レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 五十一話、目を惹いたのは器用さ】


真選組屯所での生活。最初は不自由ばかりが想像されたが、実際のところはそうでもなかったりする。 朝から夕方までは女中の紹介のままお手伝いに勤しむ。それらは必ず沖田さんやら土方さんがそばに居てくれて…彼らが巡察やらで屯所を離れる時は清蔵さんが一緒だった。誰かしらが見張りについている為か、攘夷組織に命を狙われていると言うのに日常生活に危機感は感じられなかった。顔を合わせた隊士の方々には挨拶を欠かせない。間接的にではあるが、幾日も顔を会わせていれば覚えるものだ。今すれ違ったのは四番隊の方々。
朝の掃除を終えて部屋に戻った私は針仕事へ。以前に土方さんや沖田さんの上着を直した縁で、お二人の隊服の修復もお仕事に加わったのだ。そして近藤さんにも頼まれ、噂が噂を呼び、殆どの隊服の針仕事を任されるようになった。しかし彼らの仕事っぷりを物語っているのか、袖の解れは日常茶飯事。時に破れなんかもあったり。あまりに傷んだものは買い換えるのだが、公務員らしく一定の予算内で行わなければならないので正直なところ手が回っていないらしい。全隊士分の針仕事ともなれば私の方も手が回らない。一日十数人分ずつ終わらせるのが精一杯だ。「悪ぃな。色々苦労かける」土方さんの声に顔を上げた。


「いえ、お仕事を任されていると思うとやり甲斐がありますから」


何もせずに毎日過ごすなんて性に合わない。小さな事でもお仕事を頂いて働けることが嬉しかった。人によって汚れや傷み方が違うから面白いなあ…と思ったのはここだけの話。土方さんのものは、洗濯後以外は煙草の匂いが染み付いているのでわかりやすい、とか。部屋に入り腰を下ろした彼。何だろうかと手が止まる。「いや続けろ」と言われたのでボタンを縫い留めて糸のしつけをする。

「器用なもんだな」
「最後まで気を抜かないのがポイントですよ。最後の留めが緩いと取れやすくなるので」

今日はあと三着。二着は取れかかったボタンの付け直しで、一着は裂けた脇下の処理。ボタンは要領良く進めて、裂けた部分には裏に当て布をして綴じる。コツさえつかめば何とかなる。後は間近でジッと見られない限りは。


「今までは個人で隊服を直しておられたのですか?」
「ああ。備品の管理と維持も隊士個人の仕事だからな」
「皆さんの修復の形跡があちらこちらに!」


上着を掲げてみた。ざっと見つけた修復の形跡を指で差してみる。これは大小様々だが、十箇所あったりする。「買い換えるか」考える素振りに「もう少し大丈夫ですよ」と答えておいた。今日の割り当て分を終えて道具を片付けようとした時に、隊士の方が上着を持ち込んだ。夕方までにお願い出来ないかということらしい。「おい。急ぎの分はてめーでやれ」鬼の副長が垣間見えたところで制止する。一着くらいどうって事ない旨を告げた。


「貸せ」


素っ気ない言葉と差し出された手に私は首を傾げた。私が預かった上着を寄越せとのことらしい。 彼の手にそっと乗せると、修復する箇所を広げて確認している。「ったく!どう言う動きしたらんなとこ破けんだ」言いながらも、裁縫道具箱から針と糸を取り出して器用に縫い直している。 その器用さは感嘆の言葉が出るくらいだった。土方さんはぶっきらぼうな態度とは裏腹に…とても手先が器用。彼の針仕事をしている指先に見とれていた。「痛っ!」と悲鳴に肩が揺れる。視線を上げると、右手に針を持ちながら左手を見つめる男。どうやら指を刺したらしい、人差し指の先にはぷっくりと血が浮かんでいる。そのまま彼は指先を口に含んだ。


「って!消毒しないと!」
「いるかよ。舐めときゃ治る」
「どんな小さい傷でも放っておいたら化膿するかもしれません。それに唾液の中には菌がたくさんいるんですよ。ちゃんと手当てを!」
「いや…んなことまでは」


歯切れの悪い土方さんに「それとも、私が舐めたらよかったですか」なんて言うと、盛大に体を揺らした。「痛!!」その拍子で右手に持っていた針を刺してしまったらしい。ごめんなさいと謝りながらも次こそ私は消毒を促した。廊下を進み連れてきてもらったのは事務所。彼の命令で、だろう整理整頓がなされていて、以前の乱雑ぶりとは打って変わって綺麗になっていた。「片付いてる!」なんて声が出てしまうほどの変貌ぶりだ。土方さん曰く、最近備品の紛失が多くなってきていたので、この機会に整理したとのこと。やはり小綺麗に整っている方が心も清々しいような気がする。どこに何があるのかわかりやすくなった棚の中から救急箱を取り出す。中を見てみると最小限の備品しか入っていないようだった。取り出した消毒液を吹きかけると絆創膏を巻いた。

