レプリカ虚像乙女
【第六章、忘却 五十六話、護りきるのは大和魂】
建屋の陰に隠れて足音のする方を盗み見る。暗闇から追っ手が現れたけれど私は身を隠しているので気づかれてはいない。このままどうにか母屋に戻って、誰かにこの人の裏切りを伝えなければ。ここで見つかってしまえば、きっと…殺される。前ばかりに気を取られていた私は、後ろから人が近づいているのに気付けなかった。
ードンッ
「…あ!」思いっきり押されて体勢が崩れる。そのまま前のめりになって倒れ込んでしまった。追ってきた男と目が合う。
「お前は!?旦那ァビンゴですぜ!この女がさっき言った
ですよ!」
「取引を見られた以上、生かしてはおけんな。丁度いい。どうせ死ぬ身だ、どこぞの攘夷組織に引き渡すも良し。あとは坂本殿に任せよう」
前後を挟まれて、地べたに座ったまま身動きが取れない。逃げ出すタイミングも無かった。「腰が抜けたか?」坂本と呼ばれた男が笑う。サカモト…って確か斎藤さんのノートに書かれていた名前の中にあったはず。書かれた中で唯一×印が付いていなかった人…。「うっ!? 」後ろから口元を押さえられる。体を捩らせてもがくも、二人掛かりで押さえ込まれていては歯が立たない。「ここなら目立つな。彼処へ運ぶか」紐で手足を縛られて、何かを被せられて視界すらも遮られた。浮遊する感覚が伝わった。この感覚、前にもどこかで…。記憶にはないけれど、経験している?
…
‥
暗転した視界に明かりが戻った時、私は見知らぬ場所にいた。それも両手を縛られて、天井から伸びる縄とその先の金具に繋がれている状態で。足先が僅かに床に着かずに万歳をした体勢のまま宙ぶらりん。手足を動かそうにも自由はない。口も猿轡の様なものを噛まされて声が出ない。それに明かりと言っても薄暗い空間には燭台の揺れる僅かな光しかない。その光が映し出したのは、壁に飛び散る血の様な飛沫、人を縛る為の金具、巻き留められた鎖に縄、名前も使い方もわからない道具たち。整理整頓からかけ離れて無造作に散らばっていた。天井は高く、風通しか明かり取りの為に小さな格子窓がはるか上に一つだけ。
「ここは真選組の拷問部屋だ。安心したまえ、どれほど泣き叫んでも向こうには届かない」
闇から姿を現したのは先ほど坂本と呼ばれていた男だけだった。さっきまで一緒だった攘夷浪士の姿はない。一般隊士の服を纏った男は私の前に立つと微かに笑った。
「旦那の許可も頂いたもんで、君の命は最後まで有意義に使わせて貰おう」
男の横にはキラリと光るレンズ。目を凝らして見てみると闇に紛れてわかりにくいが、三脚に乗ったビデオカメラらしきものが二つ、左右に置かれているではないか。一体この男は何をしようというのだろう。揺らぐ明かりが男の輪郭を照らす。
「怖いなら泣き叫んでもいいぞ。その方が撮れ高がいい」
「?」
そう言うと坂本は私の猿轡を外した。不快感で喉が気持ち悪い。嘔吐くように肩を動かして息をする。「今夜は長いぞ。何たってフルコースだからな」とカメラの角度を微調整している。偽装工作の為に私の部屋の布団には丸めた衣服を詰め込んだらしい。笑いながら坂本は語った。
悍ましい計画、先ずは性的に暴行し次いで肉体を破壊、泣き喚く様を…その全てを記録に残すこと。「知らねぇだろ?要は裏ビデオってヤツよ。こう言うテープは高く売れるんだよォ」破壊し尽くした後の体は、…美味しく食べる。食べる?食べるってどういうこと? この人の言っている言葉が素直に頭に入ってこなかった。いや、ただ怖かった…。どれだけ助けを求めても届かないという事実に、頭が真っ白になったようだ。
「さ、始めようか。名前は
。顔をよく見せてあげるんだ」
顎を掴まれて強い力で無理矢理カメラの方向を向かされる。蝋燭の灯りが生き物の様に蠢いているが、レンズが反射する光は鋭いまま。まるで無機質な眼差しのよう。
