レプリカ虚像乙女
【第七章、受容 六十七話、かぶき町バイオハザード】


「「「「いただきまーす」」」」

両手を合わせて声が重なった。万事屋銀ちゃんの階下にあるスナックお登勢で、私たちは朝ごはんに加えて食後のデザートを頂いていた。
仕事の波が大きい万事屋を気遣って、お登勢さんはご飯をご馳走してくれることが多々ある。最初は遠慮していたけれど、今ではありがたく頂いている。家賃の支払いに困窮する月もあれど、私の僅かばかりの軍資金からの補填は断られている状況だ。
今日は豪華に食後のデザート付き。と言っても、スナックで提供している甘味の余りなので、四人それぞれ違うメニューだけど。ちなみに私はバニラ味のアイス。小ぶりなスプーンですくって口に含む。ああ美味しい。神楽ちゃんに一口おねだりされたので、次のスプーンの先は彼女の口に収まった。
奥で銀さんが何かを見つけたようにジッと一点を見つめている。


「おいキャサリン。おめぇ眉毛繋がりかけてんぞ。手入れしとけよ」


などと、突然キャサリンさんにそんな失礼なことを言いだすものだから、思わず彼女の眉間を見てしまったではないか。ああ。確かに…薄っすらと生えかかっている毛が僅かに繋がろうとしている。剃ってくるというキャサリンさんに向かって、神楽ちゃんが悪態をつきながら悪い言葉を使うので、慌てて言葉遣いを注意をした。むくれる様に頬を膨らす少女に「お願いね」と念押しだ。

「わかったアル」

視線が交わると二ッと笑い合う。やっぱり女の子は笑顔が一番。彼女に悪い言葉は似合わない。そして向こう側では銀さんと新八くんが何やら語っている。
突如、慌ただしい声がテレビから流れは視線を上げた。テレビには赤字で“速報”の文字を映し出していた。一体何だろうか。事件?事故?或いはおめでたい話題? 想像もつかないけれど、次に映ったのはどこかの中継映像だった。マイクを手にレポーターが事故を伝えている。横転したトラックからして事故なのだろう。衝撃的な映像ではあるが、速報を流すほどでもないような。


「いい女ってのは毛穴からして違うんだよ。ほら見てみろ、な。毛穴のケの字も見えねーだろ?眉間に毛ェ生えてくる時点でもう問題外だ。亀有で生きていくしかねーよもう」
「銀ちゃん鼻毛出てるヨ」
「マルハーゲ帝国で生きていくしかないですね。もう」



三人があれこれ言っているけれど私には届かない。私の視線も意識もお登勢さんの後ろにあるテレビに釘付けのまま。

“ここが先ほどトラック横転が起こったかぶき町の事故現場です。大型トラックが歩道に乗り上げて横たわっており、運転手の姿は見られないとのことです”

映像には見覚えのある風景が映っている。事故の現場はかぶき町らしい。その中でもここの近所ではないだろうか。場所を特定しようと画面を見てみるもスタジオの映像に切り替わってしまった。
こんな近くで事故なんて…お店に突っ込んでこなくて良かった。事故を起こした人には申し訳ないけれど、安堵したというのが率直な感想だ。お登勢さんも近所の事故だと気付いたらしい。「あーあーエライことになってんな」鼻に指を突っ込みながら銀さんもテレビを見ている。
裏方からゆらりとキャサリンさんが姿を見せた。テレビに釘付けだった私の視線が、今は彼女を捉えて離さない。先ほどとは違い、頭を垂れてゆっくり歩く様はまるでお化けのよう。一体どうしたのだろう。彼女が顔を上げる…と、極太眉毛が繋がり涎を垂らし人相がまるで変わったキャサリンの姿。おまけに獣のようなうめき声まで上げているのだ。



「…」



あまりの変貌ぶりに私は言葉を失った。
お登勢さんも銀さん達も皆、彼女を指差しながら笑い転げているけれど。これは笑えない。むしろ薄かった眉間の毛がこんな僅かな時間で剛毛になっているなんて。この眉毛…どこかで見たような。昔、何かの論文で見たような気がしなくもないが思い出せない。

ーガッ

突然、キャサリンさんがお登勢さんの首元に手をかけて押し倒した。「うがァアアア」と低い呻き声が響いてくる。「何やってんだィ。あんたァァァ!!」お登勢さんの悲鳴が続く。まるで獲物を捕食しているかのように。


