レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 五十話、感じたのは優しい甘さ】


やがて夜の帳が落ちてくると、仕事がひと段落したのだろうか食堂に最初の隊士が姿を見せた。
今日のメニューはカレーライス。カウンター越しに大盛りやらルー多めなどの注文を受けて、ご飯担当・ルー担当の隊士が流れ作業で皿に盛っていく。最後にデザートとして生のバナナ…ではなく生クリームを添えた例のパウンドケーキの小皿を乗せた。並んだ隊士が見せる驚きの表情に思わず頬が緩む。これからどんどん人が増えてくるので、本格的に手伝いに入っていては抜けるタイミングが難しいらしく、山崎さんには「そろそろ…」と部屋に戻るように促された。残念。


「おい山崎。俺にもその皿寄越せ」


唐突に山崎さんを呼ぶ声がして…上げた彼の表情が曇った。

「ゲ!?沖田隊長?」

え、沖田さんがもう戻られた?山崎さんの予測からしても二時間も早い。厨房の奥からカウンター側を覗き込むと、向こうには確かに沖田さんがいるではないか。思わず近くにあったアルミ鍋(中は空)を持って顔を隠す。いや、もはやバレバレなんだけど。気持ち程度の擬態だ。


「どうした山崎。俺の顔に何かついてるの?」
「いえ何にも付いていないですヒィィ!」
「ほーう。んで、このデザートは何でィ」
「いやこれは生のバナナに飽きただろうということで試行錯誤した結果の…」
「御託並べても仕方がないや。これ…誰が作った?」


カウンターの向こう側。食堂で既にご飯を食べている隊士が緊張の面持ちで此方を見ている。薄ら笑いの…しかし目は決して笑っていない問い詰めに、山崎さんがしどろもどろになっている。「私です」奥から割烹着姿のまま厨房内に出た私は通る声でそう言った。鍋は手に持ったままだ。

「メス猫。お前愛玩動物の分際で何してんの?」

これまた通る声が食堂に響く。口調も声も僅かに怒りを含んでいて、その場にいる隊士たちは皆口を閉ざしながらも視線だけはバッチリと私たちに向けている。「いえこれには深い理由が…ってないか。いやない訳じゃなくて…」山崎さんは手を振りながら弁明しようとしてくれているけれど、沖田さんはまるで聞いてもいない。むしろ意識すら向けていない。


「ご主人様、私は山崎さんに夕餉のお手伝いを頼まれまして…。生のバナナに飽きていたのでこう言った趣向を凝らしてみました」
「フン…そーかぃ。ちょっと面貸せ。んな格好する位なら裸にエプロンで奉仕させても文句は言わせねえでさァ。お仕置きの時間だ。山崎、てめぇは後だ」
「沖田さん!さんだけはご勘弁を!!彼女は俺が誘ったんで!!」


その件も後で清算させると言うと彼は夕餉が乗ったトレーを持ったまま背を向ける。出入り口まで歩いたところで「来い」と命令される。周囲は生唾を飲んで全てを見つめている。割烹着姿のまま、厨房にいる隊士に声をかけると私は見えなくなった背中を追った。扉が閉まった途端に食堂内が“特権乱用ォォォォ”とか“お仕置きって何だァア!!”とか騒音に包まれているのを耳が拾ったけれど、それらを気にしている余裕はない。
スタスタと前を進む沖田さんはどうやら部屋に向かっているようだ。やがて私の部屋にたどり着くと障子扉を開き中に消えた。それに続き私も自室に入る。障子のすぐ近くの床に置かれたトレーが目に留まった。視線を上げると、此方に体を向けた沖田さんと対峙する。彼は俯いたままで表情は読み取れない。今までに見たことない雰囲気を纏った沖田さんに私は息を飲んだ。


「ここで下手に動くんじゃねぇ。俺ら真選組は同じ志を持った野郎の集まりなのは否定しねェ。俺に近藤さん、土方さんに山崎、清蔵、その他隊長格なら大丈夫だと思うが、最近入隊した隊士も多い。その中に、お前を殺しに来た間者が紛れ込んでいる可能性だってある。隊士をあまり信用しすぎると身の破滅に繋がること…覚えておいて損はねぇ」


確かにそうだ。今の私は誰が隊長かだってわからない。ここへやって来てまだ初日だ。周囲は名前を知らない人ばかり。声をかけて頂いた方々は皆優しく接してくれているけれども、その真意はわからないのだから。


「まあ散々雑魚共には釘を刺して置きやしたから。野郎共も下手に下心持って近づきはしねぇだろ。不自由被れば俺に言ってくだせィ 」
「ごめんなさい。お気遣い…ありがとうございます」


感極まって目頭が熱くなった。沖田さんは不器用だけれど、やっぱり優しい人だ。「面倒くせェ」そのまま彼は背を向けた。「今日の所、飯はこれ食え」と、指差したのは彼自身がここまで持ってきて、床に置いたトレー。上には夕餉のカレーが乗っている。徐に腰を曲げるとパウンドケーキを取り上げた。

