レプリカ虚像乙女
【第八章、芙蓉 七十六話、永遠なんていらない】
ずっと友達でいてね、頭の中で誰かの声が聞こえた。
心がまるで凪の海みたいに静まり返っている。でも決して寂しさを感じさせるものではない。ずっと穏やかで温かくて、うとうとと眠りに落ちそうなもの。そしてとても幸せな気持ちになる。次の瞬間、劈くような悲鳴が聞こえる。それは雷鳴が身体の中を引き裂くような。“
サン!どうして…どうしてウチらを裏切ったんスか!!”…違う。
“必ず…”
の意識が目覚めた。あれは夢だったのだろうか。真っ先に視界に入ったのは自らの両膝。私は何かに座っているらしい。手摺に乗った両手を感じる。頭が重いのは嫌な夢を見たからか…違う。私の頭に何かが乗っているのだ。もたげた頭を上げると。全体を包み込むようにヘルメットのような物を被っているようだ。そのまま前見据えた。正面に身長とは比にもならないような大きなガラスが見える。その向こう側には二つの人影が立っていた。見知らぬ男、後ろには見覚えのある姿。
「(新八くん…)」
彼の存在とその無事を確認したその瞬間にガラスの透過度が変わり、鏡のように自分の姿を映した。やっぱり私は椅子に座っている。そして天井から伸びる管が私の頭の被り物に繋がっていた。…何だこれ。体を動かそうとしても両手足が椅子に拘束されて身動きが取れない。何だ、私に何が起こっているのだ。わからない。
“目覚めましたか”
真っ白な部屋のどこからか若い男の声が響いてくる。前、後ろ、斜め、横。全方向から。前には白い空間に浮いたように存在する鏡だけ。この声にも覚えはない。
「誰…?」
今の状況を誰かに見られているのだろうか。覚えているのは新八くんと逃げていた時まで…あれから何があった? 辺りを見渡しても白以外に色はない。…。前の鏡はおそらくマジックミラーの類だろうと推測した。その向こうにさっきまで見えていた声の主がいる。そして新八くんも。
“
。こんな形で会うことになろうとは”
「さっきから貴方、誰なんですか。どうして私の名を!!一体これは何なの!?」
“私は戸-伍丸弐號機。君のことは昔から知っている”
「と、ごまるにごう?」
見えない相手との会話。普通なら恐怖を感じただろうけれど、私は今ある種のパニック状態に陥っているようだ。正しい判断ができない。だからこの状況に恐怖を感じる余裕がなかった。
声の主は自らを「と-ごまるにごう」と名乗っているのだが、私はそんな名前知らない。そもそも人間の名前なのか?天人か? どちらにしろ知らない事実に変わりはない。ならば声の主は誰か。まさか例の私を命を狙っているという攘夷組織の人間だろうか。このままこの拷問器具で私が盗んだ秘密を吐かせようとしてるのか、或いは殺そうとしているのか。確かその攘夷組織の名前は…。
「貴方、“鬼兵隊”の攘夷浪士ですか?」
“鬼兵隊…私のデータでは幕府に最も危険視されている過激派…か。残念だが私は攘夷浪士とは無関係。君は〝彼女〟の元に帰ってきた。思う所は色々あるが、それは賞賛すべき事実に違いはない。だから過去のことは水に流して褒美を与えようと思う”
「…彼女?」
“君は芙蓉の友達だろう”
芙蓉…ちゃん。空白を抱えた今でもその名前は覚えている。私の幼い頃の数少ない友人であり、今は亡き人。私が芙蓉ちゃんの元に帰ってきたって、この人は何を言っているのだろうか。「芙蓉ちゃんはもういません」そう言いながら、浮かんだ笑顔は幼い頃の彼女のまま。死んでしまった彼女には会えないのだ。
“もうすぐ芙蓉が私の元に帰ってくる”
「死んだ人は戻ってこないわ」
“違う!もうすぐ我らの…私の芙蓉が戻ってくるのだ!!”
