レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 五十四話、出会ったのは必然か】
真選組は幕府傘下の武装警察で、主な任務は不逞浪士の取り締まり。ともすれば、敵となる攘夷浪士達の攻撃対象であることは言うまでもない。加えて真選組隊士は局中法度の元で厳しく行動が律せられていた。此度の三番隊隊士の粛清は局中法度に反したが故のもの。ここ、真選組と言うものが仲間同士で和気藹々と過ごすものではないのだと…少しだけ思い知った。
「
。手が空いたらでいい、少し話がしたい」
土方さんに呼ばれて、広げた洗濯物を慌てて畳んだ。
「あの夜の事、屯所内でも噂になってるからな。お前の耳にも入ったか」
「ごめんなさい」
「それをどうこう言うつもりはねぇ。局中法度に背けば誰だろうと斬らなきゃならねぇ。それが俺ら真選組だ。覚えとけ」
「…はい。承知しております」
下げた視線が畳の目地を追う。土方さんの言葉は続く。記憶喪失だった私には、私を追う攘夷組織についてほとんど情報が与えられていなかった。それはそれで問題がある…という話になり、簡単に、かつ教えられる範囲で教えてもらえるとのこと。向き合った私たちの間に広がる空気がシンと静まり、張り詰めているようだ。
「お前を追う攘夷組織は“鬼兵隊”と言う。その総督であり、江戸で最も危険と恐れられる男が“高杉晋助”。幹部には人斬りと恐れられる“河上万斉”、紅い弾丸の異名を持つ“来島また子”、変態策略家の“武市変平太”がいる。覚えは…あるか?」
どの人の名前もピンとこない。私は顔を横に振った。顔を見ればわかるかもしれない…との事で私たちは資料室に向かった。廊下ですれ違った隊士がテレビドラマの話で盛り上がっている。タイトルは夏の…なんとからしい。うまく聞き取れなかったけど。
事務所よりも更に奥の鍵で厳重に閉じられた部屋。“資料室”と掲げられた部屋には、アナログな紙媒体の資料が棚に所狭しと並んでいた。そして独特な匂いがする。蛍光灯が点くと窓のない部屋が照らし出された。ここにあるのはほんの一部らしい。それも真選組管轄のものばかり。原本や他の組織管轄の事件・事故記録は警察庁にあるとのこと。ざっと見渡してみると、背表紙には〇〇事件報告書やら、攘夷組織××党検挙記録やらタイトルが書かれていた。取り出されたファイルは棚に並んだどのファイルよりも分厚く、中身が詰まっている。タイトルは“鬼兵隊捜査報告書”と書かれていて、極秘の赤文字。って、私が見てもいいのだろうか。少し怯んだ。表紙を開くと文字ばかりの書類が捲られていく。その間からハラリと抜け出たのは白黒の写真だろうか。人の輪郭が見える。ハガキ大の紙を拾い上げると私の前に置いた。
「…え?」
写真なのだろう、そう思っていたのに、現れたのは驚くようなタッチの絵だった。最早画伯とも呼べるくらいの下手さ。絵には片目をミイラのようにグルグル巻きにし、口から細長いものが飛び出した男が描かれている。ナニコレ。子供の落書き?え?これ重要資料なの?
