レプリカ虚像乙女
【第七章、受容 六十二話、夜遊びも程々に】
ついに幕府のお偉いさんが“スナックすまいる”へ訪れた。
お妙さんを始め従業員(…キャバ嬢と呼ぶらしい)が一斉にお迎えに玄関へと走る。スタートダッシュに乗り遅れた私はまだまだボックス席にいたりする。一段下がった営業フロアと玄関を繋ぐ廊下には階段が設置されていた。みんな颯爽と駆け上がったものの、キャサリンさんと東城さんは何故かローションを体に塗りたくっていたため、階段を上がるのに苦戦しているのだ。って、何故彼らは裸にタオルを巻いているのだろう。服は? ついでに何故ローション塗れなんだろう。突っ込んだらいけない…か。
ーゴッシャァア
「「「…」」」
酷い音に視線を上げた。手すりを掴みながら一段踏み出した東城さんが後ろのキャサリンさんを巻き込んで滑ったらしい。そのまま彼らは階段を滑り落ち営業フロアの床に後頭部を強打した。頭部周辺の床面は割れている。大丈夫ですかと近寄ろうとしたけれど、彼らが転んだ拍子に飛び散った潤滑油のおかげで、周囲はとても滑りやすくなっている。「とりあえず片付けるぞ」銀さんの言葉に、近づいた店長さんも足元に注意するよう伝えている。
「打ち所が悪ければ危険です!今すぐ救急車を!」
「大丈夫だ。此奴らも意外と石頭だからな。こんなもん転がってたら不自然だ。さっ、片付けるぞ」
銀さんの言葉に頷いた店長が向こう側に回り込んだ時だっだ。あれ程注意を促していた店長の足が滑る。ズルりと見事な音がして、放物線を描きながら後頭部から床に沈む。
「「てっ…店長ォオオオ」」
「店を…頼む…」言い終わると手が力なく床に落ちた。新八が揺さぶっても反応はない。目の前で起こった事故。その動揺のあまり
は悲鳴すら出なかった。これ本当に救急車案件では?救護義務とかの問題は? 単語が浮かぶも頭の中が真っ白になりつつある。
「
!此奴らは俺らが片しとくから、お前は先に客の所に行ってろ」
「って救急車は」
「これくらい大丈夫だって。少しは時間稼いでくれよ」
「
さん行ってください!」
銀さんと新八君の声に一抹の不安を抱きつつ、早く行っての言葉の通り、私は階段を上ろうとした。混乱の最中刷り込まれた新たな言葉に上書きされ、もう救急車のことは頭の隅っこで消えかけている。
玄関の方からお妙さんの明るい声が聞こえた。いらっしゃいませ、なんて営業トークだ。「何やってんだオメーら早く来い」と男性の声も続く。階段から見上げると灰色の髪をオールバックにし、薄めのサングラスを掛けて、くわえ煙草をしたナイスミドルが。見たままに幕府の重鎮の雰囲気だ。
「どーもパー子でーす」
「パチ恵でーす」
「…?」
後ろから変な声。何だろうかと次は後ろを振り返る。そこにはキャサリンさんや東城さんと同じ、裸にタオルを巻いただけの銀さんに新八君がいた。え、何これ。もれなく二人の頭には付け毛が足されている。それにいつの間に塗ったのだろう紅い口紅が目を惹いた。
「(なんで二人が?女装?)」
突然の出来事に頭が弾けて働かない。だが次に浮かんだのは、まさかあの二人が抜けた穴を補おうとしているのか、という発想だった。私駄目だ。この感覚に慣れようとしている。頭を振って雑念を取り払い深呼吸を一つ。
例え彼らがあの格好で、席に紛れ込んでいたとして…男性だとすぐにバレてしまうのではないだろうか。かぶき町には女装専門のお店もあるが、ここは普通の(?)キャバクラでは? ダメだ心が落ち着かない。
「あれ?今日初めての子多いな。新人さん?」
階段を降り始めた松平公(と言うらしい。ちなみに警察庁長官であるとお妙さんが教えてくれた)の向こうからぞろぞろと黒い人影が続く。彼らの顔を見て私は更に動揺した。あっ…近藤さんに土方さんに沖田さんだ!? つい先日までお世話になっていた真選組の方々がいるではないか。チラリと土方さんと目が合った。その瞬間、彼の目は僅かに見開かれる。私に気付いたのだろう。まっすぐ歩きながらもこちらから視線を逸らさない。
「いらっしゃいませー」
「グラ子です。よろしくお願いしますコノヤロー」