「ッ!?や!止めて!」
「ほぅら。綺麗な肌だ」
坂本が白く薄い寝間着に手をかけて前身頃を崩した。下着以外何も纏っていない。舐め回す様な視線に、一切触れられていないのに皮膚が焼かれるような苦しみと心が裂かれる恥ずかしさが襲う。縛られた手が震えている。ーザバァ 「暑いだろ!水も滴るイイ女ってな!」 桶に入っていた水を乱暴に投げかけられる。もう、頭からずぶ濡れの状態。水を吸った寝間着が肌を透かしながら至る所の皮膚にぴったり張り付いている。「うぉ、たまらねぇな」濡れた寝間着の上から男の手が私を撫で回す。恐怖の余り、奥歯がガタガタと震えているけれど、泣き叫びはしない。そうなってしまえばこの男の思うツボだから。でも心の奥底では悲鳴を上げ続けて叫んでいた。気持ち悪い。触れられたくない。この男の全てを拒絶している。
“
”
また知らない男の人の声が脳裏に響く。同時に頭が割れるように痛い。ズキンズキンと脈拍と呼応する様な痛みが私を襲う。肉体を弄ばれている恥辱の苦しみもさながら、物理的な痛みに私は声を上げた。「止めて!止めて!誰なの!!」 例の男の声がずっと響いている。縛られた手を必死に動かしてもがくも、ビクともしない。突然の悲鳴に僅かに怯んだものの、目の前にいる坂本は待ちわびた私の姿に喉を鳴らした。「イイねぇ、たまらんねェ」 土間が続くこの空間は外よりもヒンヤリと冷たい。まるで蔵のよう。そんな場所で水を浴びた私の体温はあっという間に奪われていく。冷えた身体がガタガタと震えてきた。「おお、寒いかい」 男は懐から赤く太い蝋燭を取り出し、細い蝋燭から火を移す。
何…これ?
その様を私はどんな眼差しで見ていたのだろうか。こちらを見ながらニヤリと笑った男は「本番は後半だけどね、これはそんなに熱くないヤツだ。今はこれで我慢しろよ」と、溶かした蝋を震える私の皮膚に垂らした。
「い!くぁ…!熱い!ああ!」
皮膚を流れる度に熱さを感じる。蝋はあっという間に皮膚の上で固まり、白い肌に真っ赤な血が流れているみたいだった。「映えるねぇ!本番にはその皮膚を裂いてホンモノ見せてあげるからね」 固まった蝋はほとんどが皮膚張り付いているのだけれど、身じろいだ拍子に落ちたものもいくつか。落ちた後には薄っすらと皮膚が赤く染まっている。右半身はずぶ濡れ、左半身は固まった蝋塗れ。「さてお楽しみといこうか」 男が私の下着に手をかけた。私は次は声に出して拒絶した。
「まったく酷いなぁ!君さぁそろそろ…その子汚すのいい加減にしてくれない?」
窓なんて無いのに、ヒュンと風を切る音がしたと思ったら、固定されていたカメラが音を立てて転がった。ガシャンと酷い音がしたあたり壊れたのだろうか。唐突に燭台の灯りが消えて、周囲が闇に包まれた。高い位置にある明かり取りから月明かりが差し込んでいる。四角い形の中に人型が揺れていた。「誰だ!」と男が叫びながら上を見上げている。私も同じ、上の方にある窓を見ていた。誰かがいる。逆光で詳細まではよくわからない。
「君、一応俺と同業者でしょ?貪欲に手ぇ広げすぎると足下掬われちゃうよん」
明かり取りの窓にある僅かな枠の位置に誰かが腰掛けている。目を凝らしてみると初めて見る男性だ。隊服でも無い洋装を纏っていて、明るい髪色が特徴的。それに眼鏡をかけている。「貴様誰だ!?」坂本が取り乱した様に声を張り上げていた。
「うーん。名前なんてどーでもいいや。俺は情報屋さ。ハジメマシテ坂本君…だっけ?ついでに
ちゃんもお久しぶり…っても今は記憶ないんだよね??」
「貴方、一体…」
「じゃあこれなら覚えてるかな。“真選組新入隊士の大熊と申します!” 、 “近藤さんの裏ミッションで参りました犬飼です” 、 “初めまして白鳥です” …なんてね♪」
