レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 四十八話、綺麗にするのは自分の心】
それから何も言わずに沖田さんは部屋を後にした。何でも市内の巡察業務があり、屯所から離れるらしいのだ。彼と入れ替わりに人が訪れる。土方さんが呼んだのであろう、「失礼致します」と現れた人は、ぴっちりと皴一つない隊服を着ていて真面目そうな印象を受けた。頭全体を刈り上げて残った上部をオールバックにしている、何より額の黒子が特徴的だった。
「清蔵。さっきの話にもあった通り、今日から
を屯所で保護することになっている。炊事は任せられねぇが掃除くらいは出来るだろ。基本は総悟が面倒をみることになってる。奴がいない時はお前の下で頼んだぞ」
「承知しました。初めてまして
さん。私は隈無清蔵(くまなくせいぞう)と申します。今は特定の部隊に所属していませんが、主に屯所内の清掃並びに衛生活動に従事しています」
要は清掃要員ということだろう。私は綺麗好きだ。土方さん曰く、予算の都合上屯所内で何かしらの業務を行なってもらいたい。特に清掃業務に従事してもらいとのこと。私も、何もない一日を過ごすよりも何かしらの仕事をしていた方が好きなので喜んで頷いた。
沖田さんには外周沿いに、大雑把に屯所の位置を教えて頂いていたのだが、建屋内の詳細は清蔵さん(隈無さんとお呼びしたら下の名前で良いですよと言われた)が案内して下さるそうだ。清潔の維持は、毎日の清掃業務の賜物なんだそう。廊下を歩きながら、日々のお仕事のことやら真選組について色々と教えてくれた。ちなみに彼の野望は男性ばかりで清潔状態が長く続かない厠に革命を起こす事らしい。すごい。
もう一つの話題は、少し前に局長の近藤さんが某星の王女様と婚姻を交わしたとか、披露宴をぶっ潰したとか、何だか目が回りそうな話題だった。とびきりの逆タマなのに…まあ、人間色々あるものだ。私も、他人の事をどうこう言える立場ではないだろう。殆ど覚えていないけど。あれこれ考えるうちに言葉を濁したら清蔵さんは「いや、あれは仕方がありません」ときっぱり言った。仕方がありませんって何だ。一体どういうことだろう?しかし深くも聞けないので、そうですかと言うに止まる。
そして、本当は披露宴に届くはずだった船便の果物が、上の手違いで最近になって屯所に届いたらしい。何ヶ月のタイムラグ?話の筋を考えてみても半年以上ズレているが突っ込まないでおこう。おかげで最近はずっと、食事のデザートに生のバナナがわんさか出てきてみんな半ば飽きているという愚痴になる。確かに、美味しいけれど毎日毎日大量に出てくれば、たまには別のものも食べてみたいだろう。
「こちらが主に隊士が使用する真選組の厠です。毎朝、私を含め数人の隊士で交代し清掃を行います。しかし昼過ぎには汚れが目立ってきますので、私が有志で清掃しています」
人がいないのを確認して私も入ると…確かに汚れ(使用感)が目立っているようだ。襷を取り出して袖を縛る。用具入れから清掃道具を取り出して主に便器周辺の清掃に取り掛かる。ここは多くの隊士が利用するので個室や小便器がいくつも並んでいるけれど、分担すれば時間はそうかからなさそうだ。ーガラガラと、引き戸を開く音がして振り返る「うわ!」目があった途端に隊士の方が驚いていた。あ、ここ男性用だった。もちろん私はお掃除でいるのだけれど。清蔵さんに断りを入れて一先ず外で待機だ。入り口の外にいた隊士にはすれ違いざまに「どうぞ」と頭を下げておく。することがないのでそのまま空を見上げると青い空に白い雲。風が通って気持ちいい。隊士が出てきたので再び清掃に合流…するも、手慣れた様子で清蔵さんが終わらせていた。
次は広い庭の掃き掃除。こちらも隊士の分担制らしい。外から見えて、かつお客さんも通る玄関口は最も綺麗にしておきたいポイントらしいが、あいにく私は存在を秘匿されているので表側には回れない。そちらは別の隊士に任せて、清蔵さんと建屋の奥側…つまり隊士の居住区間の清掃にあたる。竹ぼうきで庭の落ち葉を払い(季節柄少ないけれど)、玉砂利から覗く雑草を抜く。日焼け防止にと頂いた麦わら帽子をかぶり、手ぬぐいを首輪の下に巻いて、軍手が薄手で動かしやすくてありがたい。私は時間がたつのも忘れて、一心不乱に庭の草と戦った。
「
さん」
呼ばれてようやく顔をあげた。清蔵さんが縁側に立っている。抜いた雑草を積んだ手箕(てみ)ごと抱えて縁側に寄る。時折風は通るけれどポカポカと暖かい陽気に私の額には汗が滲んでいた。荷物を置いて手ぬぐいで汗を拭った。「どうぞ」と、冷えた麦茶を差し出される。