お客が花道を進む中、皆が自己紹介を始めている。普段より濃いメイクの神楽ちゃんが背伸びをして大人ぶって見える。それはそれで可愛いのだけれど、ここは風俗店であり彼女は未成年。おまけにお客さんは真選組? 捕まったらどうしよう。胸の中の不安が拭えない。途中で猿飛さんと沖田さんが何やら言い合っているけれど。彼女は猿轡のようなものをしていて話の内容はわからない。しかし当の二人は通じ合っているようだ。
「おい…
」小さく呼ぶ声が聞こえて顔を上げた。そこには階段の淵に立ちながらコソコソとこちらに話しかける副長がいた。
「お前んなとこで何してんだ。万事屋に預けられてんじゃなかったのか」
「依頼で一日頼まれまして」
「ここがどんな店かわかってんのか?キャバクラだぞ。まさか金の為に働かされているんじゃねぇだろーな」
「違います。今日だけのお手伝いですから安心してください」
「手伝いねぇ…」
私の言葉を聞いても彼はまだ納得していないご様子。まあ私も、こんな展開になるなんて思ってもいなかった。花道の隅でヒソヒソと会話する私達を見て、松平公が興味津々に口を挟んできた。
「んだよ土方ァ。ここに馴染みの女がいるったァおめーも隅におけねーなァ。でぇ、この子誰だァ?」
「とっつぁん、これはあれだ。この前迷子の所を助けた善良な市民だ」
「ほぅ…善良な市民ねぇ。どれどれぇ」
そう言いながら品定めされているように見られている。いや彼の視線が私の顔よりもずっと下にあるのはきっと見間違いではない。何だろうかと私も視線を落とした。松平公が見ているものとは。もしかして、もしかしなくても胸元を見ているのだろうか。うん。視線は交わらないまま。もー!!
しかしまあ、ここはそういうお店だ。私自身も胸元の開いた服を着てしまっている。過失は十分。ましてや見ているだけで触られているわけでもない。羞恥心に苛まれながらも、再び深呼吸を一つ。大丈夫。触られているわけではないから。ここは恥を捨てて、すべてを諦めてニコリと笑って過ごすに限る。
「オイ総悟。そのへんにしとけ」
隣にいた土方さんは、対峙しながらあーだこーだ言い合っている沖田さんと猿飛さんの仲裁に入った。彼らはここへ飲みにきたわけではないらしい。松平公の誘いを断り玄関に続く廊下へと体を翻す。「どうぞ楽しんでくだせぇ」代わりに向こう側から人影が近づいてきた。
「上様」
そう呼ばれた男性は一目で上等とわかる品の良い着物を纏い、今時中々お目にかかれない裃スタイル。幕府のお偉いさんなのはわかるが、それでも上様って一般人に呼びかける敬称じゃないような…。今のところ幕府の中で上様と呼ばれる存在は、征夷大将軍である徳川茂茂公しかいらっしゃらない。将軍様は江戸城の奥に篭りあまりメディアにも露出しないので、
は姿を見たことがなかった。天下の将軍様がこんな所にお忍びで来るはずがない…のだが。うん。多分別人だろう。あるいはそっくりさん。もしくは影武者。どこか拭えない不安を押し込めるように、そうだと言い聞かせることにした。
「どうぞ上様こちらですぅ」
将ちゃんと呼びながら、慣れた様子で松平公が着席を促している。それに応じるようにお妙さんを始めキャバ嬢も続く。その中で銀さんと新八君も私と同じ疑問抱いていた様子で、通り過ぎるお彼女たちに疑問を訴えているのだが相手にされていない。
「
さん、お客様がいらしたので裏に声をかけて下さらない?」と言われて私は席に座らずに裏(厨房)へと続く扉からその旨を伝えた。準備は整っていたのだろう、間髪入れずに続々と料理にお酒が運ばれてくる。お寿司に蕎麦にステーキにお造りにと、テーブルはあっという間に料理でいっぱいになった。「将ちゃんだなんて素敵なあだ名ですわ。でも本名の方も教えて下さらない?」上様の猪口にお酒を注ぎながらお妙さんが尋ねる。私は神楽ちゃん用にグラスに注いでもらったオロミナンCを手にテーブル席に戻った。
「征夷大将軍、徳川茂々だ。将軍だから将ちゃんでいい」
「お仕事は何をしていらっしゃるんですか?」
「だから征夷大将軍だ」
