レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 四十四話、残っていたのは空の記憶】


先ずは一晩様子を見て、翌日にはどうにか体を動かせるようになった。けれど、起き上がるのはまだ内野さんの介助が必要だった。銃弾は肩を掠めたものの撃ち抜かれたわけでもないので止血の後ガーゼで押さえる程度。輸血の甲斐もあってか回復にそう時間もかからないだろうと教えられた。ちなみに食事だって一般病棟と同じ物。
ICUは最新鋭の医療設備が整っており、脈拍や血圧に加えて血液中の酸素濃度までが中央管理室のモニターに映し出されている。異常があったらすぐに医師と看護師が飛んでくる仕組みだ。表示されている私の患者名は“大江戸花子”なんてどこの教科書の例文だよと言いたくなるような酷いものだったが。しかし真選組の指示の為か、私の存在は隠されているらしい。内野さんが教えてくれた。ちなみに私の担当は例のジャック先生と内野さんで、本来は二人ともここの専属ではないがよく顔を出してくれている。二人とも口止めされているのだろうか、あの夜のことは一切聞いてこなかった。

「内野さん。私ももう動けますからそろそろ一般病棟に移らないと。少しでもICUの空きを確保しないといけないでしょうし」
「まだ他に空きがあるから大丈夫よ。それに…移ってしまったら真選組の取り調べが始まるわ。今日もICUの入り口で見張っててね。入退室の人員やら備品を確認しているのよ。ゴミまで調べるんだもの呆れちゃうわ」

昨日ICUの室内に入って来た人だろうか。内野さん曰く昨日の人は必ず居て、交代やらで他に二、三人が入れ替わるらしい。婦長は変わらず前を通る時に中指立てて敵意むき出しらしいけど。逮捕されないか心配だ。



「本当は止められてるんだけど…ちゃん。ここを辞めてから一体何をしてたの?真選組が事情を聞きにくるなんて只事じゃないわよ。あの夜…何があったの?」



あの夜、私は追われていた。気づいた時には寂れた埠頭に居たけれど、どうして私がそこに居たのか誰に追われているかもわからなかった。私は…大江戸病院を辞めてから…辞めてから…一体何をしていたのか思い出せない。記憶がない。

「…わからない」
「えっ?」
「思い出せないんです」
「嘘。私の事は忘れてなんてないでしょ!?」
「内野さんは覚えてますよ。そこからの記憶が無いんです。私がここを離れてからどれくらい経ちましたか」

一年くらい、と躊躇いながら内野さんは言った。その間に私は何をしていたのだろうか。思い出せない。義理の父に呼ばれて…もう医者になる道を絶たれて…それから…それから。一体何があったのだろう。昨日の夜の出来事…誰かに追われていた。しかも銃口を向けられて殺されようとしていた。殺されるような出来事、一体何をしたのだろう。

“どうして裏切ったんスか!?”

女の声が響いた。どうして?何を裏切ったと言うのだろう。私は。わからない。“思い出しちゃ…駄目”と、脳内で誰かの声が聞こえたような気がする。途端に、酷い頭痛が襲って来た。思い出せ…駄目。思い出しちゃ…駄目。誰かの声。


「嫌っ!痛い!痛い待って!思い…出せない」
ちゃん!?落ち着いて!!」


酷い頭痛だった。ガンガンと脳内で脈が打つ。声はもう聞こえなくなったけど、痛みが酷い。痛みに耐えかねて両手で頭を抱えた。異常事態を感じ取ったのか内野さんは緊急のボタンを押したようだ。すぐにジャック先生が飛び込んでくる。脈拍も乱れており、室内には異常に早い機械音が響いていた。点滴に鎮静剤を投与されてすぐに私は落ち着きを取り戻した。投薬もあってか二人とも席を外さずに私の容態を観察している。
私はいつの間にかうたた寝をしていたようで、はっきりと目覚めた時には時計の針が少し進んでいた。傍を見ると「落ち着いた?」内野さんが微笑んだ。


「ごめんね。下手な事言ってしまって」
君、症状を聞いたんだが君には短略的な記憶障害が生じている疑いがある」
「記憶…障害?」


そうだ、とジャック先生は優しく説明してくれた。頭を強く打ったり精神的なショックを受けるなどした場合、一時的に記憶喪失の状態に陥ることがあるらしいのだ。私の場合、内野さんを始めとした大江戸病院の関係者の顔も名前も覚えているが、ある一定の期間の記憶が綺麗さっぱり抜け落ちているというものだ。確認のためとテレビに出てくる有名人の写真を見せられたり(結野アナだった)、簡単な算数のテストをしてみたり、童謡を歌ってみたりと基礎的な能力には一切障害がみられなかった。


「何らかの衝撃でこうなったのだろう。完全に忘れたわけではないよ。ふとした瞬間に思い出すこともあるからその点は安心するといい。長期的な治療になるだろうが我々がサポートするから!」
「ご迷惑おかけします」
「嫌だわ迷惑なんて!ちゃんはゆっくり療養してくれたらいいんだから!」


私には特定の期間の記憶が抜け落ちているらしい。なるほど。それで私は何も覚えていなかったのだ。どれ位の期間の記憶が抜けているのかの確認の為の質問を受けていると、“大江戸病院を退職してから昨日まで”の大体一年弱であることが判明した。その間に私に何があったのだろうか。今となっては思い出す手がかりすらない。いや、もしかしたら…。僅かな取っ掛かりを信じて口を開いた。