「悪ィがこれは貰いやすぜィ」

振り向き様に見せた表情には年相応の可愛らしさと青年の逞しさが表れていた。「それだけじゃ足りませんから、ちゃんとご飯食べて下さいね」去りゆく背中に小言を述べる。
「メス猫の小言なんざお断りでさァ」そう言い切ってパウンドケーキを口に加えながら、彼は廊下の向こうに消えてしまった。素直でない子。今日の所は彼のお言葉に甘えて部屋で夕餉を頂いた。後に彼が持ってきた激安の殿堂で有名な某ディスカウントショップ製の、超ミニ丈コスプレメイド服を着ながら、まるで花魁道中ばりに隊士の食い入る視線を浴びて食器返却を行なったのは土方さんには内緒だ。


*****


夜も深まり真選組屯所での長い一日が終わりを迎えようとしていた。
初日ともなれば勝手が分からずに殆どを土方さんを始め沖田さんに清蔵さんと(近藤さんはお仕事で忙しいらしい)皆が手を妬いてくれた。そして、本日最大の課題が私の前にぶち当たろうとしている。

風呂。

屯所は男社会なのは言うまでもない。女子用厠こそ来客用に玄関近くにこじんまりと設置されているのだが女子風呂はなかった。ならばどうするかと土方さんが考えてくださった結果、隊士の方には時間を少し空けて頂いて男風呂(男性用しかないけれど)を使わせてもらえることになった。


「早くしやせィ」
「まだ服すら脱いでないんですけど」


閉じた磨りガラス戸の外にいる見張りは沖田さん。先ほど、人影が消えた脱衣所並びに大浴場をざっと見渡した彼は、徐に脱衣籠やら洗面台下の扉やらを開けた。そこには、いつ置かれていたのかもわからないカメラ、携帯、録音機器。それらを抱えると一斉に浴槽に沈めた。漏電し火花が散った光景はヒヤリとしたが「これで安全ですぜィ」と表情も変えずに彼はガラス戸の向こうに出て行ったのだ。ナニコレ。私スパイ映画でも見てるのだろうか。水底に揺らぐ電子機器はもう使い物にならないだろう。たとえ防水式だったとしても、先の漏電の影響はありそうだ。念のため空いた棚を見てみるも怪しいものはない。
向こう側に沖田さんのいる扉(脱衣所入口)の手前には竹製の大きな衝立が置かれているので、例えそのまま外から覗いても脱衣所内を見ることは叶わないだろう。ただ声だけが届く。こっそり衝立からガラス戸を覗けば、椅子にでも座っているのだろう。黒い隊服の背中だけが見えた。


「まだですかねィ。女ってのは風呂だ買い物だ長くて敵いやしねぇ」
「だからさっきから5分も経ってませんって」


やっと着物を脱いだ私は沖田さんの小言にそう答えてから浴場に続く引き戸を開いた。大所帯だけあってとても広い。シャンプーやリンス等の備品は各自私物を用い、各々管理しているらしいが私は持っていないので沖田さんのものをお借りした。髪が長かったら使用量が多くなるという問題があるだろうが、短い今ならそこまででもなさそうだ。明日は土方さんに身の回り備品を用意していただけるようお願いしよう。シャワーで体を流してから髪に体に顔にと全身を洗っていく。絞ったタオルで髪を纏めるとようやく浴槽に体を沈めた。

「はぁ…」

体を包む温もりと、気張っていた生活からの一時の解放に思わずため息が漏れてしまった。本当に…私は真選組屯所に来てしまったのだと実感してしまう。この生活がいつまで続くのか、忘れてしまった記憶とは、攘夷組織で行なっていた犯罪行為…と、考え出したらきりがない。水面からぼんやりと沸き立つ湯気を眺めながら思考は遠くへ。

思い出せ。

私が何をしていたのか。繰り返されるのは、あの埠頭で出会った攘夷組織の頭の言葉。“どうして…どうして裏切ったんスか!?信じてたのに。アンタだけは信じてたのに!!どうして!” 私はその攘夷組織に所属し、裏切った。次は土方さんの言葉。“最後の善意か…お前は奴らにとってミスを犯した。それが何かはわからねぇ” 私が一体何をしたのだろうか。わからない。

思い出しては、ダメ。

まるで記憶の入れ物に鍵がかかっているみたいだ。思い出そうとすればするほど遠ざかっていくような。私の身柄を受け入れてくれた真選組の皆さんには感謝してもしきれないだろう。でも、このままでもいけないことはわかっている。私は、私の行いを全て思い出した時に何を思うのだろうか。
“おぃ……、……なァ” “えぇ!!!?でも、……!?”
考え事をしている内に湯船に浸かったまま数分は経っただろうか。浴場の向こう、おそらく脱衣所よりも遠くから何やら人の声が響いてきた。それも何やら言い争っているようにも聞こえる。慌てて湯船から抜け出ると、ザッとタオルで体を拭い、そのまま体に巻きつけた。そして音を立てずに脱衣所にある衝立の側に身を寄せた。浴場にいる時よりもこえははっきりと響いてくる。ガラス戸の向こうに数人の隊士がいるようだ。


“頼みますよ沖田隊長ォ!もう俺、汗でドロドロで早く風呂入りたいんすよォ”
“脱衣所にビデオカメラの忘れ物したんでちょっとの間だけ入らせて下さい!”
“裸なんて見ないですって、いや、見たいっちゃ見たいですけど!”

