レプリカ虚像乙女
【第五章、回帰 三十九話、大江戸総合科学研究所】



この日のために用意した真新しい白衣を纏う。頭は三つ編みのお下げ髪。黒縁眼鏡は標準装備…いわゆる優等生スタイル。

「オイ。進むのが遅いぞ」
「我慢してください。よっと!」

林先生の研究所にいたような機械家政婦もどきに扮した私は、着流しの上に白衣を纏った科学者のような高杉さんが乗った車椅子を押している。危険物の持ち出しを偽装するために今回は車椅子を用意した。備品を乗せてるからか普段より重みを増した車椅子(+高杉さん)を押しながら、大江戸総合科学研究所の玄関を進む。奥に厳重なゲートが見えて来た。入退場はICカードで管理されているが、警備員ももちろん傍に立っている。ーピッ とカードを翳せばゲートが開く。まずは車椅子の高杉さん、続いて私。「ちょっと君たち」ゲートを通ってすぐに声をかけられた。先生の所にいた受付嬢やらを思い出し「はい」とどこか機械的な返事で応じる。振り返ると白衣を来た研究員と思しき若者が立っていた。

「見ない顔だね。どこ研の人?」

高杉さんはその研究員に視線を寄越すもすぐに興味なさげに顔を背けた。



「機械工学部門 機械人形研究室です。こちらは林博士。私は助手です」
「林ってあの時々やって来る変人?あー!で、これが噂の機械家政婦ちゃんね!可愛いなぁ。外見カスタマイズできるって売り出し中だけど、俺も手に入れたいな。もちろんそーゆーこととかあーゆーこととかもしてくれるんだよねコレ」



そーゆーことにあーゆーことって何だ。ノリが軽い若手研究員はマジマジと私を観察してくるではないか。チャラい男は苦手だ。表情に出さないようにしよう。一応、林先生を知っている人に接触された時は、私が対応して高杉さんに気づかれないようにする計画だけど。「ふーんマジ女の子じゃん」近い。距離感間違っているって! 息がかかりそうな距離で見つめられている。

「オイ、気をつけな。こいつァ見た目によらず凶暴だぜ」
「おっ!手とか柔らか!まんま人間!」

高杉さんの忠告も聞かずに、研究員はベタベタと手を触って来る。額に冷や汗が流れるのを感じながらチラリと車椅子の高杉さんを盗み見ると例のチャラ男を睨みつけているのだ。まだ危険物貯蔵庫にもたどり着いていないんですから下手に暴れないでください。そう視線で訴えかける。「うん。これ絶対に今度機械家政婦買お♪それじゃね林博士!」 研究員が言った時だった。去り際にチャラ男研究員の唇が私の頬に触れたのだ。「ご馳走様家政婦ちゃん!」なんて手を振りながら男は去っていく。


「…あの野郎。人が大人しくしてりゃァ調子に乗りやがって。おい、てめーも腑抜けて立ってんじゃねーぞ。ふざけた野郎に好き放題されやがって」
「…」


無意識のまま口付けされた頬を拭っていた。一言、チャラ男は嫌いだ。意識を戻して下を見ると睨み上げる高杉さんと視線が合う。「安心して下さい。背筋が凍るかと思いましたから」行きますよ、と不機嫌な彼を車椅子ごと運ぶ。
長い廊下を進んでいくと情報端末が設置されていたので、ICカードを翳して位置情報を確認する。危険物貯蔵庫は伍号棟の地下四階にあるようだ。全体図をざっとみて見ると、建物の構造自体は私が小さかった頃とそう変わりはないようだ。新たに二棟ほど増築されているようだが。目的の“伍号棟”まではこのまま棟を突っ切り、渡り廊下を抜ければたどり着く。後は地下の管理エリアに入るのみだ。

「行きましょう高杉さん」

ゆっくりと車椅子を押しながら廊下を進む。渡り廊下で何人かのグループとすれ違ったが問題はない。難なく管理エリア前にたどり着くことができた。強化ガラス製、しかし他の扉とは雰囲気が異なる入り口。ICカードを指定場所に翳す。