“もう。…さん、猪突猛進も大概にして下さい。次は絆創膏の怪我では済みませんよ”

脳裏に声が響く。誰かに話しかけているような自分の声が。誰かの指に絆創膏を巻いている記憶。私の動きが止まったことに、前に座る土方さんの表情がピクリと反応する。「どうした」と声をかけられて遠のいていた意識が戻ってきた。「いえ何も」貧血のように頭がクラクラする。頭に手を当てながら、以前の記憶のほんの一部が浮かんだことを告げた。今と同じ、誰かに話しかけながら指に絆創膏を巻いているというもの。彼は顎に手を添えて意味深な表情でそれを聞いていた。忘れていた私の記憶の一部なのだろうが次には繋がりにくいワンシーンだ。記憶喪失以前の、単に忘れていただけのものかもしれない。「心配すんな。また思い出したらいつだって俺に言え」ありがとうございます、そう言って私は救急箱を閉じる。元あったように棚に戻しておいた。


「そういやお前、医者だったな」
「ええ。免状はいつも持ち歩いていたのですが、今はもう。調べて頂いたらわかると思います」


それから医者としての経歴を聞かれて正直に答えた。以前は小さな診療所を転々としていたこと、大江戸病院にも看護師として勤務していたことも。 その時は枠が無くて看護師としてだったけど。彼は静かに聞いてくれた。「もう一つ聞いていいか」何だろう。


「後ろの馬鹿に効く薬ってのはあるか?」


言われて後ろを振り返ると沖田さんが廊下に立っていた。おまけに人を殺せそうな黒い笑みを土方さんに向けながら…彼の後ろからどす黒いオーラが放たれているように見えるのは気のせいだろうか。


。前の馬鹿殺す薬ってのはありやすかィ」
「え?」

「明らか俺に馬鹿っつったな?」
「いやんなこと恐ろしくて言えやせんぜ土方の馬鹿」
「てめー喧嘩売ってんのか?ああ?」
「土方さんこそ拉致って何様なんですかねィ」


言い合いながら近付く二人。まさに取っ組み合いの喧嘩…にならんばかりの勢いだ。 間に入り胸の位置に手を添えて引き剥がす。「やめて下さい。お二人とも…仲良くして下さい、ね」盛大な舌打ちの後で互いが引き下がったのを感じた。 しかし次に何かあれば一触即発だろう、二人はまだ睨み合っているのだから。場の空気を変えなければ、と事務所にやって来た沖田さんにどうしてここにいるのかと話題を振った。


「あ、そーいやそうだ。厨房のガスの調子が良くないらしいんで。夕方には直りやすが、昼餉は近藤さん命令で近所のパン屋で出前を取ることになりやした」
「何がパンの出前だ。んなもん出前するまでもねぇ。普通中華料理か定食屋だろ」


また一触即発な雰囲気にヒヤヒヤしていると「コロッケパン」と真面目に返す土方さんの声がして、思わず凝視してしまうほどに驚いてしまった。「は?」聞かれて答えに悩む。パンは好きだけど…その…。答えるには懸念事項があった。


「何でも構いませんが。野菜が足りないので追加でサラダなどを検討されては?」
「炭水化物最高。こちとら女子じゃねーんで」
「男女なんて関係ありませんよ。ちゃんと野菜を摂らないと!」


言っても沖田さんは聞き入れてくれなさそうだ。まあ、一食ぐらい偏っても問題はないだろう。夕餉には食堂でちゃんとした料理が食べれるのだから。遠慮がちに「メロンパン」と答えると左右どちらからか「却下」と飛んできた。何だ却下って!「んなもん菓子だ。認められねぇ」と土方さん。更に声を小さくして「じゃあ…」と前置きを挟みつつ、サーモンかエビとアボカドが入ったサンドイッチを挙げた。サンドイッチなら間に野菜も入っているだろう。二人の目が泳いでいるようにも見えるのは気のせいだろうか。いそいそと寄った二人が壁を前に小声で話し込んでいるではないか。