「わぁ!ありがとうございます!」
「日差しがありますから水分補給を忘れずに。もうすぐ昼餉になります。今日はここまでとしましょう」
承知しました、と声をかけると冷えたグラスに口をつける。冷えた麦茶が喉を通る。「美味しい」意識せずに声が出ていた。作業がひと段落した時の麦茶ってこんなに美味しいんだ。縁側に腰掛けた私の隣に清蔵さんも座り込んだ。
「こうして毎日毎日、屯所を清掃していても我々が生活している限り、汚れは発生します。大切なのは皆の意識と日々の努力。身近な所から少しづつ綺麗にしていけば、美しい状態は維持できる。それは江戸の町も同じことです」
考え方はどちらも変わらないと清蔵さんは言う。今は特定の部隊に所属していないけれど、いずれ配属されたら清掃活動の意識向上(改革=清蔵さんの野望)に努めたいとのこと。「応援してます」二人で笑いあっていると、突如、清蔵さんが前にばたりと倒れた。違う。後ろから出された足が清蔵さんの後頭部に直撃してそのまま踏んづけている。顔をあげると、巡察から戻られたのだろうか沖田さんがいた。
「メス猫、いい子でお留守番してたんだろ?飯だぜィ。来い」
彼の言葉に耳が反応する。「はいご主人様」刷り込まれた反射行為とも思える反応。後頭部をさすりながら半身を起こす清蔵さんに断りを入れて、沖田さんの後を追った。
真選組屯所は多くの隊士が共同生活をしている為、食堂が備え付けられていた。食事の準備をするのも、もちろん隊士の当番制になっている。巡察がてら外で済ます人も多いらしい。それでも昼餉時には多くの隊士で賑わうとのこと。少し早い時間だったからか食堂内にはそう人がいなかった。先にトレーを持ち列に並ぶ沖田さんに倣い、私も積み上げられたトレーに手を伸ばす。後ろからちょくちょくと隊士が増えてくるので、列を詰める意味で彼の後ろに身を寄せる。掲げられたメニューを見ると、メインの定食(おかず)は肉と魚の二種類の日替わりで、他にはそば・うどん・ラーメンにカレー、他にはデザートが選べる。そのラインナップは目移りするほどだ。何食べよう。
沖田さんは何も言わずに肉の定食(今日はメンチカツ)を取る。厨房側にいた隊士がすかさずトレーにバナナ(生・一本)を乗せた。え?何でバナナ? そう思っている間にも、定食のおかずを通り過ぎそうになるので慌てて魚の定食(白身魚の野菜あんかけ)を取る。他にはご飯に味噌汁に小鉢が一つ。と、私のトレーにもバナナが置かれる。
「?」
え、だから何これ。黄色い果実を凝視していると、配膳当番らしい山崎さん(マスクをしているので声をかけられるまで気づかなかった)が私に教えてくれた。バナナの消費のために、しばらくは全デザートを廃止してバナナの強制消費活動をしているらしい。そう言えば、清蔵さんが、食事に出てくる生のバナナに飽きているという話をしていたはずだ。強制消費とのことで、食べる気がなくても勝手にトレーに乗せられ、かつデザート代も給料から天引きされるらしい。それは不満が出るだろう。…。
「(私の生活費…どこから捻出されるんだろう?)」
真選組は公務員だ。よって予算は江戸幕府から与えられる。そして江戸幕府のお金は江戸市民の税金によって成り立っているのは言うまでもない。つまり私の屯所での生活費=税金ってこと?それはそれでどうなんだろう。私は真選組でもなければ公務員でもない。後で、土方さんに確認しよう。
沖田さんは先に席に座っていた。丸イスと簡易的なテーブルが並んだ食堂の一角。近づくと「お前はこっち」床を指差す。私には直座りしろと言っているようだ。姿勢を正してみても頭がテーブルに届くか届かないかの高さだろう。ご主人の命令だ仕方がない…と、角に座った沖田さんの真横に座り込んだ。トレーは床に。まばらな真選組隊士の好奇目が全て私に注がれているのがわかる。
「言っとくけどお前メス猫だからな。人間様とは次元が違うんでさァ」
「はい。ご主人様…?」
下りてきた彼の手が優しく私の頭を撫でた。どうしてだろう…心が安心する。諸々の違和感が薄れていく。彼の手を受け入れた私はあまりの心地よさに瞼を閉じた。「土方だったら箸なんて使わせて貰えねーでずぜィ。俺は優しいだろ」と言葉をかけられて「ありがとうございますご主人様」自然と答えてた。目を閉じていた私には、混み始めた食堂の視線や関心が殆ど私に向けられている事はわからない。
「そうだ。お前バナナ食う?俺もう飽きたから。生のバナナ見たら吐き気がするんでねィ。ほら、手使わずに食ってみろよ」