“指紋認証を行います。指定場所に右手を置いて下さい”

機械音と共にアナウンスが流れた。林先生から写した右手の指紋情報を再現した特製手袋をはめた高杉さんが手を翳す。光が情報を読み取ると難なく分厚いガラスは開く。カラカラと音を立てて管理区域に侵入を果たした。ICカードと指紋情報があれば殆どの区域は入ることができるだろう。〇〇工学研究室、応用技術研究室といった個別の室内は人の気配がするのだが、廊下はシンと静まり返り通る人影はない。危険物貯蔵庫は地下深くに存在している。しかも地下四階と言うのは貯蔵庫入り口にしか過ぎず、中で取り扱い区分に応じて細分化しているようだ。


「鋼鉄の要塞と謳うわりにはあっけないもんだな」
「システムに任せている分…裏をつけば警備に穴があるのかもしれませんね」


私があの家を出た時がまさにそうだった。あれはワザとそうなるようにしたのだけれど。難なく危険物の貯蔵庫の扉の前までたどり着いた私たちは、同じ要領で貯蔵庫内に侵入を果たした。扉が閉じたのを見計らって高杉さんは車椅子から立ち上がる。「てめぇの足が一番だ」車椅子での移動は相当窮屈だったようだ。
見取り図を見ているとウイルスと合成化合物は分野が異なるので別の部屋、どちらも特級危険物なので最も奥に貯蔵されているようだ。先ずはVX。合成化合物はそれぞれ応じた容器に入れられてズラッと並んでいた。三層からなる合成化合物貯蔵庫の一番奥…特級危険物の赤い表示がなされた部屋に入る。手のひらに乗るペットボトルのような大きさの金属容器に危険物を示す髑髏のマークと“VX”の文字。


「これですね」
「ちっせぇモンだな」
「VXの致死量と環境への影響力を侮ってはいけませんよ」


おそらく手にしているこの容器だけで、ターミナルの数回層が壊滅状態に陥るだろう。データ上に登録された数量と容器の表示は同じ。手にした分以外には貯蔵はない…つまりこれで全部。VXが入った容器を車椅子の下にある容器に収容する。


「この調子でT2ウイルスとΩを探しましょう」


一度入り口まで戻ると次は生物系貯蔵庫へと進む。こちらは数が多く四層で構成されていた。壁の表示を見てみるとウイルスだけではなく細菌や生物毒なども貯蔵されているようだ。と、は掲げられた表示に気がついた。「あれ…ここ四層目なのに“第参階層”の文字が」…おかしい。ここは特級危険物の貯蔵庫ではないのだろうか。壁に取り付けられた端末で貯蔵庫内を検索すると、第壱階層と第参階層はそれぞれ一階層分が割り当てられているのだが、第弐階層の領域が二区画もあるのだ。じゃあ第肆階層はどこ?タッチパネルで“T2ウイルス”について検索する。

“特殊生命独立実験棟 保護規格-第肆”の文字

特殊…生命実験棟。位置を検索すると伍号棟ではなく敷地内でも他所の建屋から離れた位置にあるではないか。ここらか表に出てから建屋を移動する必要がある。


「(これは保護規格-第肆)…しまった!」
「何だ」
「中でも危険の高いウイルスや細菌は独立した建屋内で取り扱う必要があります。ここは江戸…強いて言うならこの星で唯一の第肆規格の設備があります。位置はここ。現在位置からすれば一度外に出る必要が」


そうか。T2ウイルスは特級危険物であると同時に保護規格-第肆で扱わなければならないことを失念していた。一度外に出てここに戻ってくるなんてリスクが高すぎる。まだ最後の危険物…“Ω”について何も分かっていないのに。端末から全ての貯蔵庫を選択して“Ω”あるいは準ずる単語について検索をかけてみるも、何も出てこない。ここの貯蔵庫には“Ω”が置かれていないのだろうか。それとも危険物ではないのだろうか。わからない。あの計画書の記載内容を見ても化合物やウイルスと等しく並ぶモノであったのには違いない。