「ー!?」
拘束されて自由が利かない私の身体の筋肉が、急激かつ反射的に反り上がった。ギチギチと。音は聞こえないが体の中から響いてくるように。「あぁー!!」呼応して喉の奥から悲鳴が上がる。通信越しに、遠くで新八くんの声が聞こえるけれど聞き取る余裕はない。
苦しい。
これはまるで無理矢理に筋繊維が動かされているとでも言うべきか。しばらくして刺激が止まると、身体中に力が入らず体が重力に引かれるがまま。椅子にぐったりともたれかかった。無事だった頭をどうにか働かせ、この刺激は高周波か電気的なものなのだろうと導き出した。もう拷問だ。出力を誤ればきっと死ぬ。手足を拘束されたままでは逃げ出すことも出来ないだろう。
“林流山の一件は知っているか?”
突如、男が尋ねてきた。林先生? 先日、自らが生み出した機械に殺された…父の古き友人。零號機と呼ばれる機械に博士殺害の嫌疑がかかり、逃亡。記憶喪失になった彼女の身柄(頭部だけど)は万事屋にある。彼女が殺人の犯人であるかどうかはまだわかっていない。「ええ」俯きながら
は小さく答えた。
“私はあの男の夢の残骸。いや、そう成りつつあると言った方が正しいかな”
「何を…言っているんですか?」
“林流山は死んだ。肉体を失ったがその記憶情報は生き残っている”
男の語る物語についていけない私。だが男の話はさも普通であるかのように続く。自分はあの男の情報を受け継いだ存在であると。戸-伍丸弐號。機械の体と人の心を持った、人間に最も近い機械。その口から語られたのは到底信じられない事実だった。
林流山が行なっていた芙蓉プロジェクトとは、博士が病弱な娘“芙蓉”に永遠の命(機械の体)を与える為に計画されたものだということ。被験体になっていたのが病弱だった芙蓉ちゃんだった。彼女の人格・記憶・感情全てを複製した情報が、万事屋にたどり着いた零號機の頭部に残されているという事。実験の最中、林流山先生自身も実験の被験体になっていて…その情報を受け継いだ機械こそ、声の主である戸-伍丸弐號なのだ。
「貴方が…林先生?」
私の問いには厳密には違うと否定が届く。男の中にある流山先生の人格は疾うに崩壊しつつある。自分は林流山とは似て非なるモノだと言う。しかし受け継いだ、“失った芙蓉を取り戻す”行動原則は変わらない、と。
“君は芙蓉の友達。戻ってきた芙蓉が寂しい思いをしないように、君にも永遠を与えよう。だが今の君の脳には鍵が掛かっていて簡単には複製出来なさそうだ”
「私はそんなもの!永遠なんて望んでない!芙蓉ちゃんだってきっと同じ…うぐぁ!!」
ギチギチと電流が体を突き抜けた。身体中の筋肉が強張ったかと思えば、四肢が力無く投げ出される。手足を縛る拘束でしか体勢を保てないほどに。やがて目尻から雫が溢れた。
いずれこの世界は機械しかいなくなる。
男は無機質に言った。この機械は…林先生なんてものじゃない。彼の言うように先生の人格は残っていない。このままここにいて、変な実験に付き合わされていたら…私も体を、記憶も何もかもを失ってしまうのではないか。逃げ出そうにも拘束を解く力が残っていない。
“
賢人も君たち姉妹が陽の下に生きることを望んでいた。我々は夢を語り合ったんだ!そう、病に蝕まれた娘とやがて迫り来る喪失の恐怖に怯えながら。しかしこの結果は賢人の望んだものではない”
「父だって…こんなの望んでいない。貴方のやろうとしていることは命の理に反します」
“黙れ。私と賢人は最愛の娘を失い、遂には賢人さえも。…林流山もこの件には苦しんでいた。寝たきりで死を待つばかりの愛娘に片や病など嘘のように両足で駆ける少女。どうして芙蓉が死になぜ君だけが生き残っている!!!”