「先生、内野さん。今日も真選組の方はいらっしゃいますか?」
「居るけどどうしたの」
「会ってみたいです。私の忘れた何かについてご存知かもしれないし。そもそも彼らの用件を聞いていませんので」
「それは…一般病棟への移動になるぞ。簡単にこちらには戻ってこれない」
「構いません。ほら!もう動けますから」


二人とも思うところは色々あるようだが、私の意思を尊重してくれた。今日は部屋の準備が整っていないようで私の一般病棟への移動は明日になるらしい。移動は真選組の方々にも伝えられた。真選組隊士側から移動後の面会が打診されてそれを受け入れる。移動先はありがたい事に個室であるが、捜査の秘匿性を守る為に医者並びに看護師の同室は認められなかった。しかし先のパニック症状の事もあり、二人は別室にて待機し緊急時は処置に当たることが取り決められたという。



*****



人目のつかないように早朝に病室移動は執り行われた。私に荷物はほとんど無く、そう満足には動けないので車椅子に乗せられて内野さんが後ろから押してくれた。「ここよ」と扉を開くと、そう広くは無いものの立派な部屋だった。全体的に白を基調とした色合いだが小物は木目調で重厚感がある。車椅子からベットに移ると「早いからもう少し寝て良いわよ」と声をかけられた。お言葉に甘えて少し休もう。横たわってすぐに私は夢の世界に旅立った。

これが夢だと認識したのは、やはり死んだ人間が向こうにいるからだろうか。父も母も妹達も。私は広く暗い空間に立っている。まるで最新式4Dの映画みたいに前後から突風が吹き荒み髪を揺らす。酷く現実的な感覚だ。だが現実では黒く短くなっていたはずだが、夢の中では変わらず薄い色で長かった。現世を去った彼らが前から後ろに流れていく。「」と誰かが私の名を呼ぶ。後ろを振り返ると見知らぬ男の子の姿。「貴方は誰?」今日は話しかけるまで出来るらしい。少年は答えてはくれずにニコリと笑うに止まった。「もうすぐ始まるよ」と少年。「何が」尋ねると、心底楽しそうな表情で「逃げなよ、あの夜が始まっちゃうよ」私にそう告げた。確かに前だった方向から伸びる人影。急いで振り返る。フード付きのマントを被った人を中央に取り囲む浪士の姿。覚えてる。これは、あの夜の。“どうして…どうして裏切ったんスか!?信じてたのに。アンタだけは信じてたのに!!どうして!”酷く怒りに満ちた…悲しい声だ。フードを被ったままその人物が手にした拳銃の銃口を向けている。逃げなければ!そう思った瞬間には銃口は火を噴き、肩に酷い痛みが走った。


「!?」


肩を刺すような痛みに私は瞼を開いた。迎えたのは白い天井。全ては夢…だったけど悲鳴を上げそうな痛みは現実のものだ。夢と現実が変にリンクしている、主に痛み。夢の中の台詞がずっと脳内を巡っている。裏切った…何を?刀を持った浪士がいる組織を?記憶が無い。
夢見は最悪だったが、丁度起床時間が近づいてきていたのか過ぎていたかのようで、呼吸が落ち着いた頃に内野さんが病室に顔をのぞかせた。私の顔色を見て飛び込んで来た彼女は「大丈夫!?」と声をかけてくれた。私も隠す事もなしに正直に嫌な夢を見たことを告げた。疲れているのねと真選組との面談の延期も考えてくれたが、それは断っておく。私に何があったのか早く知ってしまいたかった。

昼過ぎになってその時はやって来た。真選組との面談の時間だ。窓を覆う白いカーテンはピタリと閉じられて外から見える事も外を覗く事もない。「大丈夫よ」と内野さんが手を握ってくれた。傍にはジャック先生も控えている。―コンコン と扉を叩く音がする。「どうぞ」と応じると少し乱暴に扉が横に開いた。

「失礼するぞ」

開いた戸口には真選組の隊服を来た男。前に私の部屋にやって来た人と同一人物の姿。男は躊躇いもなく入室すると私の前までやって来た。白と黒が混ざり合った瞬間。鋭い視線が私を捉えて離さない。ジッと見つめ返しているといつの間にか手が震えていた。


「此度の入院お見舞い申し上げる。俺は真選組副長の土方十四郎…っても既にご存知だと思うがな。お前は本人で違いないか」
「ハイ。間違いありません」


その言葉を聞いて男がニヤリと口元を歪める。「事情聴取だ。他の者はお引き取り願おう」瞳孔の開いた瞳は相変わらず鋭い。勝手に扉が開いたかと思うと、外にも真選組の隊士がいるようで病院関係者の退室を促す。名残惜しそうにこちらを見ながらもジャック先生と内野さんはベットから離れていく。「私、ちゃんの味方だから!」彼女が言い残して扉は閉じられた。部屋には私とその人の二人だけだった。「まさかんなとこで会うたァな…」一人言のような小さな声。傍観しているような視線。それすらも、私が忘れてしまったものだろうか。今一度、視線が鋭くなった。


。お前には攘夷組織鬼兵隊と共謀した容疑がかかっている」


その人の言っている言葉の意味がわからなかった。


残っていたのは空っぽの記憶だけ。
20170910*星宮はちこ   裏語