レプリカ虚像乙女
【第七章、受容 六十五話、姉】
翌日、容体が安定したミツバさんは念のため大江戸病院に入院したらしい。
銀さんと私に会いたがっているから良ければ面会に、と沖田さんからの電話があって、特に予定もなかったので入院している部屋の番号を控えておいた。銀さんにこの事をお伝えすると、彼も彼なりに彼女の容体を気にしていたようだ。それならば昼過ぎに顔を出そうということになった。
昨夜の彼女はぐったりと布団に横たわり、息をするのもとても苦しそうに見えた。その姿を見ていると遠い日を思い出す。小さな布団に横たわる小さな体。栄養点滴だけでは満足に筋肉が作れず腕も白く細いまま。弱弱しく動く胸が彼女たちの生を示している。
は過去を脳裏から追い払った。今は何よりミツバさんの事だ。とても心配していたけれど、今では普通にお話もできるらしい。よかった。
お妙さんのお家でお泊まりをして来た神楽ちゃんからは、
一旦万事屋に戻って昼食を取った後に再び彼女の家に行くと連絡を受けた。
何でもボードゲームで盛り上がっているとか。お妙さんがお昼ご飯をご馳走してくれる予定だったけれど、
私が神楽ちゃんが帰ってくるつもりで準備しているから万事屋で食べたいと強く懇願(?)したらしい。「私の分もよろしくアル」と電話口で三回も言われてしまったから仕方ない。お妙さんの料理ってみんなが回避するような代物なのだろうか。食べてみたいような、止めておいたほうがいいような。ちなみに万事屋のお昼ご飯はカレーライスだ。
「やっぱり万事屋のご飯が一番アル」
「そう?お代わりする」
「当たり前ネ」
「
さん。僕も!」
帰って来た神楽ちゃんと新八くんも入れて四人全員で昼食を取ると、二人はすぐにとんぼ返り。知人のお見舞いに行くために万事屋を離れるけれど、夜には帰ってくるからとだけ伝えた。
時は昼過ぎ。銀さんが面会の為の身支度を始める。と言っても服を着替えるわけでも髪をセットするわけでもない。彼の言う身支度とは一体何なのか。まあいいか。私は彼が身支度を整えている間に台所を片付けておいた。念のため、年少組二人が帰って来た時用の書き置きを残しておこう。
私と銀さんは、万事屋を出て鍵をかけると大江戸病院へ出発した。
穏やかな風が靡く外は気持ちいい。こうして平和に外を歩ける日が来るとは思ってもいなかった。真選組屯所での生活は不満こそないが、外出はなかっただろうから。行きすがら寄ったのは病院近くのコンビニだ。彼は何やら探し物があるらしい。お菓子コーナーを右往左往している。私は特に買いたいものはなかったけれど、新商品くらいは確認しておいた。買い物は終わったらしい。「行くぞ」手を挙げて男が笑う。はいと答えて並んで歩いた。
久方ぶりにたどり着いた大江戸病院。定春君の騒動後に訪れて以来である。以前に働いていた縁もあり、先の入院でも私の存在は公になっていなかった(偽名は大江戸花子だったし)。あまり院内をうろつくのもよくないだろうか。定春君の時は受付にいただけで内野さんに見つかってしまったけれど。今回は誰にも会いませんように。
銀さんは玄関口から迷う事なく一直線に進むとエレベーターに乗った。入院患者用の個室が並ぶ廊下を歩く。と、病室の開いた扉から人が出て来た。一瞬だけ見えた横顔には覚えがある。確か…蔵場さんだっけ。ミツバさんの旦那様になるお方だ。
彼がその部屋から出て来たということは彼女の彼女の病室はここなのだろう。部屋番号を見ても間違いない。扉が開いたままの病室に歩み寄った銀さんは、さっきコンビニで買ったのだろう“激カラせんべい”というお菓子を掲げながら中を覗き込む。私もその後ろから顔を出した。室内にはベッド上で半身を起こしたミツバさんの姿が。「あら?入って!」の声に入室して傍まで寄った。
「スゴイ。本当に依頼すればなんでもやってくれるのね」
「万事屋だからな」
そう言って銀さんはせんべいの袋ごと差し出した。ミツバはニコニコと笑いながらそれを受け取っている。コンビニで買ったのはこのおせんべいで、彼女への差し入れだったんだ。しかし真っ赤な表面は、味だけでなくその刺激性まで想像させるには十分な代物。
「って銀さん!こんな刺激物はミツバさんの体に障りますから」
「あら?これ美味しいんですよ。
さんもいかが」
「いかが、ってミツバさんももう少しお身体を大事にして下さい。コレ、以前に屯所で頂いたことありますが…」
