レプリカ虚像乙女
【第五章、回帰 四十話、事実と真実】
見張りの高杉さんと離れた今、私は保管庫内で情報屋と名乗る男に机に押さえつけられていてた。後ろ手がギュッと曲げられ押さえ込まれて痛い。
「私がここに来た目的は…VXとT2ウイルスとΩの…回収」
「うわぉ、どれも特級危険物じゃん。それ使って鬼兵隊は兵器でも作るつもり?」
「違う!」
強く、否定した。私の行動は鬼兵隊とは無関係と念押ししてから、私は全てを話した。偶然知ってしまったとある攘夷組織のテロ計画。その兵器の要とも言うべき危険物の存在。彼らの計画を阻止する為には、私が先にそれを手に入れなければいいと思ったこと。「アッハッハ。面白いね君!気に入ったよ」私の言葉を聞いて男は声を出して笑う。と、私の上に乗っていた体が引いた。もちろん腕も解放される。体が自由になった反面、変な方向に曲げられていた腕の痛みは中々引かない。その場に起き上がって伸ばしたり曲げたりを繰り返す。
「じゃあ、俺も教えてあげる。そのΩってヤツはね、まるで夢のような“いわゆる猛毒”なんだ。その雫、一滴で人を殺し痕跡すら出てこない。要人暗殺には持ってこいだろ。っても俺の実家…いや知り合いの製薬会社の研究所から盗まれたものでさ。どーしてかここに収容されてるってわけ」
だから秘密裏に回収に来たのだと男は言った。「でも残念。Ωってのは間違いだね」顎に手を掛けて思想顔を見せた男。私がさっきまで探していた棚の前に歩いていく。手を伸ばしたのは上段。私が取ろうとしていた瓶…の横にある小瓶を取り上げる。
「本当の名前は“苹果”って言うんだ」
「へいか?」
どこでどー間違ったのかはわからなけど、と前置きしながらも男が手にしたその瓶には“苹果”の文字が書かれている。つまり探していたΩ改めは、手を伸ばしたすぐ傍にあったのだ。
「苹果はリンゴのこと。お偉いさん方が“暗黒物質(ダークマター)”だの“死(タナトス)”とか“混沌(カオス)”だの仰々しい名前を付けたがっていたんだけど全部却下。これは僕らに知恵すら与えてくれない死の果実。でも安心して、これは俺が責任を持って預かるから。それとも飲んで死にたい?」
死にたくない…服毒自殺なんて苦しみしか生まないのだから。緊張で口が動かないから首を振ると男は満足そうに頷いた。男がその小瓶を仕舞い込み今一度私に向き合うと、もうここに用はないと言う。このまま、その毒を使いテロ行為を行おうとする攘夷組織の手に渡るより、この目の前にいる男が持っていた方が良いのだろうか。いや、やはり私が回収して宇宙で処分するべきだろうか。この怪しい男がその毒を良からぬ事に使う可能性だってある。チラリと見ると目が合ってニコリと笑われた。全く隙がない。「あー、禁断の果実(猛毒)を勧める俺ってまるで蛇だね。楽園の蛇。じゃあ君はイブって感じかな」笑いながら冗談を言い続けている。
「貴方はその毒を回収してどうするつもりですか?」
この男の正体と目的について探らなければ。男が目を細めた。「そうだね…対価は、君の名前。教えてよ」
と、私の名前を聞いて笑っていた男の瞼が僅か反応したのがわかる。少なくても笑っていた顔が真顔になったのだ。聞こえるか聞こえないかの声で私の名前を復唱している。彼が言う“対価”を支払った事で、男は先の質問に答えた。元々は彼の(関係者の)持ち物だったので、元あった場所に返し、研究の目的以外には使わないという。勿論外部の人間に使うこともないとのこと。勿論真実を言っているのかはわからないけれど、今の所はこの毒は男に預けていたら良いだろう。
「じゃあ俺の番ね。君の名前は
…つまり
賢人の関係者?対価は等価の範囲で何でも教えてあげるから」
物の価値なんて有って無いようなもの。人々が求めさえしなかったら“金”すら価値の低い金属に成り下がる。つまり男の言う“価値”とは“彼のものさし”で計られるものに過ぎないのだ。一般人である私の名前が彼の中でどれほどの価値があるのだろう。たかが知れている程度なのは手に取るようにわかる。まあ、代わりにこの男が何も教えてくれない事だけはわかったけれども。そして男は私の父の名前を口にした。父は幕府に仕えていたけれどその分野の人以外にはそう有名人ではない。つまりこの男が父の名前を知っているのは科学分野に詳しいからだろうか。もしくは情報屋は一介の科学者の情報すらも網羅しているのだろうか。わからない。
「
賢人は私の父です」
「へー、なるほど。君がね」