「ウルセー。一歩でも踏み込んでみなァ。士道に背いたって事で切腹させてやんぞ。あ、それカメラ拾ったからな返すぜィ」

“って肝心なモン映ってねぇし!ってか動かねえし!!”
“どれどれ…って確かに!壊れてんじゃって、あ、沖田隊長…”

「オイ、何か言った?」
““すいやせんっしたァァァア!!””


脱衣所に時計が無いので今の時間はわからないけれど、思っていたより長い間占領してしまったようだ。他の隊士にここを譲らなければ!すぐに出よう。は備品を取りに浴場に戻った。カゴを抱えて振り返ると、浴場と脱衣所を仕切るガラスの引き戸に人影が映った。あれ?誰? ーガラガラ と、引き戸が開く。


「おーう。この時間に人がいないとは!!これもお妙さんが早く帰るように足蹴りで促してくれたのおかげだな!」


入ってきたのは全裸の近藤さんだった。あれ?入り口の沖田さんは?彼の見張りをすり抜けてきた?って全裸!


「「…」」


突然の展開に二人して固まった。全身の力が抜けて手にしていたカゴが手から滑り落ちる
カランカランと音を立てて容器が散らばったではないか。浴場に私の悲鳴が響いた。なんて他人事。だけど実際、意識しないまま悲鳴が出ていた。すぐに駆けつけてくれたのは入り口にいた沖田さん。近藤さんの姿を捉えた途端に「ありゃりゃ」と頭を抱えている。ついで隊士もぞろぞろと集まってきたのだが、それらは沖田さんの“入ってくんな”の一声で消えていく。少しして土方さんが刀を持って現れ、素っ裸の近藤さんを連れて出て行ったのだ。
そして今、私は土方さんのお部屋に呼ばれ、近藤さんは服を着て部屋の真ん中で正座させられている。


「ったく!真選組のトップたる近藤さんが覗きの現行犯ったァ止めてくれ!いやマジで。俺らの存在が危ぶまれるからな!!」
「悪かったってトシィ!!さんにも大変申し訳ないことをした!!稽古に励んでたら解放感が足りなくてな!つい脱いじゃってさー、汗だくなもんで!表に行列が出来てるから裏から入らせてもらったんだわ」
「まあまあ、責任とって土方さんが切腹すればいいじゃねーですかィ」
「何で俺ぇ!?」


私は近藤さんに向き合うと「此度は大変ご迷惑をおかけしました」そう言って頭を下げた。土方さんが上で何やら言っているけれど、気にしない。



さん頭を上げて下さい!いやもうね、君も素敵だとは思うけどね!俺の心を許した相手はお妙さんしかいないんだ!さんと違って絶壁なんだけど、菩薩のような心でゴリラを包んでくれるんだよ。だから決して下心があったわけじゃないんだ許してくれ!!」
「…許します」



と、私は即答した。煙草を咥えたままの土方が瞼を見開きこちらを凝視している。沖田さんまでもジッと視線を寄越しているのだ。「許しますから、その、さっきのことはなかった事に…全部忘れて下さい!!」私の懇願に近藤さんまでもが目を見開いた。

「ここで問題を起こせば私、何処にも居場所がなくなってしまう。だから…」

私が攘夷組織で何をしていたのかはわからない。途切れた記憶を取り戻す手がかりは今のところない。正直裸を見られたのは驚いたが別に減るものでもないし。それに最初沖田さんに言われたような夜伽の相手はなどを強いられない限りは、ここの男社会でもやっていけるはずだ。今ここを離れたら…私は何処に帰ればいいのだろう。犯罪行為に身を染めていた人間なんて…どこにもいけない。


「安心しやせェ。お前の居場所はここにありやすぜ。あの土方さんがあれこれ手ぇ回して留めたんだ心配はせんで下せィ」
「そうだぞさん!トシの根回しの早さは折り紙つきだが今回は特に、な。記憶が戻るまでここにいてくれ。それに我々の実力を侮ってはいけないよ!鬼兵隊だろうが何だろうが、いつ何処で命を狙ってこようが我らが君を守るから安心してくれ!」
「だそうだ。俺からも、近藤さんの変態行為はいつものことだから、あれくらいは無かった事にしてくれ。頼む」


次は土方さんが頭を下げた。「頭を上げて下さい!」と彼に語り掛ければ、静かに上半身起き上がる。「これからお前の風呂時間は脱衣所裏口の見張りも必要だな」彼は胸元から煙草を取り出した。
が部屋に戻るとこれ以上はする事も特にない。時間もそこそこ遅かったので早めに就寝することにした。押入れの中から布団を一組敷く。「安心して寝ろよ」と、部屋まで様子を見にきた沖田さんの影が見えなくなって、灯りを消すと月明かりが障子越しに届いた。真選組屯所での長い生活の始まりだった。


みんな甘ちゃんです。不器用で優しくて頼りがいのある、良い人なんです。
20200810*星宮はちこ   裏語