く飛びながら何か四角い箱を上段から取った先生は再び私たちのいる位置に戻って来た。四角い箱が机の上に置かれる。それは有名なクッキーが入っていた缶で少し古いデザインのものだ。カタンと音を立てて蓋を開くと何かカードが入っていた。覗き込んでみると、
“大江戸総合科学研究所 機械工学部門機械人形研究室 林流山博士”
徳川家の家紋と研究所のマークが彫り込まれたカードが入っているではないか。他には林先生と父が写った研究所での写真が数枚入っているのが見えた。
「あそこのIDカードだ。事あるごとに寄付と称して未だに研究費をせびりに来るんだよ。お陰で辞めても未だにこれが使えるんだけどね。今は手元のプロジェクトに忙しいからもうあそこに行くことはない。これを持って行くといい。指紋は私のを写して使えばいいさ。丁度助手の分もあって二人分…返さなくていいから」
「そんな!」
カードを私の手に乗せ「丁度処分に困っていたんだ。君が夢を叶えた祝いだ構わんさ」そう告げると再び私たちの前に腰を下ろした。「本当にありがとうございます。林先生にはご迷惑をおかけしないようにしますので」私は深々と頭を下げた。カードを探すために散らかった室内をせめて片付けさせてくださいと進言すると「ああ、働き者の“助手”に任せるさ」とやんわりと断られる。コンコンとノックが響き先生が入室を促す声をかける。するとさっきのメイド服の女性がお盆に人数分のお茶を乗せて入って来た。彼女は先生の秘書だろうか。
「昔から私は機械工学を学んでいてね。賢人とは分野が違うんだけど…彼女達こそ私の作品なんだ。これは一般向けに売られている機械家政婦“悦子ちゃん”。外見も好みに選べるもんで好評さ。受付にもいただろう?必要なら一体連れて行くかい?」
「これ…機械人形なんですか?ああ!だから受付の女性もどこか人間ぽく無かったんですね」
「いずれ人間と機械の境なんて無くなるだろうね」
そう言った林先生の眼差しはとても寂しそうだった。以前に父が部屋で見せた一瞬の横顔にどこか似ている。先生の表情を見て私もそれを思い出した。ガサガサと缶を漁ると二人の写真を私の前に広げた。手書きのメモのようなものも混じっている。「賢人と私はね…」ポツリと溢れた呟き。どこか遠くに向けられた視線は過去を見ているのだろうか。
「私たちは良き友人だった。“あの事故”が無ければこの世界ももっと変わっていたかもしれない。本当に悔やまれるよ。どうして彼も私も大切なものばかり失うんだ。どうしてあの子が…なぜ君が…とずっと考えているんだ」と、尻すぼみの呟きは続いた。
林先生の過去は私も知っていた。林先生の一人娘、林芙蓉。彼女は私の友達の一人だった。父と林先生…二人の共通点は病弱な娘がいたこと。私と妹二人の三姉妹は幼い時には外にも出られないくらいに体が弱かった。故に外出もままならずほとんど寝たきりで、移動するとしても必ず車椅子。ある時一世一代の大きな手術を受け…私は奇跡的に乗り病を乗り越えた。動けるようになってからリハビリを続けて、ようやく普通の少女のように動き回れるようになるまで回復した。あの時は妹たちの見舞いをするのが日課で、彼女たちを救おうと医者になる道を志したのを覚えている。そして時々屋敷に顔を出していた父の友人である林先生に、彼の家に招待されて初めて“彼女”と会ったのだ。畳敷きの奥まった部屋に敷かれた白い布団の中に彼女は横たわっていた。私より幼い…妹と同じくらいの年齢の少女はクリクリと丸く輝く可愛らしい瞳をしていた。「お友達になって」と芙蓉ちゃん「いいよお友達になろう」と答えた記憶。次に芙蓉ちゃんに紹介されたのはいつも一緒にいるお友達の機械人形。私も人形を持って行って四人で遊んだ。家から持って来た絵本や天体儀で四人で遊んだ。やがて私の妹が亡くなって…父も亡くなって…芙蓉ちゃんに会いに行く機会がほとんどなくなってしまった。それでも最後に交わした言葉は忘れられない。「