剥かれたバナナの生身が私の前に差し出される。先を口に含むと途端に力が込められて喉まで達する。奥を突くバナナに思わず咽せ返りそうになった。「そらもっと奥まで咥え込め」と命じられるまま私もどうにか食べようとするが、喉が苦しくて歯を立てられそうにない。苦しくて目に涙が滲む。もう無理、と顔を振ると「いい顔だ」満足したらしくずるりと太いそれが抜かれた。口内を満たした黄色いバナナは私の涎に塗れてイヤらしく糸を引いていた。気道が空けば喉奥を満たす気持ち悪さから思いっきりえずいていた。
「先からゆっくり口に含むんでさァ」
言われるがまま差し出した舌の上に先端を乗せるとバナナをぱっくりと口に含む。こっち見ろとの命令に、私はバナナを咥えながら丸イスに座る沖田さんの目を見上げる。口に入るだけに歯を立てると芳醇な甘い香りを放ちながら果実が口に移る。甘いネチネチとした柔らかい食感。「美味い?」と素っ気なく聞かれて、「美味しいです」と控え目に答える。ごくんと飲み込むと残りが差し出された。そのまま両手をついてバナナを頬張る。長いバナナもあと僅か。
「俺のバナナどう」
「ご主人様のバナナが一番美味しいです」
食堂中のむさい男が興味津々あるいは鼻血を垂らしながらこちらをジッと見ている。けれど、私は差し出されたバナナと沖田さんを見上げているからそんなのは知らない。最後は一思いに食べようか、口を開いて残りを食べようとした時だった、人垣を割って誰かが入ってくるのが横目で見えた。
「飯時に何の騒ぎだ」
この声は土方さんだ。再びバナナを咥えた所で視線を向けたらバッチリ目が合った。途端に彼がギョッとした表情に変わった。彼が手にしたトレーが僅かにふるえている。
「…お前等食堂で何してんの?」
「これはこれは土方さん。猫に餌やってんでさァ」
「ごしゅしんさまの…バナナをたべてます」
大きめの欠片を頬張った私は、お行儀が悪いが食べながらそう答える。「おら食ってる時に声出すんじゃねィ」言われてモグモグと口元に意識を集中させる。これ以上の怒号は無駄だと悟ったのか彼は虚無を宿した顔から瞬きを繰り返すと、何も言わずに沖田さんの斜め前を陣取る。手にしたトレーを机に置くと、次は床に置いた私のトレーを机の上に置いた。要は沖田さんの前、土方さんの隣である。
「来い」
と、空いた席を指差されて困惑した。恐る恐る沖田さんを覗き見るとバナナの皮をトレーの隅に乗せながら「好きにしな」と肩を竦める。仕方がないので私もその位置に座った。止まっていた食堂内の時間が動き始めたみたいに皆がそそくさと食事を始める。だが、私達の行動やら発言が気になるのだろう、周囲の関心が私達から削がれる事はない。
「総悟。お前次に変な事したら職権乱用で切腹だからな。慎め」
「俺は何も悪いことなんざしてやせんぜィ。ついでに俺等はwin-winの関係なんで」
「どこがだ!?おい
。お前もこいつに良いように遊ばれてんの良い加減気づけ。被害被んの俺だからな。食堂ではちゃんと椅子を使え!何なら俺が面倒みるか」
「その…厠を使用できるなら考えてなくもありません」
そう言うと土方さんは先の沖田さんの話を蒸し返すのだ。後は二人で喧嘩になるのもお決まりだ。食堂内を一通り追いかけっこする彼ら。慣れっこなのだろう他の隊士は自らの食事を守りながらするりと避ける。手がつけられていない食事が乗ったトレーが私の前と隣に置かれたまま。彼らはまだまだ追いかけっこ途中。少しして沖田さんが帰ってきて、土方さんが続いた。二人とも頬が泥で汚れていたけれど。あんな感じだけど、基本的に仲良しなのかもしれない。
「「「いただきます」」」
三人が揃った所で誰ともなく手を合わせた。沖田さんはソースをメンチカツの上にかける。「ほらよ」とソースの容器を差し出されて受け取った。「土方さんどうぞ?」隣を見ると彼は懐から(?)マヨネーズを取り出しているではないか。メンチカツにマヨネーズ?などと思っていると、グルリと一周に止まらず三周四周と白いとぐろを巻いている。
「…」
何だろうこれは。茶色のメンチカツは白いグルグルで塗り固められて面影すらない。ナニコレ。ホワイトソースでもかかってるの?私の視線に気づいたのか「使うか」とマヨネーズの容器を差し出される。「
。隣を見てると食欲が無くなるぜィ」もうバッチリ見ちゃってるんですが。お気遣いなく…と土方さんに断りを入れる。そもそも私のメニューはメンチカツではなく白身魚の野菜あんかけ!ソースもマヨネーズも不要だ!