「「…」」
二人して固まっていた。私はただ空っぽの心と眼差しで眺めているだけだけど、土方さんの方は次第に全身がカタカタと震えている。
「誰だァ!!!極秘資料を落書きにすり替えた奴ァアアア!!!」
怒り狂う土方さんを落ち着かせるにはどうすればいいだろう。「いや特徴だけは掴めますよ!」「大体のイメージはわかりますから」と必死に宥めた。他の資料には機密事項が記されたものも多いので、その部屋に私は長居できない。資料の複製も不可なので今一度記憶に留めておいた。心を落ち着かせるためだろうか、煙草を吸うからお前は先に部屋に戻ってろと言われたので資料室を出る。ここまで出てきたのだ、部屋に戻る前に屯所内で一箇所しかない女性用の厠に行こうと私は進行方向を変える。用事を済ませてお部屋に戻ろうとした時だった。
「あのぉーここで警察庁関係の手続きに使う印紙が買えるって聞いたんですけどォ」
お客様だろうか玄関口から人の声がする。いつもなら誰かしら玄関側にいるのに今日に限って誰もいないらしい。応じる声は響かない。
「おーい誰かいねーのか。ったくチンピラ警察が。税金ドロも大概にしろよ」なんて催促と不満の声。私が思うに、一般市民が何かしらの用事で訪ねてきたのだろう。しかし私がお客様の用件に応対できるとも限らない。声をかけるべきか…早めに誰かを呼びに行った方が早いか。「ったくだんまり決め込んでると泥棒に入られんぞ」ごそごそと物音がしたと思ったら廊下の先に人影が揺れた。もしかして勝手に上がり込んできたとでも言うのだろうか。その人が私の存在に気づいたようだ。
「おーいたいた受付嬢。ここで…」
歩きながら近づいてくるその男性の…気怠そうな目蓋が私の顔を見た途端に見開かれた。染めているのだろうか、その男は若いのに全体が白髪で美しく澄んだ紅い瞳をしていた。その姿を捉えた時に感じたのは胸を締め付けられるような、感覚。
「
…?」
その人は私の名前を呼んだ。聞き間違えるはずもない自分の名前を。全身が石になったみたいに動かない。「
!?嘘だろ、お前なのか!?」私を呼びながらその人がズカズカと音を立てて近づいてくる。腰には刀の様なものを差しているのが見えた。待って…この人…誰だっけ?
「どうしてお前がんなとこに!?」
「あの、私!」
記憶が無いのです、と言おうとした時だった。伸ばされていた手が止まった。違う。その男性の後ろに黒い影が重なり、首元には鈍く輝く白刃が添えられていたのだ。「動くな」強い声がした。男性の後ろに居るのは土方さんだった。白髪の男が一歩でも動いたなら…きっと首を刎ねられるだろう。どうか真選組屯所で流血沙汰など起こらないでほしい。
「おいおいおい。これは一体どーいうこった説明しやがれ」
「悪ぃが話すことはねえ。総悟、連れてけ」
肩に何かが触れて途端にビクリと跳ねたが、回された腕が沖田さんのものだとわかって安心した。「りょーかい。さ、行きやすぜ」彼の手が私を引き寄せる。待て、と制止の声が廊下に響いているけれど、引かれるまま廊下を通り過ぎて角を曲がれば、その人の姿は見えなくなってしまった。ただ私の名を呼ぶ叫び声だけはしばらく背中から離れなかった。
「沖田さん。その、あの方は?」
「あ?不法侵入者だろ。真選組屯所に土足で踏み込むたァ良い度胸してるな」
それ以上は何も聞くなと、彼の素っ気ない態度が伝えてくる。本当は沢山聞きたいことがあるのに。速足で進む沖田さんの後を追っていたらあっという間に自室にたどり着いた。たたみ掛けの洗濯物の山が迎えてくれる。あの男性のこと…何だか釈然としない。しばらく部屋から出ないようにと言われた後に、パタンと障子が閉じられる。
あの人。どこかで会ったような気がする。確かな記憶はないけれど、どこかで。白い姿に紅玉のような瞳、白と赤。しろとあか。あかとしろ。一体どこで会ったのだろう。真っ白な後ろ姿…飛び散る赤…。頭が痛い。ズキンズキンと脈拍と同時に痛む。動悸にも似た鼓動の高まりを鎮めて、
は深呼吸を繰り返した。
近藤さんが部屋を訪れたのはしばらくしてからだった。その頃には溜まっていた洗濯物の山を綺麗にたたみ終えて、手持ち無沙汰の余り自室の掃除を始めてしまっていたのだが。近藤さんによると土方さんも沖田さんも手が離せないらしい。「さっきは失礼した」と申し訳なさそうに頭を下げられて、こちらこそすみませんでしたと、その場に座り込み畳に頭を付ける。