辛くて涙が出る代物だ。男はそのままコンビニ袋を漁り一緒に買ったのだろうバナナを取り出す。鮮やかな黄色の皮を剥き「オイ、おめーもどうだ」なんて誰かに勧めだす。突如、見えない何かに語り掛ける銀時に
は首を傾げた。一体誰に向かって言っているのだろうか。
するとベッドの下から手が伸びて来て、ソーセージがあるからと断りが入る。え、下に誰かいる? ミツバさんと銀さんと三人でベッドの下を覗くと、例のアフロの男性が縮こまっているではないか。「…山崎さん。どうしてこんな所に?」ミツバさんがそう声をかけた途端に私の声が上がる。男の声も重なった。
「しまったァァァァ!!」
「あ!山崎さん!!」
思い出した。彼は山崎さんだ。屯所にいたときは黒髪の直毛だったような気がするけれど。斎藤さんにあこがれてイメチェンしたとでも言うのか。おめーんなとこで何してんだゴラァ、と銀さんが狭い空間で身動きが取れない山崎さんに足蹴りを繰り返している。ベッドにはミツバさんがいるのだし、これ以上騒動を引き起こしても困る。
「ちょっと銀さん!ここは病室ですよ」
すぐ止めるように彼を宥めた。「話がある」と話を切り出したのは銀さんだったか山崎さんだったか。どちらともなく部屋の隅に寄ると、何やらコソコソと男同士話し合っているではないか。もう一体何なのだろう。時折単語が聞こえてくるけれど話の内容まではわからなかった。
「悪ぃ。
はここに残っててくれ。頼む」
「はぁ…わかりました」
私がそう答えたのを見計らって二人は静かに部屋を離れた。ミツバさんの病室は大江戸病院でも特別な個室の一つで、昨日訪れたお屋敷から考えても蔵馬さんが用意したのであろう。以前に私も大江戸病院の個室にいたのだが(こことは別の部屋だ)一人だととても広く感じる。ベッド脇の簡易的な椅子に腰を下ろして、ゆっくりと周囲を見渡していると、クスクスと笑い声が聞こえた。
「ようやく二人きりになれましたね。私、貴女と二人でずっとお話がしたかったの」
届けられた激辛せんべいを手に彼女が笑い、私も微笑む。ミツバさんは何度見ても沖田さんに似て容姿端麗な人だと思った。「そーちゃん達が江戸に行くまでは男友達の中にいたから、地元では歳の近い女友達もいなくて。あの…」と遠慮がちな声に応じる。
「実際の所、そーちゃんとはどうなのかしら?お付き合いしている…わけではなさそうね」
「沖田さんは良いお友達です」
それ以上それ以下でもない。好きか嫌いかと言われたら好きだが、それはいわゆるLikeであってLoveではないやつだ。そう順を追って説明した。これでようやく、ミツバさんにもわかってもらえただろうか。先日のファミレスでの沖田さんの意味深な発言もあってか、無駄に彼女を期待させてしまっていたようだ。誤解されたままなのも困るけれど、真実を説明しながら、心の隅では申し訳なくも思ってしまった。
「じゃあ
さんは恋人とかいるの?もしかして銀さん?」
「違います!恋人なんていません!銀さんは…良い人ですけど…」
「あら、そうなの。とってもお似合いだからそうなのかと思ってた」
銀さんは優しいし、私のことを何だかんだ気にかけてくれているけれど、この感情もきっとLoveではなくLikeだろうと思う。今は万事屋にお世話になっているので経営者と雇われ従業員(兼、居候)みたいな関係だけど。きっと恋人になり得る存在を通り越してしまっているのではないかと思う。要は恋人候補になれるような女ではない。…そんな感じ。残りは笑ってごまかしておいた。
ミツバさんのことも知りたいです。そう伝えると彼女は「ウフフ」と口元に手を当てて笑った。
「昔から肺が悪くて。田舎にいた時からそーちゃんには迷惑ばかりかけていたわ」
彼女の記憶を辿るように思い出が語られる。
幼い頃に両親を亡くし、弟の沖田さんは姉のミツバさんが面倒を見ていた。沖田さんが近藤さんや土方さんと出会い、彼らの道場に通うようになって交流を深めたことも。彼らが江戸に出てからも、彼女は武州に残り治療を続けていたらしい。それも毎月の沖田さんの仕送りがあってのこと。そして、少し前に江戸の豪商である蔵場さんとの縁談が纏まったのだという。
「
さんのことも良ければ教えて下さらない?銀さんとの馴れ初めとか。もっと貴女のことを知りたいわ」
「私…」
一時的な記憶喪失なんです。あまり他人には触れ回るなと言われているけれど、ミツバさんなら大丈夫だと思った。「まあ」なんて声を上げてミツバさんは驚いていた。記憶喪失と言っても、一時的な、ある限られた範囲が抜け落ちているだけだけど。それも伝えた。