「んだよ。マヨネーズは嫌いか?」
「嫌いじゃないですよ。規定量ぐらいで十分なだけで」
極力隣(の料理)は見ないようにしておこう。しかし食べ方は人それぞれながら真選組の料理は美味しいの一言。メニューやカロリーも計算されているのだろう。美味しい食事を頂けるのはありがたい。食事をしながら先の疑問、私の生活費について土方さんに尋ねてみた。あ、途端に白い物体が視界に訴えかけてくる…けれどそれらは無視して視線を上げ続ける。
「一々気にする事じゃねぇよ。まあ、
の存在は上(とっつあん)にも秘匿してんだ。面倒は俺が見るっつったからな。欲しいもんがあったら俺に言え」
「そんな!」
「あー副長。俺ァ新しいセガのソフトで。ついでに副長の座も」
「お前には聞いてねぇ!ってか何だ“ついで”って!!」
また二人のやりとりが始まる。一方の私はそのまま箸が進まないでいた。沖田さんとやりとりしながらマヨネーズメンチカツの一つ(二つ乗っている)を平らげた土方さんに「冷めちまうから食え」と促されて白身魚に手をつける。とっくに冷めてるけど美味しい。早々に昼餉を食べ終えた沖田さんは「後で俺の部屋に寄れ」言うとそのまま席を立つ。待って私まだまだ食べ終わってない。
「いい。俺が見ておくからゆっくり食えよ」
隣の副長がそう言うのだからいいのだろうか。トレーを持って食器返却場所に向かうはずの沖田さんが私の隣まで来ると徐に頭を撫で始めた。
「オイ真選組全隊士に次ぐ。このメス猫は俺のペットだから。オモチャに手ぇ出したら斬るどころじゃあ済まさねぇですぜィ」
「…」
言葉の意味がわからずに私は目をパチクリとさせていた。そして隣の土方さんまで言葉を失っている状態だ。食堂全体の動揺を感じ取ったのか「フン」と悪どく笑った沖田さんは食器を置いてその場を後にした。誰も寝てはならぬ…ならぬ、誰も動けぬ状態だ。
「今の何なんですかね」
「もう知らねぇ」
しばらくして二人でそう言い合った。その頃には食堂中がさっきの彼の言葉について考察を繰り広げている。「沖田さんが奴隷化しやがった!?」「いやあれはいつものお遊戯だろ?」「しかし首輪が…」「何て羨ましい!!」「見たかさっきのバナナ!」「もう俺駄目だわ」「夜まで待てねぇ」騒然とする食堂内で私は自分のデザートであるバナナに手を伸ばした。正直、最初に沖田さんの分を食べて、昼餉も食べて満腹だけど残すなんて勿体無い。皮を剥いて頬張ると、周囲の隊士からマジマジと期待に満ちた視線を浴びているではないか。え?何?
「お前…天然か?」
「違いますけど。ってかこの視線、何?」
バナナを食べる度にむさ苦しい視線と「おぉ」と声が追って来る。ついでに隣からため息が聞こえる。「おいお前ら!飯を食ったら、とっとと持ち場に戻れ!!」彼が睨みながら牽制すれば食事を終えたであろう隊士が名残惜しそうに散っていく。
「
。お前バナナ好きか?」
「好きですよ」
「俺の分も食え。最近は見ると吐き気がするんでな」
と、トレーに本日三本目のバナナが置かれた。だからもう満腹!そう訴えかけても土方さんは聞く耳も持たずに食器を片付けた。まるでゴリラかチンパンジーにでもなった気分。食前食後にバナナを三本も食べるなんて!満腹の所、死に物狂い(という言葉がぴったりだろう)でバナナを押し込む。食べ終わったのを見計らって食器は土方さんが片付けてくれた。嬉しいけれど何だかうれしくない。もうしばらくバナナを見たくない。「ちと一服するぞ」とさっきマヨネーズを取り出した所から次は巻き煙草を取り出した。立ち込めた煙と香り私の意識がどこか遠くを辿る。
“オイ…茶持ってこい”
誰かの声が重なる。
「オイ。どうした?」
被さった土方さんの声に私の意識が戻ってきた。「いえ何も」私は軽い痛みに頭を抱えた。
バナナで遊んですみませんでした。(良い子は真似しないで)
20200711*星宮はちこ 裏語