「ちょっとドタバタして悪かった!君が会ったあの男は俗に言う“変態パーマ”だからな!感染しちゃうから!君が接触するのは良くないんだ!」
「へ…変態パーマ?感染?」
感染するパーマ?とは始めて聞いた。私はどこかで会ったような気がした旨を伝えても、近藤さんは気のせいだと言い張っている。本当に気のせい?わからないけれど。その場を言いくるめられて私は日常に戻った。
*****
謎の男に出会ってから、土方さんと沖田さんの二人が側を離れることが多くなり私はあまり部屋から出れなくなった。庭で洗濯物を干している合間に清蔵さんと話す少しの時間だけが“外”の世界を知ることができる。
「お二人は忙しいのですね」
「ええ。私が申し上げられるのは僅かですが」
「あの、清蔵さんは以前屯所にいらっしゃった白髪の男性をご存知ですか?」
「白髪の?ああ、副長が色々と気を揉んでいる件ですか。申し訳ありませんが詳細については私は知りません。他の隊士も同じかと」
清蔵さんもその人について知らないらしい。ならば真選組内でもその男性を知っているのは局長に副長、一番隊隊長の沖田さん…ぐらいなのだろうか。上で止められた情報。きっと何かがある。私が深く考え込んでいると洗濯物を干している庭に、清蔵さんが教育している新入隊士が数名顔を出し、指示を仰ぐ為だろうか一列に並んでいた。彼らの姿を見てみると新人さんらしく真新しい隊服を纏っていた。次は廊下の清掃を命じられて隊士が散っていく。
洗濯物を干し終わって籠を返しに行く最中、どこからか「…聞いたか?」と噂話が聞こえてきた。耳に入れないようにしていても自然と言葉を拾う。
“最近、江戸に点在しているある過激派攘夷組織の潜伏先を暴いて突入しているらしいんだが、いつも寸前のところで逃げられて空振りに終わるらしい”
“あの沖田さん率いる精鋭の一番隊ですら…か。何でもここんとこストレスが溜まっててバズーカで建屋破壊しまくってると聞いたが”
“それより問題は極秘で暴いた潜伏先よ。何処からか情報が漏れてるって話だぜ”
ここ最近、お二人の姿が見えない原因は、度重なる巡察と潜伏先の襲撃にあるようだ。ゴソゴソと続く噂話から抜け出した私は部屋に戻るために廊下を歩き出した。
屯所入り口に続く道を歩いていると、思い出すのはあの男性に出会った時のこと。あれから数日経っているがまるでさっきの出来事のように思えるから不思議。私の名前を知っていた…と言うことは以前に会っているはずだ。記憶に無いならば失われた間に。深く考え事をしていると自然と足が厠に向かっていた。これ以上玄関方向に行かないように言われているので、私の行動範囲はここまでだ。何だか、向こう側が騒がしいけれど。脳裏に浮かぶのはあの男性の姿。紅い瞳に真っ白な姿。やっぱり廊下の奥が騒々しい。「おらァアアア!!」と叫び声が聞こえる。雄叫びに重なるように誰かが私の名前を呼んだ。
「沖田さん?」
「こんな所で何してんの…まあ丁度良いいか。旦那がうるせーんでちょっと隠れてて貰えやせんですかねィ?」
旦那って誰?と思っていると手首を掴まれて強引に引っ張られた。後ろから騒音が追ってくるけれど。一番最初に見えた適当な部屋に入れられると、彼が廊下に残り、そのまま障子がパタンと閉められた。障子に映し出された人影が揺らぐ。叫び声と足音が確実に近づいてくるのがわかる。
「オイコラ、
がここにいんだろーが!!会わせろよ!」
「おい万事屋!真選組屯所に不法侵入もいいとこだ逮捕すんぞ」
「
をこんな野郎の巣窟に軟禁しといてどーするつもりだ。今すぐ警察に通報してやる」
「安心しろ。ここが警察だ」
「これはこれは旦那ではないですかィ。毎日毎日、追っかけご苦労様でさァ」
「おいアイツは何処だ。どうしてここにいるんだよ」
「はて?何の事ですかねィ」
障子に耳を当てて外の声を拾う。言い争う声が段々と酷くなって最後に土方さんの怒鳴り声が聞こえた。
「上等だ万事屋ァア!!総悟、こいつを公務執行妨害で逮捕だ。一晩留置場入れとけ!」と対する男の抗議の声も虚しく、何かを引き摺る音と荒い足音の後に外からは一切何も聞こえなくなった。そっと開いた障子から外を覗く…も誰もいない。
「(留置場に…あの人がいるんだ)」