いやぁーとか、ご冗談が上手いのですねーとか、面白いお方ですこと…なんてお妙さんがお客様の言葉を受け流しているけれど。上様と呼ばれたこのお客様、たった今自分で征夷大将軍の徳川茂茂と名乗ったよね。影武者だから名乗らないと駄目なのか。いや影武者って、むしろ本物がこう言う所に遊びに来ている時にお城にいる係だったりするような。
「(本物っ!?)」
その事実を認識した途端に、額から嫌な汗が流れたような気がする。周囲では真選組の方々が警備の配置を整えていた。
銀さんと新八君の姿が見えないと思ったら玄関側から小さく話し声が聞こえる。そう言えば人数が足りねえな、と松平公が二人のことをそれぞれしゃくれ女に、廃校寸前の学校にいそうなイモいおさげと言われて怒っていたけれど。
コの字型になった席の配置は、廊下側から私に新八君銀さん、上座に猿飛さんに上様とお妙さん、そして反対側に九兵衛さんに松平公と神楽ちゃんとなっている。席に戻った二人にこっそり耳打ちした。
「銀さんに新八君。あのお方はもしかして、本物の将軍様なのでは?」
「察しがいいじゃねーか。あらぁ本物だ。今回の仕事…成功すれば御の字だが失敗すれば首が飛びかねない。で、幸いなことに他の奴らは気づいてねぇ」
「下手に知らせるよりはこのまま行く方向に決まりました」
「
、協力頼むぞ」
「…わかりました」
とか言っちゃったけれど!こんな所でかつこんな形で天下の将軍様にお会いするとは思わなかった。粗相があったらどうしようとか、突如「無礼者ォ!!」とか言って斬り捨て御免されたらどうしようとか。不安は拭えない。私の心境をよそに、「グラスを持てぇ!!」と声がかかる。
「「乾ぱぁあああい!!!」」
宴は始まった。松平公は飲むペースが早いようだ。私はあまり飲まない方なので最初に口をつけてそれっきり。あとは、上様や皆さんのグラスが空いてないかや、神楽ちゃんが隣の松平公にお触りされないようにだとか周囲に目を配らせる。辺りを見ていると、お妙さんは将軍様に音楽(B’z)の話をしているし、松平公は隣の二人に仕事の持論を語っている。一方で猿飛さんは…顔を赤らめながら銀さんの方をチラチラ見ている。私の隣では心配そうな表情の二人。ああ、この飲み会どうなるのだろうか。
「じゃ、そろそろ。将軍様ゲームぅうはっじめるよ〜!!」
どこからかラッパの音が聞こえてくる。松平公の言う将軍様ゲームと言うのは、いわゆる王様ゲームのことなのである。急いで割り箸を人数分準備すると、その先に番号と将軍の文字を書いた。準備完了。
「ホラ。早いもん勝ちでくじを引き抜…」先が見えないように握りながら、松平公が割り箸の束を差し出した。その瞬間、風の速さで女性陣が動く。備品が壊れる音と同時に松平公が後ろに吹き飛んで行く。女性陣の手にはそれぞれ割り箸が握られていた。
え、何これ。割り箸を奪った後もなお女性陣が争いあっているのは何故?ちなみに私は椅子から一歩も動けなかったのは言うまでもない。
「大丈夫ですか松平様!!」
視線の先にはモーゼの十戒のように開けた備品の向こうに倒れる松平公の姿が。頭から血の気が引いていく。急いで駆け寄って意識を確認するも、どうやら気絶しているらしい。血は出ていないので切ってはいないのだろう。しかし頭を打ち付けた可能性はある。テコの原理を使って彼の体を抱き起こすと空いた座席に運ぶ。隣には東条さんにキャサリンさん。店長まで横たわっている。それらを見ていると、松平公もここに寝かせておけば安心かなんて、その時私は完全に馬鹿になっていた。
「あーもー!!くじがメチャクチャじゃないですか。松平さんの代わり私するから、みんな“せーの”で来てくださいよ」
散った割り箸を拾い、整えながら新八君が言う。
「せぇーのォオ!!」
掛け声と共に割れた机に足を乗せ、彼が勢い良く割り箸を上様の前に差し出した。それも何故か一本だけ明らかに飛び出ているのである。あれを引けとのことなのだろうか。しかし風の速さ(その2)で彼の手中の割り箸は奪われる。残りの割り箸は三本。将軍様に新八君に私の分だ。ちなみに私は6番だった。果たして将軍棒の行方は?
