レプリカ虚像乙女
【第八章、芙蓉 七十三話、要らないものなんてない】
肩に何かが触れる感覚がした。私の名前を呼ぶ声も…。
確かいつもより早めに床についていたっけ。「
起きてヨ」これは神楽ちゃんの声だ。彼女が私を呼んでいる。認識してしまえば覚醒は近い。私は重い瞼を開いた。
「どうしたの神楽ちゃん…?」
薄ぼんやりと働かない頭を働かせて上半身を起こす。布団の横には、うさぎ模様の羽織を肩に掛けた神楽ちゃんの姿があった。カチカチと秒針の音が響く時計を見るとまだまだ深夜の時間帯だ。こんな時間に一体どうしたのだろうか。神楽曰く「銀ちゃんが外で寝てるネ」とのことらしい。え、どうして銀さんが外で寝ているのか。私は彼女の言葉の意味を理解できないでいた。
私と銀さんは同じ部屋で寝ている。と言っても布団を並べて寝ているわけではない。和室の真ん中を低めの衝立で区切って部屋を分けている。衝立の端から向こう側を覗いてみても使用感のない布団が一組残っているだけ。肝心の銀さんの姿は見当たらないのである。
「さっき、ゴミ捨て場にジャンプ取りに行ってたアル。よくわからないけど、しばらくして見に行ったら寝てたアル。あんな所で寝てたら風邪引くヨ」
「もう、お騒がせなんだから。そのまま頭冷やしてくれたらいいのに」
「まださっきのこと根に持ってるアルか?銀ちゃんと喧嘩する
初めて見たネ」
「それは…」
そう。今日…銀さんと初めて言い合いの喧嘩をした。
理由は簡単。今日の夕飯の当番は私だったのだが、主食の上にいきなり激甘な蜂蜜をこれでもかとぶっかけたから。料理をしている人間にはわかるだろうが、ソースやらタレやら追加の薬味やらは最初に味見をして加減をみてから追加するものだと思う。味見も無しに、ついでに合うかどうかもわからない激甘蜂蜜を手作り料理にかけられた私の気持ちを察してほしい。銀さんが甘党なのはわかるけれど…いくらなんでも酷すぎる。それに何より彼は糖分の摂取を制限されている身。デザートのパフェは週一に抑えているけれど、こんなところでお砂糖を過剰摂取するなんて! 彼の身を案じて私の語気も強まった。
私がどれだけ伝えても“いいのいいの”だとか“
の美味い料理をさらに美味くしてんの”とか言い訳されて腹が立った。しかしまあそこは仕方がないと思い留まった矢先、激甘料理に合わせるのはこれまた激甘のイチゴ牛乳。ここでも糖分を追加した事実に遂に堪忍袋の緒が切れた…。いい加減にして下さい、から始まった口喧嘩だが銀さんも中々口上手で事態は収拾せず平行線。神楽ちゃんがいる手前、これ以上声を荒げるわけにもいかず「勝手にして下さい」と言い切って席を立ち、家事の一切をせずに早めに床に着いたのだ。我ながら大人気ないのは認めよう。でも、何もいきなり蜂蜜をかけなくても…。そもそ料理だって甘さ関係ないメニューだったのに。
銀さんはこんな夜中にどうしてゴミ捨て場に行っていたのだろう。ジャンプを取りに行っていた? 明日は燃えるゴミの回収日なのに。それに外で寝てた…なんてご近所さんの目もある。風邪なんて引かれたら介抱するのは私だろうし。激甘なお粥を用意して飲み物はもちろんイチゴ牛乳…ああ悪夢。仕方がない。神楽ちゃんの要請により銀さんとの戦争は一時休戦としよう。
「銀さん収容しに行かなきゃ。神楽ちゃん眠いかも知れないけれど手伝ってくれる?」
「らじゃーアル」
寝巻きの上に一枚羽織り万事屋を出た。近所のゴミ捨て場に行ってみると、見覚えのある姿が横たわっているではないか。まるで死体みたい…頭でも打っていないだろうかと念のため確認してみるとちゃんと息がある(よかった)。足元から声がしたと思えば「うぅ〜」などと魘されている。私と喧嘩してやけ酒…なんてないか。テコの原理で横たわった銀さんの上半身を起こす。銀さんは体格が良い成人男性。私一人では持ち上げられない。神楽ちゃんには足の方を持ってもらおうか。
「うぉお!!