あの男が何者なのか、その存在に恐怖を感じているのも事実だった。土方さんに沖田さんの二人が身を呈して男との間を遮るぐらいなのだ。もしかすれば犯罪者か、攘夷組織関係者?ならば真選組屯所になど乗り込んで来ないだろうか。以前に私と何らかの関わりがあったののは間違いない。肝心の私は覚えてないけれど。あの男の人に会えば…忘れてしまった記憶への取っ掛かりを得られるだろうか。
誰にも会わないように細心の注意を払って廊下を進む。真選組屯所は公務を行う勤務区域と隊士の居住区域が分かれている。母屋の他、敷地内にはいくつか建屋があり取調室や稽古場(道場)、留置場などが置かれている。幸いにも誰にも会うことなく勤務区域を抜けることができた。留置場は母屋から離れている位置にあるので、勤務区域を抜ければ屋内ではなく庭(外)を歩く。正規のルート…要は正面入り口にはもちろん見張りがいるし、私が行ったところで入れてもらえないだろう。しかし幸いにも、留置場の裏には鉄格子のついた窓がある。光と風を取り入れる窓が、丁度開いている。外から見る限りずっと高い位置だけれど。周囲を見渡して窓の近くに寄る…も高さは身長の二倍くらいあるだろうか。手を伸ばしても到底届かない。
「あの!白髪のお侍さま!」
呼びかけるも返答はない。下手に騒ぎ立てても見張りに気づかれるだろう。ただ私はあの人と話がしたかったのだ。もう一度呼んでみるも反応がないのも同じだった。並んだ窓の中で開いているのは目の前の一つだけ。絶対にあの人はここにいる…私の中で妙な自信が沸き立っていた。呼び立ててもうんともすんとも反応がないのに焦った私は、適当な石を拾い窓枠の側に投げる。カンッ と、高い音。これならば気づいてくれるだろうか。二つ三つと投げてもやはり反応はない。ならばと一際大きな石の塊を窓枠に投げた。が、その塊は鉄格子の合間から室内に消えてしまった。
「ってぇな!誰だァ人が気持ち良く昼寝してるの邪魔する奴は!」
と、中から悲鳴の様な声が聞こえたのだ「あの!」今一度中に向けて声をかけた。
「
?
なのか?」
「はい」
呼びかける声は届いたらしい。窓は遠くても中の気配が動いているのを感じる。
「どうしてお前がここにいるんだよ!?外の世界で医者やってるんじゃなかったのか」
外の世界…それはどこを指すのだろうか。落ち着いて聞いて下さい、と前置きをして、私は自分が記憶喪失であることを告げた。貴方は私の事を知っているのかもしれないけれど、私は貴方を覚えていないこと。失った記憶は、ある攘夷組織と協力関係にあり彼らを裏切って逃げたこと。そして今、その攘夷組織から命を狙われていること、真選組に匿われていることを正直に話した。
「本当に…俺らの事を忘れちまったのか」
「ごめんなさい。お名前もお姿すらも記憶には残っていません」
姿が見えないままの会話。高い位置から届く声は聞き取りやすくはない。それでも、呼吸すら殺すように息を潜めてその声を拾う。「そうか…」諦めたような小さな呟き。
「攘夷組織に狙われるなんざ、お前もとんでもねー事やらかしたに違いねーな。しっかし俺ら万事屋と出会った時も色々やらかしてたんだ。記憶なんか無くたって
は
ってこった。やっぱ、お嬢様ってのはどんでもねーモンだな」
この人と私はどのような日々を過ごしたのだろうか。刀を向けられてはいたものの、土方さんや沖田さんとは顔見知りの様にも思えた。心のどこかで攘夷組織の刺客かとも思い心配していたけれど、そうならば留置場に置かずにあの場で斬り殺していたに違いない。私の記憶がないばかりにこんな所に留置されているなんて。人権侵害も甚だしい。冤罪だ。後で土方さんに掛け合って、すぐに釈放してもらおう。
それまで少しの間だけ我慢して下さいと伝えると、気楽に行こうぜと優しい声が聞こえた。
「あの、お名前を教えて頂いてもいいですか?」
紅色の瞳をした白髪のお侍さん。廃刀令が敷かれたこのご時世に刀を提げているのが見えた。彼の名を聞くのは二度目になるのだろうか。
「坂田銀時。俺のことは“銀さん”って呼べよな」
「私は
です。よろしくお願いしますね、銀さん」
おう、と声が届いて安心した。「オイ」と、上からではなく横から割り込む様な声が聞こえて肩がビクリと跳ねた。
あの時のヤクソクを果たしにやって来た(訳ではないけれど)。回り巡って繋がることもある。
20200918*星宮はちこ 裏語