「あー私将軍だわ」なんて声が聞こえて、そちらを向くと銀さ…じゃない、将軍棒を持ったパー子さんの姿が。「えーとじゃあ、4番引いた人。下着姿になってもらえます?」と、いきなり際どい命令。私は難を逃れた代わりに思わず声が出てしまった。徐に立ち上がった上様は自らの服に手をかけ、脱ぎ始めたのだ。そしてあっという間に下着姿に。その…あれだ。
天下の将軍様がまさかの白いブリーフ姿のまま何事もない様子で座っているものだから、周囲もじっとその様を眺めるに止まる。私の隣で銀さんたちが何やら呟いているけれど。これ、このままではかなり失礼では?
「お二人とも…上様が晒し者のようになっちゃってますが」
「わーってるって!いいか。俺ら三人が何としても将軍様になるしかねー」
「銀さんこのままならもう僕ら島流しですよ」
「ハイ。次ー!!」
遠くでキャッキャと浮かれた声が聞こえる。「やったァア!次の将軍は私よ!」声がした方を見てみると既に将軍棒を持ったお妙さん。周囲には悔しがる神楽ちゃんに九兵衛さんの姿が。私達には余りの割り箸が配られた。何でもう二回戦が勝手に始まってんの!? ツッコミが追い付かない。
「じゃあ私はァ。3番の人がこの場で一番寒そうな人に着物を貸してあげる、で」
お妙さんの命令は、この場で一番寒そう=ブリーフ姿の上様を救う内容だ。
我々の心配を汲んだのか、こちらに向かってウインクする彼女に新八君が感動して泣いていた。だがしかし神も仏も私達を見放したのか。立ち上がった上様が下着に手をかけた。その先はもう言わないでおこう。ちなみに、今ここで一番寒そうだと判断されたのは猿飛さんだった。
素っ裸の上様が真ん中に座っている。案外、神楽ちゃんや九兵衛さんはあっけらかんと受け入れている様子。しかし私は瞼を閉じてその姿を見ないように必死だった。「ちょっとォオオ。将軍様涙目になって来てますよ」と最早小声でもなんでもない。
「アレ泣いてるんだよね、泣いてるってことでいいんだよね」
「もうこれイジメみたいになってきてんじゃねーか」
隣の動揺が手に取るようにわかる。うん。そうだよね。私が目を見開いて現実と向き合ったら多分同じ状態になるだろう。
次いくわよ。暗い視野の中に響く声。三回戦はやっぱり勝手に始まったらしい。私の手元に届けられる割り箸を掴み、下を見ると2番の文字が。「ついに私の時代が来たわ!!私の願いは一つ」今回の将軍様は猿飛さんだ。何かを言いかけにお妙さんの踵落としが決まっている。
「5番の人はトランクスを買って来なさい」
彼女の命令でついに事件が起こった。いや、もうかれこれ何度も事件は起こっているのだけれど。早く当たった人が下着を買って来て、将軍様にお渡ししなければ。そう考えていると座席から立ち上がる影。5番を引いたのはそう…
上様本人だった。
もう一体何をどうしたらこういう展開になるんだろう。上様を思っての発言が全て裏目に出てしまっている。私たちの不安などは露知らず、スタスタとフロアから消える人影。え、あの人今全裸だったよね。買いに行くってどこまで行く気なのか。後ろ姿は玄関の扉から向こう側へと消えた。
「おい新八、
。やべーぞ」
「銀さんが思っている以上にこの展開ヤバいですよ」
「一刻も早くあの方を連れ戻さないと」
私も叫ぶ。三人が立ち上がったのは同時だ。周囲は何事かと視線を上げた。
「「「バカ殿を追えぇえええ!!!!」」」
その声に突き動かされてキャバ嬢一同が大急ぎで外へと向かう。全裸の上様は配備された真選組の大型特殊機械兵器の前にいた。突然の上様の登場と、その姿に周囲の隊士は驚きを隠せない様子。「貴様ァア上様に何をしたァァァ!!」走っている最中、前の方でこちらを振り返る近藤さんが叫んでいる。