!これ見てヨ!」
「え?やだ何これ…首?マネキン…かしら」
「これ卵割る時に便利なやつネ。明日の朝ごはんに使えるヨ」
「違うと思う。さあ、そんな気持ち悪いもの捨てて銀さんの足持ってくれる?」
「銀ちゃんの足は片手で十分!」
結局、私が銀さんを背負って神楽ちゃんは例のマネキンの首をお持ち帰りすることになった。これは美容師が練習用に使うものだろうか、もしくは衣装展示用に使うのだろうか。長い髪がうねり広がる姿は、恐怖の館で展示されている小道具にも見えなくない。頬の汚れが血のそれに見えてくる。マネキンの首は何だか気持ち悪いので、明日ゴミ捨て場に戻しておこう。多分その頃には彼女の興味も失くなっているだろう。
和室の布団に眠ったままの銀さんを横たわらせた。…。地味に疲れた。嬉々としてマネキンを抱える神楽ちゃんは例の首と共に寝床に入り込む。「おやすみアル」と嬉々と扉を閉じた。あれ?明日にこっそり捨ててくるはずだったのに! 明日の昼には飽きているだろうか。夜も遅い今日は諦めて寝ることにした。
…
‥
目覚ましのアラームが鳴った。慌てて音を消すために手が伸びる。頭はどうもすっきりしないけれど起きなければいけない。目蓋を開くと、昨夜の出来事がありありと思い出された。確か、ゴミ捨て場で寝ていた銀さんを連れて帰ってきたんだっけ。
こっそり衝立から向こう側を覗いた。昨日寝かせたままの銀さんがいる。何故だろう私は安心した。身支度を整えて、昨日放置していた諸々の片付けをするために台所に立つと、シンクには食器類が一切置かれていないのである。全て洗われた状態で水切りバスケットに置かれているではないか。何故? 全部放置したはずなのに…
「おはよ〜アル」
「おはよう」
私が台所で立ち尽くしている間に、神楽ちゃんも起きたらしい。彼女は寝癖のついた髪を搔きあげて、寝ぼけ眼をこすりながら洗面所に向かっている。支度を整えた彼女に洗い物の件を聞いてみると、私が怒って寝室に篭った後に全部片付けてくれたとのこと。洗い終わった食器類を眺めながら彼女にも迷惑をかけてしまった事実に心が苦しくなった。
「神楽ちゃん、昨日は色々と迷惑かけてごめんね」
「これくらいお安い御用ヨ。銀ちゃんの甘党は異常だから気にしてたら馬鹿になるアル。一々怒っていても意味ないネ。だから
は銀ちゃんと仲直りするアル」
「うん。銀さんは神楽ちゃんに免じて許してあげるわ」
「良かったアルヨ
!」
咄嗟に抱きつかれてよろめくも彼女の背に手を回して受け止めた。可愛い妹が出来たみたい…なんて。いやむしろ夫婦喧嘩の仲裁に入る娘…げふんげふん。いかがわしくも悩ましげな妄想は止めだ。ふと、胸元に硬い質量を感じて見下ろした。
「…これ昨日の」
私と神楽ちゃんにサンドウィッチされていたのは、昨日彼女がゴミ捨て場から拾ってきたマネキンの生首だった。思わず固まってしまったのは言うまでもない。