返す言葉は持っていなかった。
確かに私の家族に芙蓉ちゃんも死んだのに私だけが生き残っているのは事実だ。押し黙った私を追い立てるような声が聞こえる。“そう言えばあの男はどうした。君が以前連れてきた高杉という男は” と。記憶の残る限り私は林先生に会っていない。「…たかすぎ?」聞き覚えのあるような無いような名前。確か…土方さんが言っていたような。
江戸で最も危険と恐れられる男“高杉晋助”
鬼兵隊と共にいた私が林先生の所に一緒に訪れている? 覚えてはいないけれど、事実のようだ。私が繋がれた機械が音を立てて起動し始める。頭がジワジワと熱い。
“芙蓉の帰還と共に実験は次の段階に進む。君の機械化も先ずは記憶と人格情報の複製から始めよう。人間は一度種子(たね)に戻してからやり直しだ”
「待って!嫌!!…あぁ…」
頭の中をのぞかれているような感覚がした。意識が遠のき、私の経験、私の記憶が巻き戻される。もう一度戻って繰り返し。
*****
「…ちゃん」
遠くで誰かの声がする。女の子の声、これは私の記憶。小さい頃の…記憶だ。「
ちゃん」そう呼ばれて私は顔を上げた。
「どうしたの?」
「ううん。なんでも無いよ芙蓉ちゃん」
そう言って私は笑った。ここは芙蓉ちゃんのお家。私は寝たきりの彼女の元へと遊びに来ていたのだ。芙蓉ちゃんは外には行けないから、お庭で育てていたお花を持ってきてこれはどんなお花かを話したり、江戸で流行りのモノのお話をしたり。ちなみに私のお父さんと芙蓉ちゃんのお父さんは、二人で難しいお話をしている。話の内容はチンプンカンプン。夕方になったらお家に帰らないといけないわ。
「お父さんが言ってた。
ちゃん将来は“おいしゃさん”になるの?」
「うん、そうだよ。私の妹達も芙蓉ちゃんも治してあげるんだ。みんな元気になったら一緒に天文台に登ろうね」
「うん。お空に近づくの楽しみだね。芙蓉は…元気になって将来はお父さんの“およめさん”になるの」
「お父さんの“およめさん”にはなれないんだよ」
「えーどうして?」
お父さんのお嫁さんは、お母さんだから。子供ながら意地悪にそう答えた記憶がある。「じゃあ誰のおよめさんならいいの?」頬を膨らませながら芙蓉ちゃんが聞いた。「でも
のパパも、“およめさん”は認めないって言っていたわ」どうしてだろう。子供の時はよくわからなかった。
…
‥
「芙蓉ちゃん」
「
…ちゃん?」
私が彼女の名前を呼んで。そう応じた芙蓉ちゃんの姿は少しだけ成長していた。けれど彼女は相変わらず広い部屋の真ん中に敷いた布団の上から、抜け出せないでいた。
「全部聞いたよ。
ちゃんの妹もお父さんも死んじゃったって」
「私、あの子たちを救えなかった。お父さんも事故でお星様になっちゃった。でも…夢を諦めたくはないんだ」
「夢?」
「私、お医者さんになりたいの。お母さんも応援してくれている。それに…お医者さんになったら芙蓉ちゃんを救えるから。もう誰も死んでほしくないから」
そう言って私がとり出したのは“医学校入学特別許可証”だった。本当ならあと数年先に入学できる年齢になるのだが、試験と推薦を受けて“研修見習い”という特別枠として許可が下りたのだ。
「わぁ!すごい!