「おい今アイツ何つった?」
「エビは聞こえやした」
「サー何とかモノと何とか、って何だ?」
「知りやせん」

あ、これ変なこと言ってしまったやつだろうか。ちなみにまだ秘密の会話が続いているようだ。

「要はあれだ。“サー”もんの何かとエビが入ったパンだな」
「間を取って“サー”もんとエビが入ったメロンパンで解決ですぜィ」
「んなメロンパンがあるのかよ」

所々単語が聞こえてくるけれど、何か色々と間違っている気がするのは気のせいではないだろう。このままでは得体の知れないパンが生まれそうだ…間違いない。壁際で話し込む二人に「やっぱりタマゴサンドで」と声をかけると意思疎通はできたらしい。「ああ、あれか」そう言って沖田さんは事務所から出て行った。昼を少し過ぎた頃に私の元に沖田さんが届けてくれたのは注文通りのシンプルなサンドイッチと、同じパン屋で購入しただろう小さなカップに入った野菜スティックのサラダ。 沖田さんは相変わらずパンだけのようだけど…。栄養バランスも何もない。仕方がない…私はカップの中から適当な野菜を摘むと男の口元に差し出す。彼がそれを静かに口に含むのを確認してから私は微笑んだ。

午後に入ると屯所内の人気が消えた…違う。屯所内で隊士の偏りが生じていた。諸事情により入れ替わりが早い真選組は定期的に隊士募集をかけており、午後からその採用試験が行われているらしい。
採用に当たり面接や実技試験が行われる場所には、殆どの隊士が手伝いに当てがわれていた。つまり外部の人間の出入りが増えて、かつ土方さん沖田さんを始めとした私の見張りがいなくなるのだ。人員には、特定の部隊に配置されていない清蔵さんですらかり出されているとのこと。採用試験が終わるまで、私は自室外へ出ることを禁止された。ピタリと閉じた障子から先は何も見えない。屯所奥にあるここには音も気配も届かない。麗らかな午後、ただ…私は喉が渇いて仕方がなかった。厠が入り口側にしかないから夜まで近づけないなと思い飲み物を控えていたのが影響したらしい。静かに障子を開いて外の気配を確認する。

「(誰もいない…わね)」

何にでもない日が何事もなく終わる可能性は高い。要は心配しすぎなのだ。勝手場に行きお茶を用意する…ただそれだけの為に私は部屋を抜け出した。人員が割かれているので居住区域には殆ど隊士がおらず、誰にも会わずにたどり着いた。もちろん厨房にも人気はない。水道から汲んだ水を沸かし、合間に茶っ葉を急須に入れる。沸騰するまではしばし休憩だ。

“オイ…茶、持ってこい”

以前にも聞こえた声が響いた。頭の中で血管がドクンドクンと脈打っている。ついでに全体が痛い。この声の主は、誰?

思い出せ。

私は過去にもお茶汲みをしていたのだろうか。この声の主に。そして昼前に思い出した記憶。誰かの指に絆創膏を巻いていた。…誰に?同じ人か別人か?
シュウシュウと沸き立つ湯気の音に私は意識を取り戻した。慌てて火を止めてお湯を急須に注ぐ。いつもは湯飲みに注ぐのに、動揺からか、今日は急須ごとお盆に乗せて廊下を歩いていた。部屋までまだ距離はある…濃い目になりそうだ。

普段は閉じているはずの部屋の障子が開いていた。通り過ぎ様にそっと視線が中に注ぐ。と、明るい色の物凄い大きなアフロヘアが目に留まる。え…っと、初めて見る方だ。その人を見ながら、私は知らない間に足が止まり動けないでいた。そして後ろからの視線に気づいたのか、その人はゆっくりとこちらを振り返る。

「「…」」

視線が交わったまま互いに何も言わない。時間が過ぎていく…が、先に時間が動き出したのは私の方だった。その場に座り込むとお盆を横に置く。手をついて頭を下げた。最初に紹介してもらった時に広間にこの人はいただろうか。いや、こんな目立つ髪型なら覚えているはずだ。記憶にないなら初見だろう。


「あの、初めまして。です」


しかしその人は何も言わないまま。口元まで布で覆われている姿は隠密感満載。山崎さん(監察方)の上司か?…いや目立ちすぎるような。もしや言葉が出ないとか?ならば仕方がないと、自己完結した。そのまま廊下に座ったまま簡単に自己紹介する…と言っても、怪しい人かもしれないので当たり障りのないことばかりだけど。こちらを見ながらその人はピタリとも動かない。「あの、それでは失礼します」体を起こして、盆を手に取ると部屋へと急いだ。 後で土方さんか沖田さんにその人の名前を聞いてみようと思う。


終兄さんすき。ひょろっとしてない、ちょっとムチッとした感じすき。
20200828*星宮はちこ   裏語