「キャサリンさん?」


悪ノリし過ぎとの新八の声。不安の拭えない私も彼女の名を呼んだ。
大丈夫だろうかとカウンターの向こう側に行こうとしたら、銀さんに手首を掴まれて静止した。彼は日頃のストレスだとかいびりだとか言っているけれど、そんなものではない気がする。キャサリンさんに何かが起こったのは間違いない。
「お登勢さん、大丈…」カウンターを覗き込んだ彼らの前に、ぬっと立ち上がった二人は、やっぱりお化けのような姿勢だ。お登勢さんまで眉毛が繋がっているように見えるのは決して見間違いではない。さっきまで普通の眉毛だったよね? 血走らせた眼を向けるスナックお登勢の二人には先ほどまでの面影は残っていない。手を差し出し呻き声を上げ、勢いよく迫って来る姿はまるでゾンビだ。



「うわぁあああ!!!」
「いやぁあああ!!!」



咄嗟に動けなかった私は、銀さんに思いっきり手を引かれることで何を逃れた。そのまま四人でスナックを飛び出た。引き戸が外に向かって倒れたが気にしてなんてられない。全速力で走るのみ…と言っても、着物なのでそう足が開かない。引っ張られてどうにか付いていけている状況だ。


「銀さァァァァん!!ななな何なんですかアレはァ!!」
「知るかァア!!新八ィ俺に聞くな!!!いるかァァァ!!?」
「銀さん!手握ってくれてますから!!っても、もう苦し…」
「頑張れェェ。もう少しでラブヘヴンに突っ込むからなァア!」


眉毛が!と連呼する銀さんはそれでも私の手を離しはしなかった。
ラブヘヴンって何処だろうと考えようにも、我武者羅に走る頭には酸素が足りずに何も考えられない。新八くんが並走する駕籠屋に助けを求めている。しかし振り返った駕籠屋の運転手の眉毛は繋がり、窓を破る勢いで新八くんに襲いかかろうとしていた。さっきの二人と同じ状態なのである。

「神楽ァ!を頼む」
「了解アル」

銀さんに握られていた手が離れるも、反対側の手を神楽ちゃんが握ってくれた。銀さんは走っている勢いのまま、新八くんに襲いかかる運転手に蹴りを食らわせている。空気を劈くような警報音が空に響いた。


“緊急警報発令!かぶき町にお住いの方にお伝えします。これより一切の外出はもとよりかぶき町から出ることを禁じます。現在、外出中の方は速やかに近くの建物にご避難下さい。決して眉毛が繋がっている人物、毛深い人物には近づかないで下さい。非常に危険です。眉毛が繋がりそうな方は速やかに毛を剃り落として下さい。繰り返しお伝えします…”


こっちだ、銀さんが言った。
私たちは建物の隙間に身を隠しながら表通りの様子を伺っている。しかし何処もかしこも、眉毛が繋がった人物がそうでない人物を襲っている悪夢のような光景しかない。襲われた人物はやがてゆっくりと立ち上がり、眉毛を繋げた状態になってゆらゆらと徘徊している。眉毛が繋がった人から広がっていくということは、ある種の感染でもしているのだろうか。病原菌かウイルスと考えるのが妥当か。しかし感染からものの数秒~数十秒で眉毛が生えるなんて異常である。こんな特異な症状…一般的なものではないのは明らかだ。
が状況を考察していると神楽ちゃんが別の表通りから戻って来た。向こうも、もう異常な眉毛を持った人間しか歩いていないらしい。


「チッ、仕方がねえこっちだ。も遅れず付いてこいよ」
「はい…って痛っ!」


言ったそばから銀さんが立ち止まったものだから、私は彼の背に激突したではないか。鼻を思いっきり打った。「もう、いきなりどうしたんですか」鼻を押さえて前を覗き込む。銀さんの首元には白刃が添えられていた。

「銀さん!?」
「止まれ。手を後ろに組んで眉毛を見せろ」

小屋と荷物の隙間には長髪の男性が刀を握っていた。「桂さん!!?」と新八くんが名前を呼んでいるあたり、彼らの知り合いなのだろう。刀を下ろした男性は自らの腕を抱き力なくしゃがみこむ。顔色は良くない。怪我でもしているのだろうか。よくよく見れば額から血が滲んでいる。


「大丈夫ですか。満足な道具もありませんが…」


私は袖元からハンカチを取り出すとその人の顔を拭う。傷口を見てもそう大きくはない


「すまない。…君は初めて見るが」
「私、万事屋でお世話になっていると申します」


簡潔にではあるが自己紹介をしておいた。
男性の傷は深くはない。もう血も止まり傷口は乾き始めている。何かしらの菌やウイルスが関係している異常事態が起こっているのだ。感染症対策の為にも早く消毒をしたいところである。

「俺は桂小太郎だ。よろしく頼む。銀時、言っておくがあっちにいっても無駄だ。地獄しか待っておらん」

桂さんと名乗った彼の回想がどうもおかしいのだが、新八くんが突っ込んでいるから私は大人しくしておこう。一体どういう状況だ。サンダルがどうこう言っているけれど、もはや突っ込むことすら面倒だ。うん。


「ズラ。奴らは一体…」
「ズラじゃない桂だ。…俺もわからん」


二人が眉毛が繋がった人物について情報交換を行っている。眉毛のゾンビがどうたら。謎の眉毛人間の情報よりも、私の脳内には先ほどの二人のやり取りがずっと残っていて離れない。

“おい、ズラ”
“ええい!一体何度言ったらわかるのだ!俺はズラじゃない桂だ!”