「卵割り器ネ。今日の朝食は卵かけご飯で決定。食事当番は私だけど
も手伝うヨロシ」
卵かけご飯にお手伝いは要らないと思うけれど、昨夜片付けを手伝ってくれた代わりに朝食は何品か作ろうか。と言っても冷蔵庫にある食材は限られている。見切り品で買った魚の切り身に昨日作り過ぎたお浸し。もやしの入った味噌汁もできそうだ。お米をたくさん炊こう。朝食ならこれで十分だろう。神楽ちゃんに銀さんを起こしてきてもらうように頼み、私は魚焼き用の網を取り出した。例のマネキンの首は机に置きっ放しの状態。なんてホラー。やっぱり恐怖の館の備品にしか見えない。彼女が興味を失くしたら速攻捨てに行こう。多分不燃ごみだろうな。
テーブルに焼き上がった魚が並んだ頃に、和室から銀さんが出てきた。寝ぼけ眼を擦らせているものの、何処かご機嫌斜めのようにも見える。神楽ちゃんが寝起きドッキリでも仕掛けたのだろう。
「銀さん、おはようございます。昨日は些細なことで怒ってごめんなさい」
「お…おぉ。いやコレは関係ないな。アレに関係ないな」
「さあ座って下さい。朝食のお魚、銀さんのだけ少し大きいんですよ」
炊きたてのご飯をよそって机に並べる。神楽ちゃんのお米はどんぶりに山盛りだ。居間の卓に座ると手を合わせる。
「「「いただきまーす」」」
明るい声が重なった。今日のメニューは卵かけご飯に焼きジャケ、もやしの味噌汁、小松菜と人参のお浸し。銀さんが生卵を手に取った。
「…ったく。どうりで嫌な夢を見るはずだぜ」
コンコンと机で卵を叩く音が響く。興味有り気に夢の内容について尋ねている神楽と違って銀時の声は大人しい。彼が見たという嫌な夢。気になるといえばそうだが、別に嫌なものを思い出してまで話してもらうものでもない。何なら、昨日私が怒ったからか…いや違うと思いたい。確かに怒ったけれど、そこまで怨念じみていない。徐に「生首がよォ…」と言いかけるも、別に他人に話すもんではないと自己完結しているのだ。
生首…って、あれ?
私は卓上に置かれた、食事に紛れる違和感の塊を凝視する。これのことだろうか? しかし彼は知らないはずだ。神楽ちゃんがこれを拾った時には眠っていたのだから。
「ゴミ捨て場に生首アルか?」
「お前何で…」
銀時の瞼がピクリと反応している。神楽ちゃんの発言と銀さんの反応。もはやこのマネキンの首が、彼の夢に関係しているのは間違いない。って言うかこの首、何で卓上にそのまま置かれているのだろう。私は疑問に思ったが言葉にはならなかった。ちなみに銀さんは未だコレに気づいていない様子なのである。「魘されてたヨ」生卵を手の上で器用に転がしながら、昨日の銀さんの様子を教える神楽。
「寝る前の記憶の前後がねーんだが。俺昨日何やってた?