「近藤さん今はごめんなさい!!事情は後で!!」
追い越し様にそう伝えた。途端に周囲の騒がしさが増す。「総員に告ぐ!上様を追えェェ!!!」後ろからそう聞こえたと同時に、ゴゥンンと一斉に大型機械兵器が動き出した。誰ともわからない叫びに包まれる。着物だったらこうも全力で走れていなかっただろう。丈の短いナース服で良かった。前方では足の早い神楽ちゃんが上様に追いつこうとしている。しかし上様を止める訳でもなく、その手には割り箸が握られていた。まだ続けるのだろうか。「早くくじ引くアル!!」上様がゆっくりと割り箸を引き抜いた。その合間に私たちの距離は縮まりほぼ横一直線に並ぶ。上様が引いたのは念願の“将軍棒”だ。
「将軍様。我等に何なりとご命令を」
全員が彼の言葉を待っている。走りながらチラリと見えたけれど、神楽ちゃんが持っている割り箸には全て“将軍”と書かれていた。神楽ちゃんが…機転をきかせていたのだ。走りながらフッと目を閉じた上様が、こちらを向いて一言。
「余の邪魔をさせるな」
そう命じられた瞬間、「仰せのままに!!」皆が身を翻す。このまま上様を置いて行くわけにはいかないだろう。真選組に向かって走っていく面々を見ながら、まだ前にいる九兵衛さんに、二人で一緒に上様の後を追うようにお願いした。彼女が頷く。
後ろからは悲鳴と何かが破壊される音がずっと響いてくる。そのままスーパーに入っていこうとする上様を止めて、下着はこちらで用意するので川沿いのベンチで待っておいて頂くようにお願いした。九兵衛さんにその格好だからお店は控えた方がいいと気を使ってもらって、私は上様の後ろに控えていた。
「上様。下着の方をお持ちしました」
ビニール袋を手に九兵衛さんがスーパーから戻って来た。二人して謝罪の言葉を述べていると「いいんだ。楽しかったよ」上様が手を差し出す。九兵衛さんとその指先が触れ合った時だった。九兵衛さんが体術を駆使し上様をベンチごと投げ飛ばしたのだ。
「いやァアア!!!」
弧を描いて川に落ちて行く上様の姿。私の喉からは世界の終わりが迫って来たような悲鳴が上がった。この川は地域の用水路でもあるので、そう水深はないはずだ。しかし気絶していたり倒れ込んだ位置が悪かったりすれば、そのまま溺れることだってある。
上様の後を追って、私も川に飛び降りた。予想通り深さは大体膝の高さまでだ。
仰向けに倒れ込んでいる(危険だ)彼を表に起こして、頬を叩いて意識を確認する。
意識こそないものの呼吸はしているようで、すぐに起こしたからが水を飲んでもいないのだろう。
背負いながら上がろうにも、堤防が高くて一人では無理だ。上から覗き込みながら九兵衛さんが「すまない」と手を出してくれているけれど、彼女の力では私一人でも引っ張り上げるのは厳しいだろう。それに私は背に上様を背負っている。代わりに誰か人を呼んでもらえるように頼んでおいた。
騒動が一通り収まった後で、私と上様は用水路から引き上げられた。ずぶ濡れの私に真選組の黒い上着がかけられる。気絶している上様は松平公の隣に寝かせた。
私達は近藤さんと土方さんの、この世の終わりかとも思えるお説教を受けたのだった。目を血走らせた土方さんの鬼の形相は忘れもしない。本来ならば度重なる粗相で我々は打ち首かとも思われたのだが、今回の一件は上様も満足したとのことで一切のお咎めはなかったという。
キャバクラ騒動編完結。
20201130*星宮はちこ 裏語