後は記憶喪失以前に私自身の事。
私には妹が二人いた。昔は三姉妹とても体が弱くてずっと寝たきり。十時間を越える大手術の後、私は回復。妹達の手術と回復を待っていたが彼女たちは手術の前に…。そして父も実験中の事故に巻き込まれた。医者を目指して医学校に通い、攘夷戦争の最中、師と仲間を。そして最後に母までも失った。後は医者やら看護師やら色々と働いていて…そこからぽっかりと空白。
「みんな私を置いて逝った。挙げ句の果て、私は攘夷組織と…」
繋がっていたなんて。消え入りそうな声は彼女には届いたのだろうか。それすらも気にしている余裕がない。心の中で吐露は続く。真選組と取り決めた守秘義務もあり、知りえる情報を声には出来ない。私はその攘夷組織で人を殺す兵器を作ろうとしていた。人を救わんと医者になった私が人を殺す兵器を作るのに協力していたなんて。考えられない。考えたくもない。でも、それが事実らしい。
さん、とミツバさんに呼ばれて遠のいていた意識が戻ってきた。
「私たち“お姉さん”なのね。共通点が見つかって親近感を感じたわ」
「ミツバさんには弟さん、私には妹。と言っても私は自分のことばかりで、彼女たちが生きている間に姉らしいことは殆ど」
「男の子は手がかかるわよ。私の場合は特に歳が離れているからね」
もし妹が生きていたら…なんて、空想あるいは仮定の範疇を出ない。生が死を向かえた後は永遠に交わらない。決して。
「よいしょ」なんて声が聞こえて、離れていた思考が戻ってくる。視界が捉えたのは、ミツバさんがベッドから起き上がろうとしている姿。身体に障るからと伝えても「空を見たいの。大丈夫だから」と言われてしまえば仕方がない。私は譲歩し、反対側に回って彼女が起き上がるための介助を行った。ゆっくりと窓に近づく体。
おせんべいを持ったまま、個室の窓際で彼女は外を眺めていた。外?あるいは空。病院に来た時より陽は随分と傾き、空は赤く焼けている。私も空を見るのは好きだ。病院や診療所に勤めていた時も、息抜きにずっと見上げていた事は覚えている。
「時々考えるの。死ぬってどういうことかしら?死ぬ前に人は何を思うのか。私…幸せだったのかって」
「ミツバさんそんなこと仰らないで。今は病気を治して、お身体を養生させることを考えて下さい」
そう呟く彼女の背中は細く華奢。そのまま消えてなくなってしまいそうな儚い印象を受けてしまった。私は自分に出来ることとして、最善を必死に伝えた。今は前に向かっていてほしいと。決して後ろを振り返らないでと。
「
さんはお医者兼看護師さんなんですよね」と、突然話題が変わり少しだけ動揺してしまったのは認めよう。そして次に何を聞かれるのだろうかと、鼓動が早まるのを感じる。
「貴女は多くの“死”に直面されたかと思います。ねえ教えて下さい。…怖いの。誰かを遺して一人死んでしまうことが。だから聞きたい。皆、最期は…」
振り返った彼女の丸く大きな瞳は一点の曇りもなく澄んでいる。そして私自身が映っていた。その眼差しに射抜かれたように私の心が震えている。
「生きとし生けるもの、誰しもがいずれ“死”を迎えます。人は産まれた時から生きることを止めない。だから最期の一瞬まで心臓は脈動し、肺は酸素を求め続ける。絶対に諦めない。そう思いながら医者は働いている。私は…両親に顔向けできるほど立派なことをしていなかったかもしれない。それでも毎日を、今の一瞬を全力で生きているから…後悔なんてない。皆がそうだと思いたい。そうじゃないとやってられないじゃないですか」
「変なこと聞いてしまってごめんなさい。少し、馬鹿になってたみたい。私も一つ、人生の先輩として…お伝えしたいことがあるの」
武州にいた頃の話。気がつけば目で追っているような存在がいた事。その人を含めて、彼らと離れる時が来たことも。少しだけ勇気を持って、少しだけ背伸びをして…自分の気持ちを伝えた。そしてその人は振り返りもせずに彼女を残していった。ならばその地で待っていようと、彼女もその背を追わなかった。ずっと心の中の思い出を糧に待っていた。やがてそれが薄れて途切れる時まで。やがてその時が来るのを願って。
“あの人”
…浮かんだ後ろ姿は真っ黒で、燻らした煙草の煙が向こう側に揺れている。でも彼の性格を汲んでみても…決して思いがなかったわけではないだろう。むしろ。だからこそ彼女に振り向かず手を差し伸べなかった。覚悟として。決意として。