顎に手を当てて男は二度目の考える素振りを見せている。それ以上、父や私には興味が無いらしく「何か知りたいことある?まあ等価の範囲でだけど。機密情報や芸能ニュースでも豆知識でも何でも良いよ」と聞き返してきた。私が知りたいこと。機密情報なんて知ってしまったら殺されそうだし、芸能ニュースなんて興味ない、豆知識も特に知っても仕方がない。鬼兵隊が知ったら有用な情報なら…しかし彼らが知りたい情報をまず知らないのだ。
「これらの危険物を集めようとしている攘夷組織について知りたいのですが」
つまりこの危険物を使ってテロ行為を行なおうとしている攘夷組織について…である。甘味処横の貸会議室で攘夷組織がこんな計画をしているなんて思いもしないだろう。彼らは何者なのか、何が目的なのか…知っておいて損はないはず。「ああ、それね…」なんて意気揚々と男は語り出した。攘夷組織の名前は「紅い楯」と良い、そこそこ大きな規模の攘夷組織とのこと。ターミナル・主要駅・江戸城・各大使館に対し各危険物が搭載された爆弾を設置、爆破して危険物を撒き散らし江戸に甚大な被害をもたらす計画だったという。大きな組織だからか計画内容もそれに対する準備も万端であった。ここ大江戸科学研究所の所員を抱き込み、数人の工作員を潜り込ませて危険物を手に入れるはずだったのだ。しかしその計画も私が該当の危険物を先に失敬したので、計画は失敗に終わるだろうと思われる。ここに集約された他の危険物では決して代用できない。今回の私の行動で計画は失敗に終わり、彼らにとっては相当の痛手になるだろうとも男は教えてくれた。
紅い楯。
こんな計画を考えつくなんて、なんと恐ろしい攘夷組織なのだろうか。組織にはおそらく科学に精通した人間がいると思われる。あるいは金で抱き込んだのか…わからないが、素人には到底思いつかないだろうし。
「本当に君の目的はそれだけ?あ、ついでだ君と鬼兵隊の関係って何なの?」
思い立った様に次々と疑問を口にする男。まんま探りを入れらているのだ。私がここに来た目的は、特級危険物を攘夷組織よりも先に回収すること。それ以外にここに用はない。ついでに言うなら、もう殆ど回収は済んだので早くここを去りたいくらいだ。鬼兵隊は医者として雇ってもらっている…つまり私たちの関係は雇用主と雇用者に過ぎないのだ。私の言葉を聞いて男は声を上げて笑った。
「あの鬼兵隊に雇われているなんて。やっぱ君、面白いね。俺も仕事柄色んな人間と出会ったけど一ニを争う面白さだ」
「そう…ですか」
私にはこの人の価値やら面白さの“ものさし”が理解できない。何を以って“面白い”などと思うのだろうか。変な人だ。これ以上関わらない方がいいのかも知れない。「いやー安心したよ。君が十数年前の“例の事故”について嗅ぎ回っていなくて」ポツリと男が呟いた言葉に私は視線を上げた。目が合った男はまるで“しまった”という表情をしている。十数年前の…事故?
第漆-応用化学研究実験室爆発事故…
父が亡くなった事故のことを指している。実験途中の大型フラスコ内の物質が過加熱により連鎖的に化学反応を起こして制御しきれなくなり、急激なエネルギーが放出されて部屋ごと爆発したもの。その頃は国のために貢献した人間の悲劇として新聞に載ったことだってある。情報統制された今では考えられないことだ。それも…あの男が父を殺すために仕組んだ事だったのだ。事故には知られたらマズいことが仕組まれているとでも言うのだろうか。あの男が関わった“何か”が。
「その事故の裏に一体何があるのですか?まさかあの男、
玲一郎が隠したかった何かが?」
気づけば問い詰める様に男に迫っていた。あれは世間的には“事故”扱いになっている。私自身も事故だと諦めていたけれど、先の私が家を出た一件であれは仕組まれた事故…要は殺人事件だったことは間違いない事実なのだ。まだ私の知らない事があるとでも言うのだろうか。わからない。でも突如降って来た言葉に、私の興味は完全にそちらに注がれていた。
「
玲一郎って…玲一郎?ああ例の研究室にいた助手の男だね。あの小物がどーかしたの?」
「あの事件は父の研究を我が物にしたいが為に、助手であったあの男が仕組んだものだった。それは男の証言から事実であるとわかっています」
私の言葉を聞いて、情報屋はお腹を抱えて声を上げて笑った。「あーおかしい」目尻には涙を溜めて笑っているのだ。今までの発言に面白おかしい事なんてないはずだ。私は強い視線で睨みつける。視線に気づいた男が「ごめんごめん」と言いながら涙を拭う。「悪いけど俺は小物になんか興味ないよ。そうだね。君がそう思っているならそれでいいんじゃない。でもね…」
