レプリカ虚像乙女
【第七章、受容 六十六話、逝く人 遺される人】
万事屋に戻った私は、不安げな表情をした神楽ちゃんに迎えられた。時計を見るともう夜の九時を過ぎているではないか。今まで私たちの帰りを待っていたのだろう。
「ごめんね!急いでご飯作るから!」
「銀ちゃんは?」
「姿が見えませんが…」
「野暮用、でもなさそうね。大丈夫。お仕事で忙しいの。でもすぐに戻ってくるから」
晩御飯は簡単にオムライス。スーパーで値引きされていたお惣菜も何品か、せめて綺麗に見えるようにお皿に盛り付ける。銀さんの分は…ラップを巻いて冷蔵庫へ。晩御飯を食べ終わった後は、二人の志村邸でのお話を聞きつつ程々のところで食器をまとめた。
「何かあったんですか?」
隣に並んで皿洗い。本来は私の当番なんだけど、新八君が半分手伝いを申し出てくれたから、今日は甘えることにした。スポンジを忙しなく動かしながら、私は昨日からあった一連の出来事を説明した。沖田さんのお姉さんが江戸に出てきていること。体調が優れずそのまま入院したことも。そして容体が悪化し銀さんがそのまま病院に残っていて、私と交替で万事屋に戻ることも。
「僕達が居ない間にそんなことがあったんですね」
「色々と、ね」
「
さんも早く銀さんの所へ行ってください。今日は僕が万事屋に残りますから。それなら神楽ちゃんも一人じゃないし」
「そんな。神楽ちゃんが寝てから行きますよ。新八君にもご迷惑をかけてばっかで」
スポンジを握っていた手首に彼の手が添えられ制止される。大丈夫、誰かのフォローはみんなでするものですよ、なんて諭された。
「そして
さんも立派な万事屋の一員です。安心して行ってください」
「ふふ。ありがとう。でも皿洗いは終わらせますね」
片付けが終わった頃にお風呂から出た神楽ちゃんに次を促される。すかさず会話に割って入った新八くんが何故か殴られていたけれど。彼から、再び私が万事屋を離れる事を聞いたのだろう。神楽が思いっきり私の腰元に抱きついた。「また行くアルか。銀ちゃんも帰ってきてないし
だけだと心配ネ。私も行くヨ」神楽ちゃんは優しい子だ。彼女の頭を優しく撫でながら大丈夫だと告げた。もう子供はお休みの時間だ。それに、朝には銀さんも戻っているだろうから。
「大丈夫。それともまだ信用できない…?」
「むぅ…明日には帰ってきてヨ。夜更かしはレディの敵アル。今度銀ちゃんに特大のパフェ奢ってもらうヨロシ」
「そうだね。その時は神楽ちゃんも一緒ね」
「イェーイ!」
押入れに入る神楽ちゃんが寝静まったのを確認して、新八くんに一声かけると私は静かに万事屋の扉を閉めた。
*****
夜ともなればかぶき町は一気に活気を増す。飲み屋ではない普通の飲食店の、その中でも早い店ではもう暖簾を降ろしているが数は僅かだ。
ネオンきらめく通りには呼び込みの声が響いてくる。こういう時は一本裏の道を通るのもありだが、こういう街ではかえって危険に巻き込まれる可能性の方が高いので表通りを行くのが正解。かぶき町の入り口にある大きな門を抜けると、一気に人気がなくなった。面倒ごとに巻き込まれないように早足で病院へと向かう。コンビニの前を通り過ぎると大江戸病院まであと僅かだ。
夜間用の入り口を通って院内に入ると消灯時間はとっくに過ぎたのだろう。廊下はいやにシンと静まり返っている。
本来なら一般患者の面会は限られた時間のみである。それも日中で結構短い。しかし集中治療室の患者で重篤な場合や手術時間が伸びていた場合などはこの限りではない。医師が認めた人は夜間でも出入り可能である。この時間に出入りできるとなれば、ミツバさんも状況が芳しくないのであろう。連絡を受けたわけでもないのに勘ぐってしまった。
三階に行くためにエレベーターのボタンを押した。フロアにたどり着くと曲がりくねった廊下を進み、集中治療室がある一角に訪れる。…と、倒れたワゴンと散らばった備品が目に入る。確かこのワゴンは結構な重さがあるしそれなりの安定感もあったはずだが。相当の“何か”がないと倒れないだろうに。数名の看護師が慌てて備品を拾い集めている。…これ全部再洗浄だな、なんて冷静に考えつつ彼女たちを手伝おうかとも思ったが今はもう部外者だ。下手に備品を触らない方がいいだろうという判断を下す。鳴り響く鈍い音に目を向けると、集中治療室前のベンチで横たわる銀さん。この音はイビキの様だ。
「(お疲れなのね。こんな所で寝て…)」
そっと彼に近寄りながらも窓越しに集中治療室の中を見ると…変わらず目蓋を閉じて眠るミツバさんの姿。周囲には医者や看護師の姿はない。酸素マスクにあの量の管。相当手を施したのだろう、後は…。