「考えてても埒が明かねーな」
「何も出てこないなんて…Ωって一体何なんでしょうか」

“……が…だったけど…”
“それは…の…が……”


そこで遠くから人の話し声が近づいてくるのがわかった。別の研究員が入室したようだ。高杉さんと視線が合うと私達は互いに頷いた。ここに留まっていては無関係な所員との接触が増えるだけだ。この三秒で、先ずはここを離れて特殊生命独立実験棟まで行くことに決まった。「高杉さん、車椅子乗ってください」小声で合図する。しかし…


「断る。窮屈ったらありゃしねー。お前乗れ」
「えっ!?ちょっと待って…痛っ」


頭を掴まれてそのまま車椅子に押し込められる。白衣を纏った高杉さん…が押す、違う。フラフラと歩く高杉さんの隣で自ら車椅子を動かす私。高杉さん、せめて後ろから押してくださいお願いします。慣れてない上にVXの分だけ車椅子重いんですから。そんな視線での訴えを諸共せず高杉さんは先に通路を進む。私は必死に追うのみだ。腕が痛い。三人組の所員とすれ違うも「お疲れ様です」と挨拶をしてやり過ごす。危険物貯蔵庫の前まで戻って来た。


「遅ぇぞ」
「高杉さんもう腕がもう悲鳴を上げているんですが」
「しょうがねー奴だ。仕方があるめぇ、押してやる」


最初から押してくださいってば。という言葉を飲み込んで「お願いします」と伝えた。押される力が加わると自ら動かさなくても勝手に動く。ああ、さっきと比べたら雲泥の差。何て楽なのだろうか。伍号棟から出ると芝生と噴水を抜けて建屋から少し離れた位置にある“特殊生命独立実験棟”と掲げられた施設の前までやって来た。
ここは地下の貯蔵庫に比べて人の気配がする。施設内に入ってすぐに所員に声をかけられたのだが、小道具として持ち込んだ即効性の催眠作用のあるスプレーを吹きかけて対処した。しかしこの手段を使ってしまえば後の行動は時間との勝負だ。寝込んだ所員は受付と思われるカウンターの中に隠しておいたが、彼らが目覚めたら“事”が発覚する。カウンター内のパソコンから監視カメラの録画機能を解除し奥へと進んだ。保護規格-第肆の設備はいわゆるバイオハザードを防ぐために、実験室並びに所蔵庫への入室に対して色々と手順を追わなければならない。ICカードによる入退室の管理…という事で、林先生の記録が残ってもマズいのでさっき眠って頂いた人のICカードを借用した。車椅子はここで降りて専用の防護服への着替え、前後を閉鎖された環境でのエアシャワーを抜けて廊下に入り込む。外から実験室内を覗き込むと数人が動き回っている。「任せろ」後ろから高杉さんが言った。
先に高杉さんが実験室内に入り込むと、侵入者に何事かと研究員達がこちらを振り向いている彼が動いたと思ったら、中の人が倒れこむまではあっという間だった。凄い。視線で合図され私も実験室内に入った。

「とっとと済ませろ」
「はい」

専用の保管棚からT2と表記された菌チューブを取り出すと持ってきたチューブ台に固定する。株は全部で8本存在した。もしもの時の為にワクチンには手を出さない。抜いたチューブの代わりに空のものを挿しておいた。別の容器には“RYO-Ⅱウイルス”の文字。これは関係ないやつだ。手にした容器の蓋を閉じる。ウイルスを回収すればここに用はない。私達は防護服を脱ぎ捨てると建屋を後にした。