このやり取り…何処かで…。
思い出せ。何処かで聞いたことがあるような気がするのだ。次に私を待ち受けていたのは猛烈な頭痛だった。ドクンドクンと脈拍に呼応するように、頭が締め付けられている感覚に襲われた。足に力が入らない。私は頭を抱えながらその場にしゃがみこむ。


「うっ…ぐ」
!大丈夫アルか!!?」
「いきなりどうしたんですか!まさかさんの眉毛が!!?」


慌てた様子の新八と神楽が駆け寄ってきた。「大丈夫よ」額に手を添えながら、目眩と頭痛がした事を告げた。眉毛は多分大丈夫だろう。多分だけど。念のため眉間を触ってみても異常は見られない。桂さんを突き飛ばして駆け寄ってきた銀さんに支えられて私はどうにか立ち上がる。


「大丈夫か。ズラが目眩起こすような馬鹿だからか」
「ズラじゃない桂だ。ついでに俺は馬鹿ではない桂だ」
「ごめんなさい…私は大丈夫です」


瞬間的な頭痛だったのだろう。深呼吸を繰り返していると随分落ち着いた。
もう立てますから、と支えてくれている手に自らの手を添える。呻き声が近づいてくると思ったら、通りの角から例の眉毛人間が群れをなして姿を見せた。
「ヤバイ!マユゾンに気づかれ…」と銀時が言いかけたところで、桂が嬉しそうな顔で咳払いを一つ。私を抱えたまま銀さんの長い足が桂さんの顔にめり込んでいる。そうしている間にも細い路地の前後から眉毛人間が現れた。気付いた時には挟まれていた。
もうどこにも逃げられない。

「オイ!こっちだ!!」

路地沿いの高い位置にある窓が音を立てて開いた。男性の声が響く。反射神経の良い新八と神楽が、一足早く手前にあるエアコンの室外機の様なものに足をかけ飛び上がった。


さんも早く!」
「引っ張り上げるネ!!」


開いた窓から身を乗り出しそれぞれ片手を差し出す二人。彼らの頼もしい声と手に、は息を飲む。
このままここにいても例の眉毛人間に襲われるだけだ。行動あるのみ!私は褄を持つと崩れない程度に開き、室外機の上に飛び乗った。左右の手が二人と繋がる。
「せーの!」の声に飛び上がる。同時に腕が強く引かれ開いた窓に上半身が滑り込んだ。下半身はまだ外だ。室内で待機していた二人が更に手を引っ張ってくれる。

「あ…」

私の全身が室内に滑り込む直前、誰かにお尻を思いっきり触られたような気がするのだが。開いた窓から下を見ると銀さんと桂さんが押し合い圧し合いを繰り広げている。まさか…どちらかが? 気のせいだろう。あの状況だ、咄嗟に触れてしまったのかもしれない。


「助かったアル」
「おかげで命拾いしました…って長谷川さん!?」


サングラスをつけた男性も彼らのお知り合いのようだ。何でもパチンコ屋に住み込みで働いていたため助かったらしい。

いや、この人…どこかで…。

桂さんの時のように、どこかで会った覚えがある。男性の顔、ではなくサングラスを見ていると何かが浮かんでくる。あ、あの定春くんのお見合い時に声をかけられた人。彼の連れていた犬…とも呼べない破廉恥な機械も思い出してしまった。うん。もう何も言わない。
観察するようにチラリと男性に視線を向ける。すると長谷川さんと呼ばれた男性の右手からも、おびただしい量の血が滴り落ちていた。これは桂さんより重症の様にも思える。持っていた二つ目のハンカチを長谷川さんに差し出した。間近で傷口を見ると、血の量とは反して怪我の程度はマシにも見える。しかし油断は禁物だ。血は止まっているみたいだけど、桂さんと同じく、早めの治療を行いたいものだ。

俺もヤキが回った…と語られる回想はさっきと同じ。あの眉毛人間に襲われたものではない。私よりも先に新八くんの的確なツッコミが響き渡った。
眉毛ゾンビ通称“マユゾン”の名称が広まっていることに満足した桂さんに足蹴りする銀さんも相変わらず。このままここで立ち止まってはいけない。同じように考えていた新八くんが前に進もうと語った…のを遮る声が一つ。何だろうかと皆が視線を上げた。「さっちゃんさん!?」続くのは新八くんが驚く声。