「
。戻ってきて早々悪ぃ。例の辛ぇヤツ買ってきてくれるか。この時間だ外のコンビニにしか売ってねぇだろうが」
「銀さん?起きてらしたのですね」
「…」
目蓋を開かず寝そべったまま彼はそう言った。さっきまでイビキをかいていたと思ったら…起きていたのだろうか。呼びかけてもそれ以上の反応はない。
「あのおせんべいですね。わかりました」
彼が一体何を考えているのかはわからない。こんな時におせんべいなんて。しかし私も口答えする気は無い。ただ言われた通りコンビニへ向かう為に踵を返す。ついでにコーヒーでも差し入れするべきか、いや、彼の場合は甘いイチゴ牛乳だろうか。離れていく後ろで誰かが動いたような気配がしたけれど、私は振り返らぬまま角を曲がった。
実を言うと、許可は得ているものの夜間の病院の出入りはそう楽ではない。不審者やらの侵入を防ぐ為に所定の手続きをする必要がある。出るのはどちらかといえば簡単だが(もちろん患者でないかを確認されはするが)入るのは面倒だったりする。
外のコンビニで例の激カラせんべいと、銀さんへの差し入れのイチゴ牛乳、自分への牛乳たっぷりのカフェオレを購入する。人気のない道を戻ると再び夜間入り口にたどり着いた。「ああ、貴女さっきの人ね。一度書いてもらったから今回は手続きいいよ。真選組の親族の方でしょ?さっ入って!」と、簡単に通れはしたが、これはこれでいいのか病院のセキュリティー。大切な時に不審者を招き入れる可能性も考えなくていいのだろうか。しかし、面倒な手続きが無くて快適だったのもまた事実。
三階に上がると、廊下には銀さんと沖田さんがいるではないか。銀さんはちゃんと起きた様子で二人向かい合うように立っている。「おっ帰ってきた」と手をあげて迎えてくれた。彼の目元には薄っすらとクマが浮かんでいる。寝不足なのは明らかだ。
「銀さん。まったく寝不足ですね」
「いやよく寝てる。おっ…頼んでたもん買ってきてくれたか。イチゴ牛乳まであるじゃんか」
「差し入れです。こっちのカフェオレは沖田さんにどうぞ」
自分用だったけれどいいや。小さいパッケージを差し出す。それを受け取った二人はストローを刺して一口飲んだ。「うめぇ」と言ったと思ったら二人して容器を差し出してくるではないか。何だろうかと疑問符を浮かべていると
「「残りは預けた」」
との声が重なる。袋の中に残った激カラせんべいを懐に突っ込むと銀さんは笑った。
「こんな時にどこほっつき歩いているかわからねー馬鹿呼んでくるわ」
「
はここで姉上の側にいてやってくだせェ」
「ちょっと…」
少し出るから…との言葉からして彼らはこんな時間に二人してどこかに行くらしい。ミツバさんはもうきっと長くはない。こんな時に一体どこへ行くというのだろうか。できれば、沖田さんには側にいてあげてほしい。いつその時が来るかもわからないのだから。
「なーに、すぐに戻ってくるからよ。俺のイチゴ牛乳…飲んだら承知しねーからな」
「必ずここに戻ってきまさァ。それまで姉上を頼みましたぜィ」
彼らに何を言っても聞かないだろう。きっと。「必ず戻ってきてくださいね」去りゆく背中に告げた。
これからが長い戦いの始まりか。集中治療室前のベンチに座り込むと、私は預かったイチゴ牛乳とカフェオレを全て飲み干した。
…
‥
時計のない空間では時間の感覚が失われていく。ただ二人が去ってから随分と時間が経ったようにも思えるが、実際はどうなのだろうか。わからない。
“ピー”と血圧と脈拍が一定数を下回った時の警告音が聞こえて私は頭を上げた。集中治療室内に医師と看護師が次々に入ってくる。彼らはモニターを確認し、種々の装置の値を微調整、点滴に薬を加えている。チラリとこちらを向いた医者と目が合った。
「ご家族の方ですか…」神妙な面持ちで治療室から出てきた医者が声をかけてくる。「いえ。しかし付き添いのものです」言われる言葉は既に察していた。案の定、想定通りの言葉に私は視線を落とすほかない。こんな時に…誰もいないなんて。
“非常に危険な状態です。私共は最善の手を尽くしてきましたが。そろそろ…”
血圧に脈拍、呼吸の状態を見ても朝までは体力が保たないだろう。呼吸マスクを外せば言葉は話せるかもしれないが、自力での呼吸がどれほど保つかはわからない。言ってしまえば、呼吸マスクを取ったらもう…。しばらくの間、せめて沖田さんが戻られるまでは、どうか持ちこたえて下さい。そう神様に祈った。
“ピッピッピッー 脈が乱れてきたぞ!急いで薬を!!早くアレを。どうか!頼む!!”