Ω(オメガ)…それは何を意味するのだろうか。ある異国文字最後の字。兵器に使える危険物?それとも無関係な言葉? 再び戻って来た危険物貯蔵庫の中で私は単独行動をしていた。さっきいた特殊生命独立実験棟のパソコンで検索すると、貯蔵棚のこの区画に“Ω”と思える物質の検索結果が出て来た為だ。高杉さんは最奥の階層の貯蔵室前で見張りをしてくれている。というか「早く持ってこい」と言ってこの階層には入ってこなかった。
私は一人で棚に並んだ瓶と睨めっこをしている。そのどれもに“Ω”という表記はない。別の記号が書かれているだけ。おまけに抱えられないぐらいに大きい金属製の貯蔵タンクまで並んでいるではないか。右へ左へ視線を動かす。Ω‥Ω…無い。身長よりも高い保管棚の最上段にも目を凝らす。一つだけ、ラベルが向こう側を向いていて何かがわからない容器が一つ。もしやこれ? 手を伸ばしてみるも微妙に届かない。見渡しても踏み台も脚立も見当たらないではないか。危ないことこの上ないが仕方がない。背伸びをして必死に手を伸ばす。

「(あとちょっと…)」

指先が容器に触れそうな時だった。



「あ、大丈夫?危ないよ。取ってあげようか」



どこかで聞いた若い男の声が真後ろから聞こえた。待って…この貯蔵庫、今は誰もいないはずではなかっただろうか。背伸びをしたまま後ろを振り向こうとした…けれど隙だらけの腹に回った腕が棚から私の体を引き離した。「!」声が出ないまま後ろに引かれる。体勢を崩した私は近くにあった机へ、仰向けに思いっきり押さえ込まれた。ダンと大きな音がする。「痛っ!」空いた片手が思いっきりあらぬ方向へねじ込まれている。感じるのは痛み…それ以上の抵抗は出来なかった。


「はーい、ごめんね痛いね機械人形ちゃん。っても機械なら痛みとか感じないもんね。まあ、人間の女の子なんだから仕方がないよね。で、探してるのってさ…“Ω”ってやつ?」
「いっ…ど…して、それ…」


痛みに耐えながら途切れ途切れに答える。この男、間違いない。さっきこの研究所に入った時に話しかけて来た若い男だ。私の言葉を聞いて「うーん」と考える素振りを見せている。「ねえ、君は誰?どうして“Ω”を知っているの?あれは最重要機密情報で関係者以外には知らないはずだけどな」言いながらも腕の力が増してくる。「やめ…」声を出したら力が込められた。痛みで顔が歪む。


「まあ、外の“林博士”も別モンだもんね。隻眼の侍…鬼兵隊総督の高杉晋助で間違いないよね。こんなところに攘夷組織が何の用かな。って、ごめんごめん。痛くて答えられないよね」


腕に込められた力が僅かに緩んだ。痛みはマシになったものの腕を曲げて押さえられたままでは体の自由は利かない。


「おかしいと思ったんだよね…検索履歴に“Ω”があると思ったらユーザー名“林流山”なんだもの。で、鬼兵隊がこの施設に何の用?」
「彼らは関係ありません。私個人の用事です」
「ふーん。じゃあ、君は誰なの」
「…」


答えられなかった。の名がバレれば、私と鬼兵隊の繋がりやら家との繋がりやらがこの男にバレてしまうのだ。貴方は誰なのですか、苦し紛れにそう口にする。と男はニコニコ笑いながら答えた。


「俺は情報屋さ。その情報に見合った対価さえ貰えれば何でも教える。ついでに千の名前と千の顔を持つ男とか言われてるけど、特に執着なんてないから名前は好きに呼んでくれて構わないよ」
「情報屋がどうして…ここに?」
「対価が必要って言ったよね?まあ初回サービスってことで答えるよ。本来のお仕事とは別件で“Ω”の回収に来たってとこかな。さあ俺の番、君の目的は?」


そう言うと腕を掴む手に一層の力が込められる。私は痛みに顔を歪めるしかなかった。


新しい人登場。
20170718*星宮はちこ   裏語