ちゃん芙蓉のお姉ちゃんみたい。ねえ芙蓉のお友達じゃなくてお姉ちゃんになって…また絶対遊びに来てね」私は振り返りながら「芙蓉ちゃんが言うならお姉ちゃんだよ。私も妹増えて嬉しい。また来るよ…今度はみんなで遊ぼう。私の家に泊まって!北の塔から星の三角が見えるから!」笑顔で手を振ったのが最後。それから芙蓉ちゃんも…。
「そう言えばコレ、新聞の記事で見たのだが」差し出されたのは新聞の切り抜きがいくつか。それも一面の大きな記事…なんてものではなくどれもが新聞中盤の高々数行の小さな記事だった。
“天文観測所の建屋爆発。関係者二人行方不明か”
“当主遺体発見、長女重体で緊急搬送”
例の事件に関するものだ。翌日こそ大々的に報道されたものの日を追うごとにみるみると数が減って行ったのが見て取れた。恐らく
あたりが圧力を掛けたのだろう。手に取ると内容を読んでみる。当たり障りのない事実ばかりが記されている。それも肝心の私は入院中ではなく、間違いなく両足で立ってここにいるのだ。
「色々ありまして…義父は亡くなりました。そして私はここにいます。ご心配をおかけしました」
「まあ色々とあったんだろう。私も深くは追求しないさ。賢人が生きていた頃からあの助手の男は何だかんだ胡散臭くて信用できなかったんだ。君のお母さん…研究所ではちょっとしたアイドルだったんだよ。私なんて相手にもしてくれなかったけどね。その彼女があの男と再婚した時には驚いたがね」
先生は温くなったコーヒーを流し込む。「君もようやく医者になれたんだ、頑張ってくれ。私も…色々と気をつけなくてはね」そう言ってカップを机に置く。林先生からは例の研究所のIDカードと指紋の写しを頂いた。これで内部に入り込むことはできるだろう。後は綿密に計画を立てて、先生に迷惑がかからないように危険物を回収するのみだ。ここまでしたのだ…絶対に攘夷組織より先に手に入れてみせる。
「本日は本当にありがとうございました。長居もご迷惑ですのでそろそろ…」
「残念だな。この時間はちょうど助手がいないんだ。いつになってもいい、いつかまたここに来てくれるかい。君はあの子の友達だから…会って欲しい」
「あの子?」
あの子とは誰だろうか?今は誰も浮かばない。
「芙蓉さ。君は芙蓉の友達じゃないか」
「えっ…ええ。芙蓉ちゃんと私はいつまでもお友達で、妹のようなものですから」
満足そうに頷いた先生の顔が私の目に焼き付いて離れない。でも…芙蓉ちゃんは…その先は声にならずに胸に留めておく。それではと部屋を離れて、メイド服の機械家政婦に見送りされて私と高杉さんは施設から出た。手入れが整った芝生や生垣が続く敷地内。笠を被った私たちは無言のまま並んで歩く。
「あの男が娘の名を出してから何ずっと動揺してやがんだ」
「先生の娘さんの芙蓉ちゃんは私と仲が良かったんです。でも…芙蓉ちゃんは」
彼の娘は…もう亡くなっているはずだ。なのにお墓参りでもなく、まるでここに存在するかのようにまた会ってくれなんて…。先生もきっとお疲れなんだわ。そう自分に言い聞かせることにした。酷く心が揺さぶられて震える手を「来い」と、ちょっと強引に高杉さんは握ってくれた。
このひとだーれだ。ハイ。あの博士です。
20170702*星宮はちこ 裏語