「ぶっきらぼうな人」
「ええ。そうでしょ?」
「私にも…憧れの人がいます」
まぶたの裏に焼きついた背中に思い焦がれ、心だけで追っているのは私も同じだ。それも、てんで吹っ切れていない。それは死を覚悟した時に助けてくれた人。その前後も、どうしてだろうかあまり詳しくは覚えていない。その人に会いたいがため…少しだけ世界を回っていたことがある。でも名前も顔も知らないのだから、結局情報すら掴めなかった。会いたいけれど、きっともう会えない。
「私を反面教師にして下さい」
ミツバさんは笑った。その笑顔には心の清純さが表れていた。
「
さんは、私のようにただ待つだけでなく追って下さい。どこまでも。貴女にはその力があるから。前に進んで…」
「…ありがとう。ミツバさんもご自身の病気と向き合って、戦いましょう」
「ええ。さっきの話は内緒ですよ。誰にも言わないで下さいね」
わかってますから、とベッドに戻るように促す。「久々にこんなお話しましたわ」彼女はとても嬉しそうな表情だった。
はベッドに横たわる彼女に優しく布団を掛けた。
それでも私は知ってしまった。多くの患者さんと少なからず接していた私にはわかる。色んな症状とケースを見てきたから。彼女は…そんなに長くはないだろう、と。わかった方がいいのか。わからなかった方がいいのか。正解もわからない。正解があるのかないのかもまた、わからない。静かに唇を噛んだ。
そしてしばらくして銀さんが病室に戻って来た。一緒に出ていったはずの山崎さんの姿は見えなかったけれど。ミツバさんが銀さんに、二人が何を話していたかを聞いているけれど「何でもねーよ」と流している。
「お前らこそ何話してたんだよ」
「内緒です。ね、
さん」
「はい」
おまけに銀さんがいきなり卑猥なタイトルのビデオを取り出したものだから、慌ててコラと彼の頭を叩いた。いきなりそんなもの出さないで…ってかこれどこに忍ばせていたのだろうか。私がいた時と同じように、ミツバさんは男同士でつるんでいた皆への思いを吐露していた。
「こんな女をほっといて行っちまうなんざヒドイ連中だねェ」
「でしょう。だから私、目一杯幸せになってあの人達を見返してあげるの」
笑いながら話す彼女には、先ほどの寂しそうな面影は見当たらない。「幸せにならなきゃね」と言ったミツバさんの横顔が胸を締め付ける。乾いた咳の音がして私は顔を上げた。
「オイ大丈夫か?」
「ミツバさん!?」
「ゲホッ…大丈夫です。もうちょっと…誰かとお話ししていたいの」
口元を押さえた彼女の手に赤が滲んで布団に溢れた時、反射的に私はナースコールを押していた。早く!処置しなければ。病室に駆けつけてきた看護師によって口元に酸素マスクがつけられ、集中治療室へと運ばれていく。私は医者でありながら…その様子を立ったまま見つめていることしかできなかった。出る幕ではない。固く手を握り両足で立ち尽くすだけ。なんて役立たず。
連絡が入ったのだろう。しばらくして病院中に響き渡るような大きな足音が聞こえて、近藤さんと沖田さんが姿を見せた。食い入るように、ガラス越しに見える集中治療室を覗いている。銀さんと私は、彼女の主治医から伝えられた真実を伝える。容体が悪化して…マズい状態であることを。
「もう陽が暮れちまったな。
、悪いが先に万事屋帰っててくれ」
「私もここに残ります」
「ったく、神楽や新八が万事屋にいるだろ。彼奴ら俺らがいねーとうるせーんだから。先に飯でも作っててやってくれ。んで朝に俺と交替!いいか!」
「でもっ、…ぁ」
大きな手が私の頭に添えられた。そのままワシャワシャと撫でられて顔が緩んだ。
二人は昨夜から万事屋を留守にしていたけれど、もうとっくにお妙さんのところから戻ってきているだろう。おまけに晩御飯の当番は私だ。書置きを残しておいたけれど、姿を見せない私達に不満も募っているはず。まずは万事屋に戻らなければ…仕方がない。
「無理しないで下さいね。一通り片付けたらまたここに戻って来ますから」
「ゆっくりしていいんだぜ。…大変なのはあっちだろうがな」
彼の視線の先には沖田さんがいた。「お先に」と頭を下げると、私は急いで病院を出て、かぶき町にある万事屋への帰路についた。
彼女たちは姉同士。一人は幼い時に妹を亡くし、一人は自ら病に罹る。
20201214*星宮はちこ 裏語