ちゃんこれでお医者さんになれるね!」
「まだ学校に通えるだけなんだけどね。お医者さんになるには試験を通らないといけないんだよ!」
「
ちゃんなら大丈夫!そうだ、これ見て…」
「新しいお人形?」
今まで彼女が持っていた物とは違い、機械仕掛けの動くお人形だった。何でもお父さんお手製とのこと。それには動物の耳が生えていておでこには黒子が一つ。「これ押したら飛び出るんだよ」と芙蓉ちゃんが人形の額を押すと黒子が勢いよく飛び出した。「「あはははは!」」二人の笑い声が重なる。
「ねえ、
ちゃん。私たちずっと“お友達”だよ」
「私達はずっと友達だよ。お友達であって…妹だから!昔に妹だって言ったし…」
「うんそうだったね。忘れてた!」
その笑顔は忘れられない。
「本当に…行っちゃうんだね」
「ごめん。でも、必ず戻ってくるから!医者になって戻ってくるから!置いていくわけじゃないから、ね」
「
ちゃん、お願い約束して…」
それから芙蓉ちゃんも。
…
‥
医学校特別研修の最中。私は“理由なき医師団”の野戦病院にいた。
時は攘夷戦争後期である。本来は完全中立の立場である病院が、敵か味方かもわからない天人に襲われた。天人は幕府側と条約を締結し、暴徒と化した攘夷浪士と戦っているはずでは? ならばこの病院を襲った天人は一体…。
そこで私は死の危機に瀕していた。
直接どこかを負傷したわけではない。襲撃の折、助けを呼ぶために師も友も置いてきてしまった。本当なら急いで戻らなければいけないのに、頭ではわかっているのに。なのに“行け!!走れ!!”そう叫ぶ姉学生の叫び声が脳裏から離れない。呼応するように、助けを呼ばねば!助けを呼びに行かなきゃ!! と口だけはお喋りを続ける。どうか生きていてほしい。どうか持ち堪えて。そう神様に祈った。
走り続けた足がまるで石のように重い。木々に擦れた腕には血が滲んでいる。痛いけれど…あの人たちの恐怖や苦しみからすれば、こんなもの。
それから何があったっけ? …大切な所が霞んでいる。
誰かに助けてもらった。そうだあの人。所謂、命の恩人というやつだ。あの人に助けられて…私の前には輪郭が光り輝く後ろ姿が一つ。真っ白な…髪と背中に映える赤。この人はどこかで見たことがある。どこだっけ? やがて“あの人”の背中がじわじわと滲んでいった。白に落ちた墨が広がっていくような感覚だろうか。あっという間に背中が黒く染まっていく。その色は闇のよう。あっという間に真っ黒になった頭と背中。振り返った男が私に手を伸ばした。
“
”
確かにその人は私の名前を呼んだ。私を助けてくれた“あの人”は白い姿をしていたようだけど、今、前にいる“その人”は正反対の真っ黒な姿。貴方は誰? …いずれ時が来たら思い出さなきゃ。
“
サン!どうして…どうして裏切ったんスか!!”
私をいつも悩ませるあの少女の声が重なった。駄目。私、何も裏切ってない!!嫌!! 全てを拒絶する。
…
‥
心臓がバクバクと動悸を繰り返している。そして額と掌には汗が滲んでいる。
私の中に仕舞ってあった記憶を巻き戻して再生したかのような感覚がする。それも今ここで経験しているかのように現実的な。でも夢だ。ただの悪夢。私が今ここにいると認識するのに少しだけ時間がかかったのは仕方がない。確認するかのように掌を握ったり開いたりと動かしてみる。
「(大丈夫…)」
私の意識はここにある。私はここにいる。思い出したくなくて隅に追いやっていた過去と向き合うというのは、正直堪える。拘束があるのも忘れて手を動かすと、あれほど頑丈だった金属が簡単に外れた。あれ…?
私を拘束ている大掛かりなこの装置、今のところ起動していないらしい。両手の拘束を外して頭に被った装置も脱ぎ捨てる。真っ白な部屋がそのまま存在している。大きな鏡の向こうは見えないけれど、止まった装置や抜け出した私に対して何の反応もないことから、鏡の向こう側には人の気配がないことが伺える。
「林先生の暴走を止めなきゃ。あんなの…芙蓉ちゃんも望んでない」
電気的な刺激を受けたためか、満足に動かない体を動かして立ち上がる。立つだけでふらついているけれど気にしていられない。深呼吸で心を落ち着かせよう。数分もすると、随分と落ち着きを取り戻した。けれど変な胸騒ぎだけは消えなかった。
この部屋から抜け出さなければ。周囲を見渡し、よくよく目を凝らしてみるとこの部屋は広いが無限ではないようだ。白に紛れて隅に扉の枠線が見える。意を決して扉に触れると、鍵はかかっていないようで自動で横に開かれた。ぽっかりと向こう側、どこかの廊下が見えた。
林先生の夢の成れの果て…戸-伍丸弐號の暴走を食い止める。ここがどこかもわからないけれど、私は白い実験室を抜け出した。
脳に触れられたことは、後程、色々と影響するかも?
20210320*星宮はちこ 裏語