「嘘、猿飛さんがどうしてここに」


天井からまるで忍者のように宙ぶらりんの状態で現れたのは、猿飛さんだった。長い髪が垂れ下がり、見ようによっては中々のホラーである。
彼女が指差す先はガラス張りの玄関口の向こう、眉毛人間の大群が両手を伸ばしてこちらに向かってくる悪夢のような光景しか広がっていない。今まではかぶき町内を無造作に徘徊し、出会った人間を手あたり次第襲っている印象だった。しかし今は、私たちが身を隠す建屋に一斉に向かってきているのである。どうして彼らの行動パターンが変わったのか。得体の知れない恐怖がふつふつと沸き立ってくる。

「それは新台入替だからよ」

そんな馬鹿な、とも言いたいところだが猿飛さんは至って真面目。まるでオッさんだと呟く桂さんに彼女はその生態について語る。いや違うから…と突っ込みたいが我慢しておこう。


「それもこれも皆RYO-IIのせいよ」


その名前どこかで聞いたことがあるような気がする。RYO-II。何度も小さく呟いてみる。記憶喪失以前の、記憶。

哺乳類に感染すると眉間の毛根細胞が活性化。眉毛が繋がり凶暴化する症状。超強力な感染力を持つウイルス、RYO-II。江戸の亀有で見つかったとか何とか。

確か…特級危険物に指定されていたはずだ。ならば江戸では、大江戸総合科学研究所のみで厳重に保管されていると思われる。それがどうしてかぶき町に? 一般人ならばその存在すら知らない代物だろう。ウイルス本体と共に、抗ウイルス薬…ワクチンが同研究所に保管されているはずだ。そもそも特級危険物が持ち出されるとなれば、ルートは事前に幕府に申請しているし、途中で事故が起これば適切に対処する。意図せず持ち出されたとなれば犯罪行為以外の何物でもない。すぐに警察が動く。眉毛人間を回避しつつ時間さえ稼げば何とかなるだろうか。

ーダンッ!

「地球は終わりだ!!」パチンコ台を叩く音で意識が戻ってきた。狼狽する桂さんを余所に、銀さんと長谷川さんは悠々とパチンコを興じている。そんな様子を見て、慌てふためく桂さんと猿飛さんをも気にせず、銀さんは変わらずマイペースだった。
ちなみに、それを眺める新八くんと神楽ちゃんと私の眼差しは察して頂きたい。


「心配しなくてもんなもんで地球が滅ぶかよ。みんな明日にゃ元に戻ってるって。ここには奴らは入ってこれねーから!三日三晩くらい籠城としよーや。あ、は俺とラブヘヴンね」
「さっきから言ってるそれって何なのですか?」


確か逃げる際にも言っていた。ラブとヘヴン? 愛?天国? どこかの場所?なにか物のこと? 何だろう。聞いたこともないけれど。流行りものだろうか。

「あーそれ。アレだアレ。籠城、夜のお楽しみ…」

言ってるそばから銀さんの目が泳いでいるように見えるのは気のせいではない。そもそも答えになってない。新八くんも何とも言えない目を彼に向けている。
あはは!笑って誤魔化しながら食糧と指差すのはカウンター。そこには景品として特大袋のお菓子が陳列されている…本来は。しかし、フロアに入って早々菓子を見つけた神楽ちゃんが既に大半を食べつくしている状況だ。彼女のお腹はポッコリと膨らんでいる。


「食糧無くなったんですけど」
「で、結局ラブヘヴンって何なんですか?」


この状況をどうするのか、と問いかける新八。“ラブヘヴン”が何か気になる。パチンコ台前に座る銀時を仁王立ちに見下ろす私達。その視線はヒリヒリと冷たいのは言うまでもない。


「…大丈夫だって一日くらい。あ、俺チョコ持ってた。ほらよ!そんな深刻に考えるなよォー、魔王が来るわけでもあるめーし。な!」
「銀さん。私の話逸らさないで答えてください」


ひと欠片のチョコを手に私は銀さんに押し迫っている。ラブヘヴンの答えはたどり着けないまま。それが何なのか気になって仕方がない。このままここに籠城するのも嫌だけど、聞き出す時間はまだまだあるだろう。その時だ。
―ガチャァアアン と、耳を劈くようなガラスが割れる音が店中に響いた。凄まじい勢いで砂埃が舞い、ガラスの破片が飛び散っている。僅かに見える拳。やがて現れた本体は魔王…ではなく。


「お妙さん…」


勇ましくパチンコ屋に踏み入る姿は武士か魔王か。後ろからは眉毛人間がぞろぞろと続く。新八くんが静かに魔王到来を告げた。


ラブヘヴンとは一体?
20210108*星宮はちこ   裏語