「その小物が君のお父さんを殺そうとしたことは事実であっても、それが真実とは限らない。真実は曲がらず存在しているものの巧みに隠れているからね」
真顔で男は言った。その瞳には嘘も偽りもない。
玲一郎が父を殺した…殺そうとしたことは事実であって真実ではない? 真実は隠れて存在している。ならば“真実”とは一体何だ。結果的に実験室は爆発し父の遺体は見つからなかった…これは事実。じゃあ隠された真実って? 男に真実を知っているか尋ねてみた。「君の年齢と趣味と、そうだね…スリーサイズでどう?」男の言う対価にこめかみがピクピクと動く。どんな情報だ。そもそも言われる真実の対価にしてはおかしいと思うけれど、私は真実が知りたいという気持ちで年齢と趣味とスリーサイズを伝える。「知っているよ。全部知りたい?」笑いながら男が言う。
してやられた。
年齢や趣味ぐらいでは“真実”の対価にはならない。つまり先の対価に対する情報は、男が真実を知るか否かに対する答えまでだったようだ。言葉遊びでは分が悪い。相手の方が一枚も二枚も上手。下手をすれば重要な情報を全て持っていかれて、聞きたいことは何一つ知ることが出来ない事態になるだろう。
「ええ…。―ッ!?」
「その情報は高いな。対価は君の“命”でどう?本当なら代を貰ってからだけど、俺は優しいから先に教えてあげるんだ」
言葉を発した瞬間に、前にいる男が手にする細身のナイフの切先が喉元に添えられていた。呼吸をしても喉元に刺さるかもしれない、私はグッと息を飲むしかない。男に殺される。そう思った時だった。ーヒュン と鈍く風を切るような音が聞こえたと思うと、私と男の間を遮る黒い影。
「オイ。てめぇは何者だ」
抜き身の刀を手にした高杉さんは殺気を放ちながら男に言った。外にいたはずの彼の登場と振り回した刀に情報屋の男は目を見開いて驚いている。「あっぶな!危険物に囲まれた中で刀振り回すなんて正気じゃないっしょ!?」胸を押さえながら男が言う。確かに、下手に容器に当たって溢れでもしたら一大事だ。高杉さんの構える刀の切っ先は男に向いたまま。落ち着きを取り戻した男は高杉さんに対しても情報屋として自己紹介を行う。名前は特に気にしないと言って結局は名乗らないままだったけど。
「ほう。ポチ、コイツが世話になったな」
「…何だよポチって」
「名前なんざどーでもいいんだろ?ならてめぇはポチだ」
「それって犬の名前だよね。可愛い女の子なら未だしも男に言われるのすっごくムカつくんだけど!」
口の上手いこの情報屋の男と話していても優位に立つ高杉さん…すごい。男はペースを乱されたのだろう、イライラとした雰囲気を全身から醸し出している。
「で、さっきのはコイツ殺して口封じってとこか」
「いや違うね。俺は彼女の知りたい情報に対する対価を要求していたところかな」
余裕を取り戻した男と高杉さんが対峙している。広い空間だけど緊張感に包まれているのを肌で感じる。男の言葉を聞いてチラリと高杉さんの視線を受けた。「てめーは何やってんだ。ふざけた野郎に絡みに行くとか馬鹿か」 有無を言わせない強い口調に「すみません」と小さく答えるしかない。私達の様子を見て男がクスクスと笑った。
「まあ、おかげで面白い情報をもらったよ。対価が払えないならさっきの情報は無しね。代わりにイイ事教えてあげる。“紅い楯”が危険物を手に入れようとしていた日は近いんだ。今日も奴らの手先がうろついているから気をつけてね」
「おいポチ」
「その呼び名やめてくんない。イマイチ決まらないし。そろそろ俺帰るから!何か知りたいことがあったら宜しくね。鬼兵隊もいいお得意様になってくれると思っているよ。まあ、運良く逃げ切れたら…だけど」
「え?」
言葉の意味がわからない。逃げ切れたら…って何から?
隙を見て高杉さんが男に間合いを詰めて刀を振り上げる。間一髪のところで避けた男。「あっぶねー。振り回すのヤメロって!」まるで忍者のように宙返りをして避ける。体勢を立て直した男は手に何かを持っている。カチャンと音を立てて手にした何かが開いた。
「(あれは…ライター?)」
手のひらサイズの四角いライター。自然な動作で男は火を点け天井に翳した。待って!ここは危険物保管庫なので、もちろん火気厳禁。男の手の先には検知器があるではないか。刹那。空気を劈くようなけたたましいアラームが研究所中に響き渡った。
事実の中に隠れる真実へ。たどり着け。
20170730*星宮はちこ 裏語