男は昼間に私の部屋に訪れた新入隊士達まんまの声を出した。おまけに自己紹介の言葉まで同じだった。どうして…?この人が彼らと同じ声を?同じ言葉をはなしているのだろうか。信じられない様子で上を見ているとアハハと男が笑う。何が面白いのか、
には到底この男の事が理解できない。
「ゴメンゴメン!騙すつもりはなかったんだ。俺こー見えても“声帯模写”と“変装”が得意でね。おかげで千の顔と名前を持つ男とか言われちゃってるけど。昼間はただ純粋に様子見に行っただけだから気にしないで」
「嘘、じゃああの三人は…」
「全部俺さ。
ちゃんも気をつけた方がいいよ。勝手に相手を信用しちゃってさ。君が飲んだお茶にちょっと細工させてもらったから。あ、危ない薬じゃないから安心して!ただ気分が良くなって全部話してくれる薬だから」
情報屋がどうして真選組屯所に? まさかこの人の仲間?そう無意識のうちに尋ねると、そっちとは別件だと再び笑う。この人一体何者だ。常に薄気味悪い笑顔をしていて本心がわからない。喜怒哀楽すら笑顔の下に隠しているのだろう。二人だけの会話に坂本が割り込む。
「貴様、裏社会で有名な情報屋か!」
「多分そう」
しかし会話はあっけらかんと終わった。これ以上言葉は続かない。空気が今一層張り詰めている様に感じるのは気のせいではない。「何用だ!」坂本が声を荒げた。ニコニコと上の男が笑う。
「俺の仕事は情報収集。本当はそこまでなんだけど、君が余りにも酷いから手ぇ出しちゃったじゃん。ま、こっちはお仕事終了したから後は何でもいいけどね」
「我々の邪魔をするのが目的か?」
「君達のはどーでもいいよ。“紅い楯”とは持ちつ持たれつだから。でも俺は引き際を分かってる。ねえ坂本君。君、怖いお兄さんが追っているから危ないよ。ほら…」
情報屋がそう言った途端に、重い木戸をドンドンと叩く音がした。皆が一斉にそちらに視線を寄越すも外から呼びかける声はなく、ただ戸を叩く音がするのみ。誰かがそこにいるのだろう。目の前の男の仲間ではない誰かが。坂本が取り乱しているのが手に取るようにわかる。
「怖いお兄さんが来る前に俺は退散するかな。
ちゃん…またね♪」
ピースサインで軽くウインクした後に男はクルリと身を翻すと格子窓の外にいた。まるで手品のよう。人が通れるような隙間なんて見えないのに…。上の情報屋は私の名前を知っていた。昼間に名乗ったからだろうか…いや違う。ここに来る前から私の事を知っていたようにも思う。以前に会っているのは間違いない。記憶が無くなる前に。ドンドンと戸を叩く音が酷くなると「クソッ」坂本が刀を手に狼狽している。音が聞こえなくなり静まった…かと思った矢先、
ーバァアアアン
外から尋常でない力が加わり拷問部屋の扉が内側にぶっ飛んできた。粉々になった破片が飛び散っている。開いた…破壊された戸口から外の空気と月明かりが入り込む。逆光の中に立っていたのは大きなアフロヘアー姿。口元を隠し、背中には刀が交差している。
「斎藤終…」
男の消え入りそうな呟きが聞こえる。どうして斎藤さんがここに。それも一人で? 背中から刀を抜き斎藤さんはただ立っていた。坂本も隠していただろう刀を抜き構えている。「見られた以上、生かしておけねぇ!」対峙していた二人が動くも、決着するまでは一瞬の出来事だった。
放射状に飛び散る血が床と壁を汚す。立っていたのは斎藤さんの方だった。彼の頬には男の血が飛び、無機質な眼差しと相まって異様さを醸し出していた。床には亡骸が転がっていた。縛られたまま…目の前で人が殺される…誰かに助けを求めている…記憶にはないけれど覚えてる。何処かで経験している。脳に残った僅かな残像がそう告げていた。記憶の中の後ろ姿には靄がかかり誰かもわからない。緊張が解けた途端に、手足だけでなく全身の力が抜けたようだ。斎藤は何も言わないまま、ほとんど素っ裸の私に羽織をかけた。昼間にお茶をお持ちした時に、彼の肩に掛けた私の羽織だった。