記憶。バタバタと乱雑な足音が遠ざかって誰かが叫んでいる。神様、仏様、どうか助けて下さいと必死に祈る。ああ、これは…夢だ。
「!」
荒くれだった足音が聞こえて私は重くなった目蓋を開いた。どうやらベンチに座ったまま意識を飛ばしていたらしい。働かない頭を振ると沖田さんが走ってくるのが見えた。だがその後ろに銀さんと土方さんの姿はない。
「
!待たせやしたァ!!姉上は!!」
「沖田さん!!早く…ミツバさんに…」
待機していた医者が沖田さんに現状を説明し彼は一人で治療室内に入った。続々と、残りの真選組の方々が到着し治療室の前に集まり始める。医者が彼らにも彼女の容体を説明していた。我々も最善を尽くしたがもう…その言葉に彼らも視線を下げた。
ミツバさんの酸素マスクが外されたのを見て、私は自らの頬を涙が伝っているのに気付いた。
どれだけ人の生死に関わっていても…死には慣れないものだ。人が死んだら悲しいから。力なく崩れたミツバさんの手を見て私は声をあげて泣いた。誰が見ていようと、誰がいようと構わずに泣いた。
かつて私の大切な人は言った。
“死すべきことは悲しいが、生き残ることはより苦しい” と。私には何もできなかった。彼女の為にしてあげられたことなんてなかった。彼女の死の悲しみも、生きている私の苦しみも決して消えることは無い。
*****
お葬式が終わってしばらく経った後。落ち着いた頃に久しく訪れていなかった屯所へと足を運んだ。あの夜、土方さんは足を負傷していたらしい。未だ松葉杖が必要らしいけれど彼は数日間療養しただけで仕事に復帰したとのこと。わざわざそんな状態で動かなくてもいいのに、私を迎えてくれた。見慣れた廊下を進むと、たどり着いたのは沖田さんのお部屋。土方さんはお茶を淹れると言って部屋を離れる。負傷しているのだからと言っても聞かずに行ってしまった。気を使わなくても良いのに。
「待ってやしたぜィ。こっちでさァ」
沖田さんのお部屋にある小さな遺影の前で手を合わせた。既に添えられていた激カラせんべいは私のを足して二袋目。隣に置いておこう。持ってきたお花はアレンジメントにしてもらったのでそのまま飾る。
「俺は誓った。姉上に恥じない男になりやす」
「私も、自分の道を進むと誓いましたから。あ、銀さんもすぐに来ますよ」
銀さんとは万事屋を時間差で出たのだ。もちろん私の方が先だったけど。「旦那。こちらです」と、アフロからいつものヘアスタイルに戻った山崎さんが銀さんを連れて来た。彼の手には行きすがら買ったのであろう、コンビニの袋が握られている。中身を見て驚いた。激カラせんべい、ちなみにこれで三袋目だ。
「仕方ねーだろ。あの女の大好物がこれくらいしか思いつかなくてな。ホラ、追加だ」
袋から出て来たのは、コンビニスイーツのプリンパフェに何故かタバスコの瓶。それらをせんべいの隣に置いている。いや覚えがあるけれど、この組み合わせはおかしいだろう。よくよく見ればその隣には一味唐辛子の瓶やら、わさびのチューブなども添えられているではないか。本当に辛いものがお好きだったんだろうことが伺えるが。土方さんと近藤さんのお二人がお茶を持って戻って来たので慌てて立ち上がりお盆を受け取る。二人は増えたお供え物の種類にただただ笑っていたが。
「
。俺ァあんたのこと少しだけ姉上に重ねてた。俺を“そーちゃん”と呼んだ時に、姉上にソックリで…でも違う。
は
だ。姉上じゃねぇ」
「私は
。ミツバさんになんてなれやしません。それでも…心休める場所が必要ならいつだって呼んであげます。“そーちゃん”!」
そう言って思いっきり彼を抱きしめた。私だって年上の“姉”なのだから。かわいい弟が出来たようなものだろうか。
「うるせー!ったく何しやがんだメス猫ォ」と、思いっきり腰をこそばされて転げ回る。こそばされるのが一番辛い!一瞬の隙を突いて、抱きしめていたはずの沖田さんに抱きしめられていた。
「これが一番しっくりくらァ」
「沖田さん…後ろ」
「?」
目の据わった銀さんと土方さんがまさしく暗殺者の眼差しでこちらを、正確には沖田さんを睨んでいるのだ。あ、これまあまあ本気で怒っているやつだな。
「おいドS王子。
に何してくれてんの。いけねーんだよそっから先は大人の世界だから」
「総悟。お前あんなことがあったのにいきなり何してくれてんだオイ」
「姉弟の戯れでさァ。邪魔するったァ野暮ですぜ。さっ、行きやすぜ」
「って、沖田さぁああん。待ってェェ」
手を引っ張られて屯所内を逃亡する私達。後ろからおっかない表情の白と黒い二人が木刀と刀を振り回しながら追って来ているのだけれど。個々ならどうにか撒いていたけれど、二人がかりの策に嵌まり、とっ捕まった私達は(私は完全な巻き込まれ事故だ)何故か近藤さんのお部屋で正座してお説教を食うことになった。
ミツバ編完結。
20201224*星宮はちこ 裏語