と同じ記憶喪失的な…お揃いだな。これ運命じゃね?」
それ恐らく違います。私は両手を広げて降参のポーズで応じた。頭を強打したというなら考えられなくもないけれど、昨夜念のため銀時の顔周りを診察していたのだが打撲の痕跡は無かった。頭を打った可能性はないだろう。例のマネキンの頭に卵を叩きつけながら、神楽が昨夜の出来事を話してあげていた。
ゴミ捨て場にジャンプを取りに行った事。次に様子を見に行った時には寝ていた事。
を呼んで銀時を回収しに行った事。二人で万事屋まで運んだ事。
神楽ちゃん神楽ちゃん、そう呼びかける銀さんの眼差しは一段と死んだ魚のそれだ。
彼の視線の先にはマネキンの首を抱える笑顔の少女の姿が。勿論私にも見えている。うん。やっぱりホラーにしか見えない。…少なからず卵を叩きつける用途ではないだろうけれど。
「ああダメよ神楽ちゃん!それそんな風に使っちゃ!!」
「て言うか何それ」
「卵割り器ヨ!昨日ゴミ捨て場で見つけたアル。
の許可も取ってるネ」
「いやいやいやいや、イヤァァァァァ゛!!卵割り器違うぅぅぅ!!これ昨日の生首!夢どころか何テイクアウトしてんだバカヤロォォォ!!」
その事実を認識して、錯乱した如く銀さんが取り乱している。神楽ちゃんが生首ではなく卵割り器だと訂正しているけれど、どこをどう見ても生首なんだけど…ね。正確にはマネキンの首。ホンモノではないことは確認済みだ。
「んな器物あるかァァァ!?」
叫ぶ銀さんの意見はご尤も。卵の割り方について持論を述べつつ(それも、卵は頭で割りたくなる…というものだ)少女がマネキンの頭に向かって思いっきり白い塊を投げつけた。殻が崩れて中身が広がる。勢いで首が床に転がった。やっぱり絵柄はスプラッタ満載なホラーそのもの。おまけに崩れた卵が卓と床を汚しているではないか。その凄惨な光景を見てだろうか銀さんの悲鳴が響く。私も声が上がった。
「神楽ちゃん用途間違ってる!!床が汚れてるし、食べ物を粗末にしては駄目よ」
「えー。
も持って帰ってきていいって言ったヨ」
「そうとは言ってないわ。卵が無駄になったし。おまけに床がドロドロ…」
「卵の事はごめんアル」
食べ物を無駄にしないでねと約束を取り付けて、私は雑巾を取りに洗面台に向かった。固く絞った雑巾を持って居間に戻る。乾かない内に拭かないと、固まって取れなくなる奴だろう。
「元あった場所に戻してこい!早く戻してきてェェェ!」
「いやアル!これは私の卵割り器ネ!!誰にも渡さないアル!!」
二人は相も変わらず言い争っていた。雑巾を手にした私は卵塗れの床を拭う。卓上用には台拭きを持ってこなければ。転がった首に伸びる影。
「あ…」
なんて溢れた声に、言い合ったままの二人の視線も上がった。マネキンの首を、正確には長い髪の毛を咥えたのは定春くんだ。そう言えば朝ご飯まだあげてなかった。ご飯すぐに用意するから、と台所に足を進めていると玄関の方から破壊音がする。何だか嫌な予感。というよりも間違いなく何かが起こったのだろう。ドックフードの大袋を手に抱えて、慌てて様子を見に行くと二人と一匹が玄関先の欄干から下を覗いているのである。玄関扉は外れて転がっていた。見た感じガラスも無事の様子。ならば敷居に埋めれば使えるだろう一安心だ。
私はドックフードを手にしたまま、横並びの彼らの後ろからからひょっこりと顔を覗かせる。下にはマネキンの首を持った新八くんがいた。
「…これ悦子ちゃん」
「悦子ちゃん!?これお前の知り合いの悦子ちゃんか!?」
「違いますよ。これ、今人気の機械家政婦“悦子ちゃん”です」
悦子ちゃん?
ただのマネキン(の首)だと思ったけれど、どうやら界隈では有名な代物らしい。
「新八くんおはよう!さあ上がって!」
外れた玄関扉を元通りに直し新八を迎え入れる。彼が手にしたままの例の首が異様な存在感を放っているのはもう気にしたらダメだ。ボールだと思えばいいのか。…無理だ。
定春くんにご飯をあげて、私達は食べかけだった朝食を急いで済ませる。新八くんはその“悦子ちゃん”という存在について色々と知っているらしいのだが、機械の方は詳しくはない。機械技師ならばその点詳しいのではないかという話になり、私達は銀さん達に馴染みのある機械技師の元を訪ねることになった。
芙蓉編始まりです。この章も色々あります。お楽しみに。
20210216*星宮はちこ 裏語