「終!」
「斎藤!」
近藤さんと土方さんの声がする。二人が拷問部屋に入ってきた。
「お前は…
!大丈夫か!」斎藤さんの方を向いていた土方さんがその奥にいる私に気付いたらしい。一方の私は力が入らないので声も出ない。そのまま視線だけを上げて微かに笑って応じた。室内の惨状に局長が口を噤む。「三番隊隊士、坂本総兵衛。こいつも黒だったか」亡骸を足で転がして顔を確認している。
「斎藤、此度の粛清ご苦労だった。屯所に入り込んでいた攘夷浪士の方は沖田が始末している。留置場に置いていた万事屋が“
が向こうに連れ去られた”と騒ぐから来てみたら、こう言う事だったわけか」
「トシ!一体どう言う事だ!どうして万事屋が」
咥えた煙草に火を点けて煙を味わう。仕舞ったライターはマヨネーズの形。
「野郎、お前が連れ去られた現場を見ていたようだな」今一度吸い込んだ煙を吐き出す。銀さんは留置場から出ようと備え付けの格子柵に体当たりを繰り返して、ついには壊しかけていたとのこと。それも素材は鉄だったらしい。すごい力。銀さんの怪力に感心した。
「安心しろ。野郎にはお前は無事だって伝えてやるからよ」
先ほど、追われていた時に身を隠していた建屋は留置場だったようだ。あの中に銀さんがいて…外の騒動に気が付いた。そして出て来た私の名前に、騒動に巻き込まれたことを知った。あとは監視に伝えるも取り合ってもらえず、自ら鉄格子を破壊しかけた。
「あれ…終の姿が見えんが?」
「あ?厠でも行ったんじゃねーか」
「そうか。って、今縄解くから!!」
近藤さんが縄を切ってくれたおかげで宙ぶらりんの状態からは解放された。腰を抜かしていたのだろう足に力が入らなかったけれど、土方さんは何も言わずに手を差し出してくれた。「ありがとうございます」自らの手を重ねて起き上がる。重く濡れた寝間着をできる限り絞って水を落とし、肌についた蝋を払った。上から、斎藤さんに掛けられた羽織を着るとどうにか動ける姿にはなっただろうか。
「後は俺らがやっとくからお前はとりあえず風呂入れ。聴取は明日だ」
唐突に言われて困惑した。「総悟ォ!」土方さんが叫べば「聞こえてやすよ」拷問部屋の入り口に影が増えた。そのまま私は沖田さんに引き連れられて、ようやく母屋に戻れたのだ。
入浴中、或いは入浴待ちの隊士たちを退かして(ごめんなさい)私は一人で大浴場に浸かっている。鏡で自分の体を見れば、酷くはないが蝋の跡が赤く色づいていた。痕跡は残っていないけれど、触れられた感覚だけは残っている。かき消すように体を洗った。沖田さんはいつも通りに入り口で見張りをしてくれている。脱衣所で真新しい寝間着に着替えた後で、二人並び自室までの廊下を歩く。私は今回の事件に似た出来事を、記憶こそないものの覚えている旨を告げた。きっと失った記憶の何処かで経験しているのだろうということも。
「今宵の事はこれ以上、何も考えなくていいですぜィ」
「でも…」
「土方さんが話は明日聞くって言ってやした」
もう部屋に着く。今日の夜の出来事も考えていたらきっと眠れない。 坂本さんという隊士のこと、彼を粛清した斎藤さんのこと、拷問部屋に現れた謎の人物のこと、記憶にないけれど覚えている経験のこと。 全部が脳内にひしめいている。そうこうしている間に自室の前まで来てしまった。 「ほい」と差し出されたのは沖田さんが愛用している目がついた赤いアイマスク。反射的に受け取っていた。
「寝れねーなら貸しときやすぜィ。明日には返せよ」
手をヒラヒラと振りながら、優しい沖田さんの背中が遠のいた。
モブによる暴行未遂事件すみませんでした。ガチ粛清ネタ。
20201004*星宮はちこ 裏語